2026/1月(38~67)
交易所でバナナを買い占めていた行商人に声をかけたのは、何カ月前に遡るだろう。男は誘われるまま砂漠を渡り、同じ木の面、同じ装束を身に着ける集団に出迎えられた。簡単な身体検査を受けた後、男はあっけなく、そこへの入団を許された。
ハイラル王家に弓引く、黒髪の隠密集団・イーガ団。手練れ揃いの集団で生きるには、魔物のみならず人にさえ刃を翳せる強さを持たねばならない。ここでは、騎士になるべく過ごした幼少の経験がよく活きた。こうして末端員の明星として、総長室に通されるくらいには。
失礼します、と戸口に立つと、中の人物が揚々と手を上げたのが見えた。団を取り仕切る恰幅の良い男────総長・コーガ。洞穴内のどこよりも派手に装飾をされた空間で、コーガは照明に照らされた中央舞台にどっかりと座り込んでいる。まるで王座に座るが如き|嵩高《かさだか》な様子で。
男が会釈をしながら部屋の中へ進むと、背後に人影があるのにも気付く。両膝をついた
「お前が例の新人かぁ、話は聞いてンぞ! すげえ活躍なんだってな! 弓でも剣でもなんでもござれだってぇ?」
コーガの前で片膝をついて頭を垂れた瞬間、ぱっと声の粒が弾けたように言い募られた。
その奇妙に胸の中へと入り込んでくる横柄さに身を引きそうになったが、男はただ粛々と、今までの
コーガは疑う様子もなく「うんうん」と相槌を打った。最後に一度大きく頷き、新人にしては随分様になっているイーガの仮面を真っすぐに見据える。
「おめえ大変だったんだなぁ。でも安心しろよ。ここにはおめえみたいな人間がごまんと集まってる。変なことしなけりゃ、きっと居心地良いと思うぜ」
「ありがとうございます、しっかりとご恩を返させていただきます」
「いいっていいって。俺様に恩なんて」
だっはっはと天井を仰いで笑うコーガ。仮面の下で、三日月のように細く睨まれてることも知らずに。
こうまで疑いのない素振りだと哀れとさえ思える。見る限り腹の肉が邪魔をして動きは緩慢。ヒラヒラと手を振って見せる仕草に、脇も頸もがら空き。いつでも懐の短刀を突き刺せそうだ。
なんなら今──と、それは奥に控える男がいなければの話。拳を握り、男は「それでは」と立ち上がる。
コーガは最期、「じゃあな~」と去る背中に声をかけた。
この数週間のうちに身につけた抜き足で、廊下を歩いていく。
気配を消す、という所作を、今までの人生でこれほどまで意識することなどなかった。空気と同化し、影と同化し、風の流れの一部となって、人の呼気の音にすら、自らを同調させていく。今なら何人にも気配を悟らせず、何人の気配にも気付くことができよう。
それは驕りであった。それも作為的に掴まされた驕りであると、男は最期まで気付けなかった。
ちら、と視界の端に、妙な光の動きがあった、と、意識が捉えた瞬間。
バサ。背中へ鋭い衝撃。熱。勢いのまま倒れ込み、視界が刹那、闇に沈む。
なにが、と紡ごうとして、咳と共に吐き出した鉄の液体。熱い。背中が焼けるように熱い。頭の中が明滅し、上か下か、分からない。
混濁する中で、どっと腹に衝撃が走り、牽引感のまま転がった。力の失せていく瞼を持ち上げる。
逆光に陰るのは逆心の瞳。ひらめく二対の白刃。奥へ控えていた、巨躯、か。
「ど・・・ごで・・・おれ・・・」
「お主の正体など分からいでか」
ジャ・・・と薙いだのは晒された喉元。噴き出す血液の量と比例し、男は身を焼く痛みと急激に苛む寒気の中、徐々に意識を手放していく。
闇に沈む中、最後に聞こえたのは「頼んじまって悪かったな」という明るい声だった。