1000字練習

 幹部が縫製室を訪れた折、新人針子が「あっ、ちょうど良いところに!」と顔を持ち上げた。
「台座さん、私、個人的に頼みたいことがあって! いいですか?」
 個人的に。なんと甘やかな響きだろうか。そんな男心をくすぐる言葉を、まさに懸想している相手から言われて断るにべはない。幹部という立場なりに「なんだ、言ってみろ」と二つ返事を返せば、既に懐をゴソゴソと弄っていた彼女が「これなんですが」と何かを取り出す。
 封の切られた手紙だった。臙脂色の封筒に、シーカー族の印が入った封蝋。団内で利用される書簡の風貌をしている。
「さっき、食堂でたまにお話する団員さんから貰ったんです。でも私、字を読むのがあまり得意じゃなくて……何て書いてるか分からないんです」
「それを俺に読んで欲しいと?」
「はいっ、お願いします!」
 このとき、幹部は他人様の手紙を読むことに対して、多少なりとも拒否感を持つべきだった。驕れる者久しからず。イーガにやってきて日の浅い彼女が、まず自分のことを頼ってくれた事実を享受するべきではなかったのだ。
「しょうがないな」と断りながら受け取ると、彼女は頬を緩めて感謝の言葉を並べた。もちっとした頬の桜色に一瞬鼻下を緩めつつ、幹部は咳払いして、封筒から手紙を取り出した。
 紙面いっぱいに広がっていたのは、つらつらと書かれた墨文字。かなりの癖字だ。確かにこれでは、字を読むのが苦手なら難読だろうと思い至る。
「……これは、いささか……」
「ありゃりゃ、台座さんでも無理ですか……先輩なら読めるかなぁ。困ったなぁ」
「いや、癖字で読みづらいだけだ。ちょっと待っていてくれ」
 分かりやすく困った声を出すものだから、幹部は鼻息荒くなんとか解読を進める。が、どうやら自分がそうしない方が良かっただろうことに、この段階で気付いてしまった。
『食堂でいつも美味しそうにおにぎりを頬張る君のことが気になっている。できれば仲良くなりたいが、自分は普段アジトから離れている身。なので、せめて手紙のやり取りをしたいと思っている。色よい返事を待っている。』
 ……文通仲間の募集? いやそんなわけあるか。これはれっきとした恋文だ!
「どうですか? 台座さん。何が書いてあるか分かりましたか?」
「いやっ」と咄嗟に返した声が裏返る。ん、んん! と大仰に咳ばらいをしてから「なんでもない」と返すが、そんな反応をしておいて「なんでもない」ことあるわけない。
 改めて間近で睨むが、何度読み返したところで、一度恋文だと認識したその内容は覆されなかった。なんだ「仲良くなりたい」って。なんだ「せめて手紙のやり取りをしたい」って。下心が出すぎじゃないのか、ふてぶてしいやつめ。
 しかし困ったのは、針子が手紙の内容を知りたがっているということだ。何かと前向きな娘であるし、きっと「嬉しい~! 私も仲良くなりたかったんですぅ!」とかなんとかいって、知らない男との秘密のやり取りが始まるに違いなかった。それは正直、自分の心に嘘偽りなく答えて良いのなら、阻止したい。
「台座さん?」
 下から自分を見つめてくる丸い瞳。幹部は奥歯を噛んで頭を巡らせる。彼女に嘘を伝えて、手紙男の思惑をぶち壊しにするのは簡単だろう。しかし良いのか。たまたま巻き込まれた形で彼女のプライベートに踏み入っただけの自分が、たまたま掴んでしまった権威を振りかざし、彼女の生活を捻じ曲げてしまっても。彼女はこのイーガで、友人を欲しがっていた。その芽をこんな形で摘み取ってしまって、本当に良いのだろうか。
 彼女に、嘘を吐く、なんて。
 ややあって、幹部は折り目に沿って丁寧に手紙をしまい、彼女へ差し出した。
「……この手紙をお前に渡したやつは、お前との文通をご所望だ。仲良くなりたいんだと」
「えっ、私と? 文通ですか? 仲良くなりたくて?」
「ああ、あまりアジトに居ないから、手紙でやり取りをしたいんだと書いてある」
 針子は、手の中に収めた臙脂の封筒を見つめた。それから大袈裟な動きで腕組みをして、「うーん」と唸った。
「嬉しいんですけど……お手紙かぁ……どうしよう」
 幹部の想像と若干違う反応である。てっきり二つ返事を返すのかと思っていたが、聞けば「字が書けないから文通はちょっと」とのこと。
 よく考えれば、読めないのだから当然といえば当然の結末だ。空回りして疲れたやら、ほっとしたやら。
 針子は眉を八の字にしたまま続ける。
「それに、お喋りの方が好きなんです。すぐ仲良くなれる気がするし」
「お前なぁ、我らは同胞というだけで、友達候補というわけじゃない。仲良くするためにペチャクチャされるのも、隠密の人間としてはだなぁ」
「でも、台座さんとはお喋りで仲良くなりました! 仲良くなって、今助けてもらってます! 実績ありです、私のショセージュツです!」
ずい、と迫られ、幹部は身を引く。
「スムーズなコミュニケーションって大事! って、思いませんか? お手紙だったら、台座さんとここまで仲良くなってないです、きっと!」
 ぐうの音も出ない。まさにその通りだろうと思ったからだ。
 幹部は華奢な圧迫感に気圧されるまま仰け反って、最後に弱く弱く「そうだな」と呟いた。
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