2024/12月(7~37)
忘れてた。本当、頭の中からすっぽり抜けていた。
「貴女も妙齢なんだし」と見せられたのは先輩秘蔵のお化粧道具。キツネの尻尾みたいなポワポワの刷毛。眉をちょこちょこ擽ってきた編み物の針みたいな筆。小指の腹で紅を塗られたとき、なんだか急に違う人になったみたいでワクワクしたし、仮面を持ち上げた先のにんまりした先輩の唇が、同じ色をしていたのもドキドキした。
そんな顔になってるのを、一瞬すっぽり忘れてた。
先輩がお昼ご飯を食べに行ってる間、入れ替わりで縫製室にやってきたのは我が恋人・台座さん。
彼は「商品を乗せる新しい敷物が欲しい」って、仕事を持ってきた。すぐに終わるだろうからって続けながら隣に座る。だから私も、にこにこしながらすぐに仕事へ取り掛かった。
床に布をバサリと広げて、ハサミでチョキチョキ。すると、手元を覗き込む台座さんのお面が目の前にある。
少し背伸びをしただけで届くんだもの。彼があまりに、よそ見してるんだもの。
その白面に、ちゅってキスしちゃった。だってそれはいつものことで、そこにあるから、しただけで。
サッと離れて笑いかけようとしたとき、はた、と。そこで自分のしでかしたことに気が付いた。
「あ、あああ~!!!口紅!ついちゃった!」
「なっ・・・なに!?」
弾かれたように頬を押さえる台座さん。
手の腹で何度も拭うけど、油脂の入った口紅は木の繊維に入り込んで、唇の形が筋っぽい柄になって浮き上がっている。
「お、お前なぁ!自分が紅をつけてるかどうかくらい、覚えといてくれ・・・!」
「ごめんなさいっ、つい・・・台座さんが近かったから!」
「俺の所為にするんじゃないっ、ああ、もう取れんぞこれ、どうしたら」
「なんです二人して。大騒ぎしてどうしたんです?」
ドキッ。この声は、先輩だ。
まずい! さすがに口紅をつけた仮面を見られたら怒られる! それでなくとも先輩は、台座さんにチクチクしていた、「彼に何かされたら言うんだよ」って業務の度に言ってくるくらいだから・・・いや、今回は私がしちゃったのか。
惑っていたら、台座さんがすっくと立ち上がった。絶妙な具合で半身を捻る。
「邪魔をしたな」
「・・・幹部殿、締まりがないのであれば、いい加減コーガ様に相談させていただきますからね」
「締まりがないことなどない。が、・・・すまんかった」
ぷりぷり怒る先輩に対し、口紅のついた仮面を見せない位置取りで、台座さんが扉ににじり寄る。
「そろそろ行く。敷物だけ頼む」
「はい、後で持っていきますから、どうぞお任せくださいな」
台座さんは、するりするりとしなやかな体捌きで横を抜けていった。お見事!心持ちは拍手喝采雨あられ!
「ほら、仕事仕事」と手を打たれる。背中を見送っていた私は、はっとなって鋏を握った。
脳裏には、窮地を鮮やかに脱したキスマークのヒーローに、ぴしりと敬礼する私が浮かんでいた。