SS
赤き月の刻。・・・それは、ガノンの魔力が満ちる刻。
このハイラルの地には、七日に一度、血のように赤い満月の昇る夜があった。
なぜ七日に一度なのか、なぜ赤いのか、なぜ厄災ガノンの魔力が満ちるのか、それは誰にも分からない。ただ一つ分かっているのは、赤き月光がこの世に満ちるとき、それは死に絶えた筈の魔物が復活するという、世にも不気味な事象が一度に起こるということだけだ。
魔物は、人を襲う。それに区別はなく、人に恐れられる我らとて同じこと。もちろん容易く手に掛けられる者などここには居ないが、屠れども意味がないとすれば話は変わる。知性の高い存在ではないものの、徒党を組まれては、俺とて分からぬ。
決して侮ってはいけない。赤い月の晩に出歩くなとは、世の理を教示してくれたかつての師が、俺の幼少期に何度も繰り返していた言葉であった。
不気味でおぞましく、人知を越えた事象とでも言うべきなのが、赤い月の晩に起こる黄泉帰りだったのだ。
「今宵、赤い月のようです」
イーガ団の詰所でその声を聞いたとき、俺はまさかと疑った。赤い月は一昨晩に上ったばかり。弾かれるように詰所の外へと飛び出し、月を見上げると、俺は訝しく首をひねった。いささかも赤い様子がなかったからだ。微かに掛けた月端の、ただの青白い面である。俺は尖った警戒心のまま暫く辺りを見回すが、どうやら何も起こらぬようだと、やり場のない勢いを燻ぶらせた。いざ詰所内に戻ったところで、さきの声を発した団員がどいつかも分からない。「どうしたのですか?スッパ様」と聞かれたが、「いや何も」と返すしかなかった。俺は狐にでも化かされたかと、その日は溶けた警戒心を胸に、詰所内を見回るだけであった。
このような不可思議な出来事は、この日ばかりに留まらなかった。続けて三度と、同じ要旨の言葉が聞こえたのである。
一度は真昼間に「赤い月です」
二度目は見回りの際に「赤い月が出ました」
三度目は青白い月を目の前にして「どうやら赤い月のようで…」
さすがにこうなっては違和感を覚えざるを得ない。赤い月とは、おそらく隠言葉なのだ。コーガ様擁するイーガ団に、複数の間者が入ったとしか考えられぬ。不届き者の侵入を許すなど、なんたる不覚。筆頭幹部の名折れ。俺は次こそ「赤い月」と耳にした際は、決して間者を逃さぬよう、敵を排斥する決意を新たにしたのだった。
そして、その日はやってきた。既に日は落ち、大きく欠ける弓張り月の昇る晩。団員らの寝所を過ぎようとした際、「赤い月が昇りました」と、俺は確かに耳にした。
「今、赤い月と申したでござろう。些か聞きたいことがある。共に来てもらおう」
即座に寝所へ押し入り、さきの発言をした構成員の一人に詰め寄る。おどおどとした様子がやはり怪しい。ずいと迫り、腕を取ろうかと思った瞬間、「スッパ様、これは、その」と、周囲の団員たちが、彼奴を庇うように間へ分け入ってくる。
なるほど、どうやらこやつら全てが内通者として、従犯関係にあるらしい。まさか寝所のひとつが全てが廻し者の手に落ちていようとは思わなかった。私的な空間だからと放置していた俺の落ち度である。この詰所内での殺生は御法度、とはいえ間者が判明したとあれば、多少手荒な真似もやむなしか。
「スッパ君待って!違います、誤解だから!!」
腕の仕込み刀に手をかけ、今まさに掃討せしめんとするところ、俺の行動を留めたのは聞き覚えのある声だった。まさかと信じられない心持ちで辺りを見回せば、寝所の奥、赤い月と放った構成員の後ろから、別の構成員服の者がやってくる。
「先生・・・なぜここに」
その人物は、俺を酷く動揺させた。
赤い月の不気味さ、おぞましさを幼少期の俺に説き伏せた「先生」が、間者共を庇うように背後へ彼奴等を隠し、俺の前へと立ちはだかったのだ。
まさか、幼少期の俺に優しく文字や世の常識を教えてくれていた先生が、赤い月を隠し言葉に内通する間者の一味であった?予想だにしない事実に眩暈がするようで、仕込み刀に伸ばした手先の力が抜けていく。
「スッパく・・・いえ、筆頭幹部殿こそ何故ここへ?ここが何処か、お分かりなのですか?」
「俺は赤い月を暗号に内通する者がいるようだと、隠密を行っていたまで・・・。とうとう出所を突き止め、この部屋へ参じたところ・・・」
「あー、待って。これは私に原因があります。筆頭幹部殿、申し訳ございませんでした」
俺の説明を遮るように平で制する先生は、項垂れながら額へ手をやり、溜息をついてみせた。
その声音には反省と、呆れに似た情が滲んでいる。訳も分からず立ち尽くしていると、「ちょっと来てください」と、暗闇の佇む廊下の先へと手を引かれていった。先を歩く彼女の姿に既視感があったが、今はそれどころではない。
訪れる人間の少ない部屋の一室へ招かれて、彼女は右に左に辺りを見回した。何者かに聞かれることを警戒している?それほどやはり怪しげなことなのかと、俺は先ほど失いかけた緊張を胸に、先生の言葉を待つ。
「筆頭幹部殿・・・赤い月について、貴方に教え足りぬことがありました。これは私の落ち度です」
「先生、赤い月とは何なのでござるか。あやつらは、昼にも青い月の晩にも、赤い月と口にしました。これが間者の隠言葉でないとすれば、一体?」
「・・・耳を貸してください」
手で囲いを作る先生に促され、俺は膝を折って屈みこむ。まるでその昔、コーガ様には内緒だと言いながら、二人の秘密を話すように。俺はふっと追憶に気をとられるが、彼女は一瞬躊躇したような様子を見せた後、密やかな声で、とうとう事実を打ち明けたのだ。
「女性の、月経症状についての隠語です」
「・・・」
「貴方には早いかと思い、女性の身体や性について、あまり教えませんでした。まさか私の怠惰がこの様な形になってしまうとは・・・」
申し訳なさそうに俯く先生に対し、俺はすっくと立ち上がって天井を仰いだ。言葉もない。そして立つ瀬もない。
「筆頭幹部として職務を全うする貴方に、もはや教えることは何もないと思っていましたが、・・・ごめんなさい」
「謝らないでいただきたい。貴女の言葉が、俺の傷を抉っていると、理解してほしいでござる」
「・・・後で彼女たちには謝った方が良いかと思いますよ」
「・・・御意に」
赤い月だけではない、文字や世の常識、団の心得、全てを優しく教えてくれたかつての師は、やはり未だ、俺の先生であった。
構成員の一人として武勲は上げずとも、俺の心の中では彼女の存在が特別で、コーガ様とも違う、貴い女性だ。その事実は幼少期から変わっていないし、これからもそうなのだろう。「もう先生と呼ばないで欲しい」と過去に言われた言葉が思い出されるが、きっとこのまま続いていく。筆頭幹部と敬される俺が、頭の上がらぬ、構成員。
「今更だけど、教えてあげましょうか?理解できる歳になったのだし」
悪戯気味に笑う先生の声が艶やかで、知らない一面を見た気になった。が、俺とて今は筆頭幹部として武功をたてている。このまま照れたように黙るのも、イーガ団を支える者として、面目が立たない。
結果「お願いつかまつる」と、ただ目を見て言葉を返した。「・・・冗談ですよ、スッパ君」と、先生はそっぽを向いて呟いた。
いや、冗談では無いのだが。ただ気恥ずかしさと徒労感を残し、俺のから騒ぎは静かに幕を下ろしたのであった。
このハイラルの地には、七日に一度、血のように赤い満月の昇る夜があった。
なぜ七日に一度なのか、なぜ赤いのか、なぜ厄災ガノンの魔力が満ちるのか、それは誰にも分からない。ただ一つ分かっているのは、赤き月光がこの世に満ちるとき、それは死に絶えた筈の魔物が復活するという、世にも不気味な事象が一度に起こるということだけだ。
魔物は、人を襲う。それに区別はなく、人に恐れられる我らとて同じこと。もちろん容易く手に掛けられる者などここには居ないが、屠れども意味がないとすれば話は変わる。知性の高い存在ではないものの、徒党を組まれては、俺とて分からぬ。
決して侮ってはいけない。赤い月の晩に出歩くなとは、世の理を教示してくれたかつての師が、俺の幼少期に何度も繰り返していた言葉であった。
不気味でおぞましく、人知を越えた事象とでも言うべきなのが、赤い月の晩に起こる黄泉帰りだったのだ。
「今宵、赤い月のようです」
イーガ団の詰所でその声を聞いたとき、俺はまさかと疑った。赤い月は一昨晩に上ったばかり。弾かれるように詰所の外へと飛び出し、月を見上げると、俺は訝しく首をひねった。いささかも赤い様子がなかったからだ。微かに掛けた月端の、ただの青白い面である。俺は尖った警戒心のまま暫く辺りを見回すが、どうやら何も起こらぬようだと、やり場のない勢いを燻ぶらせた。いざ詰所内に戻ったところで、さきの声を発した団員がどいつかも分からない。「どうしたのですか?スッパ様」と聞かれたが、「いや何も」と返すしかなかった。俺は狐にでも化かされたかと、その日は溶けた警戒心を胸に、詰所内を見回るだけであった。
このような不可思議な出来事は、この日ばかりに留まらなかった。続けて三度と、同じ要旨の言葉が聞こえたのである。
一度は真昼間に「赤い月です」
二度目は見回りの際に「赤い月が出ました」
三度目は青白い月を目の前にして「どうやら赤い月のようで…」
さすがにこうなっては違和感を覚えざるを得ない。赤い月とは、おそらく隠言葉なのだ。コーガ様擁するイーガ団に、複数の間者が入ったとしか考えられぬ。不届き者の侵入を許すなど、なんたる不覚。筆頭幹部の名折れ。俺は次こそ「赤い月」と耳にした際は、決して間者を逃さぬよう、敵を排斥する決意を新たにしたのだった。
そして、その日はやってきた。既に日は落ち、大きく欠ける弓張り月の昇る晩。団員らの寝所を過ぎようとした際、「赤い月が昇りました」と、俺は確かに耳にした。
「今、赤い月と申したでござろう。些か聞きたいことがある。共に来てもらおう」
即座に寝所へ押し入り、さきの発言をした構成員の一人に詰め寄る。おどおどとした様子がやはり怪しい。ずいと迫り、腕を取ろうかと思った瞬間、「スッパ様、これは、その」と、周囲の団員たちが、彼奴を庇うように間へ分け入ってくる。
なるほど、どうやらこやつら全てが内通者として、従犯関係にあるらしい。まさか寝所のひとつが全てが廻し者の手に落ちていようとは思わなかった。私的な空間だからと放置していた俺の落ち度である。この詰所内での殺生は御法度、とはいえ間者が判明したとあれば、多少手荒な真似もやむなしか。
「スッパ君待って!違います、誤解だから!!」
腕の仕込み刀に手をかけ、今まさに掃討せしめんとするところ、俺の行動を留めたのは聞き覚えのある声だった。まさかと信じられない心持ちで辺りを見回せば、寝所の奥、赤い月と放った構成員の後ろから、別の構成員服の者がやってくる。
「先生・・・なぜここに」
その人物は、俺を酷く動揺させた。
赤い月の不気味さ、おぞましさを幼少期の俺に説き伏せた「先生」が、間者共を庇うように背後へ彼奴等を隠し、俺の前へと立ちはだかったのだ。
まさか、幼少期の俺に優しく文字や世の常識を教えてくれていた先生が、赤い月を隠し言葉に内通する間者の一味であった?予想だにしない事実に眩暈がするようで、仕込み刀に伸ばした手先の力が抜けていく。
「スッパく・・・いえ、筆頭幹部殿こそ何故ここへ?ここが何処か、お分かりなのですか?」
「俺は赤い月を暗号に内通する者がいるようだと、隠密を行っていたまで・・・。とうとう出所を突き止め、この部屋へ参じたところ・・・」
「あー、待って。これは私に原因があります。筆頭幹部殿、申し訳ございませんでした」
俺の説明を遮るように平で制する先生は、項垂れながら額へ手をやり、溜息をついてみせた。
その声音には反省と、呆れに似た情が滲んでいる。訳も分からず立ち尽くしていると、「ちょっと来てください」と、暗闇の佇む廊下の先へと手を引かれていった。先を歩く彼女の姿に既視感があったが、今はそれどころではない。
訪れる人間の少ない部屋の一室へ招かれて、彼女は右に左に辺りを見回した。何者かに聞かれることを警戒している?それほどやはり怪しげなことなのかと、俺は先ほど失いかけた緊張を胸に、先生の言葉を待つ。
「筆頭幹部殿・・・赤い月について、貴方に教え足りぬことがありました。これは私の落ち度です」
「先生、赤い月とは何なのでござるか。あやつらは、昼にも青い月の晩にも、赤い月と口にしました。これが間者の隠言葉でないとすれば、一体?」
「・・・耳を貸してください」
手で囲いを作る先生に促され、俺は膝を折って屈みこむ。まるでその昔、コーガ様には内緒だと言いながら、二人の秘密を話すように。俺はふっと追憶に気をとられるが、彼女は一瞬躊躇したような様子を見せた後、密やかな声で、とうとう事実を打ち明けたのだ。
「女性の、月経症状についての隠語です」
「・・・」
「貴方には早いかと思い、女性の身体や性について、あまり教えませんでした。まさか私の怠惰がこの様な形になってしまうとは・・・」
申し訳なさそうに俯く先生に対し、俺はすっくと立ち上がって天井を仰いだ。言葉もない。そして立つ瀬もない。
「筆頭幹部として職務を全うする貴方に、もはや教えることは何もないと思っていましたが、・・・ごめんなさい」
「謝らないでいただきたい。貴女の言葉が、俺の傷を抉っていると、理解してほしいでござる」
「・・・後で彼女たちには謝った方が良いかと思いますよ」
「・・・御意に」
赤い月だけではない、文字や世の常識、団の心得、全てを優しく教えてくれたかつての師は、やはり未だ、俺の先生であった。
構成員の一人として武勲は上げずとも、俺の心の中では彼女の存在が特別で、コーガ様とも違う、貴い女性だ。その事実は幼少期から変わっていないし、これからもそうなのだろう。「もう先生と呼ばないで欲しい」と過去に言われた言葉が思い出されるが、きっとこのまま続いていく。筆頭幹部と敬される俺が、頭の上がらぬ、構成員。
「今更だけど、教えてあげましょうか?理解できる歳になったのだし」
悪戯気味に笑う先生の声が艶やかで、知らない一面を見た気になった。が、俺とて今は筆頭幹部として武功をたてている。このまま照れたように黙るのも、イーガ団を支える者として、面目が立たない。
結果「お願いつかまつる」と、ただ目を見て言葉を返した。「・・・冗談ですよ、スッパ君」と、先生はそっぽを向いて呟いた。
いや、冗談では無いのだが。ただ気恥ずかしさと徒労感を残し、俺のから騒ぎは静かに幕を下ろしたのであった。