【完結】かつて筆頭幹部には師と仰ぐ人がいた。



 イーガへ入団し、数年の時が経った。
 その頃には識字を完全に己のものとし、業務と訓練に勤しむ毎日。
 真面目に訓練へ打ち込んでいた労が功を奏したのか、そのころには俺も資材班ではなく、イーガ団においての花形ともいえる密偵の業務に携わっていた。
 とはいえ、いまだ未成年の俺が出来ることなど、たかが知れている。幼い見た目を利用して、ハイラルの地を駆けるようになっただけだ。
 若さは密偵の業務に役立った。なにせ、両親を失ったと仄めかせば、大抵の人間は同情し、懐を開く。
 知っていることを洗いざらい話させるには、俺の齢や見た目に利用価値があると、幹部殿やコーガ様に説かれて理解していた。
 最も価値の高い武力では引け劣るものの、実務での成果をあげるたび、俺のイーガでの曖昧な存在意義は、そのころ漸く確かなものになりつつあった。


 嘗ては日課として顔を突き合わせていた先生に、何かを教わることはほとんどなくなっていた。
 その頃の俺が日課として通っていたのは書庫ではなく、修練場であり、文字を追うことを辞め、幹部殿から体術を叩きこまれる日々だった。
 先生は武を極めることに消極的だった。術も弓も、幼い頃から両親に師事していたという話なのだから、恐らくそれなりに実力を持つ人だったのだろうと思う。
 しかし、彼女の口から術や弓についての言葉を聞いたことはなかった。得意ではない、とぼやくような声を耳にしたことならあるが。
 彼女は相変わらず、前線から最も遠い内勤として、文献整理の毎日を送っていた。

 一切の武功なく歳を重ねた先生だったが、俺の中で特別な女性であったのには変わりない。
 首を傾げながら、古書に目を通す彼女の仕草は大人びていた。
 はらりと音もなく頁を捲る手は緩やかで、温和な彼女の性格そのもの。かと思えば意外と気配に敏く、書庫の扉に俺が立っただけで、彼女はつられたように面を上げて見せるのだ。
 「スッパ君」と名を呼ぶ響きはいつかの如き朗らかさ。その親しみの色が滲む声音に、いつもじわりと陽の気配が胸に広がった。

 彼女から教示を受けることのなくなった俺だが、書庫へはなるべく足を運ぶようにしていた。
 大人にはまだ遠い俺の、悪あがきのようなもの。出会った頃より随分大人びて見える彼女の思い出に、俺は足を漬けていたかったのだと思う。
 いつまでも特別でいたいと、特別であってほしいと、俺は無意識に、親しげな様子を一切隠さない彼女を、求めていたのかもしれない。

「先生、今宵は良い月です。一緒にどうですか」

 彼女と共にアジトを抜け出して、件の場所から夜の砂漠を見るのが、二人の恒例となっていた。
 誘い出すのは俺の場合もあれば、先生の場合もある。打てば響くとばかり、彼女は二つ返事で「いいよ、行こう」と本を片付け、俺の先を歩き出す。

 首狩り刀を腰に提げ、玄関口の守衛に「出ます」と伝えれば、難なく夜の散歩は叶うようになっていた。対戦経験の浅い幼き密偵といえど、夜に出るキースやスタル共なら、問題なく退けられる力を得たからだ。

「スッパ君がいれば安心だね」

 不用心に笑って見せる先生に報いたい。
 内勤として、詰所に籠りっぱなしの彼女を守れる腕に、その当時は誇らしさすら感じていた。

 夜風はどの季節だろうとも、アジトから抜け出た瞬間の俺たちを心地よく包み込む。
 戸口を出た瞬間、どれほど薄着であろうとも必ず伸びをする先生は、その夜風の尊さをいつも全身で浴びていた。
 髪をほどき、大人びた様相に似合わず「気持ちいい!」と叫ぶ声に、俺は少しでも年上に見せかけたい気もあり、呆れ笑いを返すのみ。
 未だスタルが出る度に慌てる彼女は、一人で月光の下へ繰り出すことを辞めたようだった。

「最近はどう?何か面白いことはあった?」
「初めてアッカレの方に行きました。とても遠くて長旅でしたが、この辺りとは随分違う様相で・・・・・・」

 崖の上にたどり着き、いつかと同じ砂漠の景色を眺めながら彼女と語り合うのは、決まってお互いの近況報告だ。
 もっとも、彼女の日常は酷く退屈で、代わり映えがない。もっぱら話の中心になるのは俺だ。彼女がアジトから動けない分、俺は、俺の目で見た実際のハイラルを、彼女に伝えたいと躍起になった。
 彼女は俺の話を楽しそうに聞いてくれる。崖の上に到着してから自ら晒す面の下は、いつだって笑みだった。薄く開かれた亜麻色の瞳に、月光に煌めく漆黒の髪の毛。
 その根が白んでいるのを見て、彼女の両親はシーカー族だと聞かされた話をいつも思い出す。

「スッパ君はすごいね。この歳でアッカレまで行く人なんて居ないよ!」
「言いすぎです、僕は出来ることをやっているだけですから」
「これなら、最年少で幹部にだってなれちゃうかもね」
「そんな・・・・・・僕なんかまだまだ・・・・・・」

 先生はいつも俺を褒めてくれたが、その言葉に慣れることはなかった。心からの本音だと思わせてくれる彼女の煌めきが、日毎深みへ進み、泥着く俺を和ませる。
 彼女は、よくよく不思議な人だった。
 恐らく、十違うと言えど、数々の経験においては俺の方が上のはず。両親から離れ、コーガ様に迎えられ、密偵として数々の業務をこなす俺に対し、彼女はいつまでもアジトでの内勤をおこなっているのだから。
 しかし、彼女が俺を導く声は、いつだって彼女の方が先達なのだと、決して超えることはできないのだと、突きつけられるようだった。
 だからこそ、思い付きで発した先生という愛称は、いつまでも俺の口に馴染んだのかもしれない。それ以外の関係性など、俺たちにはありえないのだと、思い知らされた。
 その事実が、その頃の俺には心地よく、同時に酷く窮屈ではあったのだが。

「よお、お前らまたここにきてんのか」
「コーガ様!こんばんは」
「今宵は良い月ですね」

 決して頻繁ではないが、先生と夜に抜け出すと、散歩中のコーガ様と出くわすこともあった。
 隣り合って地べたに座る俺たちは、気配なく背後に近づく主の声が響くと同時に立ち上がる。そして「いいからいいから」というコーガ様の手によって、また阿呆のように座り直す。
 俺たちよりも前に出て、「はぁー」と伸びをしたと思いきや、パッと上半身だけで振り返り、いつも先生に向けて人差し指をつきつけるのだ。

「お前、また仮面取ってんのか!いつも言ってんだろ、イーガの自覚ねーのか!?」
「す、すみません・・・・・・夜なら誰の目もないかと思って・・・・・・」
「スッパを見習え!だからお前にゃ外回りが任せらんねーんだぞ!」
「だって・・・・・・苦しいんですもん・・・・・・」

 主の柔らかな叱責に、先生は露骨に肩を縮ませて見せる。
 軽口にも思える先生の物言いはいつも俺をハラハラさせたが、コーガ様がそれ以上の苦言を口にすることはない。
 主が面をとった姿は昔も今も一度たりとも見たことはないが、総長としての戒律ともいえる振る舞いを、団員に強いてはいなかったからだろう。

 グッと近づいて声を荒げるコーガ様に、眉だけを下げる先生の困った顔。
 いつもの如く応酬だが、その光景を目にする度に、俺はざわつく胸の内を自覚した。
 幼い時分に覚えがある、月光に晒された桜色の頬に、切なさを湛えた亜麻色の瞳。
 彼女が主を見つめる視線が、俺を見つめる様相と少し違うことに、その頃薄々気付いていた。

 その日も、彼女がコーガ様を見つめる瞳はどこか切なげで、だからこそ月光を返す亜麻色が美しかった。俺と二人きりでいるよりも、コーガ様がいらっしゃったときの睫毛の影に、目を奪われる。
 ただ、夜が存外明るく、月が煌々としていたからだろうか、俺は彼女の横顔を見つめる最中、あるものに初めて目がいったのだ。
 彼女の桜色に染まった耳朶を飾る、小指の先ほどの粒玉。
 いや、今までだってそれは彼女の耳を飾っていたのだろう。なぜかその日、品の良い朱色がやけに目について、俺は目を凝らすようにまじまじと見つめてしまった。

「どうかした?スッパ君」

 首をかしげる彼女に熱視線を気付かれて、今なら気恥ずかしく思うだろう。ただこのとき、俺はまだ大人と呼ぶには幼かった。
 成熟した横顔を、さらに妖艶に彩る粒玉が気になって仕方なく、目を凝らすように彼女へと面を近づける。あまつさえ翳された手の平に、彼女は逃げることもせず、それすら今となっては居たたまれない。

「先生、耳のそれは・・・・・・」
「え?これ?耳飾りだけど・・・・・・」
「そんなもの、今までも身に付けていましたか?」
「そんなものたぁ、随分な言い草だなぁ。一人前の証だぞ?」

 耳飾りが一人前?コーガ様が横から付け足した初めての話に、俺はいまいち理解が及ばず、面の下で眉を下げるばかり。

「なんだ、スッパは知らねえのか。ほれ、先生の出番だぞ。教えてやれ」

 腕を組みつつ顎で促すコーガ様に、先生は露骨に眉をしかめて見せた。
 コーガ様は俺と先生が一緒にいると、揶揄うようにわざと「先生」と強調する。それは俺へ教示する機会がなくなってからも、ずっと続いていた。
 先生という扱いに、最初こそ得意げな顔を見せていた彼女も、いつしか居心地の悪さを感じるようになったようだ。
 「コーガ様はすぐそうやって・・・・・・」と、文句を口にする先生へ、俺は申し訳なさもあり、肩をすくめるしか応えられない。

 先生はそれでも咳ばらいをひとつしながら、さらりとゆれる黒髪を耳にかけ、俺へ粒玉を見せてくれた。
 いつも黒髪に隠されているもみあげや襟足が晒され、胸がぐっと何かに掴まれる感覚を覚える。それが何かは、もちろんその時の俺には知る由もない。
 ・・・・・・今ならどうかと聞かれても、はっきりとした理解があるわけでもないが。

「私たちシーカー族は、大人だって認められたときに耳飾りの穴を開ける風習があるの。その昔は成人の儀に執り行ってたみたいなんだけど、今は一人前だって認められた時に、変化したみたいで」
「そうなんですね。・・・・・・僕も一人前と認められたら、穴を開けるのでしょうか?」
「そうだな、今やシーカー族の伝統じゃなく、こりゃイーガの風習だからな」
「コーガ様にも、穴が開いてるんですか?」
「おうよ、もちろんだぜ」

 「ほれ」と顔を覆う装束の端をつまんで見せて、コーガ様は耳朶を少し俺に明かしてくれた。
 初めて見る主の素肌に恐縮したが、目を凝らすと、確かにそこには切り込みのような縦線が見てとれる。
 先生と違い耳飾りを着けているわけではなかったが、暗闇でもしっかりと分かるその切り込みに、俺は言い知れずそわつく胸の内を自覚した。

「そういった伝統があると初めて知りました。書物には書いていなかったので」
「昔のシーカーと伝統が違うから、書物は処分されちゃったのかもね」
「あ、ということは、先生は一人前と認められたということですか?」
「もちろんだよ!私も立派な大人です!」
「中身は青臭い子供だけどな」
「コーガ様!」

 大人と言われた先生が、年齢に似合わず子供らしく声を荒げる様にコーガ様は笑って見せた。二人は相変わらず楽しげだったが、俺は月光を返す粒玉から目を離せずにいた。
 敬愛する主にも存在する、大人の証だという耳朶の穴。今までただそこにあったそれは、今の言葉の羅列だけでも、10代の俺に憧れを抱かせるには十分だろう。
 俺は、その当時から、成人への渇望が他よりも強かった。
 いくら幼き見た目を利用して、イーガの実務に携わろうと変わらない。野に蔓延る魔物をどれほど屠ろうともだ。
 自分のやっていることは、子供のお遊びの範疇なのではないかという考えが、頭上にいつも付きまとっていた。
 先生から「スッパ君は凄いね」と言われても、先達から「やったな、スッパ」と言われても、疑念に苛まれ、無力であることに変わりない。

「僕も、早く大人になりたいです」

 口からついてでた渇望は、ほとんど無意識だった。
 先生に強さへの誓いを口にしたときよりも、確かに力を得た自負はある。
 だがそれは、誰もに認められた証ではない。耳のそれは、イーガとして存在して良いと、居場所の証明になるような予感がした。
何より、俺が唯一主と崇めるコーガ様その人に認められることなのだろうと、その場で強く確信したのだ。

 俺の存外真剣な声色に、それまでコーガ様に険しい表情を向けていた先生も、そして恐らくコーガ様も、きょとんと目を丸くさせていた。
 続け様、ふっと息を漏らすような吐息音。「すぐなれるよ」と零す、俺を包むような先生の声。それは、まこと母のような慈愛に満ちていた。

「スッパが覚悟キマってるってんなら、今度、試しの業務に行ってもらうかな」

 それはきっと、ただの独り言だった。
 しかし、考え事がつい口に出たというコーガ様の言を、俺は聞き逃さなかった。不躾にも「本当ですか!?」と身を乗り出し、腕を組むコーガ様に期待に満ちた視線を注ぐ。

「ああ、スッパは覚えも早いし、知識も技もある。充分イケんじゃねえか?なあ」

 コーガ様が先生に返事を促したので、俺も高鳴る胸のままに振り返った。
 俺の理解者たる先生だったら、きっと手放しで喜んでくれるはず。俺は確信にも似た憶測を抱き、いつもの朗らかな笑みを頭に思い描いた。
 しかし、覗き見た彼女の瞳に宿っていたのは、決して喜びではない。どこか困ったように眉尻を下げた先生の表情。山なりに結ばれた唇に、俺は刹那、彼女との思惑の違いを目の当たりにした。
 ただ、それも一瞬のことで、次の瞬間にはいつもの笑みに戻っていた。何か思うところはあるのだろう。しかし、ここで水をさす理由にはならないと、思い直したのかもしれない。
 彼女は聡明で、そんなところはやけに、大人の振る舞いが上手だった。

「大丈夫だとは思いますけど・・・・・・スッパ君、優秀ですし」
「他のやつを同行させれば危ないこともねえし、先生のお墨付きだ。やってみるか?スッパ」
「もちろんです、やらせてください!」
「その意気や良し、今度手配してやっからな。待っといてくれ」

 満足げに頷くコーガ様にすっかり高揚していた俺は、先生の困った表情のことなど、あっという間に頭から抜けてしまった。
 その事実が胸に残っていたところで、10代を迎えた俺の流れが変わることなどなかっただろう。それはイーガに身を置くのであれば当然、対峙せねばならぬことだ。
 俺が求める高みを目指すのであれば、時の奔流に従うのは当然のことであったと今では思う。
 それでも、俺は少しでも、彼女の瞳の意味に思いを馳せるべきだった。
 憂いを帯びた伏し目に。逡巡を思わせる眉間に。その意味を知るには、俺はまだまだ経験の浅い、ただの子供であったのだ。



 夜の会合から数日、その日は早々とやってきた。
 密偵業務を取り巻く幹部殿を連れ合い、俺はハイラル城にほど近いある村へと向かうことになったのだ。
 業務の内容は、足抜けした団員の捕縛。当時のイーガは苦境に立たされており、覚悟をもって主に全てを捧げたはずだのに、血よりも濃い復讐への誓いを省みんとする者が特に多かった。

 とはいえ、共感は出来ずとも、彼奴等の本意の変化が、理解はできる。
 今でこそ厄災復活のお告げがなされ、敵対する王家の者どもの動きも戦に向けて活発だが、当時の情勢は全く違った。
 準備さえすれば脅威にならない魔物どもに気を付ければ、誰もが穏やかな暮らしを享受できる毎日。焦りも恐慌もなく、ただ過去の遺物の研究を推し進めながら、娯楽に打ち込む王家共。
 血の繋がりや、傷のある者を受け入れることで細々と続いていた我らから見た世の中は、いつだって明るく楽しげであったのだ。
 その生活を羨み、もしくはイーガの誓いが重みとなり、罪深き裏切りへの業を背負う彼奴等。
 罰を受けると分かり切っているだろう。一時の自由のため、全てを受け入れてくれた主に反する価値があるのかと、俺はいつだって翻す者共に問いかける。

 今回足抜けをした団員は構成員で、どうやら非力な内勤の一人であったようだ。
 武力に乏しい者が相手なら捕縛も叶うだろうと、未だ隠密経験に乏しい俺を案じ、コーガ様が采配してくださった。
 必ず捕縛し、コーガ様の御前に連れ戻す。業務の内容を聞き、幹部殿に促されるままに、二連弓と矢、首狩り刀を携えて準備を進めた。

「スッパ君!」

 いざ参らんとするところ、俺の背中にかかったのは聞き覚えのある声だった。
 振り向くと、そこには一人の構成員。姿形は他と同じなれど、声ひとつでもそれが誰かはすぐ分かる。普段であれば業務を終えて寝処に居る時間であろうに、廊下の奥には先生がぽつりと立っていた。
 俺はこれから業務へ向かう高揚感のまま、思わず先生に駆け寄ってしまった。
 今であればありえないと思う。しかし、どう足掻いても幼い実年齢と、人生経験の薄さをもって、幹部殿は見逃してくれた。
 よくよく俺は、周囲に助けられた人生を送っていると改めて思う。命の恩人たるコーガ様だけでなく、知力を与えてくれた先生に然り、武を説いてくれた、幹部殿に然り。

「先生、これから行くところです。前に話した、一人前になる業務へ」
「うん、私もそう思って来てみたんだ。頑張ってね、スッパ君なら出来るから」
「はい!捕縛遂行の暁には、先生の元へ参ります。一人前になったと、貴女へ話して聞かせたい」

 恥ずかしげもなく年相応の無邪気さを滲ませた俺に、先生は一間置いて「待ってるね」と呟いた。
 その一間は、恐らく逡巡だった。俺の興奮と、彼女の心持ちは同じ場所に無かったと、今なら分かる。
 ただ、十しか違わない内勤の先生が、俺の心に影が差すだろうと確信しながら何も言わず見送った心持ちなど、当時の俺に分かる道理はない。俺は未熟で、幼い愚者だったのだ。

 かくして俺は幹部殿と共に旅立った。彼の構成員が身を潜めていると聞く村までは、カルサー谷からおよそ2日ほど。
 単独での隠密行動の多いイーガにおいて、誰かと共にハイラルの土地を歩く機会はほとんどない。幹部殿は言葉少なに、捕縛のコツや、二連弓、首狩り刀の使い方を説いてくれた。いや、言い聞かせていた、と言った方が正しいやもしれぬ。
 コツや使い方などとうに知っていた俺は、改めて聞かされるそれらに、得意げとなっていた。既に知っていることですと、自惚れの過ぎた性質であれば、幹部殿の心算など考えることもせずに、口に出していたかもしれない。
 幼いとはいえ傲慢でなかったのは、俺にとっての幸運であったのだろう。

 当初の予定通り、村へは2日ほどで到着した。
 村、といっても、数件の家が間を開けて、ぽつぽつと建っている程度のうらさびしい場所だ。加えて、件の構成員が隠れ潜んでいるのは、村はずれの崖近くだという。

 気配を消しながら目的の家に近づき、窓から中を覗き込むと、女が一人、厨房の前へと立っているのが見えた。
 ハイラルの貧しい村々にはよくある木造建築で、内装は非常に簡素な作り。出入り口は玄関と、正に覗き込んでいる窓だけで、隠し戸があるようには見えない。
 幹部殿に窓を見張ってもらい、俺は玄関口に立った。隠密としてはいささか悪手ではあるが、これほど狭い一軒家であれば、あとは如何に素早くことを為せるかにかかっている。
 なんといっても彼奴は油断している。俺ならできる。あれほど鍛錬を重ね、武を練磨してきた俺なら、内勤の捕縛など容易いことであるはずなのだ。

 騒ぎ出す鼓動の音を聞いていると、緊張感で視界が狭まっていく。首狩り刀を手に掴み、深く深く息を吐く。
 窓辺の幹部殿に一瞥をくべ、俺は玄関口から静かに中へと足を踏み入れた。
 少し前まではイーガであったはずのその女は、気配を殺していたとはいえ、俺の侵入に気付かなかった。
 それまで通り厨房へ向いたまま、夕餉の準備でもしている様子。室内に充満した野菜や肉を煮込む匂いが、目の前の目的に集中する俺の鼻腔を掠めていく。
 首元で結われた短い髪の毛は白く、袖から覗く腕は少し日に焼けている。それだけでも、彼奴はもはやイーガの誇りを失い、野に下ったと理解するに充分だった。

「動くな」

 首狩り刀を素早く喉元に回し、この日のために手入れをおこなってきた刃を宛がう。
 ひゅ、と息を吸い、それから彼奴が呼吸を止めたのが分かった。
 理解したのだろう、刺客がやってきたと。生き死にのすれすれを行く緊張感が、彼奴の強張った身体から伝わってくる。
 首に回されれば微動だにできなくなる三日月型の刀は、脅迫に適した形をしていると初めて実感が伴った。身動ぎもできない彼奴の恐怖は、俺の優位性を高めていくに十分だ。

「足抜けがご法度だと理解し、あまつさえ行動するお前の処遇を決めに来た」
「・・・・・・」
「こうなることは、分かっていたな?」
「・・・・・・はい」
「共に来てもらおう」

 俺の言葉に対し、女が振り向こうとする。が、食い込む首狩り刀がそうさせず、困惑したように微かに身じろぐのみとなった。
 思うところがあるのか、何か言いたげに開かれた口端が見える。
 ただ反抗したいだけかと思えば、そうではないと動かぬ身体が物語る。

「共に・・・・・・?それは、どういう・・・・・・」
「俺が改めて説明する。スッパ、そのまま聞け」

 簡素な部屋に響いたのは、連れだってここへやってきた幹部殿の声だった。
 突然のことに内心驚いたが、女へ注意を向けつつ、言葉の通りただ黙って耳だけをすます。

「今回の任務は捕縛じゃない。始末だ」
「・・・・・・」
「イーガの足抜けは死と決まっている。例外はない。やれ」

 その場で狼狽していたのは、おそらくただ俺一人だけだった。
 イーガの足抜けは死。それまでに思っていたよりも残酷であった規律の全容を、俺はその場で初めて耳にした。
 が、俺の乱れた心算など関係ない。言葉のままにグッと首狩り刀を持つ手に力を入れる。
 業務の違いに狼狽えはしたものの、遅かれ早かれ人を殺さねばイーガでやっていけないと、前々から理解していた。その時がやってきた。ただそれだけだ。
 このまま手前に思い切り引くだけで、首は飛ぶだろう。この時のために研ぎ、蝋燭の灯を鈍く銀色に照り返すこの刀は、血を吸うために存在している。
 形にも残らない魔物を屠るためではない。俺は、深く理解していたはずだった。

「良い、最後を送りました」

 存外穏やかなしゃがれ声を聞き、俺は体重をかけて刀を手前に引きぬいた。


[newpage]


 当たり前とも思える戒律を、なぜ俺は当時知らなかったのか。それはおそらく、コーガ様の裁量であった。
 あまりに子供だと思われていたのかもしれない。死、という重い絶対を、時の潮流に巻き込まれた幼子に強いられなかったのやもしれない。
 御方の御心は分からぬ。ただはっきりしていたのは、一人前になるためには、魔物ではなく、人を殺す必要があるというだけだ。

 首の飛んだ遺体は、幹部殿と共に外へ運び、森の中へと横たえた。

「この辺りはクマがいるからな、恐らく後は残らんだろ」

 人を殺したときと魔物を屠ったときとで違うのは、後処理の大変さだろうか。
 魔物は黒ずみ塵と化すだけだが、人間は全てがそのまま残る。奔った血も、開いた瞼も、涙の痕も、刻まれた皺も。
 時と場所にもよるが、多くの場合は野生動物の力を借り、自然へと返すのが、一番足が残らず良いという話だ。人気の多い村や町では取れぬ手だが、今回のような村はずれでは、労力なく証拠隠滅ができる。

「血の残った部屋は、どうしましょうか」
「別の構成員を手配する。暫くは周囲に不審がられぬよう、女に扮して生活する必要があるが、時が来たら新たなイーガの拠点として使う。その手配は、俺が受け持とう」
「ありがとうございます」
「業務はこれにて終了だ。俺は女の作っていた飯を食いに戻ろうかと思う。スッパはどうする?」
「僕は、一足先に谷に戻ろうかと思います」
「そうか。変装を忘れるなよ。ゆるりと休め」
「はい」

 最後に「失礼します」と断って、俺たちは反対方向へと歩き出した。幹部殿に言われた通り、旅人に変装するために物陰に隠れ、イーガの装いを脱衣する。
 赤い布地がまだらに赤黒く変色しており、女の血しぶきをここまで浴びたのかと驚かされる思いだった。彼女の最期は、酷く穏やかで、酷く静かだったのに。

 彼女が最後に作っていた夕餉を、幹部殿は食べるという。部屋に充満した匂いを微かに思い出す。腹が減っている自覚はあるが、何も食べる気は起きなかった。
 足抜けした女の住む家は、贅沢とは程遠い様相だった。机の上にはどこにでも咲いている野の花が活けられ、部屋の隅には簡素なベッド。最低限の調度品しか置いていない侘しい部屋。
 決して裕福ではない。自由も効かないだろう。しかし、おそらく何処にでもいるような、ハイラルの民の生活そのものが、室内には広がっていた。

 女の肉は、この辺りに住むクマに食われ、骨はそのまま、地に帰る。
 この世の不変ともいえる理だ。いつか死に、身体は消えず、月が赤くなろうと、復活しない。
 それでも、手に残る肉を割く感覚と、赤い装いをさらに赤黒く染め上げる血液は、俺の手元にまざまざと残っている。
 人の死とは、かくもこの世に跡として、残り続けようと足掻くものなのか。

 おそらく女は、一人の人間として、生を生きてみたくなったのだ。
 集団に身を置き、主のために全てを捧げるが故に、個のなくなる人生。
 俺たちは魔物ではないが、きっと死んだ後には何も残らず、誰にも気付かれず、自然へと帰っていく。
 であれば、俺が俺として生きる必要はあるのだろうか?
 感情や個を失くし、ただただ業務に身を置く、蟻のような存在になるべきなのではなかろうか?
 帰途の間中考えたものだが、結局回らない頭では、うまくまとまらなかった。

 二日かけて踏破した道のりを一日で谷へと戻ったが、到着した頃には、また月が頭上に上がっていた。
 玄関口からアジトへ入ると、守衛の幹部殿から「スッパ、やったんだな」と声をかけられる。俺の様相は、それほどまでに切羽詰まるものがあったらしい。
 言葉なく頷き、そのまま総長室へ向かおうとするところ、俺は「スッパ君!」という声に呼び止められた。

 振り返ると、やはりそこにいたのは先生だった。いつかに見た夜着の恰好で、少し息を切らしている。
 もしかすると、また崖の上へ散歩に行っていたのかもしれない。一人の散歩は辞めたのだと言っていたが、今日も月光は明るく、良い月だった。彼女は気まぐれな性分だったから、夜風に誘われて、ふらふら出ていったのだろう。
 彼女のその”個”を思わせる振る舞いが、俺にはその時、ささくれとなってしまった。

「終わったんだね、お疲れ様。大変だったでしょ、大丈夫だった?」
「はい、問題なく。これからコーガ様へ報告に行きます」
「そう。終わったら、私にも話、聞かせて欲しいな」

 彼女は面を着けていたが、俺にはその下の表情が手に取るように分かっていた。
 いつかに見た慈愛の瞳。細められた瞼に、優しさを体現するような緩やかな眉。それは母の如き様相だったのだろう。
 しかし俺は、その声に何も返せなかった。軽く会釈をし、彼女に踵を返す。
 何も言いたくなかった。俺の胸の内を吐露することに、何の意味があるというのか。無感情になれ、ならねばならぬと、自暴自棄にも似た内心に、俺は言い聞かせられていた。


 コーガ様への報告は、酷くあっさりしたものだった。

「お疲れ、よくやったな。今日は休んでいいぞ」

 一人前だなとも、大人になったなとも言われず、そのまま部屋を後にした。
 俺の処遇はきっと、これから戻ってくる幹部殿の意見が重要視されるのだろう。また、俺の思いつめた様子に気付いていたからこそ、主は多くを語らなかったのかもしれない。
う っすらと頭によぎってはいたが、そのときはただただ疲労感が強く、鉛のように重くなった足を引きずるように、廊下を歩いた。

 寝処へ到着すると、戸口の壁に誰かが凭れて立っていた。
 男部屋には相応しくない人物。いつもであれば既に布団の中へ入っているだろう先生が、先ほど見た夜着姿のままで、俺のことを待っていた。
 妙齢の女人が、男部屋の前で立ち尽くす。
 はっきりとした規律があるわけではない、しかしあまりにも彼女の行いは、無遠慮で、唐突だった。
 いつでもイーガの規律や不文律に縛られない彼女に、俺はこのとき、毛が逆立つような苛立ちを感じてしまった。
 不愉快を億尾にも隠さず、変声期も迎えていない未熟な俺は、「ここで、何をしているのです」と、出来る限りの低い声で威圧した。八つ当たりだと、当時の俺も分かり切っていた。

「ちょっと心配で・・・・・・大丈夫だったかなって」
「大丈夫です。いつものように、任務を遂行してきただけです」
「じゃあ、話、聞かせてよ」
「・・・・・・」
「聞かせてくれるって、言ったじゃない?」

 確かに俺は、任務へ旅立つ前に彼女へ言った。「遂行の暁には、貴女に話して聞かせたい」と。
 ただ、もうこの時の俺は、嘗ての俺ではなかった。俺は失せてしまったのだ。いや、失せたいと願っていた。
 いつか野に帰る俺が、みっともなく生の証を残したいと思わないよう、ただ主の影としての存在に生まれ変わりたかった。

「無意味です」

 彼女に話して何になる。俺が存在意義を得るためには、俺という個を失うことが最善なのだ。
 彼女が邪魔だった。いつだってキラキラと自分の軌跡を残す彼女が。血に染まったばかりの俺にはまぶしく、鬱陶しくて仕方ない。

「貴女に話したところで、どうにかなるわけじゃない」

 俺たちは蟻になるべきなのだ。ただ主のために生き、感情を持ちえない蟻。個の無い最たる存在である蟻。
 俺はこの時をもって、俺の個に終止符を打ちたかった。

「俺は、コーガ様のために、ただ修羅の道を生きます」
「待って」

 先生の横を通り過ぎる直前、彼女に腕を掴まれた。
 手の平の暖かさを感じたのは、いつぶりだろう。回らない頭で、細い指が存外にも強い力で俺を引き寄せてくるのを自覚する。
 足が棒のようだったから、ただただ無気力だったから。そんな言い訳にもならない理由を胸に、彼女の腕に、抱き留められる。
 男にはない柔らかな胸板に頭を押し付けられ、手の平で後頭部を撫でられた。風呂に入ったからだろう、石鹸の匂いと、花のような甘いにおい。
 それまで業務中に嗅いだ鉄の匂いがいつまでもこびりついていた俺にとって、あの場とは違う空間にいるのだと、臓腑に染みわたるようだった。

「大丈夫。今日は本当に、よく頑張ったね」

 耳元で囁かれるのは、母の如く、師の如く。
 声に滲むのは確かに、愛情だった。

「私たちは機械じゃない。自分を見失わなくて良い。傷つかなくても良いんだよ。コーガ様は私たちに、そんな風になって欲しいわけじゃない」

「自分のままで居ていいの。自分を殺す必要なんてどこにも無い。いつか私が死んだって、誰か私を覚えてくれるなら、それはイーガの生でも意味になる」

「私が貴方を覚えていたいから、貴方の話が聞きたいの」

 彼女の華奢で温かな手の平に頬を包まれ、面越しに瞳を覗かれる。
 彼女も面を着けていた。ただ、その下の表情を想像するのに苦などない。
 きっと彼女は笑顔だったろう。いつものように、ただ朗らかな笑顔を浮かべていたに違いない。
 決してこれは誰にも言えないことだが、俺はそのとき、頬を伝う熱を感じ取っていた。理由は分からない。どれだけ思い起こそうと、彼女との思い出を語ろうと、突如として頬を伝った熱の意味が、俺には到底考えつかない。

 彼女は、俺の生のひとつだった。俺を形作ったひとつだった。それを決して忘れてはならない。彼女は、俺の個のひとつでもあるのだと。

「一人前だね、スッパ君。おめでとう」

 捻じれ始めた俺の生き様を、彼女はただただ、その温かな腕で包み込む。
 あとで耳朶の穴、開けてあげるね、と、目の前の女性は嬉しそうに、そういった。



 これらは俺が12、もしくは13の歳の、出来事である。


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