【完結】かつて筆頭幹部には師と仰ぐ人がいた。

 未だ太陽が丘の奥へと身を潜める暁の刻。
 うっすらとした秘色色ひそくいろが清々しく、そこから降ってきたような空気はキンと澄んでいる。彼らを送るのに相応しい美空だ。これから行く末は明るいのだと、空だけでも約束してくれているかのようだった。

 王立古代研究所に旅立つ諜報員は、先生を含めて5人。既に城へ潜り込んでいる従者役の紹介という体で、これから研究員として振る舞うことになる。長歴の先生を長に据えた即席の部班ではあるが、その出自は全員が研究班員だ。連携には事欠かない。
 前回同様、彼らの見送りには研究班一同が玄関に集まった。その中にはコーガ様の姿もあり、一人ひとりの肩を叩き、叱咤激励をしていく。
 主君を見据えながら小さく頷く先生も、皆と同じように固い表情を浮かべていた。まるで皮膚だろうが目だろうが、何を失っても構わないと語っているかのような、決意ある目つきだった。
 染め落としのされた白髪が風に吹かれる度、波がうねるように光が煌めく。シーカーの旅装束と相まって、今の先生にこれ以上ないほど似合っていた。

「御気をつけて、無理をせずに」
「ええ、ありがとう。みんなも元気で」

 先生は、研究班員らにとって良き世話役だった。それに彼らは、彼女がどれほど諜報任務を熱望していたかを知っている。
 心配の滲む声に、しかし彼女は笑っていた。安心を分け与えるよう、朗らかに。幼い時分に見た、大人の顔で。

「・・・・・・スッパ君」

 俺がつと足を出すと、彼女の視線が自然と持ち上がった。
 笑みがふっと消えて、代わりに唇が真一文字となる。コーガ様に見せたのと同じ、決意の滲む表情だ。
 俺は彼女の瞳を見つめ、彼女は俺の、仮面の瞳を見つめた。
 凛としていて、真っすぐで。いつにもまして吸い込まれそうな、艶やかな亜麻色。

「行ってきます」
「・・・・・・達者で」

 彼女は踵を返して歩き出す。
 谷渡りの風が、彼女の白髪を撫でていく。まるでカルサーという土地自体が、彼女をそっと後押しするように。
 坂を下っていく背中が小さくなるまで、暫し誰も動かず、一列で歩く団員たちを見続けた。

「・・・・・・あんなんで、ホントに良かったのか?」

 気付けば俺の真横に、腕を組んだコーガ様が立っていた。

「接吻くらいしても、誰もなんも言わんかったろうに」
「・・・・・・お戯れを。ありえませぬ、接吻などと」
「なに言ってんだ。恋仲だったらそれくらいするもんだろ、普通よお」

 俺達は、そうも見えるのか。ふと頭に上るが、いや、主君はきっと、俺を揶揄っているだけに違いない。ただ、そうだと言い切れない真剣みもあって、なんと返せば良いか少し迷った。
 主君に気付かれないよう、仮面の中で視線だけを逸らす。

「恋仲・・・・・・では、ありませんので」

 俺が口答えできたのはこれだけだ。
 コーガ様は暫し沈黙し、それから「ふーん」と鼻を鳴らした。あてが外れたとでも言いたげな、酷くぶっきらぼうな音だった。


 王立古代研究所へ出向いた団員からは、十日に一度ほどの頻度で定期連絡がやってきた。
 ビリディン高地に突如として現れたシーカータワー。あれを地上へと押し出したのは、神獣の作動を可能にしたシーカーストーンであるという。
 加えて、一万年前の戦争時に厄災を退ける役目を担ったカラクリ兵──ガーディアン。それらを収めていると言われる五柱の存在も明るみに出た。伽話でしか知り得なかった情報が最先端の技術によって解き明かされ、真偽が白日の元に晒されている。

 家族に充てた手紙、という体で書かれた書簡だが、しかし間諜らが興奮していることは、踊るような荒い筆跡からも見て取れた。

『研究所では小型のガーディアンについての研究が進められています。もう少しで、重要な機密が分かりそうです』

「あいつ、頑張ってるみてえだな」

 コーガ様が俺へ差し出した書簡には、見慣れた文字が整列していた。誰の筆跡か分からないわけもない。先生の字だ。

「なかなかどうして順調だしな。ちょいと心配し過ぎだったかもしれねえなぁ、スッパ」

 それからコーガ様はまるで勝利の美酒でも食らうように、どこからかツルギバナナを取り出して食べ始めた。
 漸く、王家攻略の目途がたてられそうなのだ。ふんふんと楽し気に鼻歌が漏れたとして、当然であったのかもしれない。

 しかし────俺にはどうしても、手紙に書かれていない心境の吐露が、裏面に続いているような気がしてならなかった。

 先生にしては小さくかしこまった文字。爪で何度も擦ったような書簡の折り目・・・・・・。彼女の所業にしては、どうも神経質である気がしてならない。
 それに、定期連絡で明かされる情報の多さも気になる。
 勇み足となれば足下を掬われる。彼女の心算を推し測るより他に、何もできない距離が歯痒い。
 頭に上ったことを即座に口へ出せる気概が俺にあれば良かったのにと。今でもたまに頭へ上る。









 無才の姫へ、直属の近衛騎士が宛がわれた、という書簡が届いたのはすぐだった。
 姫と騎士を先頭に、各部族の強者を神獣の繰り手へ誘っている。今後は各地方へ来訪し、直接的に話を進める計画が為されていると。
 しかし、そのような情報よりも、コーガ様と俺を驚かせたのは、近衛騎士に関する一文であった。

『一見して優男。太陽を跳ね返す金色こんじきの髪色に、凛とした浅葱色の瞳。近衛の家系で、姫をカラクリ兵の一手より守った由縁から、王直々に姫付きの騎士へ任命された様子』

 どく、と、胸の奥が強く拍動した。

「おい、スッパ。こいつはもしや・・・・・・」

 コーガ様の視線に促されるように、仮面の袈裟傷に触れる。今は滑らかに削られた凹凸は、しかし当時覚えた敗戦の苦味を生々しく蘇らせる。
 「間違いござらん」と、重く頷いた。
 数年前に辛酸を舐めさせられた浅葱色の修羅。盤台を狂わす切り札が、漸く表舞台に登場したというわけだ。

「今まで一切の情報が上がらなかった彼奴が、まさかこのタイミングで姫付きの騎士に任命されようとは・・・・・・」
「スッパを負かした奴だ。腕があるのは分かり切ってる。・・・・・・姫の首を狙うのはかなり厳しくなっちまったみたいだな」

 あのときは歯が立たなかった。だが、今は違う。鍛錬は一日たりとも欠かしたことはなく、隠密の業務をこなし、殺人の刃を研ぎ澄ませてきた。全ては・・・・・・浅葱色の瞳を持つ男との邂逅があったからこそ。
 腰に穿いた愛刀の柄を握りしめる。

「自分なら、いつでも」
「・・・・・・まぁ、場が来たら、お前に任せるかもな」

 俺は今一度、主君の一つ目をしっかりと見据えながら、ゆっくりと首肯した。

「・・・・・・しかし、ゲルドやらリトやらと本格的に組まれるとマズいな」

 ぎし、と背もたれを軋ませたコーガ様が嘆息する。

「それでなくともうちは人が足りてねぇ。数で来られるとさすがにヤバい」
「王家と各部族との接触は妨害すべきでござろうな。・・・・・・しかし、それも頭数がなければ難しい話。数の弱みを覆すのは、どうも・・・・・・」
「真正面からヤりあうなんざ、土台俺たちのお株じゃねえ。・・・・・・せめて足止めとか、注意を引ける罠でも考えにゃあな」

「考えあぐねているようだな、コーガ」

 二人きりの総長室に、突如として声が響いた。振り向けば、陰の中に溶け込むようなローブの男──宛がった個室に籠り切りであった占い師、アストルだった。
 不躾な登場にコーガ様を守るよう前へ出て、二対の愛刀を抜き身で構えた。こやつは信用ならない。品定めをするように金色の瞳孔を細くしたアストルは、口端に笑みを乗せたまま高圧的に顎を上げる。

「何をしに参った。我等の会議に断りもせず乱入するなど、その口や手首の使いどころを知らぬようでござるな」
「野蛮な物言いよな。なに、私は助言をしに来てやったのだ。ハイリアと各部族が手に手を取れば、イーガの頭数など塵芥ちりあくたに等しいのは事実であろう。人数という有利性をどのように埋めれば良いか、対処法を聞きたくないか?」

 彼奴は単なる占い師。この場において策謀家の真似事ができるはずもない。しかしなぜこうも得意げに、そして自信ありげに瞳をギラつかせられるのか。
 耳を貸す必要などないに違いない。しかし難問へ行き当たった我らにとって、彼奴の進言が新風となる可能性もある。
 「・・・・・・聞いてやっから、さっさと話せよ」と、コーガ様が低い声で凄むと、占い師は黄金の瞳をすがめてみせた。

「簡単なことだ。マモノを利用すれば良い」
「な・・・・・・」

 俺とコーガ様は一瞬言葉を失った。あり得ない。しかし男は、信じられぬことを口走りながらも口元の笑みを崩さない。

「・・・・・・かような世迷言、本気で為せると思っているのでござるか」
「無論、見込みあってのことよ。あれらはガノンの怨念がこの世に形作った異形の者。ガノンの力を得た私であれば、あれらに命令を下すことも難しくはない」
「お前がか? 証拠もなしに、ンなの信じられるわけねーだろ!」

 生ある者であれば何人にも襲い掛かるマモノ。人語さえ解せぬ粗暴なやつらに、目の前の白く骨ばった男が命令を下すなど、信じられるわけもない。
 占い師は、面倒そうに「ふんっ」と鼻を鳴らした。

「私が逐一と説得するのも面倒だ。未来を少しばかり見せてやろうか。貴様らが、どのような選択をとっているのか・・・・・・」
「そのような妖術、何の証拠にもならぬ。我らが求めるのは今、貴様が何をして信頼を掴むのかだけでござる。ガノンの力があるという証明をどのようにつけるつもりなのか」

 白い額に青筋が浮かび上がる。ギンッと開き切った瞳孔に微かに漂うのは微かな殺気だが・・・・・・しかし、彼奴は一瞬にして、力をふっと抜いた。
 石床をコツコツと鳴らしながら俺のすぐ傍までやってきて、ニヤと曲げられた不敵な口端を突きつけてくる。

「・・・・・・私は占い師だ。占い師の力とは本来、見えぬ物を見抜くこと。例えばお前の過去、現在、そして未来。ガノンの力はそれらを増大させている」
「・・・・・・」
「信用、というのなら、そうだな・・・・・・お前の人生を言い当ててやろうか」

 口ずさむような呟き。なにを、と問うた瞬間、彼奴が携える天球儀が、突如緩やかに回転を始めた。
 キィン、と耳障りな音と共に放たれる、靄のような黒い光。小さな穴を覗き込むように、占い師は瞳孔を寄せた。にわかに感じる風圧にローブの端を膨らませた占い師は、見開いた瞳に次々異なる景色を映し出していく。

「小汚い服装、粗末な食事、藁を敷いた・・・・・・ああ、これは納屋か。お前はそこから飛び出し・・・・・・、なるほど。親を捨ててここへやってきたわけか」
「・・・・・・っ!」
「コーガに拾われ、恩義を感じ、忠誠を誓っている、と。たかがバナナ一本で大層なことだな。人を手にかけた数もそれなりにありそうだが・・・・・・おや、血まみれの姿も映っておるな。ふん、威勢の良いことを言っていても所詮は人の子よ」
「おい、その辺でやめろ。スッパのことはもう良い。お前の言う力ってのはよく分かった」

 コーガ様が鋭い声を放つ。しかし占い師は瞬きすらせず、天球義に添える両手を微かに震えさせるだけだった。
 しかし、突如として「・・・・・・ん・・・・・・、待て、これは」と漏らす。片眉を上げ、遠くに目を凝らしているかのように眦を矯める。
 そのまま暫く黙ったかと思ったら、彼奴はやにわに瞳孔だけをぎょろりとこちらへ向けた。

「・・・・・・スッパといったな。貴様、城に弱みがあるだろう」
「・・・・・・弱み、だと」
「ふむ・・・・・・なるほど、そうか」

 ゆる、と白い顔がもったいぶるように持ち上がり、その口端が、恍惚に持ち上がった。

「このままだとそやつ、死ぬやもしれぬなぁ」

 どくん。
 占い師の言葉に、強く、胸が騒いだ。
 弱み・・・・・・それはつまり、俺の・・・・・・あの人のことか。
 どくん、どくん、と一度騒ぎ出した拍動が止まらない。「スッパ、そりゃあ・・・・・・」と後ろで狼狽したようなコーガ様の声が耳を素通りしていく。
 このままだと死ぬ。そのようなふざけたことを、今、この場で口にするなどありえない。
 キュルキュルと耳障りな音が鳴り続けている。両手を握りしめ、彼奴に歩み寄ろうかとした、その時だった。

「で、伝令ですっ! 城に諜報行ってる団員から、研究所に忍び込んでいた間者が一人、牢に捕えられたと連絡が・・・・・・!」

 息せき切って駆け込んできたのは、一人の構成員。
 「そらきた」と呟くざらついた声が、凍った空気の中、場違いに響いた。

「間者って、もしかして研究班のか!?」
「そのようですっ、現場の人間だけでは救助の目途が立てられず、しかし捕縛の状況から察するに助け出さねば命も危かろうと・・・・・・!」

 伝令の団員が告げる言葉が酷く遠く聞こえる。俺にも向けられている声のはずなのに、なぜかすりガラス越しに見える風景のように不鮮明だ。
その代わりに考えたのは、別のこと──誰が。研究所へ向かった、誰が捕まってしまったのか。
 間諜は研究班から選出した5名。捕らえられたのが先生とは限らない。しかし、この胸騒ぎ、占い師の予言・・・・・・全てが一人に繋がっていく。
 ばくばくと鳴り続ける心臓。おぼつかなくなる頭の中。────まさか・・・・・・まさか先生が、王家に捕まった?

「ことは一刻を争う! 誰か救助に行かせんぞ!」

 コーガ様の提案に、俺が、とすぐ喉元まで声が出掛かった。しかし、寸でのところでそれを噛み締める。
 俺は筆頭幹部で、コーガ様の右腕。あの人が危機に瀕しているとして、俺が中央へ出向く必要などあるか? この場を抜け出してどうする。俺ならどうにかできると思えるからか? それはいつかに似た慢心ではないか。
 言うべきだ。手の空いた幹部に手を回して救出に向かわせるべきです、と。なのに言葉が口から出ない。いや、目の前にはコーガ様がいらっしゃる。俺が言わずとも、コーガ様が代わりに言ってくださる。俺は後ろで唇を閉ざし、控えているだけで良い──。

「スッパ、お前行ってこい」

 酷く落ち着いた声が、耳に入った。

「敵の陣地のど真ん中だ。救出できんの、お前くらいしかいねえだろ」

 騒ぐ拍動が瞬間、押さえつけられたように静まった。
 そこで、自分がほとんど息を吸えていないことに気付く。かといえ俺は、息を潜ませながら、主君へ僅かに振り向くことしかできない。

「しかし、俺がこの場を離れれば────」

 途端、ばっと勢いよくコーガ様が振り返る。
 俺の胸倉を掴み上げ、仮面の同士がカツンとぶつかるほど引き寄せられた。

「バカヤロッ、自惚れんなよ! ここはイーガの最前線で、他の団員だって俺様だって居んだよ! お前ひとりが抜けたところで何も変わんねえ! こりゃあ適材適所って話してんだ!」
「適材適所・・・・・・しかし」
「それに、捕らえられたのがあいつだったらどうする。お前、それでもここに残れって言われて、耐えられるのか、あ!?」

 先生の笑い顔が頭に浮かぶ。
 白髪を靡かせながら踵を返し、未だ陽の明けない暗がりに沈んでいった、彼女の姿が。

「・・・・・・コーガ様の、ご命令ならば」

 途端、「かーっ」と俯いて唸った主君が俺の胸元を、指でグッと突き立ててくる。

「惚れた女を助けに行かねえ事の方が、よっぽど後々引き摺るに決まってんだろうが! 悔いが出ねえようにやりてえことはやるんだよ! 惚れた女に未練を持て! それを絶対に死なねえって覚悟に変えろ! お前に必要なのは、そういうことだって言ってんだ」
「・・・・・・」
「行けッ!」

 突き飛ばされ、後ろによろめく。暫く何も言えず、背中を向けられたその御姿を視界に留めた。
 占い師の挙動は気になる。しかし、こうまでコーガ様に激励され、動かない選択肢などあるのか?

「・・・・・・すぐ戻りますので」

 両の拳を握りしめ、重くコーガ様に頭を垂れる。
 それから身を翻し、筆頭幹部が本来あるべきその空間を後にした。

 救助のための準備にそう時間はかからなかった。カルサー谷を抜けた先、沈みかけた夕日が、西を血濡れのように染めている。
 向かうのは東方。闇の気配が這う中央に向かい、俺は夜とのあわいを抜けていった。






 ハイラル平原を馬で抜け、研究所へとたどり着いたときには獣も寝静まる深更になっていた。
 イーガの装束の上に小汚いローブを纏い、闇夜に乗じて木の幹に沿う。
 伝令役に聞いた通りであれば、この辺りであっているはずだが・・・・・・。意識を張りつめたまま辺りを伺えば、溜池のほとりに人影が蹲っているのを辛うじて見つけることができた。

「・・・・・・スッパ様」

 先生と共に王立古代研究所へ向かった、研究班員の一人だ。
 わざと木を踏み鳴らすと、パッと顔が持ち上がる。俺だと分かったのか、団員は途端に驚きの表情を浮かべ、次の瞬間にそれを崩した。
 ぐっと拳を握る彼は、どれほどこの場で息を殺していたのか肌を白くさせている。

「捕らえられたのは一人か? 他の団員は」
「一人です。他は全員、今は寮で寝ています」

 そこまでいうと言葉に詰まり、団員は歯を噛み締めながら顔を伏せた。

「・・・・・・俺が悪いんです。資料にタブーが混ざってたのを疑われて、それをあの人が『私の指示だ』って咄嗟に言って、俺は命拾いして・・・・・・でも、代わりに連れていかれちまって・・・・・・」
「気を病むな。お主だけでも逃れられたのは僥倖。あとは自分が、その者を救助すれば良いだけのことでござる」
「・・・・・・はい」
「今、どこに捕らえられているか分かるでござるか」
「城です、北側の牢に・・・・・・。城の団員からも裏を取ってるんで、間違いないと思います」

 牢。頭に叩き込んできた城内の地図を思い浮かべ、俺は腕を組む。
 いくら俺とて、あの堅牢な城から人一人を連れ出すのは些か無理がある。迷路のように入り組んだ通路、王直属の近衛隊の存在。此度の救出作戦を叶えるには、俺一人の力では到底無理であり、協力者の存在が必要不可欠だった。
 頭の中で即席の計画をまとめあげ、彼にも伝えた。
 話す内にそれまで拳を戦慄かせていた彼も、気持ちを落ち着かせていったようだ。据わった声で「分かりました」と力強く頷くのを聞き、俺はすくと立ち上がる。

 漆黒の木々の葉から僅かに見えたのは、これから向かう敵陣────何が起ころうとも、自らの力のみで切り拓かねば命すら危うい、国の頂。
 発つ前に最後、俺には聞かねばならぬことが一つあった。それを聞いておかねば、きっと目前に差し出された時に狼狽しかねない、認めがたい事実が。
 頭を垂れる結髪に、僅かな視線を落とす。

「・・・・・・これだけ、確認しておきたいでござる。捕まった団員とは、誰が」

 返事はなく、ザラザラと葉擦れの音が辺りに満ちる。それは彼が息を飲む音を掻き消した。
 暫しの沈黙。やがて彼は、酷く言いづらそうに視線を横へと背ける。

「スッパ様が・・・・・・先生と慕っておられる、あの人です」
「・・・・・・そうか」

 愛刀の柄を強く握る。衝動を諫め、覚悟を刻むために。
 ローブを目深に被り、俺は身を翻した。

「行って参る」

 風に流れ、ご好運を、と微かな声が耳に触れる。俺は小さな祈りを背に負って、王家の本拠地へと進行した。


 ハイラル城────足もつかない深い堀と見上げるほどの高い崖に囲まれたあすこを、難攻不落と評したのはコーガ様だったろうか。
 敷地内に入るには、南側の正門か北側の船着き場の経路のみで、この地理的条件こそが、魔物や賊を徹底的に排除する一因となっている。イーガの民ですらおいそれと手が出せず、苦汁を舐めさせられる大きな要因だ。
 影の世界に身を賭した人生の中で、ハイラル城へ足を踏み入れるのは此度が初めてのことだった。当然左見右見とみこうみして然るべきところ、しかし俺には、イーガの団員が掴んだ地勢情報がある。
 僅かに数か所だが、ぐるりと囲む堀には川幅の狭い場所があり、そこは決して泳いで渡れない距離ではないと俺は知っていた。

 その場で生木を両断して簡易な浮きを作り、俺は冷たい水に身を沈めた。流れは早いが身体を取られるほどではなく、水中の抵抗感を蹴りながらゆっくりと前へ進む。水面にはぬらぬらと遠い灯りが揺れていたが、しかしそんな心許ない明かりだけで微かな影に気付く精鋭など、この世のどこに居ようものか。
 対岸まで辿り着くと、僅かにつま先が水底に触れた。ここまで来れば侵入は容易い。崖にクナイを突き立てて岩の凹凸を登りきれば、目の前には敵方の根城、ハイラル城が聳え立つ。

 崖の上にありながら、さらに空へと伸びる三角屋根は遥か高い。剥き出しの崖の隙間から見上げる王家の紋章は、まるで地の底から眺める空飛ぶ鳥のように見えた。
 さて・・・・・・、問題はここからだ。ありがたいことに、自然のままの崖には照明がひとつも設置されていない。暗がりに紛れ、俺は背中で壁を擦りながら息を潜める。
 北側の侵入経路を選んだのには幾つかの理由がある。崖の奥へと目を向けると、人目を避けるようにして口を開ける暗穴あんけつ────牢屋の入り口だ。目的地に最短で近づけることも、俺が北側を選んだ理由のひとつであった。

 音もたてずに忍び寄り、岩壁を掘っただけという粗末な入口から、更に奥へと瞳を覗かせる。冷暗とした先に見えたのは、松明に揺らめく重々しい防塞扉。その内側には、見張り番の姿も見える。
 団員の言った通りであるのなら、先生はこの先にいるはず。
 そう頭に上っただけで、一段と脈動が早くなるようだった。川べりの湿気た洞穴であるはずなのに、喉がいやに乾く。
 焦るな。・・・・・・慎重に。黙って一度、息を吸って、深く吐く。
 印を結び、変装の法を用いて化けたのは、ハイラルの一兵卒だった。イーガに伝わる秘術の中でも不得手だが、この暗がりだ。小さな松明の灯りだけで、まどろみかけた兵士などには明かされはすまい。
 俺は最後に深く息を吐いて、牢屋番の前へ躍り出た。

「ご苦労、急ぎの用事で参った」

 堂々と歩を進めた途端、二人の見張り番は腑抜けた空気から一転、格子状に組まれた鉄棒から槍の切っ先を突きつけてきた。

「急ぎの用事とは? 異分子の件でか?」
「左様。捕えた不埒者についての書簡を持ってきた。これだが」

 胸からちらりと折りたたんだ紙を見せる。兵士は一瞬二人で顔を見合わせたものの、構えた槍はそのままだ。

「身辺の確認もとりたい。通してはくれないか」と続けると、二人は居丈高いじょうだかに言った。

「それならこちらで預かり、隊長殿に渡しておこう」
「俺が聞いた研究所員の進言なども併せて細かに伝えたいのだ。伝言を経たことで情報が褪せては困る」
「今は誰も通すなと言われている。尋問中だ。書簡はこちらが預かる」

 鉄格子越しの鋭い瞳に、俺もまなじりを据えた。

「書簡の中身は秘匿。お主にこれを預け、万が一にでも情報が漏れれば、どうなると思っている」
「・・・・・・」
「お主はただの守衛番だろう。この重要機密の書かれた書簡を、一時でも懐に入れることの意味を分かっているのだろうな。隊長殿や俺の業務への責任を負えると?」

 そうまでいうと、隣に控えていた見張り番が相方の肩を叩き、もうやめとけ、とでも言うように小さく首を横に振った。男は視線を一度落としてから、それまで突きつけていた槍の切っ先を引いていく。

「まぁ・・・・・・仕方ない。そこまで言われては・・・・・・」
「すまない、急ぎなのでな」

 それから彼らは、慣れた仕草で扉と床の隙間に手をかけ、鉄格子の防塞扉を肩に担ぎあげた。

 防塞扉の造りは単純だ。出入りをするときだけ垂直に扉を持ちあげる人力。しかし、普段より鍛錬を欠かしていないだろう大の男が、二人がかりでやっと上に持ち上げられる重さだと考えると、やはりここは逃遁経路には使えない。
 頭を屈めながら潜り込むと、つんと埃とかびのにおいが鼻をつく。背後で遠慮なくガシャンと音が響き、防塞扉は固く閉ざされた。

 「隊長殿は一番奥だ」という兵士の言葉に応えることもなく、俺はもう歩き出していた。
 牢の並ぶ石畳の廊下。等間隔にかけられた壁際の松明が、足下に流れる水路を照らしている。鉄格子の中はほとんどががらんどうだ。動く影が見えたとしても、全員が古ぼけた薄掛けを頭から被り込み、壁に向かって丸まる囚人ばかり。起きもしていれば彼らを利用し、混乱を作り出せるかとも考えていた。しかし、さすがにこれでは意味もないだろう。

 かつ、かつ、と石畳を歩く音に混じり、誰かが会話する声がぼんやりと奥から反響してくる。
 近づくにつれ、胸がざわりと騒ぎ始める。それは今までに経験したことのない、キリキリとした痛みに続いていく。まるで身体の中にある臓物がそれぞれの場所を違えていて、お互いに絡みつきながら、無理やり元へ戻ろうとしているような。
 あと少しなのだ。拍動は止まらず、自らの呼吸音だけが頭に繰り返される。
 この薄暗く長い廊下に、果てがないのではないかと思い始めたその時、漸く数人の兵士の姿が、暗闇に浮かび上がった。

「誰だ。誰も通すなと言いつけてあったはずだが」

 最初に声を発したのは、廊下の真ん中に仁王立つ兵士の一人だった。
 声に滲むのは警戒。すぐさま立ち止まって直立したが、後ろに控えている兵士の視線が吸い寄せられるように一斉にこちらへ集まった。
 兵士の数は一、二、三・・・・・・牢屋の中にも二人見える。きっとその奥には、先生が。
 俺は足を踏み鳴らし、はきはきとした動作で両手を背中に回した。

「はっ、隊長殿に伝令です。此度捕えた女の手荷物より、怪しげな書簡が見つかりましたのでご連絡を」
「なに、ほんとか」
「はい。細かな状況説明と、研究班員からの聞き取りを直接お伝えしたく参りました」

 奥に控えていた兵士が「隊長、隊長!」と牢の中へ声をかけた。
 フルアーマーに身を包んだ男──おそらくこの場を取り仕切る隊長だろう。鉄格子越しに何事かを耳打ちし、目配せをし合ってから僅かに頷く。
 ガチャン、と音を立て、牢屋の扉が開け放たれた。ここは先ほど通った入口と違い、廊下中央に拵えられたスイッチで開くカラクリが仕掛けてあるらしい。隊長格の男がゆっくりと牢の中から出てきたのを見計らって、俺は一歩、二歩、とおもむろに足を踏み出す。

 その一瞬。世界の動作が少し、遅くなったように感じた。
 「ご苦労だった」と告げられる男の声。兜の隙間から俺を見つめる垂れ皺の入った目元。そんなものが俺へと関わりを持つ寸前に、牢の中を見た。
 シーカーの白衣。俯いて枝垂れる白髪。投げ出された足。微動だにしない人影────先生だ。
 どくん、と身体が脈打つ。無意識に足先を向けようとしたが──いやしかし、まだだめだ。
 視線を即座に隊長の男へ戻し、屹立と敬礼する。

「お疲れ様です、隊長殿」
「ちょうど良いところへ来た。とんでもない事実が分かりそうでな。書簡はまさに事実の裏付けとなるやもしれん、大手柄だ」
「は・・・・・・とんでもない事実とは」
「捕えた女が、遥か彼方にシーカーの血族と離縁した暗殺の使徒、イーガ団員である可能性が浮上した」

 男は酷く浮ついた様子で、柵越しの先生を見下ろした。

「気味の悪い研究員共の鼻を明かしたかったが、まさに僥倖。あやつらには王も手を焼いていると聞いている。これで俺がこの女から詳細を聞き出せれば、我らはさぞ王の寵愛を受けられような」

 石廊下に響くくつくつとした笑いは、礼節を重んじる王直属の兵隊とは思えないほど下卑ていた。
 この国の王政は、決して一枚岩などではない。兵隊と研究所の歪み。先生の捕縛は、王政の内情に巻き込まれた不運でもあり、我らが実情を把握しきれなかったことの失態でもある。

 「して、書簡はいずこに」と笑みの残る唇を撫でる男に、俺は懐へ手を伸ばした。指先が酷く冷たく、固まっていることにそこで気付いた。
 大丈夫だ。斜め後ろにある牢屋から、外に繋がる坑道へと道が続いているのは分かっている。全て抜かりなく進められれば、この脱出に無理などない。
 一度グッと胸元を掴み、それから男の前へ、封筒を取り出して見せる。

「衣装箪笥の奥底へとしまわれていました。他の研究員の話では、気の良い娘で、仕事にも真面目だったとのこと」
「ふん、それが密偵のやり口なのだろうよ。まんまと騙されるのだから、研究所のやつらときたら。常識など通じないのであろうな、あやつらは頭がとんでる」
「周囲の間を取り持つことに長け、ひたむきで。もはや、あすこになくてはならぬ存在と口にする者も居り」

 男がはらりと封筒を開ける。
 その途端、ヂヂヂ。空気に触れた瞬間、束になった発煙札に、火種が明滅した。

「ならばこそ、自分は取り戻しにきたのでござる」

 ばふ、と辺りが白で覆いつくされる。ありったけの発煙札を仕込んだのだ、間近で食らった目の前の男は短く叫び、その後酷く咽始めた。男を強く突き飛ばしてから中央のスイッチを倒し、同じくげほげほと咳き込む兵士から奪った剣を隙間に差し込んだ。
 怒号が飛び交う中、身を屈めながら素早く牢に滑り込む。先生は牢の奥で壁に凭れ、意識も朦朧としているようだった。後ろ手に鎖を巻かれ、ぐったりと項垂れる彼女。耳元で名前を呼んでも反応はない。

「────ッ」

 ぬる、とした感触。咄嗟に指先を見ると赤い液体がついている。──血液? 頭を石で打たれたように、視界が揺れて焦点が揃わない。彼女に、なにがあった。
 腹の底からどす黒い衝動が湧き上がる。ぶるぶると、勝手に指先が戦慄いた。
 場にいるのはたったの五名だ。先生に傷をつけたいやしい郎党どもを、俺なら殺せる。この場にいる人間を皆殺しにできる。
 しかし──。柄に手を掛けようとした瞬間、脳裏を過ぎったのは、かつての森での慢心だった。
 ここは敵陣。一人でもとり逃せば、囲まれるのは一瞬だ。更には、例の姫付きの騎士────浅葱の修羅だって、おそらくは近くにいる。
 ここで彼奴と戦えるか。生き残れるのか。大切な人を絶対に死なせないよう、満身創痍の彼女を庇いながら。

「逃がすな!くそッ、必ず捕まえろ!」

 やおら耳に入ってくる騒ぎの声で我に帰る。時間はない。ばふ、と一気に変化の術を解き、彼女を肩に担ぎ上げた。片手に愛刀を抜き、ひりついた空気で振り返る。
 兵士が二名、俺に剣を向けて迫っていた。片手で口元を覆いながら煙に目を瞬かせる様子は、実戦の少ない一般兵であると物語る。
 俺は先生を振り落とさないように、愛刀を大きく横なぎにした。

「押し通る──ッ!」

 ギャアン、と鉄と鉄の交わる音が耳を劈いた。しかし、彼奴等の腕力はどうということもなく、まるで吹けば飛んでいく紙のように、ぶつかった瞬間いとも簡単に弾き飛ばされていく。
 怯む兵士の隙をついて走り去ると、隊長格の男が抜き身の剣を構えて待っていた。

「シーカーの落伍者風情がッ。来い!」
 
 振りかぶった剣がキンッ、と鋭い金属音を放つ。ギリギリとした鍔迫り合いになるが、先生を抱えながらは些か厳しい──しかし、浅葱の修羅とこやつでは比べ物にもならない。
 伸し掛かるように体重をかけると、ぐ、と男が苦しそうに唸った。勢いをつけて剣を弾けば、彼奴は体勢を立て直そうと反動をつけて飛びのいてみせる。
 ──今だ。改めて剣を構える男に向け、一枚だけ残していた発煙札を投げた。
 ばふ、と辺りへ散る煙。身を隠すには足りないが、風もない地下通路では役に立つ。
 留まり続ける細かい粒子に身を翻し、全力でその場から逃遁した。





 俺は、彼女を抱えて暗闇を走った。
 先生、先生、と呼ぶが、返事はない。しかし、かすかな身動ぎ、喉から漏れるうめき声。そんな小さな生の証が救いになった。
 土埃に塗れた細い白髪は絡み合っていて、彼女の焼けた肌が血で薄汚れていた。はだけた身体が冷たい。待ち合わせの場所はまだか。後ろから声が聞こえる。俺はどうなったっても良い。しかし、彼女だけは絶対に。
 暗闇には月もない。星もない。ただ、ただ、暗かった。俺たちにはそれが良いんだろう。しかし今日ばかり、・・・・・・いや、今ばかり、何もない闇が怖かった。何物も、どこにもいってくれるなと、ただそう思った。

「・・・・・・す、ぱ・・・・・・く・・・・・・」

 ふ、と。先生の瞼が薄く開く。
 焦点が合わない。声だって単なる呼吸のようだ。しかし、俺の耳は確かに捉えた。
 先生、と紡いだ声が、震えた。

「先生、先生・・・・・・身体は大丈夫でござるか・・・・・・意識は」
「だいじょうぶだよ、ちょっと・・・・・・痛みが、あるだけ、だから」
「もうすぐでござる。馬に乗れさえすれば、無事に帰途につける故」
「ふふ、ふ・・・・・・スッパ君が、そんなあせってるとこ見るの・・・・・・あのときぶり、かも」

 走りながら、腕の中の人はぼんやりとまどろむ。

「・・・・・・あのとき、とは、いつのことでござるか」

 喋り続けねばならない。そうしないと彼女は、眠ったままになると思った。

「ほら・・・・・・小さいとき、なんさいだろ、いつだったっけ・・・・・・思いだせない」
「思い出すでござる。俺が、何歳のことだったか」
「8さい・・・・・・それは会ったときかぁ・・・・・・なんさいだっけ・・・・・・12さい・・・・・・かなぁ」
「12歳は、俺が耳に穴を開けた歳でござる」
「そっか、そうだね・・・・・・なんで、あけたんだっけ」
「一人前に、なったので」
「そうだった、・・・・・・そうだったね・・・・・・じゃあ、そのときだ・・・・・・」
「貴女の手ずから穴を開けてくれて、嬉しかった」
「きんちょう、したんだぁ・・・・・・あのとき。上手に、あけられる、かな・・・・・・って・・・・・・」
「皆に囲まれ、俺も気恥ずかしかった。コーガ様も見に来られて」
「ふふ・・・・・・コーガさまは、スッパ君のこと、だい、すきだから・・・・・・自分の、むすこみたいに」
「あの方は・・・・・・あの方は同じように、皆を見ておられるでござる・・・・・・あのときだって」
「そう、だね・・・・・・そう・・・・・・こー、がさま、・・・・・・」

 薄目を開けて、動かない。
 「先生・・・・・・気を確かに」 頬を撫でるが、跡がつくだけだ。涙の痕か、血の痕か、どっちのものかも分からない。
 団員の待つ場へたどり着いた時、彼女はもはや意識を失いかけていた。
 振り落とされないよう、彼女と自分を布帯で巻き、馬に乗って陽の昇りかけている平野を駆ける。

「・・・・・・また、失敗しちゃった、なぁ」

 背中越し、俺の耳を揺らす微かな声。
 ぽとりと落ちた火種が砕ける瞬間に輝くように、その小さな後悔は俺の胸に焼き付いて、消えなくなった。
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