かつて筆頭幹部には師と仰ぐ人がいた。

 深更の崖上。茫漠とした砂漠を眼前に、俺は瞑想に耽っていた。
 砂の所為か寒気の所為か、風が吹く度に、突き刺すような痛みが肌に走る。しかし、業務終わりにはこれがちょうど良かった。痛覚は、自分が今ここで生きていることを思い出させてくれる。
 自らの衷心と向き合うほんのひととき。大地に身を置き、風や月光、冷気と一体になっていると、ぴんと張りつめた神経という神経が、徐々にこの場にある全てと繋がっていくような気がする。まるであるがままにしか在れないのだと言い聞かせられるように。徐々に心の中が澄んでいく。

 そうしていると、ふと気付く。肌を通り過ぎていく風の流れが変わった。
 気配もなく、背後にイーガの団員がやってきていた。業務外に俺の元へ訪れる団員といえば検討がつく──外部の情報を得た諜報の部隊員だ。
 「スッパ様」という小さな声に合わせて、小さく顎を引く。足音ひとつたてずに近づいた諜報員から耳打ちをされる。
 聞かされた内容に、思わず苦いため息が漏れ出た。

「・・・・・・三人目、でござるか・・・・・・」

 団員が告げたのは、諜報部隊から寄越された情報────いや、厳密に言えば、来るはずだった情報が来なかった、という報告だった。
 ハイラル各地に遣わしているイーガの団員には、情報が得られても得られなくとも、定期的に連絡を送ってくるよう通達をしている。それこそが、彼らの無事を証明する唯一であり、未だイーガの団員であるという証拠になり得るからだ。
 しかし、本日一人。連絡の途絶えた者があるという。
 俺はすぐ背後で頭を垂れる団員に視線をやった。

「団員に怪しい動きは?」
「元々シーカーの出の男です。親は母親のみ存命。村におり、彼女とは連絡もついてます。コーガ様への忠も篤く、・・・・・・足抜けするようには思えない、というのが同僚の見立てです」
「・・・・・・では、どこかで」
「その可能性の方が高いやもしれません」

 連絡のない団員にあり得るのは三つ。足抜けか、王家に捕えられたか、はたまた魔物に襲われてしまったか。
 最近は厄災復活が近い影響からか、各地で魔物の力が増しているという話だ。鍛錬を積んだ団員といえど、徒党を組まれた魔物相手では撤退の余儀がなく、命最優先で逃げるようにとコーガ様から言いつけられている。
 しかしこのところ、連絡が絶たれ、様子を見に行った先で団員の亡骸を発見する──。そのような不測の事態が続いている。
 敵方への情報漏洩を死守するため。そして、最悪の事態を想定し、健闘した同輩へせめてもの手向けをするためにも、件の団員の足がかりを手に入れなければならない。
 静かに考え込み、暫くしてから俺は、重い口を開いた。

「・・・・・・万一ということもある。隠密班の中から一人、様子を見に行くよう通達してほしいでござる」

 御意。と短く返した団員は、その場で発煙札を発火させ、瞬きの合間に消えた。鼻腔を掠めるのは、焦げた匂い。それもすぐさま、煙と共に風へ流されていく。

 怪我で連絡が遅れた程度であれば、もう何も言うまい。しかしそれは日和見だろう。人の上に立つのであれば、常日頃から最悪の事態を想定していなければならない。それが残酷な結末だとしても。
 十何日前のことが蘇る。差し出された血濡れの仮面。魔物に惨殺された亡骸からこれだけを取ってきたと説明する、団員の震えた声が耳の内に響くようで。
 俺は重く、胸の奥に沈殿する息を吐いた。

 ────日毎、戦への機運が高まっている。
 筆頭幹部に就任してからというもの、イーガで得た情報の全てを目で見、耳で聞くようになった。各地の情勢と、王家共の動き、イーガの状況。団員達の怪我や疲弊・・・・・・失踪。
 実地へ赴く機会は少なくなった。しかし、情勢を如実に把握し続けることの心労は、単に幹部役として地を駆けていたときと比べ物にもならない。
 自分の賽ひとつで変わる、団員達への責任。筆頭幹部という席がただ重い。
 先の見えない塗炭の苦しみを、今まではコーガ様がたった一人で耐えていらした。その丹力たるや、いくら筆頭幹部と敬われようと足下にも及ばない。

 淡い月明かりに照らされる、砂原の大地に視線を遣った。
 日中の砂嵐の所為で視界が煙るが、方々にぼやけた明かりが集まっている。ゲルドの街やカラカラバザール。それに神獣の調査が進むゲルドキャニオン。闇に浮かぶチラチラとした光は、まるきり星が地上へと落ちてきたようにも見える。
 そこには人がいて、人の営みを続けている。厄災という対敵に一丸となり抗おうとしている。
 そして我らはそ奴らに、遥か彼方から継がれる刃を向けている。
 ぐっと拳を握り、俺は音もなく立ち上がった。
 なにも一日の業務を終えたわけじゃない。崖上を降り、その足で真っすぐに向かったのは、俺自身の寝所であった。

「──あ、スッパ君。おかえりなさい」

 扉を開けた瞬間、すぐさま俺を迎え入れたのは先生だった。それは良いのだが、その場に広がった惨状に言葉を返し損ねた。
 筆墨一式と筆録の紙、それに手書きの地図や古書・文献が所狭しと広がる床。先生は這いつくばって、それらと対峙している。
 一歩踏み入れた途端に鼻腔を刺す古紙と墨のにおいは、まさに書庫と同じであった。自分が寝泊りしている部屋とは思えない状況だ。
 俺の部屋は好きにしても良い、とは伝えてあるものの、先生の豪胆さには少し驚かされる。
 彼女がガサガサと雑な手つきで紙を寄せ始めたので、呆けていた俺は、漸く部屋の隅に腰を据えた。

「いつもより遅かったね、なにかあった?」
「急務の連絡がやってきたでござる。それ以外は何も」
「そっか、疲れてるなら、少し休んでからでもいいけど」
「いえ、大丈夫でござる。早速ですが、何か分かったことはあるでござるか」

 一息吐く間もなく切り出した仕事の話に、先生は肩を竦めてみせた。しかし次の瞬間には真剣な表情をして、「これを見てください」と、ひとつの文献を差し出してくる。
 一度顔を上げた先生は、短く息を吸った。

 ────先生は、神獣ヴァ・ナボリスへの調査業務での失態を理由に、王家への諜報任務隊に選ばれ損ねた。その代わり、アジト内での新たな役職を与えられた。
 諜報部隊が仕入れてきた現況を共有し、王家が画策する次の一手を予想する。いわば、参謀役である。
 コーガ様はともかく、俺は古代シーカーの知識に疎い。そんな俺を影で支える役目として、彼女はよく働いてくれた。ただ、なにせ俺が常に忙しないので、膝を突き合わせて話をするのは夜のほんのひとときだけだ。日課として部屋で待つよう示し合わせてある。

 王家と四神獣への諜報員を見送ってからというもの、世情は刻々と動きつつあった。
 先生の思惑通り、神獣の繰り手となる戦士が四部族から選出され、人物に目途がたったとのこと。未だ王家に動きは無いものの、間諜による神獣調査は上手くいっていないらしい。実際に神獣内部に侵入した団員からは、うんともすんとも動かなかったとだけ報告が届いている。

「古代シーカー族は、勇者の力を試すために、各地に祠を建造していたと書いてます。現イーガにも通ずるところがありますが、段階的に技を継承させ、使い手として認める一連の流れは、おそらく古代シーカーの伝統ともいえるやり口そのもの」
「・・・・・・」
「これは推測ですが、神獣という巨大な兵器を利用するにも祠のような試練をクリアし、神獣そのものに繰り手と認めさせる必要があるのではないかと。その試練を経た者が繰り手になることで、初めて本領を発揮できるのだと思います」
「なるほど・・・・・・」
「彼奴等が神獣を切り札に据えている以上、神獣周りの計画はいの一番に執り行われることのはず。そして、候補者はどれも各部族の長や王族ばかり・・・・・・。政治のバランスをとるためにも、王家の中央が遣いとして出る可能性が高いように思います。そしてそれは、決して遠い未来の話じゃない」

 真剣な彼女の瞳を見返す。

「・・・・・・王直々に、もしくは、無才の姫が交渉の場に出ると?」
「それか、いつも姫の隣を歩いている執政補佐官。・・・・・・あれはカカリコの長ですから、この辺りが妥当かと」

 時間が止まったかのように、場に沈黙が落ちる。それから小さく、ふぅ、と息を吐いた。
 雪崩れ込んできた情報を咀嚼するには時間がかかる。ここのところ毎日ではあるが、一度に一歩も二歩も状況が変わるものだから、把握するのがやっとというのが紛れもない本音だった。

「・・・・・・イーガにとっては芳しくない状況、でござるな」
「ですね、候補の四人は揃いも揃ってハイラルの中でも屈強な戦士だとか。闇討ち・・・・・・という手段も、安易にとれないでしょうし」
「万事休すでござるか」
「・・・・・・大丈夫?今日は疲れてるでしょうし、そろそろ解散しよっか」

 それまでの硬い表情を一転させ、ふっと空気を緩ませた先生が顔を覗き込んでくる。
 これしき、と言いかけ、寸前で口を噤んだ。
 唐突に伸ばされる先生の手のひら。それが仮面の山を素通りしていって、頭のてっぺんに乗せられる。暖かくて柔らかな感触が、一度、二度、ぽんぽんと降ってくる。
 先生は、まるで俺を子供扱いし、言い聞かせるように呟いた。

「無理しちゃダメだよ。貴方は筆頭幹部で、コーガ様の右腕だから。みんなスッパ君に期待してる。だからこそ、休めるときには休まなきゃダメ。いい?」
「・・・・・・うむ」
「自分の部屋に居る時ぐらいは、ゆっくりしよ。ね?」

 ひとしきり視線を合わせ、それから小さく頷く。先生は満足気にニコ、と微笑んだ。
 それから彼女は、すっくと立ちあがった。てきぱきと片付けを始めたかと思ったら、あっという間に部屋の片隅へ書籍を積み上げていく。
 本さえどうにかなってしまえば簡素な部屋だ。一人用の小さな文机と、隅に寄せられた寝具。それらも自室を宛がわれた際に設置されたもので、思い入れもなにもない物品だ。無機質極まりない空間は、決して居心地の良い場所ではなく、いつまでも血の気の通わない沈んだ箱に思える。
 しかし今は違う。目の前には先生がいる。自室の居心地の良さは、彼女の有無に全てが賭けられている。

「えっと・・・・・・、じゃあ、お休みスッパ君。またあし・・・・・・」
「先生」

 戸に向かおうとする彼女。ふらりと挙げられた無防備な細腕を、指先で緩く捕まえた。
 ぱっ、と瞳が持ち上げられる。結ばれた口元に滲む微かな緊張。拘束された彼女の指先が、どんな形を保てば良いのか分からないように、宙を掴む仕草で揺れる。
 そのまま動かなくなってしまった彼女を促すと、彼女はゆるゆると、座ったままの俺の傍へ寄った。

「はい、えっと・・・・・・なんでしょう、スッパ君」
「・・・・・・火傷の具合は、どうでござるか」
「火傷・・・・・・は、かなり良くなってきてるよ。痕はどうしても残っちゃうみたいだけど」

 見せつけるように広げられた手のひらは、確かに歪な火傷の痕が目立たなくなってきているようだった。少し前までは酷い水ぶくれができていたが、今はそれも破れ、適切な処置が施されているらしい。
 武器の柄の形に赤くなった痕に触れる。つい先日、湯浴みをするときにひりひりと痛むのだと聞いた。確認するようになぞっていくと、「スッパ君・・・・・・」と、上ずった彼女の声。
 彼女のまだらになった細い指先へ、俺の指先を絡めていく。

「・・・・・・今宵も」
「き、今日もッ・・・・・・?」

 肩を縮め、身を引こうとする彼女の手のひらを、決して離しはしない。黙ったまま拮抗状態が続いたが、暫くして手先からフッと力が抜ける。先生は観念したように、その場へへたりこんだ。
 ゆっくりと彼女の腰に腕を回し、引き寄せながら押し倒す。床に黒髪を散らす先生は、どこか強張った顔つきをしていた。

「休めるときには休もう、って、言いました、私」
「・・・・・・これがもっとも、疲れが取れる故」
「嘘ッ、それは嘘でしょう! むしろ疲れちゃうでしょう! こんなことしたら」
「自分が疲れているのは身体ではなく、頭でござる。色事の合間は何も考えずに済むので」
「そ・・・・・・んっ」

 自らの仮面を少しずり上げ、彼女の唇を塞ぐ。反意をもろとも呑み込み、欲望を押し付ける。されるがままの先生にどうしようもなく胸の奥が昂り、・・・・・・それと同時に、微かな罪悪感が滲んだ。

 ────束の間の、安息だった。
 想いを告げ、肌を合わせたあの日。彼女はこうやって俺を拒まず、おぞましいような情欲の受け皿となってくれている。
 瞼を閉じ、唇をかみしめて情事に耽る顔を見ていると、ふと彼女の弱みに漬け込んでいるのではないかと後ろめたさに包まれる。しかし悩むうちにするすると彼女が上を取ることもあり、その艶やかな表情にどろどろとした悩みは一切溶け落ちた。
 先生と呼び慕う女性を、こうして自分が征服している。汗ばむ身体を感じ、肉を叩く音を感じ、冷えていく肌膚を感じ。・・・・・・全てが自分のことでなく、他人事に思えて仕方ない。
 本当の自分は、天井の隅から、じっとこちらを見つめているんじゃないかと。いつもその視線を、他人である俺自身は見ないふりをする。

「っ・・・・・・」

 ぞわ、と立ち昇ってくる感覚。彼女の中から自分自身を引き抜けば、その瞬間に自らの情欲そのものともいえる熱が迸る。
 彼女を穢した──瞬間的に冷え切っていく頭が自らを苛む。それでも俺が堕ちきらずに済むのは、彼女がいつも、あの朗らかな笑みを俺に向けてくれるから。


 お互いに身を清めた後は、就床となる。
 女部屋に帰る力も残っていないという彼女と共に、布団へ潜った。腕の中に閉じ込めるよう横になると、彼女からはすぐさまに寝息が聞こえてくる。

 彼女を部屋に閉じ込め、日々過酷な現実の止まり木にする。・・・・・・きっとこれは、俺の望んでいたことだ。いつまでも続くわけがないと、分かっていながらも。
 無防備に投げ出された火傷の痕は、確かに完治する寸前だったのだから。







 事が動いたのは、突然だった。

 まだ日の出きらない薄明の刻。鍛錬場にて刀を振るっていると、にわかにアジトの奥が騒がしい。
 はっきりとした異常事態の喧騒────二対の愛刀を穿き、玄関へ足を急がせた俺を待っていたのは、入口に向かって得物を構える団員たち。場に満ちた殺気と緊張感が、一目見て何かがあったのだと物語る。
「何事でござるか、これは」と声をかければ、イーガの視線が俺へ向けられると同時に自然と団員たちが身を引いていく。
 団員をかき分けて前に出た俺を待っていたのは、谷間の暗闇に立つ、ひとつの影だった。
 黒いフード付きのローブに身を包む人影・・・・・・見知らぬ天球儀を携える指先は不気味なほど白く、血の気がない。
 何より目を引いたのは、足下に転がる異様なものだ。鉄のような材質でできたカラクリの黒い球体。表面に走る模様に既視感がある。しかしどこで見かけたのか、具体的に思い出せない。
 こやつは、ただ迷い込んでここへ来たわけではないだろう。怪しげな出で立ちの影は明確な目的の元、この場に立っている。

「おぬし、何者にござる。王家の手の者か」

 愛刀を構えながら告げる。それまで俯いていた影がゆるりと顔を持ち上げ、ぎらつく双眼を俺へと向けた。
 げっそりとこけ、骨ばった頬。察するに男だが、その顔面は指先同様、血の気の失せた白だった。陽のない谷間にぼんやりと浮かび上がる白が、まるでこの世に生きているものではないと錯覚を起こさせる。
 乾いた風が、降りた沈黙の間を抜けていく。
 やがて男は、ただ静かにニィ、と口端を歪めてみせた。

「貴様らの主君と会いにきた。確か、名はコーガといったか?」
「・・・・・・なぜその名を」
「これを見るが良い」

 「何を」と口を開く前に、彼奴が黄金の天球儀を掲げた。
 その途端、鎮座されていた球状のカラクリから禍々しい光が四方に放たれる。辺りに立ち込める暗黒の気配。身体に纏わりつき、地面に引きずり降ろされるような重たい圧迫感。思わず刀を引き寄せたが──これが襲撃であったなら、俺の命はこの場で潰えていたかもしれない。
 天球儀がぱっ、と星を散らす。それから宙に浮いた漆黒が一度強く光り輝き────信じられない光景が、平面状に映し出された。

 瓦礫の山と、崩壊した建物。そして嫌悪を感じるほどの、おどろおどろしい力。
 火の海と化した街は、紛れもなくハイラルの城下町。瓦礫の山として写されたのは、我らが宿敵の住まうハイラル城であった。
 まるで現実とは思えない光景は、妖術であるに違いない。しかし、次々に映し出される映像は、まるで現実そのものとしか思えないほど生々しい。本当に、今目の前で起こっているかのように。

「なんだ・・・・・・こりゃあ」
「コーガ様・・・・・・!」

 気付かぬ内に現れた主君も、その光景にくぎ付けとなっていた。
 ローブの男が一言「来たか、コーガ」と呟く。
 その途端、ふ、と幻が潰え、禍々しい雷雲のような塊は、それまでの名残を一切残さず霧散して消え去った。

「おめえ・・・・・・何者だ」

 コーガ様が低い声で唸る。
 カルサー谷の間を抜ける風が、男のローブをはたはたと靡かせていく。
 陰間で見開かれた黄金色の瞳孔が、我らをしっかりと見据えていた。

「我が名はアストル。貴様らが信仰する厄災ガノンの遣いだ」







 アストルと名乗った男は、信じられない言葉を吐いた。
 黒いカラクリに宿るのは、厄災ガノンの念。あの場で見せたのは、その力をもって可能となった未来の幻影であるのだと。
 近い未来、厄災はつつがなく復活する。そしてハイラル城を沈め、王家にとって混沌の世を作り出す。
 イーガにとっても、願ったり叶ったりの筋書きだ。しかしこのまま王家の手を放置すれば、厄災復活の道が途絶えるやもしれぬ。
 そこで、目的を同じくするイーガと手を組み、本来の未来を辿らせるため、王家の邪魔だてを考えたのだと、アストルは言った。

「・・・・・・あやつ、本当に信じてよろしいのでござるか」
「俺様だって、あいつ自体を信じてるわけじゃねえ。ただよぉ、ガノン様はホンモンだろ。あの禍々しいお力・・・・・・分かんだろ、スッパ。なんとなくでもよ」

 ガノンの力が宿るという、黒いカラクリ。揺蕩うオーラはどす黒く、この世のありとあらゆる生物に、殺意と恨みを振り撒いている。あれからは、確かに赤い月に感じる禍々しい力と同じ圧迫感が放たれている。

 更には、王家に諜報へ向かった間者からも、気になる情報が寄せられた。

『姫の周りを、見たことのない小型のガーディアンがうろついている』

 書簡に記載されたただの一文に、コーガ様と顔を見合わせた。
 そして、数日もしない内のことだ。日の高い時刻にアジトを襲った、突然の地響き。
 件の崖上からも見えるビリディン高地に、天を衝くほどの塔が現れたと報告があったのは、その当日の内だった。

 アストルと名乗る怪しい占い師。二対の小型ガーディアン。そして、古代シーカーの模様を刻む、正体不明の巨大な塔。
 それらの登場が重なったのは、決して偶然などではない。
 世は、確実に対局の時へと向かっている。

「・・・・・・そろそろ、次の一手を進めにゃあならんなぁ」

 ぼやくように紡がれたコーガ様の声。
 二人きりの部屋に響いたそれに、ただ黙った。
 黙り込むことでしか頷けない自分に、自らの弱さを突きつけられるようだった。



 ──ある日、閨でのこと。

 布団の中で、ただ静かに天井を見つめる俺の横で、先生は珍しく楽しげであった。
 いつもであれば、伽の後はすぐさま瞼を瞬かせて微睡みに落ちていく。しかし今日の彼女は肘をついた俯せの恰好で、広げた文献に夢中になっていた。

「古書には、あの一本だけじゃなくて、ハイラル中にシーカータワーがあるようなことが書いてある。一度に全ての塔が起動したのかなあ。情報が待ち遠しいっ」

 シーカータワーとは、ビリディン高地に突如として現れた塔の名である。イーガに現存する文献にも記載されており、彼女は調査のため、実物を目の当たりにしてきたらしい。
 昼間の興奮が続いているのか、彼女の瞳は寝る前だというのに爛々と輝いたままだった。

「せっかく目の前に遺物があるのに、悔しいなぁ。そもそも神獣が動き出した原因っていう『シーカーストーン』のこともほとんど分かっていないし・・・・・・」
「・・・・・・」
「王家側はきっとなにか掴んでるでしょうに、私たちには情報が無さ過ぎる。・・・・・・待つしかないのかなぁ、もっとできることがあれば良いのに」

 独り言のように綴られる声が、俺の頭の中に、主君の声を連れてくる。

『それに、諜報が必要なのは、そこばっかじゃねえしな』

 俺の提案すべき内容は、もうはっきりとしている。次の一手を決めねばならないのだ。沈黙のまま肯定した主君との約束を、俺はこのとき、果たさねばならないと分かっていた。

「火傷は・・・・・・如何様でござるか」

 文献に向けられていた視線が、ふと持ち上がる。
 彼女はその場で両手を広げ、ぱっぱっ、と指先を開閉してみせた。

「もうすっかり良くなったよ、痺れも痛みも何もない。見た目も、少し引き攣れが残ってるだけで全然! 元通りに近いかな」
「そうで、ござるか」

 ひとつだけ灯した読書灯が、じじ、と音をたてて揺れる。
 手元だけを照らす火だ。決して仮面の裏まで明かしてくれるなと、それだけを願って。

「・・・・・・先生に、頼み事があるでござる」
「なに? 改まって」

「────古代王立研究所へ、諜報にいってくださらぬか」

 彼女の息を飲む声が聞こえる。
 その丸く見開かれた瞳を、俺は直視することができなかった。

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