1000字練習
業務が始まった朝の時刻。門を開け放ち、空気の籠った玄関に風を通すのは門番として、俺の日課のようなものだった。谷間から覗く朝凪の澄んだ空が妙に美しく見えて、なんとはなしに外へ出た。
これから一日が始まっていく。うーんと唸りながら大きく伸びをしたのは、胸が透く様な開放感に抗えなかったからだ。
すると、崖の上の方に何か引っ掛かっているのが見えた。あれは? 体制を立て直して目を凝らせば、徐々に陽射しが影を明かすように形を変えていく。
それが照らされ、紫色の花弁を有した植物であると分かった瞬間、俺は「ああ」と思わず声を漏らしていた。
ゴーゴースミレだ。酷い乾燥地帯だろうと極寒の雪山だろうと、構わずに根を生やす生命力の強さが特徴的な花。崖際にしか芽吹かないので入手は困難を極めるが、香りが良いだけでなく薬草としても珍重され、行商人に売れば良い金になる。
もちろんこの辺りでも採れることは分かっていたが、なにも暗殺集団の根城に生えなくたっていいものを。
「・・・花か」
そういえばこの前、バナナ売りが「女はとかく花好きが多い」と言っていたのを思い出した。女房のご機嫌取りによく摘んで帰るんだと。
あの花を針子に渡したら、あいつも嬉しがってくれるんだろうか?
剥き出しの地層壁に咲く一輪の花。じっと見つめて、よくよく考えた。徐々に青が強くなっていく空に、シマオタカの小さな影が浮いている。
そうして俺は、足先を玄関へと向けた。一歩踏み出してから二歩目を出すのは難しいことではなかった。
女が花好き? あいつがそうであるという保証はないし、たかが野草のために崖を登るのもばかばかしい。大体そんなことをして、どうなることを期待してるというのか。
さ、仕事だ仕事。ガチャンと門を閉めた時点で、俺の悩みは断ち切られたはずだった。
なぜか次の日も、その次の日も、俺は朝になると伸びをしに外へ出た。
未だ夜を湛える空を仰ぎ、腰や肩回りを伸ばすついでにチラと視界に入れる。・・・まだある。そして同時に頭へ巡るのは、あいつに渡したらどうなるだろうかという予測のつかない想像。
登るか。いや、阿呆らしい。しかし、渡したら喜ぶだろうか。いや、そんな急に渡しても。
走馬灯のように頭の中を駆け巡る間じっとして、それから伸びを終える。足先を門の方へ。ただただ朝の空気を全身に浴びた一人の幹部として。
ある日アジトへ戻る道中、冒険者に扮した二人組の団員とすれ違った。奥を見遣ればバナナ売りが立っている。どうやら門の開閉を代わりに担ってくれたらしく、片手を挙げて合図すれば、彼も一瞬手を上げ、それから引っ込んでいった。
アジトへ入る寸前だ。「あーっ!」という声に、俺は思わず足を止めていた。
「あそこ見ろよ!ゴーゴースミレがある!」
さっきの二人組だ。崖上を指さしてる。
「せっかくだから採取してくか? あっても困らねえし・・・弓で射ってみるか。当たるかな」
背中に負っていた弓に矢を番え、片一方がギリギリと弦を伸ばした。照準をつけて、今にも手を離そうと、呼吸を止めて──。
「ま、待て!」
気付けば声をかけてしまった。
「あれは俺があいつに・・・、いや医療班に持って行こうと思ってたところだ!! すまないがそのままにしといてくれないか」
我ながらなんという単純な嘘を。しかし団員は弦を掴む手を緩め、「あ、そうなんすか?」と顔を見合わせる。
「そう、そうなんだ。すまんな、あれを集めるのはなかなか苦労するから」
彼らは気にしないでくださいよ、と手を振りながら、そのままカルサーの坂を下っていった。
俺は、彼らの姿が見えなくなるまでその場に突っ立った。そして完全に坂の下へと消えたのを見届けて、崖を猛然と登り始めた。
完全に姿を現した太陽が、俺の背中を煌々と照らす時刻のことだった。