1000字練習
失礼します、と声をかけて中へ入ると、見慣れた背中が振り返った。主君の前に座るのは、アジトの炊事場を守る飯炊き番だ。「幹部殿……」と潜んだ声に不安が漂う。部屋の中ほどへゆっくりと進み、彼女と主君・コーガの仮面とをそれぞれ見遣った。
「まあ座れ」と肘掛けに肘をついたまま、主君は鷹揚に指先を下に振る。声音が、どこか冷めた響きを伴っている。狼狽しながらも膝をついた幹部は、飯炊き番と仮面越しに視線を交わした。
「……俺様がなんでお前らを呼んだか分かるか」
つい先刻のことだ。『コーガ様がお呼びです』と、夕餉を食い終わったタイミングで部下から告げられた。業務中でもない時間にお呼びがかかることなど今までになく、それだけでも緊急の用事か、はたまたのっぴきならない事件があったことを思わせた。部下が死傷を受けたか、それとも間者がアジトに紛れ込んできたか──速足でやってきた先に内勤の飯炊き番が座していたのだから、そんな険悪な可能性など速攻で潰えたわけだが。
改めて彼女に視線をやると、飯炊き番の首が横に振れる。彼女にも思い当たる節がないらしい。
「いえ、俺達は、よく」戸惑いつつも進言すると、コーガは腕を組んで「ふぅーーー」と長い溜息を吐いた。牽制である。二人はその音の長さに肩を縮めた。
「お前らが二人揃って俺様に呼ばれたんだ。ちったぁ分かるんじゃねえか。なあ」
「えーと……補給業務のスケジュールについて……などですか」
その途端、コーガの仮面の一つ目がカッと見開かれ、幹部を睨みつけた。
「ちがわい! お前らのことで苦情がきてんだよ! 炊事場でイチャつきすぎだって!」
「い……」
「炊事場はお前らの部屋じゃねえ! 業務中に接吻とか抱き着くのとか乳繰り合うのやめろ!!」
まさか恋人と共に居る状態で、こうまで大音声に叱責されることなどあろうか。しかも「イチャつくな」とな。恥辱。思春期の男女なら「あらあらまあまあ」で済まされる若気の至りかもしれないが、彼らはれっきとしたアラサーである。それも片方は、イーガ団内でも地位を認められた幹部役だ。穴があったらしばらく出てきたくないものである。
今までのヤラカシを思い出し、飯炊き番は呻きたい気持ちであった。頭の先から足の先までを一気に冷や汗が伝い、末端に巡った血の所為で一度に顔が赤くなる。なにも言えず縮こまる。言えるわけがない。
「御言葉ですが、コーガ様」
しかし、隣の男は違った。
思ってもみない声にバッと顔を上げると、恋人は天井から吊られたような美しい背筋のまま、真っすぐに主君を見据えていた。
「俺達は確かに炊事場での逢瀬に準じてきました。それは認めざるを得ない事実です。しかし、訂正させていただきたい部分もございます」
「あんだ。言ってみろ」
「業務中に彼女と乳繰り合った覚えはございません」
静まり返った部屋に、凛とした声が微かに残響する。
返す言葉を失ったのか、面食らった様子のコーガの隙をつき、幹部はなお言い募った。
「俺も幹部の端くれ。団員の模範たる存在として、業務の最中に他へ見せられない姿は慎んでいるつもりです。彼女との触れ合いはすべて業務時間外でのこと。その上で人目に触れない場所として炊事場を選び、彼女との時間を過ごすことに、なんの瑕疵がありましょうか」
「それはつまり、業務中に目撃したという訴えが誤っていると、こう言いたいわけだな」
「はい。私的なやり取りは、せめて昼の休息時や業務終わりに交わすことを徹底しています」
幹部は、床に両の拳を置く。いよいよ演説に熱がこもる。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、やっと得られる憩いの時です。それでなくとも、膝を突き合わせて逢瀬を交わすことも儘ならず、どうにか一目見る時間を捻出しています。場所に関しては見過ごしていただきたく」
「確かに個室があるわけでもねえから仕方ないにせよ、堂々ととんでもねえこと言ってんな」
「コーガ様、どうか御慈悲を」
勢いに気圧されるように若干身を引いたコーガは、今度は飯炊き番へと視線を遣った。
「……お前の旦那はこう言ってるが、どうなんだ」
仮面の下で流れる冷や汗を感じつつ、飯炊き番は、ここ暫くのことを走馬灯のように思い起こす。
あの時口づけしたのは……お昼の休憩だったか。背後から抱きしめられたのは……業務が終わって酒の肴を準備しているときだったか。
正直言って、作業中にちょっかいを出された記憶しかないものの、よくよく考えればそのどれもが業務時間外であったような気がしてくる。
この男。まさか本当に?
飯炊き番は、清々しいほど決然として主君を見据える幹部を見遣り、それからコーガに向き直った。
■
総長室に一礼を残し、二人は並んで暗い岩廊下を歩いていく。
「いやまいった。お咎めなしだったから良かったものの、まさか逢引きを告げ口されるとは」
ため息交じりに呟く幹部。あれだけ堂々と言い放った彼だったとしても、どうやら主君からのお小言は堪えるらしい。
「……今度からほんとに……気をつけなくちゃいけませんね」との相槌に、しかし幹部は鼻を鳴らした。
「何言ってる。見られなきゃいいんだ。人が来たら止めるだけでいい」
「でも気配じゃ分からないから今回見られていたわけで……」
そこで飯炊き番はハッとする。
今まで、見られていることには気付いていた……?
「貴方、もしかして──」と顔を上げた瞬間だった。
「っ」
ぱっ、と仮面が掬われる。口元が冷たい空気に晒されたかと思った瞬間、視界を埋め尽くすイーガの仮面が、カツンとぶつかった。それから柔らかくて暖かい肉の感触。唇。触れるだけの口付けを落として、すぐさま離れていく。
悪戯気味の笑みをすぐに仮面に隠して、恋人は「ふふ」と肩を揺らす。
「見られてなければいいとのことだからな」
ではまた後でな、と言い残し、大きな背中が男部屋の方へ向かっていく。
飯炊き番は、感触の残る火照った唇に触れ、それから「もうっ」とせめての文句を吐き出した。
「まあ座れ」と肘掛けに肘をついたまま、主君は鷹揚に指先を下に振る。声音が、どこか冷めた響きを伴っている。狼狽しながらも膝をついた幹部は、飯炊き番と仮面越しに視線を交わした。
「……俺様がなんでお前らを呼んだか分かるか」
つい先刻のことだ。『コーガ様がお呼びです』と、夕餉を食い終わったタイミングで部下から告げられた。業務中でもない時間にお呼びがかかることなど今までになく、それだけでも緊急の用事か、はたまたのっぴきならない事件があったことを思わせた。部下が死傷を受けたか、それとも間者がアジトに紛れ込んできたか──速足でやってきた先に内勤の飯炊き番が座していたのだから、そんな険悪な可能性など速攻で潰えたわけだが。
改めて彼女に視線をやると、飯炊き番の首が横に振れる。彼女にも思い当たる節がないらしい。
「いえ、俺達は、よく」戸惑いつつも進言すると、コーガは腕を組んで「ふぅーーー」と長い溜息を吐いた。牽制である。二人はその音の長さに肩を縮めた。
「お前らが二人揃って俺様に呼ばれたんだ。ちったぁ分かるんじゃねえか。なあ」
「えーと……補給業務のスケジュールについて……などですか」
その途端、コーガの仮面の一つ目がカッと見開かれ、幹部を睨みつけた。
「ちがわい! お前らのことで苦情がきてんだよ! 炊事場でイチャつきすぎだって!」
「い……」
「炊事場はお前らの部屋じゃねえ! 業務中に接吻とか抱き着くのとか乳繰り合うのやめろ!!」
まさか恋人と共に居る状態で、こうまで大音声に叱責されることなどあろうか。しかも「イチャつくな」とな。恥辱。思春期の男女なら「あらあらまあまあ」で済まされる若気の至りかもしれないが、彼らはれっきとしたアラサーである。それも片方は、イーガ団内でも地位を認められた幹部役だ。穴があったらしばらく出てきたくないものである。
今までのヤラカシを思い出し、飯炊き番は呻きたい気持ちであった。頭の先から足の先までを一気に冷や汗が伝い、末端に巡った血の所為で一度に顔が赤くなる。なにも言えず縮こまる。言えるわけがない。
「御言葉ですが、コーガ様」
しかし、隣の男は違った。
思ってもみない声にバッと顔を上げると、恋人は天井から吊られたような美しい背筋のまま、真っすぐに主君を見据えていた。
「俺達は確かに炊事場での逢瀬に準じてきました。それは認めざるを得ない事実です。しかし、訂正させていただきたい部分もございます」
「あんだ。言ってみろ」
「業務中に彼女と乳繰り合った覚えはございません」
静まり返った部屋に、凛とした声が微かに残響する。
返す言葉を失ったのか、面食らった様子のコーガの隙をつき、幹部はなお言い募った。
「俺も幹部の端くれ。団員の模範たる存在として、業務の最中に他へ見せられない姿は慎んでいるつもりです。彼女との触れ合いはすべて業務時間外でのこと。その上で人目に触れない場所として炊事場を選び、彼女との時間を過ごすことに、なんの瑕疵がありましょうか」
「それはつまり、業務中に目撃したという訴えが誤っていると、こう言いたいわけだな」
「はい。私的なやり取りは、せめて昼の休息時や業務終わりに交わすことを徹底しています」
幹部は、床に両の拳を置く。いよいよ演説に熱がこもる。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、やっと得られる憩いの時です。それでなくとも、膝を突き合わせて逢瀬を交わすことも儘ならず、どうにか一目見る時間を捻出しています。場所に関しては見過ごしていただきたく」
「確かに個室があるわけでもねえから仕方ないにせよ、堂々ととんでもねえこと言ってんな」
「コーガ様、どうか御慈悲を」
勢いに気圧されるように若干身を引いたコーガは、今度は飯炊き番へと視線を遣った。
「……お前の旦那はこう言ってるが、どうなんだ」
仮面の下で流れる冷や汗を感じつつ、飯炊き番は、ここ暫くのことを走馬灯のように思い起こす。
あの時口づけしたのは……お昼の休憩だったか。背後から抱きしめられたのは……業務が終わって酒の肴を準備しているときだったか。
正直言って、作業中にちょっかいを出された記憶しかないものの、よくよく考えればそのどれもが業務時間外であったような気がしてくる。
この男。まさか本当に?
飯炊き番は、清々しいほど決然として主君を見据える幹部を見遣り、それからコーガに向き直った。
■
総長室に一礼を残し、二人は並んで暗い岩廊下を歩いていく。
「いやまいった。お咎めなしだったから良かったものの、まさか逢引きを告げ口されるとは」
ため息交じりに呟く幹部。あれだけ堂々と言い放った彼だったとしても、どうやら主君からのお小言は堪えるらしい。
「……今度からほんとに……気をつけなくちゃいけませんね」との相槌に、しかし幹部は鼻を鳴らした。
「何言ってる。見られなきゃいいんだ。人が来たら止めるだけでいい」
「でも気配じゃ分からないから今回見られていたわけで……」
そこで飯炊き番はハッとする。
今まで、見られていることには気付いていた……?
「貴方、もしかして──」と顔を上げた瞬間だった。
「っ」
ぱっ、と仮面が掬われる。口元が冷たい空気に晒されたかと思った瞬間、視界を埋め尽くすイーガの仮面が、カツンとぶつかった。それから柔らかくて暖かい肉の感触。唇。触れるだけの口付けを落として、すぐさま離れていく。
悪戯気味の笑みをすぐに仮面に隠して、恋人は「ふふ」と肩を揺らす。
「見られてなければいいとのことだからな」
ではまた後でな、と言い残し、大きな背中が男部屋の方へ向かっていく。
飯炊き番は、感触の残る火照った唇に触れ、それから「もうっ」とせめての文句を吐き出した。