2026/1月(38~67)

 世間では恋仲と呼ぶのだろう女との出先で、少々面倒なことになった。
「なんで貴方はいつもいつもそうやって! 私の提案をすぐ無下にするようなことを言って!」
 たまには外へ出ようと誘われてやってきたカラカラバザール。カルサーからは決して遠くない観光地のひとつであるが、俺は昨晩、ヘブラから戻ってきたばかりの身体だ。今日は寝て過ごしたかったというのが正直なところだが、しかし断れば、こいつに耳元でギャーギャー言われるのが関の山。
 それも面倒だからと素直について来てやったのだが、まさか、夕餉をここで済ますかアジトに帰るかでギャーギャー言われると誰が思ったろうか。
 1言えば10戻ってくる女の声に、俺は溜息を吐き返した。
「俺は帰りたいと言っただけだろ。ゲルドの飯は口に合わないんだ、肉と果物の炒めもんなんか食えるか」
「ばッ・・・!しぃー! そんな大声で言わないでください、お店の人に聞こえたらどうするんですか!? 貴方って本当に常識がない!」
「目上の人間にバカと言いかけるお前に、常識云々は言われたくないな」
 砂漠の民にとって男女の組み合わせは珍しいらしく、ことあるごとに視線を感じる瞬間はあった。しかし女のバカデカい声が辺りへ響くものだから、視線の数はここへ来たときの比ではなくなっている。
 それでなくともこいつは喋りかけられる端から満面の笑みで対応し、余計なことを口走りそうだとハラハラした。揉め事を起こす前に帰りたいが、こいつに警戒心というものはないのか?
「せっかく来たんですよ、せめて土地の物が食べたいって言ってるだけなのに!」
「土地の物ったって」近くに住んでるくせに、なにを言ってるんだこいつは。「材料を買って帰ればいいだけだろ、どこでだって食える。俺は早く一息つきたい」
「私は、もう少し・・・二人っきりを満喫したいんですっ」
 腕を掴んで「ぐうーっ」と唸りながら体重をかけてくる彼女に、なるほどと思った。二人っきり。まぁ、確かに。しかしアジトへ帰ったところで、二人でいれば良いだけだろうに。
 直立不動のまま、「行きましょうよー」と吠える彼女を見おろす。全く、女の高い声とはなぜこうも胸に障るのか。こいつを黙らせるにはあれしかない。面倒だが仕方ない。
 「ほらーっ」と改めて引っ張ってくる腕。それを逆に、力強く引き寄せた。
 うわ、と野太い悲鳴を上げた女を胸板で受け止め、流れる仕草で顎を取る。そして文句を言おうと開きかけた唇を、俺の唇で問答無用に覆った。
「ッ」
 彼奴が目を見開き、それから動かなくなった。
 やっぱり。一度角度を変えてべろ、と下唇を舐めると、呆けたように見開らかれていた眦が微かに歪む。
 最後にダメ押しとばかり口端に軽く吸い付いてから離れると、彼奴が黙って俺を見返してきた。魂が抜けたような間抜けな顔だった。
「お前の声はデカい。衆目を集めすぎだ。俺は別の場所で、お前と二人きりになりたい。だからもう行く。いいな?」
 額が重なるほど近く寄って言い聞かせる。すると女は、俺をまじと見つめたまま黙り込み、それから極々小さい動作で頷いてみせた。
 誰にも聞かれてやしないだろうか、と周囲を見るが、居合わせた人間と視線が合うと途端に逸らされるだけで、会話が聞こえた風はない。イーガだとバレてないならそれで良い。
 すっかり俯いた女の手を取り、「帰るぞ」と歩き出す。だんまりになった彼女から盛大に文句を言われたのは、カラカラバザールから暫く歩いた後のことだった。
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