1000字練習



「かあさま、それって?」
 蔦を撚る家政を手伝っていた少女は、母が持ってきた物を見て、思わず手を止めた。
 井戸に水を汲みに行くといって、ほんの少し前に外へ出ていった母。帰ってきた彼女の手には、行く前には影も形も無かった一株の花があった。
 青白い袋状の花が、茎から幾つも垂れさがって実る野花──シノビ草だ。
 素朴な見た目だが、暗がりではそれまでに吸収していた陽光を放出する性質のこれは、夕方になると幻想的な空間を作り出す。なんでもどこかの山には群生地があるとの噂だが、家の周囲を飛び回る蛍のおかげで、少女の興味はさほど強くなかった。
 食べられないわけではないが決して味の良いものでもなく、加えて母の手に収まるそれはたったの一株だ。7人で過ごす家族の胃袋を満たす量じゃない。兄も姉も学校へ出払っていて手持無沙汰の今、突如として現れたシノビ草の出所を、少女が訪ねないわけにいかなかった。
「これ?」と軽く持ち上げてみせた母は、露骨に肩を竦めてみせた。
「父様がくれたの。ついさっき」
「急に? なんでくれたの?」
「ほら、昨日すっごく遅かったでしょう? お詫びのしるしなんだって」
 口の片一方だけを吊り上げる母の顔に、少女は言わんとするところを理解し「あー・・・」と頷いた。
 母子と離れ、他の地方で仕事に就く父が家へ帰宅するのは、数十日に一度のことだ。父が昨晩帰ってきたのは、母子が既に床へ入った後・・・日を跨いだ深更であった。
 それだけならば良い。暖炉も既に消えた家の中で冷えた身体を暖めるため、一人で晩酌を始めたらしい。家人が朝になってリビングへ集まった折、酒を抱えて机に突っ伏する父の姿に母の雷が落ちるのは当然であった。
「父様、いっつもソレだね。母様の好きなお花なんだよね」
 前回、父が母にシノビ草を贈ったのはいつだったか。確か、ベッドにダイブして下の板を壊したときだった気がする。
 父は、なにかと母の怒りを買うとシノビ草を見つけてきては贈り物にする癖がある。いつの日か父から「母様が好きな花」として、この素朴な花を紹介されたことを、少女はしっかりと記憶していた。
 机に花瓶を置き、対面の椅子に座った母も「そうだね、確かに」と頷く。そして次に続いたのは、少女にとって少々意外な「でも」という否定の言葉であった。
「実は・・・ちょっと違うんだよ。シノビ草が好きだってこと」
「違うの どういうこと?」
「最初は、別にそこまで好きじゃなかったの。シノビ草」
 母の言葉に目を丸くした。「そうなの? なんで好きになったの?」と身を乗り出したのは俄かに認められなかったから。だって口数の少ない父が、あんなに自信満々だったのに?
膝をついて姿勢を崩しながら、母はころころした花弁を指先で少しつついた。
「母様がまだ父様と一緒にお仕事をしてるときの話なんだけどね」
「うん」
「母様の生誕日にね、プレゼントしてくれたの」
「うんうん」
「父様が、お仕事してるときに目に入ったんだ、っていって。だから好きになったの。シノビ草」
 思い出すように紡がれた母の声は、とても穏やかだった。
 少女は母の言葉をうーんうーんと唸りながら頭の中で咀嚼して、「じゃあ、ツルギ草を貰ってたら、ツルギ草が好きになってたの?」と問い直す。
 すると、母は少女のような顔で、ふわりと笑った。
「今でも、父様が持ってきてくれたんなら、それがなんでも好きだなって思うよ」
 なんの混じりっ気のない声で、ストンと言うものだから。
「ふふっ」
 少女もつられて笑った。
「母様ってチョロいね」
「どこで知ったの。チョロいなんて言葉」
 窘めるように琥珀色の瞳が細められる。てへへと少女が舌を出した、その時だった。
「ただいま」と、木扉の開く音と共に、父の低い声。
 母と少女は二人そろって「おかえりなさーい!」と振り返った。
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