1000字練習


 ハテールに存在する隠れ家へ帰った折、留守番をさせている家政婦の様子がおかしかったのは、気のせいなどではありませんでした。
 脱いだ外套を引き取っていった女が改めて私の前にやってきて、立ちんぼとなって。どことなくそわついて見えるのは、私から何事かを言われるのを待っているようだ。しかし何も思いつくことがなく、私は至って真面目に「水の溜められる桶でもありますか」と言いました。
「桶ですか? 水の溜められる」
「ええ、花が枯れないように入れておきたいんです」
「だったら花瓶がありますよ。花ならそちらの方がいいでしょう?」
「どうせ明日には持って行くんです。桶で充分ですよ」
 そうまで言うと、それまでらんとしていた女の瞳が俄かにくすみました。
「明日持って行く・・・?」とオウム返しにされたので、束ねて持っていたそれを彼女に向けて持ち上げます。
 色とりどりの野花をまとめた花束。今日の帰り道で摘んできたそれらは、大きさといい色合いといい、我ながら良いバランスになったと自負しています。中でもとびきり運が良かったのは、最近はあまり見かけないヒメシズカを混ぜ込めたことでしょうか。
「明日会いに行くのは女性ですから。花があれば話が早いもので」
 花という道具は実に都合が良い。もったいぶって背中から取り出せばパッと瞳を輝かせ、花弁の瑞々しさを女の瞳や肌に重ねて口説き落とせば、夢見がちな声ですぐさま手を取ってくるのだから。
「なので、できれば裂き布か、端切れの一枚でもありませんか。少しでも豪奢にして見せたいのですが」
 顔を上げた折、私は首を捻りました。彼女の表情が、まるで殺したばかりの死体でも見るように無味乾燥としている。
「どうしたのです、そのような顔をして」
「・・・別に」
 なんとまぁ気のない返事じゃありませんか。いつもは従順な女です。そのままぷいと踵を返すのも、言葉なくこちらへ異を唱えているように見えました。「なんです、言ってごらんなさい」と立ち上がれば、女は背中を向けたまま、僅かに鼻先を覗かせました。
「・・・は、・・・のに」
 随分不明瞭な声。こうなると面倒なのが正直なところです。溜息を吐いてから「なんです」と促せば、彼女から小さく息を吐く音が聞こえました。
「・・・私は、貰ったことないのに」
 貰ったことがない。なんのこと、と思い返してみて、はたとなりました。そういえば確かに、この女に花を渡したことはないかもしれない。ただそれは、”花は”というだけのはずなのに。
 その辺りで摘んだ花より、この女にはよっぽど金のかかった物だって渡したことがある。にもかかわらず、こんな野の花の一つや二つでむすくれていると?
 彼女の肩を見て、その突き放してくるような意固地さに肩を竦めました。この女は、私たちが業務の一環で一緒になっているだけだと、理解していないのではないか。
 視線をちらと落とすと、未だ水一滴にすら浸かれていない花々は、それでも夕方の陽を浴びて健気に咲いています。単なる道具であるはずなのに、美しく。
「貴女は、全く」
 大きくため息を吐き、私はひとつの花を抜き出しました。
 彼女の首の横から目の先に差し出したのは、青と白の花弁を持つ今回のお気に入り。
「今はこれで我慢なさい。今度貴女に見繕ってきますから」
 暫く微動だにしなかった彼女。しかし、ややあって彼女は、一輪を引き取っていきました。
 掬うように花弁を包み込んだその姿は、まるで何かに祈りを捧げるようだ。
 肩越しに覗いた口元が、静かに持ち上がったのが見えました。
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