2026/1月(38~67)

 和やかな昼下がりだった。買い物に来る団員もいない、玄関を行き来する団員もいない。という中で暇を持て余したバナナ売りとポツポツ言葉を交わしていると、「お直し持ってきました~」と縫製班の針子がやってきた。彼女も混ざって話したのは、なんてことない日々の事。玄関はやっぱり埃っぽいですねぇ、とか、今日のおうどん美味しかったですねぇ、とか。 もっぱら語りの中心はバナナ売りと針子であって、見張り台から一歩も動いていない幹部は、彼女たちに挟まれる形で会話に参加しているという体みたいなものだ。耳だけは傾けていたものの、話を振られでもしない限り相槌を打つつもりもない。
 それよか彼女の仕事は良いのだろうか? 玄関の仕事が暇なのはいつものことだが、縫製班はいつだって人手不足だ。「布も無ければ時間も無いッ」と度々縫製班を仕切る長歴の針子が頭を抱えていることを知っている。仕事をほっぽってここにいるのであれば一言言わねば示しがつかないに違いない。総長から一時総指揮を任された幹部役として。
 なんて思ったが、恋人である彼女が玄関で長居してくれる嬉しさを無視できない。各団員との連携のためにこういったコミュニケーションは必要であるし? それに業務中のちょっとした息抜きが集中力を持続させるためにも必要であるし? 彼女の手仕事中の姿を知っている恋人だからこそ、目を瞑る余地があるだろう。
 ちょっとくらい、な。とこの時甘やかしてしまったのは、彼女の方なのか、自分の方なのか。
「む、貴公、帰ってきてたのか」
 ぴーちくぱーちく喋り続けるバナナ売りと針子の間から蛙の道祖神みたくだんまり決め込んで玄関を眺めていると、廊下の奥から二人組がやってきた。一人は構成員、もう一人はゲルドキャニオンに開かれた幹部昇格試験の監督を担う幹部だ。
 「ああ、お疲れ」なんて柔和に片手を挙げられて、ぴきりと眉間に力が入る。この男はどうにも性質が悪い。詰所に籠りっきりの試験監督。何度催促の書簡を送ったところで、業務報告のひとつもアジトにしに来ない。文筆でのやり取りだけでは分からないことがあるから、と再三言っているにもかかわらずである。そうしてのらりくらり業務を交わしながらその実、こうしてこっそりとアジトに帰ってきているのだ。自分より歴は長いかもしれないが、一言文句を言いたくなるのが当然ではないか。
「貴公、帰ってきたのなら声をかけてくれないか。コーガ様から通達を任されている話や、試験の詳細を貴公から聞きたいと前々から待っているんだが?」
「すまない、今回は急ぎの用事だったんだ。業務報告は次の機会に」
 口先だけは申し訳なさそうに。しかしふっと上げた視線がすぐさま戻っていくのだから、落ち着きかけた火種に油を垂らされたようだった。連れの構成員と話し始めたのを見て、チッと舌打ちを鳴らす。もう一滴も垂らされでもしたら火柱でも燃え上がりそうだ。
「まあまあ旦那、ここは穏便に」頭の上から煙が揺曳する気配を察したのか、バナナ売りが猫撫で声で抑えてのポーズをとった。幹部同士のいざこざなんて、構成員にしてみれば災害に巻き込まれるに等しい。
「詰所の幹部さんって、おひとりで過ごしてらっしゃるんでしょう?大変ですねぇ」とは同じく門前の二人を眺める針子。
「まあな。昇格試験も一人きりだから、大変ではあるだろうが」
「へえ~すごいなぁ。恋人さんも心配でしょうねぇ、一緒に暮らしちゃえばいいのに」
「・・・恋人がいるのか? 俺は、よく知らんが」
「え? だって一緒に居る構成員の人、監督さんの恋人さんですよね? 違いますか?」
 きょと、という表情をされて、幹部は改めて彼らを見遣る。籐の籠を幹部に手渡す後姿の構成員。体つきから察するに確かに女・・・しかし単に談笑をしているだけにも見えて、恋人、とは一見して分からない。監督殿は籠の中身を覗き見て、首を少し倒して、仮面越しに団員と語って。コイビト、なんて、そんな雰囲気も、あるような無いような。
「あ~言われてみれば確かに。あの感じ、デキてるでしょうね。ありゃ」とは遠くを見るように手を翳すバナナ売り。
 針子も小さく手を打って笑み綻んでみせる。
「ですよね! 一目見て楽しそうだから、そうなんだと思ってました、私!」
 ということは何か。あの人は業務報告もせんと恋人の元へやってきて、そうしてそそくさと帰ろうとしてるのか?急ぎだからと適当こいて。
 いかん、やはり腹の奥底からふつふつ湯が沸いてきた。
「なんでぇなんでぇ、どいつもこいつも春たぁ、羨ましいもんで・・・ん、旦那? どこ行くんで」
「少し、文句に行ってくる」
 やはり、自身を諫めることができない。ゆらと足を踏みだした勢いで足を進めると、「は!?やめときなさいって、旦那!」というバナナ売りの咎める声が追ってくる。しかしどれだけあの人に書簡を送り続けたか知ってるだろうか? 寝る前の時間を削って、何枚に渡って督促状を送り続けたか。
 ずんずんと近づくにつれ、二人の会話が耳に入ってきた。道中気を付けてくださいね。ああ、君も無茶はするなよ。また詰所で待ってるから。なんて、甘やかな会話。
 やはり恋人か。そんな中身のない会話を繰り返す時間があるのなら、業務について二言三言残していく時間だってあるだろうに。
「貴公な、暫し──」と声を張り上げようとした瞬間だった。
 監督殿がイーガの仮面をずり上げ、そのまま背を折った。真上を向く構成員にまるで覆いかぶさるように。
 仮面同士が重なり合うその隙間から、確かに見えた。二人の唇が確かに合わさっていて、そうしてすぐさま離れていく様を。
 ぴたり固まって言葉を失う。何も言えず呆気に取られていれば、これから発つだろう監督の幹部が気付いたらしい。いつものイーガの仮面が、「おや」と緩やかに傾く。
「どうした? まだ何か用事が?」
「お、おま・・・っ、今なにを」
「なにって・・・行ってきますと挨拶しただけだが」
「あ、いさつ」
「詰所を空けてるんでそろそろ行く。ではな」
 最後に幹部はひらひらと手を振って、門をくぐって出ていった。
 構成員は、どうやら彼がカルサー谷を下っていくまで見送るらしい。軽い会釈で門の外へと出ていって、それから玄関前に立ち尽くし、小さく手を振りだす。いじらしく、確かにそれはコイビトという関係なのだろう。もちろん。接吻してんだから。
「・・・台座さん、私、見ちゃいました。いちゃいちゃしてるとこ」
 気付けば横に針子が立っていた。
「え~いいなぁ・・・。なんか・・・えーっ」
「なんだ・・・何がいいんだ」
「だって行ってきますのチューですよ!? 私と台座さん、ずっと一緒にいるからできないじゃないですか!」
「・・・何言っとるんだ、お前は」
 業務報告の文句も言えなかった。とんでもない惚気を見せつけられて徒労としているのに、針子ときたら「いいな~憧れるな~」と繰り返すだけだ。
 はぁ。とため息をついて、もはや何も考えないようにしようと思った。仕方ない。またこれまで通り、書簡を送りまくって、いつしか無理やりにでも報告の機会を作るしかあるまいか。
 なんだかやけに凝ってきた首筋をグルリと回し、もう全て無かったことにしようかと思った、のだが。
「アッ、分かりました! 今してください、行ってらっしゃいのチュー」
「・・・は」
「だってこれから縫製室に戻ります。してくれたっていいでしょう? はい、ちゅー」
 仮面をずり上げた先、妙案を思いついたように表情を明るくさせた針子が露骨に唇を突き出してくる。縫製室に戻ると言ったって距離にして数百歩、時間だって5分もかからない距離なのだ。幹部は「いやいやいやッ」と首を振った。
「なぜそうなる! 俺はせんぞ! こんな公衆の面前で!」
「なんで監督さんはしてたのに台座さんはできないんですかっ、恋人同士だったらやってても誰も咎めません! 私が縫製室に旅立つのを寂しがってくれないんですか?」
「コイビトだからといって必ず交わすものではない! というか、行ってきますというほどの距離じゃないだろう! 会おうと思えば会える距離だろうが!」
「ちょっとくらいしてくれても良いのにっ、ケチ! 台座さんのケチ!」
「ケーチ、ケーチ、台座さんのケーチ」
「外野は入ってくるんじゃないッ」
 針子の後ろに控えるバナナ売りまで茶々を入れ始めたものだから、世を忍ぶ隠密集団のアジトとは思えないほどしっちゃかめっちゃかである。なんだなんだと騒ぎを聞きつけた武器屋弓屋棘屋にまでかくかくしかじかしやがって、針子の後ろに四人が立ち並び「あっそーれ、チューウ! チューウ!」とやりだすクーデター的展開となった。痛む額を押さえながらも幹部は「絶対に後で見ていろ」と心に決めたとか決めていないとか。
「台座さん、私の事、好きじゃないんですか・・・っ」
 最終的にはうっすらと水の膜が張った瞳で見つめられて、ウッと押し黙る。そういう言い方をされると弱い。そも好いた女にこのような言い方をされて強くいられる男などこの世にありはしない。それは男などではない。幹部は視線を逸らして、はぁと胸の奥に沈殿する息を吐き切った。
 「こい」と一言告げて踵を返す。ヒュウヒュウと指笛のうるさい商業班員一同に「お前らは持場に戻れッ!!」と雷を落とすと、雲を手でワシャワシャしたみたいに全員が四方に散っていく。まったく。とブツブツ口の中で呟きながら向かったのは、廊下の暗がりだ。影に身を滑り込ませれば、遅れてやってきた針子が肩を縮ませながら、少し距離を開けて立ち止まる。
「台座さん・・・」
「お前は、本当に」
 どこか不安げに声を漏らす彼女の手を引き、引き寄せた。
 あれだけフンスとキスを迫った癖をして、今は固く唇を引き絞っている。まったく、と改めて頭の中で呟いた。
 彼女の身長に合わせて背を折る。玄関で見たときのように、覆いかぶさるみたいに。そうして自分の仮面を少しずらし、ふわ、と自らの気持ちを押し付ける。なだらかに柔らかい山を描く、桃色の頬肉に。
 微かな吐息の音と、じりじりと燃える松明の音が、溶け合うみたいに耳元で混ざっていた。
「・・・気を付けて、行ってくるんだぞ」
 せめて何か一言つけたそうと思っただけ。しかしご所望の品を全て手に入れたのだ。彼女は「行ってきます」と大層満足そうに笑んでいた。

 後日、試験監督殿の元に八つ当たりの督促状が届いたのは言うまでもない話である。
17/25ページ
スキ