2026/2月~3月(68~98)

 バナナ。それはイーガの民が愛する食べ物である。
 バナナ。それは古の先祖より愛されてきた甘き果実の名前である。
 ああ、バナナ。バナナ。それは長く太く、逞しいものの象徴として奉られてきたものである。

「俺のバナナが最近元気なくてよぉ」
 俺の。という一人称から察するに男である仮面の使徒が口にした、バナナ。先ほどもご紹介の通り、長く太く逞しい物の象徴として奉られることもあり、この時の彼が口にしたのは無論、男性器の暗喩としてのバナナであった。
 改めて説明するまでもなく、男性器を世に通用される言葉通りに発言するのは、下品極まりない行為である。女子供が聞けば蔑みの視線をくべられるであろうし、たいして親しくもない男相手に使ったとしても、「TPOも弁えられねえのかこいつは」と白い目を向けられるであろう。イーガでは一つ目の白い面を装着しているわけであるから、慣用句的表現ではなく、物理的な事象として確実に。
「まじか、実は俺のバナナも最近ご無沙汰でな」
 しかしご安心あれ。人の近辺を探ったり人の寝首を刈ったりと、まるきり行儀の良い奴輩ではないにせよ、恥も外聞もなく下ネタを口にするのだから話し相手は仲良しの男団員である。
 加えて提供なすったのは同じく男性器としての象徴バナナ。彼も同じように話題へ乗っかってみせたのは、悪乗りとしか言いようのない挙動であった。
 バナナの話題に乗る。いわゆるバナナボートコミュニケーションである。
 彼らが現時で従事しているのは、イーガ史上もっとも暇を持て余すアジトの警邏であった。その最中に口へ出されたイチモツバナナの話題は、話の接ぎ穂以上の意味になる素振りはない。そもそも、特に目的もなく口へ出された話題であった。しんと静まり返った廊下を静かに歩きながら、二人の構成員はむずむずと口元が緩んでくるのを感じ取った。
「俺のバナナが最近元気なくてよぉ」「まじか、実は俺のバナナも最近ご無沙汰でな」だと。ひたひたと足袋で踏みしめる砂粒を感じつつ、二人の頭の中に今しがたのやり取りが巡る。
「ぶっ」
「ぶわはははははッ」
 耐えきれず噴き出したのは、ほとんど同時であった。
 張りつめた緊迫感に一つの穴が開けば、そこから空気が抜けていくのはすぐだ。薄暗い岩廊下に、二人の騒がしい笑い声がわんわんと反響していく。
「やめてくれよ急にバナナが元気ないとか! 一瞬なんのことか考えちまっただろ!」
「お前だってバナナがご無沙汰とか、最近食ってねえのかなって思っちまった! 分かりづらい下ネタやめろよ!」
「先に言ったのお前じゃアねえか! 股間のバナナの話してんだから、そりゃソッチの話に決まってんだろ!」
「いやいやだってご無沙汰って! バナナが! ご無沙汰って! ぶふっ」
 バナナバナナ。廊下に響くバナナの合唱。これが純粋に、食物としてのバナナを示唆しているのであれば良かったのだ。
 さてご照覧あれ。たいして親しくもない男相手に、バナナをイチモツに挿げ替えたらどうなるか。その相手がバナナを信奉していたらどうなるか。
「お主ら!! 少し黙らんかッ」
 鼓膜を劈かんばかりの怒声が背中に落ちる。ビビクッ、と二人で肩を跳ねらせて、髪の毛を振り乱しながら二人は振り返った。
 まず目に入ったのは壁。いや、自らに影を作る壁のような肉体だ。まるで双子山の崖あいを歩くときのような圧迫感にゆっくりと視線を持ち上げていくと、天を衝かんばかりの上背から更ににょっきり伸びる二股の黒髪が目に入る。イーガの中でもナンバーツーを担う筆頭幹部、スッパその人であった。
「す、スッパ様・・・!」二人の構成員は弱り切った声で肩を寄せる。普段は落ち着き払ったナンバーツーがこうまで声を荒げるところを、あまり目にしたことがない。
「お主ら、警邏の際中であろう! それをこのようなところで駄弁を弄し、あまつさえツルギバナナを下ネタに言い換えるなど言語道断ッ」
 ダンッ、と足を踏み鳴らす音に、ひっ、と構成員が抱きあって震える。
「恥を知るでござるッ!」
 スッパの鶴の一声に、ごめんなさーいと構成員が蜘蛛の子を散らすように去っていく。まったく。スッパは音もなく遠ざかる背中を見送り、溜息を吐いた。
「あんだぁ、なんかやけにはしゃいでたみてえだが」
 総長室へ戻ると、もう既にできあがっているコーガが、後ろ手をつきながら猪口を掲げた。へべれけである。スッパは、主君の晩酌に付き合っていたのだ。
「いえ」と口にするのも憚る下品な話題を頭の奥へと片付けて、彼の真正面に膝をつく。「イーガの民として、指導をしたまででござる」
 コーガは酒を舐め、それから一度、大きなしゃっくりで返事した。
「お前、圧が強いんだからよお。ちょっとくらい見逃してやんのも寛容だぞぉ? 俺様より随分デカいんだから」
「は・・・肝に銘じるでござる」
「デカい、といえば、このバナナ見てくれよ、この一本だけやけにデカいんだ」
 背後から取り出したのは、つやつやとした立派なツルギバナナが一本。確かに太くて長くて、たくましい。
「確かに、立派でござるな」感心したのも束の間、スッパは言葉を失うことになる。
 そうだろそうだろ、と頷きながら、コーガはおもむろに、そのツルギバナナを所定の位置に誘った。
 諸姉らにはご想像の通りであろう。股間である。
「俺様のバナナはでけえぞ! こんくらいは余裕であっからなあ!」
「は・・・」
 スッパは固まった。息を漏らしたような中途半端な声を出して、ただ呆然と。
 乾いた空気をどうすることもできず、その後はただ、主君の笑い声を耳で受けるだけだった。

 バナナ。ああバナナ。それはときに、主君との絆にヒビを入れる、悪魔の言葉となりうるのである。
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