2026/1月(38~67)
どれくらい覗いていただろう。天板に乗ったこぶしだいくらいの塊。熾火に照らされて橙色になった生地は、当初と比べると少し膨らみ、今は落ち着いているようにも見える。薪の爆ぜるパキパキという断続的な音。鼻腔をこれでもかと刺激してくるのは、バターの甘くてリッチな香りと、生地の焦げる香ばしさ。
もういいはず。当たりをつけてミトンを装着し、むわっと熱波を発するオーブンから天板を引き出した。
焼き上がったそれを見て、思わず声を漏らしながら、胸が膨らんだ。
薄切りにしたリンゴを、バラのように重ねたアップルパイ。未だ熱を内包するそれから、じくじくとバターの泡立つ音がたっていた。
「見てください、上手に焼けたんですよ! ほら」
外の薪オーブンから家の中に戻れば、椅子に座って矢尻の調整をしていた夫が「ん?」と視線を持ち上げた。昨晩カルサーのアジトから帰ってきていたのだ。見せつけるように天板を傾ければ、彼からも「おおっ」と声が漏れて、鼻高々である。
「これは・・・凄いな。リンゴか? 昨日から何やらやってるなと思ってたが、まさかこんな菓子になるなんて」
「ふふふ・・・パイは時間が掛かりますからね、でもすごく美味しそう! 見た目も可愛いし、大成功です!」
バターと小麦の記事を何度も折りたたんで作ったパイに、新鮮なリンゴのフィリング。この辺りは割に温かいから、特に生地作りは難しかった。折り重ねていく間にバターが溶けてしまって、サクサクとした食感にならず失敗を繰り返していたのだ。今回は、夫からアイスチュチュゼリーを幾つも持って帰ってきてもらったのが功を奏した。
鼻を近づけ、すーっと匂いを嗅いだ彼は、それから身体が蕩けていくようにダラリとしてみせた。ほぉ、と吐く息はまるでお風呂にでも入ってるみたい。気持ちは分かるけど、その仕草がおかしいったら。
とりあえず机の上に天板ごと置き、お茶の準備をしようと戸棚を漁る。
「そろそろ子供たちも返ってきますし、ちょうど良いですね。この前お隣さんからお茶も貰ってたし、せっかくだからティーカップと、ミルクと・・・ふふっ、まさかこんな綺麗なパイ、自分で作れるとは思いませんでした。昔はペストリーシェフが作ってるのを横で見てましたが・・・今回の出来は彼のと比べても遜色ない気がしますし、それに」
カップを片手に振り返る。そこではたと気付く。夫が静か過ぎたということに。
「美味そうだ」
大きく開かれた口。二つの指で摘ままれたのはバラ。もとい、私の美しいアップルパイ。その洞穴みたいな暗闇の中に、今まさにしまい込まれようとしているなんて。
だあめえでえすう、と間延びした声で手を伸ばす。でも彼の指先は止まらない。まさか一口で? そんなに小さくないはずなのに、彼の口は私が想像していたより大きかった。
ぱくん。消えたアップルパイ。咀嚼する彼。ゴクン、と飲み込んで、うん美味い。
「どうかしたか? 立ちっぱなしで」
指先についたパイの欠片を舐めとりながら事もなげに言う。
彼に思いつく限りの罵声を浴びせるまで、あと三秒。
もういいはず。当たりをつけてミトンを装着し、むわっと熱波を発するオーブンから天板を引き出した。
焼き上がったそれを見て、思わず声を漏らしながら、胸が膨らんだ。
薄切りにしたリンゴを、バラのように重ねたアップルパイ。未だ熱を内包するそれから、じくじくとバターの泡立つ音がたっていた。
「見てください、上手に焼けたんですよ! ほら」
外の薪オーブンから家の中に戻れば、椅子に座って矢尻の調整をしていた夫が「ん?」と視線を持ち上げた。昨晩カルサーのアジトから帰ってきていたのだ。見せつけるように天板を傾ければ、彼からも「おおっ」と声が漏れて、鼻高々である。
「これは・・・凄いな。リンゴか? 昨日から何やらやってるなと思ってたが、まさかこんな菓子になるなんて」
「ふふふ・・・パイは時間が掛かりますからね、でもすごく美味しそう! 見た目も可愛いし、大成功です!」
バターと小麦の記事を何度も折りたたんで作ったパイに、新鮮なリンゴのフィリング。この辺りは割に温かいから、特に生地作りは難しかった。折り重ねていく間にバターが溶けてしまって、サクサクとした食感にならず失敗を繰り返していたのだ。今回は、夫からアイスチュチュゼリーを幾つも持って帰ってきてもらったのが功を奏した。
鼻を近づけ、すーっと匂いを嗅いだ彼は、それから身体が蕩けていくようにダラリとしてみせた。ほぉ、と吐く息はまるでお風呂にでも入ってるみたい。気持ちは分かるけど、その仕草がおかしいったら。
とりあえず机の上に天板ごと置き、お茶の準備をしようと戸棚を漁る。
「そろそろ子供たちも返ってきますし、ちょうど良いですね。この前お隣さんからお茶も貰ってたし、せっかくだからティーカップと、ミルクと・・・ふふっ、まさかこんな綺麗なパイ、自分で作れるとは思いませんでした。昔はペストリーシェフが作ってるのを横で見てましたが・・・今回の出来は彼のと比べても遜色ない気がしますし、それに」
カップを片手に振り返る。そこではたと気付く。夫が静か過ぎたということに。
「美味そうだ」
大きく開かれた口。二つの指で摘ままれたのはバラ。もとい、私の美しいアップルパイ。その洞穴みたいな暗闇の中に、今まさにしまい込まれようとしているなんて。
だあめえでえすう、と間延びした声で手を伸ばす。でも彼の指先は止まらない。まさか一口で? そんなに小さくないはずなのに、彼の口は私が想像していたより大きかった。
ぱくん。消えたアップルパイ。咀嚼する彼。ゴクン、と飲み込んで、うん美味い。
「どうかしたか? 立ちっぱなしで」
指先についたパイの欠片を舐めとりながら事もなげに言う。
彼に思いつく限りの罵声を浴びせるまで、あと三秒。