2026/1月(38~67)

 鈴の音を転がすような声。と、最初に表現した人間は、なんと妙趣に富む人間なんだろうかとしみじみ感じ入る。初めてその言葉を聞いたときこそ首を捻ったが、今となってはよく理解ができる。
 鈴なのだ。耳の中に響く澄んだ音が、りんりんと高いからだけではない。僅か動くだけでも繊細な音が鳴るように、表情が移り変わる度に漏れ出るあどけないその声が、すとんといつだって俺の耳の中へと飛び込んでくるのだ。
 それに彼女の澄んだあの声は、どこにいたって自然と視線が誘われる。私を見て、と言われている気になってしまう。あれは正に、呼び鈴に違いなかった。
 りんりん。りんりん。誰が揺らさなくても、風に吹かれたわけでなくとも、鈴の彼女は勝手にひとりで転がっていく。華やかに。軽やかに。そうしていつまでも。胸に訴えてくるような音を鳴らし続ける。
 ので。
「すまん・・・少し静かにしといてくるか」
 文机から視線を上げると、それまで横でりんりんと舌を転がし続けていた針子が、口をあっと開いたまま固まった。寝る前の、業務日誌に向き合う時間のことだった。
 彼女は喋るのが好きだ。部屋で二人きりとなると「台座さん、あのねあのね」と途端に今日一日の出来事を言い連ね始める。普段は小さく相槌を打ちながらも筆を進めるのだが、生憎というもの、今日は書き留めておきたいことが山のようにあった。彼女の鈴に呼ばれながらだと、いつまでたってもこれが終えられない。
「少し集中したい。暫しの間で良いから。・・・すまんな」
 頭を柔く撫でつけると、解かれた黒髪は風呂上がりでしっとりしていた。針子はこそばゆそうに瞳を細めてから、唇できつく一文字を結び、コクコクと頷いて見せる。改めて正座をしたちょこんとした姿はいじらしい。その献身にこそ胸に訴えかけてくるものがあるが、俺も心を鬼にして文机に向き直った。
 しんと静まった部屋の中、ただ黙々と紙の上に文字を綴った。耳へ微かに届くのは、自分の呼吸音と、紙の上を毛筆が滑る音、衣擦れの音。それに、文机に置いた読書灯のジジ、と炎の滲む音。
 これは、彼女が部屋にやってこない時と同じ環境であるはずだ。しかしおかしい。どうにもまだ集中を乱すなにかがある。こうしてじっとしていることこそ、今すぐにでも誰かから咎められるんじゃないかと、そんな気がして。
 筆を走らせながらも、ちらと視線を横に遣った。
 彼女がいる。両手をきっちりと揃えて端座する彼女。その吸い込まれそうなほど澄んだ丸い目が、俺の手の平へ焦点を合わせている。ぢっ、と。こうして俺が作業の合間に盗み見ていることなぞ、ひとつも気付かないほどまじまじと。
 俺は喉の奥で、微かに咳ばらいをした。
 コーガさまが いらしたさい つるぎばななは しゅうかくから いつかのものを じゅんびすること。おもたせには あおみがかったものを えらぶべしと でんれいを・・・。
 俺は一度、かたりと毛筆を置いた。
「・・・針子」
「はいっ」
「そこじゃなくて、後ろで待っといてくれないかっ」
 はた、と彼女の表情が持ち上がる。ごめんなさいと舌を出す針子は、小さくウィンクしてみせた。
 いそいそと彼女が背中へ回る間、吸い込まれそうな瞳という言葉の趣深さに、思いを馳せていた。
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