【完結】かつて筆頭幹部には師と仰ぐ人がいた。

 先生、と彼が穏やかに呼んでくれるたび。
 吊られたような綺麗な立ち姿を見るたび。
 近くで彼のにおいを感じるたび。

 いつも心の底から落ち着いて、まるで全部を見せちゃっても良い気がしたのは、確かに昔からそうだった。

 あどけなさの無くなった低い声で呼ばれるようになって、手袋越しにも分かるゴツゴツとした手の平で頬を撫でられて、汗ばんだ肌同士で触れ合って。
 彼とそんな関係になっちゃっても良いって思えたのは、いつからだったっけ。どうしてだったっけ。

「先生」

 蝋燭をひとつだけ灯した閨。橙色と影色のコントラストが揺れる仮面。
 呼ばれても返事せず、睡魔に負ける寸前の重い瞼で見返して、緩く口端だけを持ち上げる。

「先生」

 彼の声があどけなく戻っていく。撫で続ける手の平が柔らかくなって、仮面の傷も角もなくなって。
 ふと思った。文字、教えてあげなくちゃって。じゃないと彼は、ここで生きられない。

 でも、もう瞼が上がらない。彼の声と、橙色の光と、汗のにおいが絶えず、途切れそうな意識を掴んで離さない。
 暗い視界のはずなのに、ぼやけた影が見える気がするのは、もう身体の半分が夢の中に浸かっているからだ。

 ・・・・・・このまま夢を見ちゃっても良いかな。なんの夢を見ようかな。
 先生、って呼ばれるずっと前。私がこうなるのに至った、昔の話とか。

「・・・・・・先生?」

 ごめんねスッパ君。もう今日は寝る前のお話、できそうにもないみたい。












 墨と紙の古ぼけたにおい。
 何度掃除しても指に纏わりつく砂埃のざらつき。
 薄汚れた文献や巻物が無造作に積まれた、狭くて薄暗い物置みたいに狭い部屋。

 カルサー谷の隙間にひっそりと存在する、イーガ団のアジト。ただでさえ窮屈なこの岩屋の隅っこに、私が毎日業務に励む書庫がある。
 ここに集められているのは、古代シーカー族の技術をどうにか暗殺に流用できないか発案する、研究班所属の団員たち。
 その中でも、本の片づけなんて、文字が読めれば誰にでもできるような仕事を請け負っているのが私だった。
 先輩が使い終わった文献を受け取り、表題を見ては、語順通りに棚へ振り分けていく。十冊も重ねた本を立ちっぱなしで膝に乗せ、全身を使いながら作業するのにも慣れたものだ。
 あとは談笑に耽る先輩たちが、足を伸ばして後ろ手を着くんじゃなくて、机に向かってくれれば動きやすくなって申し分ないのだけれど。
 手の甲を踏みでもしないように、摺り足で歩く私は、きっと健気で良い後輩だったと思う。感謝される覚えはあっても、無下にされる覚えなんてない。
 でも、そのひたむきさがきっと、私の人生に小さな穴を作る原因になっていた。

「俺たちさぁ、もう夕餉食いに行ってくるから。 お前、この文献まとめといてくれよ!」

 寝耳に水とはこのことだ。真剣に本と棚を見比べていた私はその言葉にびっくりして、「えっ!」と首だけを回すと、それまで真後ろで喋っていた先輩たちは、既に扉を抜けかけているところだった。
 背中越しにブラブラと揺れる後ろ手が見える。ありえない。私は本を取り落としそうになりながら、慌てて声を張った。

「ちょ、ちょっと待ってください。私だって、これが終われば終業だと思ってて・・・・・・」
「お、なんだぁ?入ってきたばっかの新人が口答えすんのかぁ?」
「そういう、わけでは・・・・・・」
「これはな、振り分け作業ばっかしてるお前に、解読の仕事もさせてやろうっていうありがたい先輩の指導だぞ? お前解読もやりたがってたろ! むしろ感謝してほしいくらいなんだぜぇ?」

 ズンズンと戻ってきた先輩に人差し指を突きつけられれば、うっ、とも、ぐっ、とも唸れない。その代わり、一生懸命に仮面の下で睨みつける。・・・・・・そんな行動に意味なんて無いけれど。
 この人たちはいつもこうなのだ。ちょっと先に入団したからといって調子にのって、私をいいように扱き使ってくる。
 彼らは私が押し黙ったのを確認して、腕を組みながら鼻を鳴らした。

「それに、俺たちよりもお前の方が古代文字得意だろ。ほら、親に教えてもらってたんだっけ?」
「・・・・・・」
「こういうのは、効率を考えなきゃあな~」

 頼んだな、と肩を叩いたが最後、彼らは改めて手を振りながら、行ってしまう。
 段々と遠ざかっていく談笑の声。廊下に反響するそれを耳にしながら、私は部屋をゆっくりと見回した。
 開きっぱなしの文献、使ったままの筆と墨。食べ散らかされたバナナの皮。・・・・・・それに、たった一人で残された、新人研究班員の私。
 それでなくとも雑然としてるのに、甘ったるいにおいも相まって、まるで書庫がゴミ溜めに変わったみたいだ。彼らの所業が信じられなくて、思わずため息が漏れる。
 沸々と胸の奥で何かが沸き立ったけど・・・・・・でもしょうがない。
 研究班に配属されたばかりの私は誰よりも若く、誰よりも力がなく、誰よりも下っ端なのだ。
 急に重くなってきた本をその場に置いて、大人しくそこここに散らばるバナナの皮を集め出す。
 黒く変色し始めた皮は思ったよりもしっとりと湿っていて、人の食べた生ごみだと思うと、改めてため息を吐かずにいられなかった。


 ────この当時、私は、アジトの中でもっともみじめな存在だったかと思う。
 17歳。成人を迎えると共にイーガ団へと入団した私は、当初こそ期待を胸に抱いていた。
 心の底からお慕いしているコーガ様を、遂に傍でお支えできる。両親から教え込まれた隠密の技術を、漸く活かすときがやってきたのだ。そう考えると、どうしたって胸が膨らんだ。実際、ここへやってきた当日は、布団に潜り込んでも全く眠気なんてやってこないほどだった。

 なのに、入団してから数か月が経った今、私が所属しているのは研究班。古代シーカー族の残した叡智と向き合い、それらを新たな文献にまとめる大切なお役どころとは、なんと聞こえの良い建前だろう。
 実際は、武力を持たない足手纏いの団員の行きつく先だと言われてる。誰がどう考えたって、主のお傍付きには程遠い部署だった。


 筆を走らせる内、ふるり、と身が震えた。
 気付けば床冷えがつま先から身体を侵食していて、書庫の岩壁がひんやりとした空気を放っている。夜の帳が降りたのだ。
 改めて文献を見ると、頼まれていた分の業務はとうの昔に終わっていた。
 ・・・・・・まただ。集中すると、知識の波に飲まれて時間を忘れてしまう。これは私の悪い癖だった。
 問答無用で頁を閉じ、ぐ、と一旦背伸びをして、凝り固まった筋を解す。ふぅと息吐きながら考えたのはこれからのこと。お腹は減ってるけれど、一旦気分転換を挟みたい。
 こんなときは、あそこに行きたい────ふとした思いつきが頭に上って、広げた文献や筆墨を手早く片付ける。
 全てを整頓し終わってから行燈の火を拭き消して、私は薄暗い廊下へと飛び出した。



 誰にも内緒でやってきたのは、外──ゲルド砂漠を見渡せる崖の上だ。
 落ちた陽の気配が微かに残る西の空は、群青に移り変わりつつある。狭い本の世界とは対照的に、壁も天井もない圧倒的な開放感に胸がすく。ここへ来るといつも何か叫び出したくなる。もちろん、誰かに見つかったら困るから何も叫ばないけれど。
 ひゅう、と身体を撫でていく風は、ゲルド高地から流れてきたんだろうか。鋭い冷気は身体の芯にまで届きそうだけど、なんだか自分の輪郭が浮き彫りになっていくみたい。寒くて仕方ないけれど、業務終わりのこの風は嫌いじゃなかった。

 徐々に暗がりが濃くなっていく中で見えるのは、カラカラバザールの灯りと、瞬きの強くなった星々。そしてただひとつ、何者より煌々と輝く満月の光。
 座り込んで、腕を摩りながら、目の前に広がるそれを黙って眺める。生きてるものも、動かないものも、みんな等しく月光に照らされている様を、ただぼんやりと。

 ・・・・・・すると、ふとした瞬間気付くのだ。視線の定まらないままの私の横に、誰かが立っている。その人の存在はふわっとしていて、影も曖昧で、どんな表情を浮かべているのかもよく分からない。
 ・・・・・・私だ。
 瞳は虚ろで、月光の届かない岩陰に溜まっているような闇色を湛えている。だから最初は気付いても見ないふりをするのだけれど、いつもそれは徒労に終わってしまう。
 その私は口を開いて、この私を苛んでくるのだ。

「何してるんだろう、私」

 同じ時期に入団した団員は、外での勤務を命じられてる人ばかり。マモノを倒したり、諜報活動をしたり、この広いハイラルの土地を縦横無尽に駆け回っているのだろう。
 私だって、それをする実力には足りてたはず。なんであんな場所へ押し込められたかと言えば、隠密の血を継ぐ両親が、熱心にシーカーの歴史を教えてくれたから。

「もっとコーガ様のためになること、できるはずなのに」

 本当は、外に行きたい。あんなところに居ては武勲がたてられない。武勲が立てられなければ、コーガ様の目に留まるような機会も得られない。
 私が・・・・・・イーガに来た意味を、得られない。

「・・・・・・私がやってることに、意味なんてあるのかな」

 何も成し遂げられず、誰のためにもならない。でもこれがイーガとしての、影としての生き方なのだ。

 ・・・・・・それで良いはずなのに、なんでかずっと、風に吹かれてるみたいに胸の内が冷たいままだ。
 まるで窓の合わせが悪くて、かすかな隙間からひゅうひゅうと冷気が入り込んでくるように。どこを直せば良いのか分からなくて、ただ一人きり、途方に暮れているだけだった。

 だから、今にして思う。
 彼がイーガへやってきたのは偶然だったのだろうけど、きっとこんな関係になったのは、必然だったのだと。
 無意識にこの隙間を埋めようと、彼の手を取るふりをして、私は、────私の手を取ったのだ。









 この日、普段はやっても来ない倉庫の奥で、私は埃まみれになっていた。
 ご多聞に漏れず先輩の所為だ。普段はあんまり出番がなくて、倉庫行きとなった文献の存在を突如として思い出したらしい。
 「そういえばあんなのあったよな、取ってきてくれ」なんて、バナナの咀嚼中に喋るものだから、その横柄さと行儀の悪さに今日ばかりは心底気分が悪くなった。
 この業務が研究班の仕事かと問われれば「否!」と胸中で唱えたろう。私が行くべきか? という問いだったとしても同じだったと思う。
 ただ、その本音を素直に口へ出せないのが、下っ端の悲しいところだ。私はただ黙って彼らが口にする本の題名を筆録した。

 表題を殴り書きした紙を照らしながら、所せましと並べられた棚の奥へと頭を突っ込むこと十数回。髪の毛にボワボワの埃の塊をくっつけながらも、ついに頼まれていた本を全て見つけることができた。
 埃で喉がざらつく。それに、なんだか鼻がむずむずして・・・・・・「クシュンッ」と、遂にくしゃみが出た。
 古いにおいに満たされたここは書庫とほとんど同じような気がするけれど、放っておかれているのだから埃っぽさが段違いだ。くしゅくしゅと鼻先を擦ったけどムズムズ感はなくならない。とりあえず、ここから早く出て、書庫に帰るのが最善だろう。

 薄汚れた本を全て重ねて持ち上げると、それは頭の高さくらいにまでなった。
 これを持って帰るのはなかなかどうして大変だ。塔を崩さないよう慎重に入口へにじり寄り、行燈の火を吹き消した。

 砂粒のジャリジャリとした触感を足裏で感じながら、相も変わらず薄暗い岩廊下を進んでいく。
 書庫に戻ったら、次に待ってるのは古代シーカー文字の翻訳作業だ。辞書を横に開いて、古代文字で書かれた文章をハイリア文字へと変換していく。
 研究班に来て日の浅い私ができるのはこのくらいが関の山だった。どれだけの文章を翻訳したところで、そこに書かれた内容を解読し、実際にコーガ様へ研究結果をお伝えするのは先輩だ。
 彼らが姦しく、そして人使いが荒くても、コーガ様から褒められるのはきっと彼らの方なのだ。

「・・・・・・私がやってることに、意味なんてあるのかな」

 じわ、と胸に墨みたいな黒いものが広がった。
 咄嗟に、首をふるふると振る。それに染まり切ってはダメだ。今は自分にできることをするしかないんだから。
 気付けば徐々に床に向かって落ち込んでいく荷物を、よいしょと一度持ち直す。
 早く帰ろう。止まりかけていた足を進めて、下がっていた視線を持ち上げた、その時だった。

「・・・・・・ん?」

 廊下の先、積まれた物資の前に誰かいる。

 薄地の装束が拾う腰周りがやけに細い。それは鍛えられて引き締まった身体というよりは、食事の足りていない貧相な体つきに見える。手首や足首だってそうだ。骨の凹凸が目立っていて、黒々とした影が行燈の明かりで揺れていた。やけに丸まった背中には、「困ってる」と文字が書かれてるようで。
 ほとんど衝動的に、足を止めた。

 そこでふと、数日前の記憶が蘇る。研究班の幹部が始業直後に語った、とある日報のことだ。

『コーガ様のご慈悲で、通例より幼い者が一人入団する運びとなった。温情をもって面倒見てやるようにとのお達しだ』

 あの時は、起きがけの時間に淡々と告げられたものだから、みんなあくびをしながら聞いていた。私だって「珍しいこともあるんだな」と、他人事だと思って大して気に留めなかった。
 でもいざ目の前に現れると、単なる連絡事項でしかなかったそれが、輪郭を帯びていくのが分かる。
 ────助けなきゃ。ほとんど無意識に、私は骨の浮いた肩へ声をかけていた。

「どうかした?何か困ってる?」

 びくっ、と肩を震わせて、その子が振り返る。
 輪郭より大きなイーガの仮面の上で、短く結われた剛毛の黒髪が揺れている。空気を吸い込んで膨らんだ胸板は、それでもなお薄くて骨ばっていた。
 確実に私たちは視線が交わっているのに、彼は身動ぎもしない。黙ったまま、じりじりと両手をお腹の前で組んだのは、もしかして警戒されていたのかも。
 固まってしまった彼の様子にどうしようか、と困ったけれど、ぎゅっと力強く重ねられた手になにかを握っているのが見えて、あっ、と思った。片手と膝で本を支えながら「見せて」と募り、半ば強引に受け取る。

 くしゃっと皺の寄った紙だ。クセのある「武器庫」という文字が躍るそれは、外から持ち込まれた物資をどこに運び入れるかを印した指示書だった。
 私も、資材管理班のときは解読するのに苦労したっけ。なんと書いてあるか分からなくてウロウロし、先輩から「仕事が遅い」と叱責されたことを思い出す。
 頭の中で苦い記憶を手で払ってから、私は彼へ、紙を差し出した。

「武器庫って書いてあるよ、この廊下の先の部屋。場所は、分かるかな」

 受け取りながら彼は頷き、上ずった声で「ありがとうございます」と答えた。
 その揺れる声に、心細さだとか、孤独感だとか、押し潰してこようとする責任だとか、そういったものに苛まれてたんじゃないかって勝手に想像した。
 周りを見る限り、指示書の貼られた物資はまだまだたくさんある。一枚だけを解読してあげてそれでいいなんて、私には到底思えない。

「札か矢の仕分け作業だよね、・・・・・・ちょっと待ってて」

 思えば喋りかけた瞬間に、私がこうすることは決まっていた。持ち直した本を落とさないように、早足でその場を立ち去った。
 向かったのはもちろん、私の仕事場たる書庫だ。到着すると同時に「ただいま戻りました!」と挨拶し、返事なく談笑を続ける先輩たちの目の前に、ドンッ、と本を置いた。
 驚く彼らを尻目に「行ってきます!」と踵を返す。
 ちょっと待てとか、どこ行くんだ、とか聞こえたけど知らない。だって幹部からは「面倒を見てやってくれ」って頼まれていて、これはれっきとした、業務のひとつなんですもん。

 小走りで彼の元へ戻ると、それまで俯き加減に陰っていた仮面が、初めてパッと持ち上がった。照明の明かりを受けて、イーガの仮面が一段と白く見える。
 私は、面の下で精一杯の笑みを浮かべた。

「文字読めないのかなと思ってさ、他にも張り紙あったでしょ? 私の仕事はさっきのでおしまいだから、手伝ってあげようかと思って」

 仮面との間にできた大きな隙間から、「そんな」と息を呑む音が聞こえてくる。

「悪いです、僕の仕事ですので」
「いいのいいの。君、コーガ様に助けてもらったって子でしょ?面倒みてやってくれって言われてたんだぁ、だから気にしないで!」
「でも・・・・・・」
「強情だね、これも私の仕事みたいなものだから、いいんです!」

 牽制するように声を張って、彼を振り切った。じゃないと彼は、何度「すみません」と繰り返すか分からない気がする。
 矢や刀、札などがまとめられた束にヘラリと貼ってある指示書に目を通す。
 なんといったって私は経験者だ。「これは入口ね、あとこっちは修練場・・・・・・」と、大雑把に仕分けることなんか、全く苦でもない。
 いくつかの矢と札を抱えて、肩を縮めたまま私を見つめる彼へ振り返った。

「私もいくつか持つから、一緒に行こう!」
「大丈夫です、一人でできます」

 その頑固さに、まだ言うか!と呆れてしまった。さすがに頬を膨らませて、「もう、ちょっとは先輩ぶらせてよ!」と窘める。遠慮は時に、無礼に変わるものだ。彼ほどの幼い子には分からないかもしれないけれど。
 また「すみません」と言い募られる前に、サッと扉の方へ身を翻す。「ほら、早く」と促しても、彼は暫く立ち尽くしたまま動かない。
 けれど、多少強引な先達の登場に、何を言っても無駄だと漸く悟ったのかもしれない。
 ややあってから、やっと彼がひたひたと小さな歩幅で進み始める。随分申し訳なさそうに、結局「すみません」と何度も聞く羽目にはなったけど。

 一歩分遅れた彼と並んで、砂地のざらつく岩廊下を進んだ。
 多くの団員が業務に出払ったイーガのアジトは静かで、人の気配が全然ない。いつもはただ黙って通る物寂しい道だけど、今日は人と一緒に歩いてる。しかも彼は、所謂後輩というやつだ。
 本当は質問攻めにしたかった。どこからやってきて、なんでイーガに入団することになったのか。隠遁村じゃなくて、なぜアジトで過ごすことになったのか。
 でも、一気に聞き倒せば、彼は萎縮してしまうだろう。それにきっと警戒されてしまう。
 頭をもたげた好奇心を鎮めるためにも、喉の奥で小さく咳ばらいをする。
 それから改めて、彼の仮面を覗き込んだ。

「君、幾つなの?」
「えと・・・・・・7か、8です」

 7か8。一体どっち?
 ・・・・・・なんて咄嗟に聞きかえそうと思ったけど、やめた。彼がなにかしらの事情をもってここへやってきたのは分かり切っている。だってイーガにやってくる民間人は大概そうであるし、問いただすことは、彼を困らせることかもしれない。
 それよりももっと気になることがある。それは、彼が思った以上に若いって事実だ。随分大人びた口調で落ち着いているから、もっと上の年齢なんだと思ってた。

「じゃあ私と十違うのかな。すごいね、もうイーガで業務に就いてるなんて。私が8のときは、まだ村にいたよ」
「コーガ様のお役に立ちたくて・・・・・・」
「私もそう!だから、ここに来れた時、嬉しかったぁ。役に立つぞ!と思ってたら、資材班になっちゃって、ほとんど会えないけど・・・・・・」
「あ、資材班なんですね、僕と同じ」
「今は違うけどね。君の業務を前にやってたの、私なんだ。今は研究班で文献整理やってるよ。まぁ、業務はあんまり変わらないんだけどね」
「へぇ・・・・・・」

 なんだか、つらつらと言葉が勝手に出てくる。しかも普段よりも1トーンも2トーンも高い音で。じゃないと、薄暗い廊下のじっとりした空気に負けて、彼ともどもだんまりになってしまうような気がした。

 最初の目的地に辿り着いて、彼の矢を幾つか片付けてもらう。次の目的地のある方角を指さすと、彼は何も言わずにこくりと頷き、今度は私の真隣に並んでくれた。
 さっきまで何を喋っていたのかゆっくり頭の中で思い出しながら、小さな歩調に合わせて歩く。

「イーガ団は強くないと、まともに外へ出られないでしょ?・・・・・・文献整理ばっかりしてたら、いつまで経っても外回りができないなーって思うんだよね」
「僕も、強くなりたいって思います。でもその前に、業務すらまともに出来ないから・・・・・・」

 私と同じだ。その悔しそうな声に、「そうだよね」と何度も頷いてしまった。
 食材調達とか近場の調査とか、どんな業務でも良いから外に行かせてもらえないと、私たちはチャンスを得られない。
 でも彼の方がもっと深刻だ。「せめて文字だけでも読めるようにならないと」と続けると、にわかに彼の面が曇る。

「・・・・・・7か8だったら、学校には行かなかった?」
「行かなかったです。その余裕は、無かったので」

 即座に返ってきた言葉は随分淡々としている。けれど、だからこそ地面に落とされた視線の行方に、胸がぎゅっと締め付けられるような気持ちになった。
 彼がどんな理由でここへやってきたかは分からない。でもきっと、アバラが浮くほど痩せた胸の内には、過去が渦巻いている。
 それを全部乗り越えて、今ここにいる。ここを居場所にするべく、一生懸命に向き合っている。
 私に、少し似てるなって思った。きっと彼の中にも、自分を責め立てる「彼」がいるのだろう。私と、同じように。
 彼を助けてあげれば、私も少し、救われる気がして。

「・・・・・・私が文字を教えてあげようか」

 気が付けば、頭に浮かんだ提案を口に出していた。
 それはほとんど思いつき。でも、それまで地面を見ていた視線が「えっ」と持ち上がる。
 ただの塗料であるはずのイーガの瞳が、いっそう見開かれたような気がした。

「いいんですか?」
「いいよ、文献整理でどうせ机に向かうし、ついでに文字を教えるくらいだったら、問題ないと思う」
「助かります!僕、本当に困ってて・・・・・・ありがとうございます!」

 それまで歳の割に大人びた様子だった彼が、初めて子供らしくはしゃいでくれた。
 ありがとうございます、だって。じんわりと、彼の上ずった声が胸の中に沁み込んで、そこが発熱してるみたいにぽかぽかした。そんな言葉、久しぶりに聞いちゃった。
 こういうときにどう反応したら良いのか思い出せず、むずむずと疼く唇を無理に引き絞る。
 だけど、それよりもっと特別な言葉をかけられるなんて、この時の私は思ってもみなかった。

「じゃあ、今日から僕の先生ですね。先生と呼ばせてください」

 咄嗟に続いた提案に「えっ!」と素っ頓狂な声が出た。
 先生、だなんて。そんな名前で呼ばれることを、一瞬でも想像したことがあっただろうか? それはきっと、実際の私なんかよりももっと偉い人や賢い人が呼ばれるべき称号だ。
 だけど、嫌な気はしない。先生という言葉が持つ響きが、というよりも、彼から「先生」という特別な呼び名を着けてくれること自体が。
 ただの先輩として、じゃなく、それ以上に仲良くしていきたい、って言われた気がして仕方なかった。

「・・・・・・まいったなぁ・・・・・・!」

 先生という呼び名は、私の胸の奥に、スッと抵抗なく馴染んでいった。
 彼の声が、私の身体を暖めていく。まるで、焚火で熱した石を布にくるんで、そっと懐に忍ばせたときみたいに。
 照れ笑いを誤魔化しながら、じっと見上げてくる彼の面に、瞳を返した。

「じゃあ、私のことは先生で!君のことは、何て呼べば良いかな。生徒君?」
「僕はスッパといいます。呼び捨てでも、なんでも」
「じゃあ、スッパ君って呼ぶよ。今日からよろしくね、スッパ君」

 面下で笑いかけると、彼もぎこちなく目を細めてくれたのが、空気を通して伝わってきた。


 これが、私とスッパ君の邂逅の物語。
 私がイーガへやってきて数か月。17歳のときのお話だ。



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