2026/1月(38~67)

 縫製室を訪ねると、目当ての針子が見知らぬものを手指に塗り込んでいる。白磁の陶器に入ったクリーム状の軟膏で、縫製に必要なのかと問えば「そんなところです」との答え。
「あんまり手がガサガサしてると糸が引っ掛かっちゃうので、なるべく手荒れしないように気を付けてるんです!」
 ほお、そうなのか。とただ純粋に感心したものだが、塗り込まれた後の掌を広げられて、目を瞠った。
 ちんまりとした手であるのは大方想像通りだが、とにかく真っ白で傷がひとつも付いていない。柔らかそうにふっくらとしていて、そして今は軟膏によってテラテラと行燈の光を艶やかに跳ね返している。
 「俺の手と随分違うな」と漏らしてしまったのは失態だった。「えーっ、見せてください!」と彼女の興味を惹きつけてしまった。気になるものを放っておけない彼女が前のめりになることなど、予想できないわけもなかったのに。
 「忙しいから」と理由をつけて背を向けるのは簡単だった。しかし口に出したのは「仕方ない」という言葉だった。素直に布帯と腕の鉄棘を取り外し、現れたのは見慣れたはずの自らの掌。それが普段より、やけに醜く見える。キズとタコだらけの節ばった俺の手は、彼女の横で広げてみせると同じ生き物だとは思えず、彼女が人であるならば、自分は魔物とでも言うような。
「台座さんの手、大きいですねぇ! すごい!」
 驚きと興味を滲ませた顔で、針子があろうことか掌に触れてくる。思わず身体が跳ねそうになり、仮面の下で唇を噛んだ。
 普通、一切の躊躇なく両手でペタペタやってくるか? 素手で触れる彼女の肌は想像していたより柔らかくて暖かい。片手で包み込めてしまうほど小さな両手を、触れてる間に閉じ込めてしまったらどんな顔をするだろう。そんなこと一瞬でも考えてしまったなんて、口が裂けても明かせない。
「でも、随分荒れてますね・・・台座さんは軟膏塗らないんですか?」
「俺がいちいちそんなの塗ると思うか? 持ってすらない。どうせ鍛練でボロボロになるんだ」
「あ、じゃあここに来たら分けてあげます。一緒のやつ塗りましょ。少し塗るだけでも全然違うんですよ!」
 言うや否や、蓋を外した先の軟膏を一掬いして、針子はまず自らの掌に擦り合わせる。そのベタベタになった掌を使って、俺の手指に広げ始めた。
 俺が呼吸をやめたのに針子は気付かない。割れた肌の凹凸や、指と指の谷間まで、懇切丁寧に塗り込んでいく。
「これ、良い香りがするんですよ。ポカポカハーブだったかな? 指先があったかくなって、とってもいい感じなんです!」
 ベッタリとした感覚が、徐々に皮膚に馴染んでいく。「これでオッケーです」と針子が蓋をかたりと閉めた。
 指先を擦り合わせてみると、確かに今までの感覚とずいぶん違う。針子の手のひらとは似ても似つかないが、ガチガチに厚くなった皮が、少しは人っぽく戻ったような気がする。
 それに、じんわりと暖かい。なるほどこれがポカポカハーブの効力か。と思ったが、どうだろうな。指先だけでなく、顔までカッカと照ってる気がするから。
 「いいな」と一言漏らした瞬間、またもや自分の浅はかさを確信する。
 「でしょ! もうかたいっぽも塗ってあげますね!」もうクリームを一掬いして、満面の笑みの針子が俺の行動を待っていた。
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