2024/12月(7~37)

 彼が眠りに着くまでの寸暇、最近編み物をして時間を潰すのがブームになっている。急に呼ばれたときもいつだって手を止められるし、再開するのも気兼ねない。針と毛糸さえあればどこでだって耽られるのもお気に入りだ。
 仕事道具を手入れする、シャッ、シャッ、という砥石の音──その小気味良いリズムの中で、黙々と針を動かす静謐なひととき。
 とはいえ私は完全な初心者だった。何目か編んで、すぐ解くのを繰り返しているから一向に進まない。セーターなんて無謀だったかしらと頭を掠めるけれど、でも良いんだ。昨日より今日、今日より明日、少しずつ育っていく糸の塊を見て胸が踊る。完成したらどんなに愛着が湧くだろうと、素肌に毛糸を押し当て、ふわふわに包まれる感触を想像した。
「なにを編んでいるんです」
 編み物に没頭していると、彼から視線を投げられた。
 端的に「セーターです。毛糸をたくさん手に入れたので」とだけ返す。彼が決して雑談をしたいわけじゃないと知っている。無駄話を嫌う性質だし、私の全てを把握しておきたいだけなのだ。諜報班の幹部として、この隠れ家の主だから。
 想像通り、返事をした傍から「そうですか」と急に興味を失ったような声が返ってきた。改めて砥石の音が鳴り始めて、私はそれを聞きながら指先を動かし続ける。彼が編み物に関して口を挟んでくることはなくなった。

 セーターを編み始めて二ヶ月ほど経ったある日。ついに、完成間近にこぎつけた。
 目の前に形となって現れたふかふか。目算より随分大きくなったけど、ご愛敬だ。まるで布団みたいな濃密さ。明日からの相棒として、冬の寒さの手助けをしてくれるに違いない。
 目の前に広げてうっとりと眺めていると、「完成ですか」と声が割り込んできた。
 「これから糸始末を終えたら、はい」と頷くと、彼から「そうですか」と返ってくる。セーターのそこここから飛び出た糸端の処理なんて、正直明日にするべきだ。でも、ここまで来たら完成まで走り切りたかった。寝室に引っ込む彼を意に介さず夜夜中まで作業してしまった私は、家政婦を任された団員としてあるまじきことだったろう。

 次の日。ぱちりと目が覚めた瞬間、寝坊を確信した。窓から差し込む陽が高い。それに、隣で寝ているはずの幹部さんが既にない。
 着替えもせずに慌ててキッチンに出た。「おはようございま──」とまで言いかけて、はたりと立ち止まる。
「おはようございます。今朝は随分遅かったですね」
 机について、陶器のカップを傾ける彼。片手には書籍。
 そして上半身をすっぽりと覆うのは、ここ最近で随分見慣れたふかふかのセーターだった。
 目を丸くさせて見つめていると、彼がコトリ、と静かにカップを置きながら、露骨に顔を顰めてみせる。
「なにをぼけっとしているのです。もう陽は昇っているんですよ」
「あ・・・はい。ごめんなさい。朝餉、作りますか?」
「いえ、結構。既に済ませましたので」という言葉を最後に本の文字を追い始めたようで、彼はコップの淵を口元へ運んだ。部屋の中を、柔らかな陽射しだけが照らしてる。
 私には大きかったセーターが、偉丈夫である彼の体躯にぴったり纏わっている。寒がりの彼を暖める、布団みたいなセーター。
 ふふ、と小さく笑みを漏らす。素知らぬ顔の彼が捲る頁の音が、ただ部屋の中に広がっていた。
28/30ページ
スキ