2026/2月~3月(68~98)
見ちまった。嫌なものを見ちまった。
動く度に光沢を放つ黒髪と、ぴっと伸びた背筋が俺の視線を捉えて離さない構成員──あの子だ。あの子が来たってのは、部下との模擬戦中でもすぐに分かった。それはいい。
鍛錬場の隅に佇んだ彼女の真ん前に、見知らぬ団員が一人突っ立ってる。体格からしておそらく男。お互いに直立不動で見つめ合ってなにやら喋っているようだった。
やがて男は、懐に手をいれた。取り出したのは平べったくて赤い・・・書簡だ。イーガ団内でもよく使われてる、見慣れたやつだ。それを両手で恭しく持って、頭を下げながらすっと突き出して。彼女は、一度胸の前で手を合わせるように握ってから、それを受け取った。
あれは、なんだ。 密書? なんで彼女に?
男は、逃げるように鍛錬場の戸を抜けていく。彼女は佇んだまま廊下の奥を眺めて、男の背中を見送っているらしかった。暫くしてから手の中へ収まったそれに視線を落として懐にしまう。やけに大事そうに、慎重に。胸元を押さえて俯くのは、まるで奮った心を落ち着ける仕草に見えた。
────ラブレター?
唐突に浮かんだ4文字。その瞬間、火種に油を注いだみたいに腹から熱が迸った。かと思えば悪寒が背中を伝って、暑いんだか寒いんだか分からない。
そしてそれは決して、模擬戦中にやってはいけない、注意の散漫だった。
「あいでッ」
「だ、大丈夫ですか! 幹部殿!?」
部下の振り下ろした模造刀が脳天に直撃し、俺は星の散る天井を仰ぐことになったのだった────。
我ながら阿呆だと思う。想い人に意識を取られた結果、部下から一本取られるなんて。
相手の部下からはぺこぺこ謝られた。他の団員もわらわら集まって心配されて、挙句こうやってアイスチュチュゼリーを頭に乗せて休憩してるんだから居たたまれない。彼女も来てるってのに、こんな姿を見せるなんて。
隅に置かれた木箱に座りながら、鍛錬の様子を眺めるしかない。みんな黙々と剣を振ったり矢を射ったり、鍛錬してるとは思えないほど静かなもんだった。
そんな中で自然と視線がいくのはもちろん彼女だ。弓を引く後姿は相変わらずの美しさ。しかしその懐には、さっき妙な雰囲気の男に渡された、秘密の手紙が入ってる。
・・・あれにはなにが書いてあるんだろうか。ずきずき痛む頭でぼおっと考える。
シンプルに「好きです、付き合ってください」とか。いやもっと熱烈に、動く度しなやかに踊る黒髪に目を奪われることとか、毎日のひたむきな様子に心を打たれてもう後には戻れないこととか。それはいつも俺が彼女に伝えている言葉か。いや、でも同じようなことが書かれている可能性は充分にある。きっと耳で聞くのと、文字にして目で読むのとでは印象も違うだろう。彼女は、どちらに心を揺らされるのだろうか。控えめで深慮な人だから、もしかすると文字でじっくり読んだ時の方が衝撃が大きいかもしれない。
俺もすれば良かった。そんな方法をライバルから気付かされるなんて、俺はなんてバカなんだ。
「珍しいですね、幹部さんが模擬戦で一本取られるなんて」
鍛練が終わり、彼女からかけられた第一声がそれだった。
俺が紡げたのは、「ちょっとな」という曖昧な一言だけ。恋人でも、友人でもない俺が彼女のプライベートに踏み込み過ぎるのはお門違いもいいとこで、聞きたいことを聞けば「なんでそんなこと幹部殿に言わなければいけないのですか」とドン引かれかねない。そうなれば、今までに築いてきた関係性がおじゃんだ。俺は、口の先に出ようとする手紙への興味を、頬肉と共に噛んで戒めた。
悔しいが、ライバルの登場は当然あって然るべき事態だった。彼の工夫を凝らしたアプローチは称賛に値するし、これで彼女が手紙の言葉で恋に落ちるのであれば、潔く俺は諦めるべきなのだ。そうするしかないのだ。悔しいが。本当は嫌だが。
そんな覚悟と共に見て見ぬふりした手紙の存在だったが、見て見ぬふりを許してくれなかったのは手紙の方だった。
なぜか次の日も、その次の日も、件の男団員は彼女に手紙を渡した。決まって鍛錬場の隅でだ。恭しく両手を添えて差し出される手紙を、彼女は神妙な様子で受け取っていく。
「なあ・・・それは一体何を渡してるんだ」
質問したのは、男が彼女に6枚目の書簡を渡したときのことだった。
二人してはたりと俺のことを見上げてくる。
「え?これですか?」と、どうやらピンと来ていないようだ。
「毎日密書を交わしているだろう。さすがにこれでは、鍛錬場の幹部として俺も問わざるを得ない。個人的なものであるなら・・・俺の目の届かないところでやって欲しいんだが」
彼女は手紙を持った手で、はたはたと横に扇いでみせた
「密書・・・? 違いますよ、これは帳簿をつけてほしいと頼まれてるだけです。お仕事です!」
仕事?・・・ラブレターではない?
「よ」
良かった・・・。天井を仰いだ俺の耳を、「幹部さん?」と訝し気な声が撫でていった。
動く度に光沢を放つ黒髪と、ぴっと伸びた背筋が俺の視線を捉えて離さない構成員──あの子だ。あの子が来たってのは、部下との模擬戦中でもすぐに分かった。それはいい。
鍛錬場の隅に佇んだ彼女の真ん前に、見知らぬ団員が一人突っ立ってる。体格からしておそらく男。お互いに直立不動で見つめ合ってなにやら喋っているようだった。
やがて男は、懐に手をいれた。取り出したのは平べったくて赤い・・・書簡だ。イーガ団内でもよく使われてる、見慣れたやつだ。それを両手で恭しく持って、頭を下げながらすっと突き出して。彼女は、一度胸の前で手を合わせるように握ってから、それを受け取った。
あれは、なんだ。 密書? なんで彼女に?
男は、逃げるように鍛錬場の戸を抜けていく。彼女は佇んだまま廊下の奥を眺めて、男の背中を見送っているらしかった。暫くしてから手の中へ収まったそれに視線を落として懐にしまう。やけに大事そうに、慎重に。胸元を押さえて俯くのは、まるで奮った心を落ち着ける仕草に見えた。
────ラブレター?
唐突に浮かんだ4文字。その瞬間、火種に油を注いだみたいに腹から熱が迸った。かと思えば悪寒が背中を伝って、暑いんだか寒いんだか分からない。
そしてそれは決して、模擬戦中にやってはいけない、注意の散漫だった。
「あいでッ」
「だ、大丈夫ですか! 幹部殿!?」
部下の振り下ろした模造刀が脳天に直撃し、俺は星の散る天井を仰ぐことになったのだった────。
我ながら阿呆だと思う。想い人に意識を取られた結果、部下から一本取られるなんて。
相手の部下からはぺこぺこ謝られた。他の団員もわらわら集まって心配されて、挙句こうやってアイスチュチュゼリーを頭に乗せて休憩してるんだから居たたまれない。彼女も来てるってのに、こんな姿を見せるなんて。
隅に置かれた木箱に座りながら、鍛錬の様子を眺めるしかない。みんな黙々と剣を振ったり矢を射ったり、鍛錬してるとは思えないほど静かなもんだった。
そんな中で自然と視線がいくのはもちろん彼女だ。弓を引く後姿は相変わらずの美しさ。しかしその懐には、さっき妙な雰囲気の男に渡された、秘密の手紙が入ってる。
・・・あれにはなにが書いてあるんだろうか。ずきずき痛む頭でぼおっと考える。
シンプルに「好きです、付き合ってください」とか。いやもっと熱烈に、動く度しなやかに踊る黒髪に目を奪われることとか、毎日のひたむきな様子に心を打たれてもう後には戻れないこととか。それはいつも俺が彼女に伝えている言葉か。いや、でも同じようなことが書かれている可能性は充分にある。きっと耳で聞くのと、文字にして目で読むのとでは印象も違うだろう。彼女は、どちらに心を揺らされるのだろうか。控えめで深慮な人だから、もしかすると文字でじっくり読んだ時の方が衝撃が大きいかもしれない。
俺もすれば良かった。そんな方法をライバルから気付かされるなんて、俺はなんてバカなんだ。
「珍しいですね、幹部さんが模擬戦で一本取られるなんて」
鍛練が終わり、彼女からかけられた第一声がそれだった。
俺が紡げたのは、「ちょっとな」という曖昧な一言だけ。恋人でも、友人でもない俺が彼女のプライベートに踏み込み過ぎるのはお門違いもいいとこで、聞きたいことを聞けば「なんでそんなこと幹部殿に言わなければいけないのですか」とドン引かれかねない。そうなれば、今までに築いてきた関係性がおじゃんだ。俺は、口の先に出ようとする手紙への興味を、頬肉と共に噛んで戒めた。
悔しいが、ライバルの登場は当然あって然るべき事態だった。彼の工夫を凝らしたアプローチは称賛に値するし、これで彼女が手紙の言葉で恋に落ちるのであれば、潔く俺は諦めるべきなのだ。そうするしかないのだ。悔しいが。本当は嫌だが。
そんな覚悟と共に見て見ぬふりした手紙の存在だったが、見て見ぬふりを許してくれなかったのは手紙の方だった。
なぜか次の日も、その次の日も、件の男団員は彼女に手紙を渡した。決まって鍛錬場の隅でだ。恭しく両手を添えて差し出される手紙を、彼女は神妙な様子で受け取っていく。
「なあ・・・それは一体何を渡してるんだ」
質問したのは、男が彼女に6枚目の書簡を渡したときのことだった。
二人してはたりと俺のことを見上げてくる。
「え?これですか?」と、どうやらピンと来ていないようだ。
「毎日密書を交わしているだろう。さすがにこれでは、鍛錬場の幹部として俺も問わざるを得ない。個人的なものであるなら・・・俺の目の届かないところでやって欲しいんだが」
彼女は手紙を持った手で、はたはたと横に扇いでみせた
「密書・・・? 違いますよ、これは帳簿をつけてほしいと頼まれてるだけです。お仕事です!」
仕事?・・・ラブレターではない?
「よ」
良かった・・・。天井を仰いだ俺の耳を、「幹部さん?」と訝し気な声が撫でていった。