その他(イーガ以外のキャラ)


 彼女の瞳は、蒼穹のような青だった。幼さを感じさせない凛とした眼差しに湛えられるのは、オアシスに満ちる天恵の潤い。日に焼けた浅黒い肌は艶やかに照り、砂漠の花と称されるルビーレッドの短髪は、いつだって王冠を乗せたみたいに丸い光を放っている。
 ──マキ・ア・ルージュ。それが彼女の名前だ。我がゲルド族を治める若き女傑の長。
 彼女はまるで、このゲルド砂漠を見下ろす太陽が、人の形をとったような人だった。いつでも民を想い、言葉を介し、困難があれば身を呈してこれを除く。
 私は彼女の後ろでじっと控える小間使い。太陽を見つめ、せめて飾り立てる花になれればそれでいい。そう思って、彼女との数十年を生きてきた。
 良かったはず、だったのに。

「────わらわに、見合いだと?」

 日もとうに暮れた宵だった。中央ハイラルからお戻りになったビューラ様は、片膝をついて遠行の報告を始めるや否か、唐突の言葉をしらせた。
 元々は、ガノン討伐のために協力した亡国の剣士に用事があった、という話だったはず。しかしビューラ様が口にしたのは、聞いたこともない、別の従者の名前だった。
 曰はく、ルージュ様へ縁談を持ち込みたいと。それも一人ではなく、既に数多くの男が名乗りを挙げているのだと。

 ちらと見遣れば、背後から微かに覗くルージュ様の表情が掻き曇っている。脚を組み直し、石造りの玉座に体重を預けるように頬杖をつく視線は、以前ギブドが現れたときのように鋭い。
 けれどビューラ様は、普段通りの真っすぐとした眼差しで「は」と頷くだけだった。

「ガノンの脅威が落ち着きし今、しかしいつまた災厄が訪れるか分かりませぬ。ルージュ様もほどなく成人。世継ぎの儀を執り行う算段を、そろそろつけし頃合いかと思いまして」
「……分かっている、それこそが王族の務めであるとな。しかし、妙だな。些か事の進みが早くはないか? すでに名乗り上げる者がいるだと?」
「は……」
「ビューラ。其方、わらわの知らぬところで話を進めておったな」

 ルージュ様の気の昂りが、宮殿の空気に乗ってチリチリと肌を刺してくる。雷撃の力に目覚めてからというもの、彼女の隣に立っていると肌膚が痺れてくることがままあった。
 でも、乳母でもあるビューラ様に、こうまで露骨な態度を向けるところを今まで見たことがない。普段は昵懇じっこんの仲である二人を取り巻く剣呑な雰囲気に、思わず身を強張らせてしまう。

「……申し訳ございませぬ。このビューラ、差し出がましくも取り計らいをせねばと勇み……」
「一言の相談もなしに事を急くのは褒められぬ。それも、よもやゼルダの従者に相談とは……。次に彼女と会うとき、わらわはどんな顔をすれば良いのだ」
「言い訳のしようもございませぬ。……しかし、先代の女王の無念を思うと、私は」
「もう良い」ため息交じりに手をつきだして、ルージュ様はお立ちになった。

「この話はまた明日以降にしよう、わらわは床に入る。……それが務めと言え、わらわにも気構えが必要なのでな」

 コツコツと石床を叩くように歩きながら、ルージュ様は悠然とビューラ様の横を通り過ぎていく。私も慌ててその後に続いた。「お休みなさいませ」と背中を追ってくる挨拶が、ビューラ様には珍しく語尾が揺れていた。
 階段へ足をかける前に振り返ると、兵舎の方へ歩いていくビューラ様が額に手を当て、項垂れている姿が目に入った。


 ルージュ様は、自室のソファに腰を降ろしてからも、ずっと沈黙を引きずったままだった。
 疲れてらっしゃる。あんな話を唐突にされたのだ、無理もない──長く息を吐く音を聞きながら、部屋の燭台に火打石を擦っていく。朧げな橙色に染められる石の空間。それから、機を見たようにかたり、かたり、と装飾品を外す硬い音が鳴り始める。
 香を焚き、夜着やブラシ、オイルの入った籠を手にルージュ様の元へ戻ると、灯りに濡れた彼女の視線が落ち切っている。どこを見ているのか分からない、焦点を追えない瞳。緩慢な動きはきびきびとしたいつもの彼女と違い、水中でどうにか探りながら手を動かしているようだった。
 私は籠を机に置いて、「失礼します」と髪を束ねる飾りに触れた。

 砂漠の夜は音がない。夜凪の微かな風が、黙々と作業をする私とルージュ様の影を揺らすばかりで。
 かたり。六つ目の髪飾りを机に置いた時、ルージュ様が溜息をつきながら手の平を膝の上に収めた。

「……難儀だな、見合いだなんて」

 それはきっと、独り言だったろう。グラス一杯に張った水が、思わず零れたみたいな声だった。
 私は手を動かしながら、その独白を黙って聞いた。

「子種を貰い受けるだけの相手というだけだ。それ以外に何もない。……虚しくなるな、前々から分かっていたとは言え、いざ眼前になるとどうにも」
「……」
「王族かくありきとはいえ、……それから解放された友もいるのに」
「ゼルダ様のこと、ですか?」

 おず、と発した声に、ルージュ様は黙ったまま微かに俯いてみせる。頷いたわけではないだろう。でも私には、そうも見えた。
 さらりと横顔に垂れる髪。それを耳にかけた細い指先が耳の勾玉に触れ、紋様の溝をなぞっていく。

 ──彼の姫から、『私たちは境遇が似ている』と言われたのだと、いつかに聞いた。だから縁を結びたいと。かつて自身の母と、英傑と謳われたウルボザ様が心腹の友であったように。
 事実、彼女達は王族という垣根を超え、特別な親交を築き始めている。

 ただ私は、かの姫とルージュ様のお立場は違うと、そう感じて仕方ない。
 先代女王が砂に召されてから、ゲルドの伝統を受け継ぎ、街を守るために、ルージュ様がどれほど毅然と立たれてきたのか。私は隣で見てきて知っている。
 共に砂原を駆け回り、遊んだことが懐かしい。私の胸には、日光に照る少女の笑顔がいつまでも焼き付いていて。

「……ヴォーイハント、してみたいって思います?」

 ルージュ様の動きがぴたりと止まった。
 手の中に納まった耳飾りが、揺れる度に鈍い色を反射して、言葉のない間を繋ぐ。

「お見合いが嫌なら、そういうことかなと思って」
「……嫌とは言っておらぬ。ただ、無理に話を進めるのは違うであろう」
「では、ビューラ様がお見合いの話を堂々と持ってこられたら、お受けになられたということですか?」
「……まぁ……」
「本当に? 小さい頃、王子様を探しに行きたいって言っておられたのに?」

 途端、ルージュ様が、ぱっと身体を反転させた。

「意地悪を言うでない! これでもわらわは、覚悟はとうに済ませたつもりだ、昔とは違う」

 青い口紅の掠れた唇が、むっと不満げに突き出されている。随分大人びたと思ってたのに、寄せきらない眉間の顔が、隣あった彼女から絵本を奪ったときと瓜二つに見えて。
 ふふ、と笑みを漏らしてしまった私に、ルージュ様は片頬を膨らませた。そんな表情すらお人形のようなのだから、我らの日輪は本当に愛らしい。
 ぷい、と正面に向き直ったルビーレッドの髪を丁寧に掬い、撫でるようにブラシを通していく。

「ルージュ様は昔から、ロマンチストなところがありますよね」
「子どもの頃の戯言を、いつまでも覚えておる其方が悪いっ」
「ルージュ様は小さい頃から、可愛いものが好きで、恋物語が好きで」
「ゲルドの民は皆好きであろう。わらわだけではない」
「ほら、あの話が好きでしたよね。親の決めた婚姻を受け入れるはずの姫が、それより先に幼馴染の少年と、結婚の約束をしちゃって」
「ああ……。母様によく読んでもらったな。懐かしい。今でも好きな話だ」

 このソファの上で、私たち二人は女王さまによく本を読んでもらったものだった。真ん中に女王さまが座り、私とルージュ様が両隣を挟んだ。あの頃に気に入っていたのは、世界を救う少年の冒険譚。私とルージュ様は特に、旅先で出会った異種族の女の子と結婚の約束をするシーンが気に入っていた。3頁ほどにまたがるその一幕を何度もせがみ、その度に女王様は「はいはい」と言いながら応えてくれた。
 砂漠の砂で喉を焼いた女王様は、かさついた声を精一杯にまどやかにし、物語を聞かせてくれた。ルージュ様の声とも似た、温かくて、凛とした、民を導くに相応しい人の声。
 あの頃、ルージュ様の髪はまだ長かった。

「先代女王も、お見合いだったのですかねぇ」

 父にあたる人物と、ルージュ様は一度も会ったことがないのだと聞いたことがある。どこの誰とも教えてもらってないのだとも。私は小さい頃、不躾にも「寂しくなあい?」と質問した。しかし彼女は、「それが王族の務めだ」と返事した。
 男親と離れて暮らすことこそが文化であるゲルドの街では、父と会わずに生涯を終える民が珍しくないし、私だって7歳の頃に母が死んでからというもの、父方との邂逅の術を失ったままだ。少なくとも所縁のある人間から紹介される見合いであれば、没交渉になったとしても足跡を辿っていける。それをするかどうかは別として、きっと彼女も、今だって。

「……今日は、もう良い。其方ももう休め。後のことは、一人でできる」

 僅かに頬を覗かせたルージュ様が、静かに言った。その声には、それまでにあったはずの温度がない。
 はっとなった。「ルージュ様」と口にして、けれど次に続けようと思った謝罪の言葉が出てこない。申し訳ございません、なんていえば、ささくれだった彼女の内面を、ざらついたやすりで削ってしまいそうな気がして。
 すっと伸びた背筋が、まるで今は強固な壁のようだ。
 私は、ブラシをそっとソファにおいて立ち上がった。

「……お休みなさい、ルージュ様」

 胸の前で祈るように手を重ね、小さく一礼する。
 後ろ髪惹かれる思いで、私は静かに、部屋を後にした。

 壁面に灯されたひとつふたつの松明を頼りに、兵舎に続く夜の階段を降りていく。
 その間、頭の中をいっぱいに埋め尽くしていたのは、もちろんお見合いの話だ。暗がりの向こう側にルージュ様の髪の毛がちらついて見える。

 ルージュ様がお見合い。ゲルドの慣習のなにもかもを人づてで聞くことしかできない、男性と。
 ほんの小さく囲われた塀の中に生きる我らに、彼らはどれだけの想いを寄せてくれるのだろう。宝のようだった長髪をバッサリ切った彼女の思いを、伴侶となる男はどれだけ理解できるのだろう。
 少なくとも私には分かる。先代の無念も、ルージュ様の遣る瀬無さも。この身体に通う血の息苦しさも。だって私も同じだ。もう数か月もすれば、私だって街を出て、相手を探しに行かなければいけない──。
 ああ、嫌だな。
 ぽつり呟いたその声は、兵舎の中から聞こえる笑い声に掻き消えてくれた。


 明くる日。
 誰が誰に聞いたのか、壁内はルージュ様のお見合いの話で持ち切りだった。ハイラルの姫が相手を用立てるらしいとか、例の剣士サマが相手になるかもしれないとか。
 噂はいつだって下世話で安直だ。けれど、あれだけ難しい反応を見せていたルージュ様が、今となっては見合いの相談を前向きに受けている。
 無理をしているのだと思った。しかし彼女は「それが王族の務めだ」の一点張りだ。分かってるんだろうか。そんな言葉を口にするたび、碧空の瞳に暗雲がふっと姿を現している。貴女はいつだって嘘のつけない、分かりやすい御人なんだから。

 だから……というわけでもないけれど、私は、夜な夜な開催される恋愛教室に出席することにした。

「あら、珍しい。前回から随分間が空いたじゃない。どういう風の吹き回し?」

 地下の教室に足を踏み入れた瞬間、目敏く声をかけてきたのは指導役のワーシャだった。
 彼女は、このセミナーの先生だ。ウブな乙女達へ個別に合ったアドバイスをすると評判で、元々は個人主催の恋愛教室が、今となっては民族を揚げての一大プロジェクトになっている。
 私が参加するのは二度目だった。天変地異が起こる数年前に一度参加したきり。あれから随分経っているというのに、彼女はどうやら私の来訪を覚えているらしい。
 へらっと笑って「ちょっと」と誤魔化すと、彼女は「マッ、いいけど」と茶目っぽく肩を持ち上げてみせた。こういうちょっとした仕草が、きっと男の視線を誘うのだろう。切れ長の瞳がすっと横に逸らされたのを見計らって、私は椅子に深く腰掛けた。
 
 恋愛教室は今日も盛況で、すべての椅子が埋まっている。地下に教室を移動してからというもの、手狭で窮屈だし、風もないし、空気が淀んでいるし。……いや、そんな風に言っては参加者が傷つくだろう。むんむんと籠もった熱気は、彼女たちから発せられているに違いないから。

 ワーシャの教えは一貫していた。テーマは如何に素敵な殿方と心を通わせ合い、自らの色香に溺れさせることができるか。
 滔々と語る彼女の口元に、未だまともに男と会話したことのない乙女たちの視線は釘付けになっていた。日中あれだけ肩を切って往来を歩いているのに。ボコブリンだろうとモリブリンだろうと怯まずに剣を振り上げるだろうに。そんな強い女たちが、今は身体は前重心にして、一様にお腹の前で握りこぶしを作っているのだ。未知の生物をおべんきょするために。
 男性は、揺れるものに弱い。男性は、女性の笑顔に弱い。男性は、ボディタッチに弱い。男性はだんせいはダンセーはブラーブラーブラー。ああなんだか呪文みたい。どんどん意味が分からなくなっていく。

「でも、さいきんのダンセーはソーショクセーみたいでね。こっちからセッキョクテキにいかなきゃ、なかなかハンティングできないかもね」
「ワーシャせんせ、その、ハンティングって、ぐたいてきにはどうやって……」
「んー、たとえば、カベドンとか?」
「カベドン?」
「ホラ、こうやって」

 ふっと、風が頬を撫でた気がした。
「ひゃあっ」と掠れた叫びが上がって、そこではっとなった。焦点が合わずに、目の前が揺れてる。ぱちぱちと何度か瞼を瞬かせると、それから漸く、前に座る乙女の輪郭がまともになった。いけない、寝てた。乙女は赤い顔をして、私の斜め後ろを見つめている。
 先を見遣れば、一人の生徒が、ワーシャ先生の突き出した腕の中に閉じ込められて身動き取れなくなっていて。
「……なにごと」無意識に口に出た。ワーシャの結った髪の毛がカーテンのように揺れ落ちて、彼女らとその他大勢の空間を分断している。

「ハイリアの男性はゲルド族よりも身長の低い人ばかりだから、壁に追い立てて『貴方が好きなの』って言ってあげればイチコロよ。ね、ドキドキするでしょ?」
「は、はいぃ……」
「すぐできるテクだから。試してちょうだいね」

 ゆっくり離れたワーシャからウインクを投げられた生徒は、彼女が教壇に戻っていった後も口元から手を離さずに硬直したままだった。浅黒い耳が赤くなってる。「ひゃい……」って返事した声が、日中に勇ましく剣を振ってる兵士と思えないくらいふにゃふにゃだった。ワーシャにさえこうなのだから、きっとこの先、彼女がテクニックを使うことなんてないだろう。
 ゲルドの女たちは、外見からは想像できないほど純情だ。ダイヤモンドみたいにギラギラ煌びやかなのに、心の内側は触ると崩れる砂岩みたいに脆い。それが私たちゲルド族。男に色目を使ってつがいを見つけないと維持できない、弱くて儚い女たち。
 せめて、私たちの太陽が高潔で居続けてくれてたら、私もこんなところにいなかったのにな。

「ねえワーシャ先生、もし男の人を押し倒したりしたら……その後って……」

 生徒の一人がおずおずと手を挙げた。
 ぎょっとした表情で周りの乙女が視線を投げる。そんな中、ワーシャだけは「ん?」とわざとらしく小首をかしげ、黙ってしまった生徒の続きを促す。

「万が一ですよ、そのぉ……押し倒したら、どうなるのかなって」
「そりゃあ、もちろん、伽になるわね」

 さらりと言い放つワーシャ。伽。途端、その場にいる生徒全員が息を飲んで、耐えられず漏れ出た小さな悲鳴を、手の平で抑え込んだ。
 私も思わず唇を結んだ。
 生徒それぞれから熱烈な視線を受け、ワーシャはその口元に、人差し指をひとつ立ててみせる。

「今は夜よ、あまり騒がないで頂戴ね。……本当だったら、上手な夜の誘い方も教えてあげたいところだけれど、こればっかりは、ネ。パートナーと相談しながら進めるのが一番だから」

 いつになく神妙に、一人ひとりに視線を合わせながら続けた。

「貴女たちに大切にして欲しいのは、無理をせず、自分にぴったりな殿方を探すこと。誰でもいいなんて思わないで。ヴォーイハントを楽しみながらしっかりと相手を見極めて、最高のパートナーを見つけてね」
「……じゃあ、もし、お見合いをする場合は……」

 はた、と教室が静かになった。さっきとは違うまた別の生徒だった。視線が集まってバツが悪くなったのか、首を左右に振った彼女は、「えっと、すみません……ルージュ様の見合いの話、最近聞いたものだから」と、露骨に肩を竦めて縮こまる。
 誰も彼もの心を引く話題だけれど、直接ルージュ様に尋ねられるわけでもない。ビューラ様に問うてもはぐらかされるだけ。私だってこの数日、何度人から聞かれたか分からない。気になるのが、理解できるけど。

 ワーシャは「困ったコねぇ」と柳眉を枝垂れさせた。ほっそりとした指先を顔の輪郭に這わせ、言葉を選ぶように天井へ視線を移す。そこにあるのはなんの面白みもない岩天井だけど、もちろん彼女が見ているのはそうじゃない。

「んー、そうねぇ。ルージュ様の場合は、仲人役がしっかりと見定めた上でお会いになるから……それに、何人もの男性とお会いになるのだし、私たちのヴォーイハントとそう大差ないんじゃないかしら」
「外でお会いになるわけですよね。壁内にヴォーイは入れませんし」
「そうね。相手が決まればお披露目式をして、そのまま蜜月に入るのでしょうね」
「蜜月の間に、外で伽を……?」
「あんたっ」
「もうっ、こういう話ばっかり好きなんだから」

 じっとりと細めるワーシャの眼圧に、「すみません」と生徒が舌を出す。しかし、下世話が好きなのは誰だって一緒だ。ワーシャは一度小さく首を振って、一段と声を顰めた。

「まぁそうでしょうね。……王族は外で暮らせないし……ご懐妊なされるまでは、伽のために時々外でお会いすることになるんでしょうね」
「じゃあ、やり方が分かってないと大変ですね。探り探りやってたら時間ばっかりかかっちゃう」
「昔は指南役が居たみたいよ。どうやったら殿方を悦ばせられるか、自分の身体が受け入れるようになるか、手とり足取り教えて差しあげる役目がね」
「え……」
「もちろん、今はないお役目よ。昔の人って凄いわよねぇ、まさか伽の方法まで教えちゃうんだもの。マッ、どのみち私たちには関係のない話よね」

 ワーシャのぼやきに「教えて欲しいです先生」と追いかける声。その後に続く笑い声が、砂塵のざわめきみたいに耳を包む。けれど、今そんなこと、どうでも良かった。

 王族に、伽を教える指南役が居た。
 そんなの初耳だった。ルージュ様からも、先代の女王からも聞いたことがない。知らなかったのかもしれない。その前はどうだったんだろう、いつ頃まで続いた慣習だったんだろう。まだ何も知らない綺麗な身体に触れて、男を受け入れられるよう教え込んでいく、指南役。
 伽に詳しい人、だったのだろうか。もしくは、同じように知識の浅い若手が相手になって、お互いに探り合っていったのだろうか。
 私みたいな、小間使いと。

「……」

 もし、私が、ルージュ様のお相手になったなら。
 あの瑞々しい素肌を撫で、空の瞳に見上げられながら、彼女をこの腕の中に閉じ込められたなら。

「あんた、大丈夫?」
「へっ」

 気付いたら、ワーシャが目の前で手を振っていた。

「刺激強かった? 顔、赤くなってるよ」










 ルージュ様の、お見合いの日取りが決まった。
 相手は、ビューラ様に話を持ち掛けていたらしい士族の男。なんでも亡国に仕えていた騎士の末裔で、曾祖父にあたる人物がゼルダ姫様の父君に仕えていたとか。真面目で、性格も良く、腕の立つ美男子という話。
 その相手がルージュ様のつがいに決まったわけじゃない。これから途方もなく続くお見合いレースの第一頭。
 何事も「始め」というのは比較されやすいし、不利な状況だろうにご苦労なことだ。しかし、お互いに気に入れば他と会わずにすぐ、という可能性もある。
 顔合わせの場所は、カラカラバザールに決まった。日輪が真上に昇った午天、オアシスのほとりにビューラ様を連れ添い、平原くんだりからやってくる見合い相手を迎えるのだという。

「幾度繰り返すことになるんだろうな。全員一度に来てくれればいいのに」

 ざばぁ、と湯を流す音の合間を縫うように、ルージュ様がポツリと呟く。
 木の衝立で間仕切りをした洗い場。掛け流しの地下水を引いたルージュ様のお部屋の一角で、私たちは湯浴みをしていた。
 正確に言えば、湯浴みをしているのは彼女で、私は単なるお手伝いだ。たっぷり沸かした湯をかめに準備し、じゃばじゃばと流れ続ける冷たい地下水と混ぜて使う。
 ゲルド族は、毎日湯浴みをするわけじゃない。今日は特別で、それはもちろん、明日の見合いがあるからだ。壺からとろっとした白い泥を掬って手に塗り広げ、香油で水玉を弾く彼女のおぐしに揉みこんでいく。

「そうなったら、殿方は大変ですね。ルージュ様のお見合いが終わるのを、後ろでずらーっと並んで待って、順番が来たら『お初にお目にかかります。あいや美しい姫君だ』って、挨拶して?」
「ふふっ……面白いじゃないか。ぜひそうしたいものだな」
「笑っちゃってお見合いどころじゃありませんよ、そんなの」

 くすくす笑いながら、柄杓に湯を掬い、泥が残らないよう丁寧に髪を流した。数日ぶりに汚れを落としきった赤い髪は、燭台の乏しい光を何倍にも跳ね返して煌めいていた。
 この宝石のような髪も、少し前までは足首まで長く、洗髪ひとつが半日がかりの大仕事だった。あの頃は日の高いうちに湯浴みを始め、風の通る戸口で髪を乾かした。お手入れの間、彼女はゲルドの街の喧騒を聞きながら随分退屈そうで、私はせめて話し相手になりたくて。
 つい、昔を思い出してしまう。いつまでたってもこの短い髪に慣れない。

「もし、明日会う人が良い人だったら、その人と契りを交わす……ということですか」

 身体を擦る麻布で、サボテンの果汁を揉みこむ。湯気に混ざる青っぽいにおい。泡を立ててから、彼女の肩にそっと触れた。

「ん……まぁ、そうなのだろうな。さすがに一人目で決まるとは思えないが」
「可能性としては、0じゃないんですよね」
「可能性はな。可能性だけだ。万が一にもあるまい」
「……万が一が、あったら?」

 ぴく、と伸ばされていた腕がにわかに緩む。そのまま、ルージュ様がこちらへ横目を覗かせた。
 張り付いた前髪。その隙間から、寄せられた眉根が覗く。
 けれど私は気付かないふりをして、手を動かし続けた。

「どうかしたのか。なにかあったか?」
「だって……明日、そう言うことになるかもしれないって考えたら、ちょっと」

 知らない男なんかに。とは言えない。

「……ルージュ様、やり方知ってるのかなって」

 酷い建前。下世話好きは自分じゃないか。
 けれどルージュ様は、前髪をかき上げて、「あー」と露骨に首を壁の方へ逸らす。

「一応、手順は知ってる」

 続けざま、唇の中でだけ紡ぐような小さい声で言った。

「本で読んだから」
「本」

 思わず見返せば、彼女のキマリ悪そうな横顔が目に入った。間隙なくプイと逸らされると同時に、片手が持ち上がって洗うように促される。
 そんな子供じみた女王の振る舞い、他の人には見せないくせに。なにも言わずに滑らかな肌に沿った。

「昔は、伽を指南する人がいたらしいですよ」
「ああ、どこかでわらわも聞いたな。昔は、王族同士の婚姻だったからだろう。失敗が許されない。……今は、不要の慣習だろうが」
「今にも続いてたら、指南役は誰だったんでしょうね、ビューラ様?」
「……それは嫌だな」

 そのまま、彼女のくびれた横っ腹を洗っていく。いつのまにかこの肌膚の上にも、昔になかった小さな傷がたくさん増えた。彼女はきっと、それこそが王たる証って誇らしそうに笑い飛ばすんだろう。私が昔につけてしまった、横腹の刀傷もそうだった。
 太ももの付け根には、細かな木の枝を思わせる妙な痣が浮き出ている。つい最近増えたのだ。天変地異が起こって、ルージュ様が雷撃の力に目覚めた頃合いだったと思う。雷の力が宿った証なのか、だとすればこれは、彼女が賢者として女神の加護を賜り、勇者と共に世を救った痕跡と言えるのかもしれない。
 それを知ってるのは、小間使いである私だけ。だからこれが好きだった。とりあえず、今は。

「じゃあ、私だったら?」

 口から出たのは無意識だった。

「其方が?」

 ルージュ様の声に、はっとなる。今、私は何を言った?
 耳の奥に残る、自分の声。私だったら? 何度か頭の中で繰り返すうち、変な冷たい汗がじわじわと全身に染み出してきた。

「いやッ、すみません! 適当言いました。忘れてください……!」

 ありえない。そんなこと言うなんて。ぱっと彼女から手を離して、愛想笑いのように唇を無理に引き上げた。けれど、どうにもひきつっていつものような顔を作れない。

「其方は、やり方を知っておるのか?」
「いえ、知らないです! したことないし……!」
「じゃあ指南役なんて、とうてい無理じゃないか」
「えーと……もしそうだとしたら、同じ目線でルージュ様と勉強できるかな、とは……」
「それは指南ではないな」

 ルージュ様は、気にされていないようにくすくす笑ってくれた。けれど私の心の中は、どこか一部が冷めたような、逆に煮えたぎるような、妙な心地があった。唾液が急に滲みだしてきているのに、なぜか舌先は乾いてる。こく、と飲み込んだのは生唾ばかりじゃない。
 二人で知らないところを触って、暴いて、身体に刻みつけて。そんな風に痕を残してしまったら、どうなってしまうんだろう。
 こんなこと考えてるなんて知られたら、きっと首をはねられる。
 曲線を描く背中に、とろっとした泡が伝っていくのが目に入った。

「で、でも、そっちの方が、安心できませんか? 知らない男性より、知ってる小間使い」

 軽薄な言葉が勝手に飛び出る。自分でどんな不敬を口走ってるか頭では分かってるはずなのに。彼女ならきっと許してくれる。そんな確信が甘えに変わった。

「知った上で触れられるのだろう。まったく急に、事に入るわけじゃない」
「でもきっと、数か月……いや、もっと短くて数週間のお付き合いでそうなるかも。……想像できないです、そんな短い付き合いの人に触れられるなんて」
「……」
「怖くはありませんか。私だったら、せめて……先に準備しておきたいかも、と思っちゃって」
「……どうにかなるさ。それが王族の務めだ。どうにかしなきゃいけない」

 どうにか、してしまうんでしょうね。貴女は。でも私は、それが堪らなく嫌だと思ってしまう。
 このまま、麻布を取り落として、彼女の柔らかな肌を撫でたら。欲しいままに壁へ押し付けて、短い髪の張り付く首筋に唇を落としたら。私の名前を呼ぶ愛らしい声が、私との思い出を語るその口元が、男を知る前に。
 明日は失敗するだろう。……して欲しい。でも、二人目は。三人目は? きっとルージュ様が男を知るのは遠い話じゃない。その前に、じりじりと焦がれる太陽に、きっと私は手を伸ばしてしまう。私たちの太陽を。私の、太陽を。
 こんなのを近くに置いて良いわけがない。彼女は空にある太陽なのだ。じゃないと、じゃないと。

「私も、そろそろヴォーイハントに行こうと思ってるんです」

 ざばぁ、と彼女の身体にかけ湯をした。何度も。何度も。音と一緒に、お湯と一緒に、膨れた気味の悪い欲望も流してしまえと思って。

「……そうか。其方もついにな」
「ゲルドの女として、お勤めを果たします。ルージュ様もお見合いに行かれるのですから、私だって」
「もしや、嫌なのか? さっきから、随分後ろ向きなことばかり言っておる」
「だって……貴女ほどお慕いできる人が見つかるわけでもないでしょうし……」
「……」
「それでなくとも人が減ってますから……分かってます、できることはやりたいんです、私だって」

 衝立にかけてあったガウンを手にし、彼女に袖を向けた。いつもだったら、息を合わせたように彼女の腕が伸びてきて、流れる仕草で優雅に羽織っただろう。しかし彼女は動かない。

「先ほど口にしたのは、其方のことか……」

 ぼそ、とルージュ様がなにかを呟いた。流れ落ち続ける水の音で鮮明に聞こえず、「え?」と聞き返す。
 ゆっくりと振り返ったルージュ様の表情が、いやに切なげだった。

「……すまない」

 腕を伸ばした。ガウンに──と思ったのに、手の平はそれを躱して、私の手首をつかんだ。白いそれが床に落ちて、グッと引き寄せられる。小さな悲鳴と共に、足下で温い水が跳ねた。
 とん、と手首を押さえつけられ、気付けば背中に、しめった冷たい岩壁の感触。目の前には、ルージュ様がいる。濡れた小麦の締まった太腿が、私の股の間に割り入ってきて動けない。
 水の流れ続ける音だけが、私たちを包んだ。

「ルージュさ、ま」

 呼吸が浅くなる。声に芯がない。この声、覚えがある。恋愛教室で、ワーシャに囲まれた生徒の声と瓜二つだ。
 ルージュ様は一糸まとわぬ姿のまま、空いたもう片方の手を、指先で這い上げるように擦った。私の指一本一本の合間に、彼女の傷の入った固い指先を通し、壁際に縫い留めてくる。

「この前の話、覚えているか」
「この前の、はなし……」
「娶られる前に、幼馴染の少年と、結婚を約束する話だ」

 子どもの頃、女王様に読んでもらった話──「え、ええ……」と浅い呼吸に声を乗せて返事する。

「懐かしくなって、あの本を読み直した。本棚にあったんだ。それで思い出した。姫は幼馴染の少年に、亡き母から託されたたった一つのエンゲージリングを渡すんだったなと」

ルージュ様はそこで、小さく笑った。

「きっと、父王は惑ったろうな。他国の王族との婚約があったって、民族に伝わるそれがなければ示しもつかない。慣習に縛られる姫のできる、唯一の抵抗だったのだろう」
「……」
「あの話では語られなかったが……きっと姫は、心だけ幼馴染に置いて、違う男を婿に迎えたはずだ。王族とはそういうものだ。けれど、その抵抗が私には眩しい」

 手首をぎゅっと圧迫される。締められるような痛みに眉に力が籠ったけれど、まるで縋るようで、地に足のつかないような夢想感の中、その繋がりだけが確かな感覚に思えて。
 不意に、彼女が首筋に擦り寄ってきた。ひたり、と触れた髪の毛が冷たい。その分、首筋にかかる吐息が熱かった。それから、柔らかいなにかが肌を挟む。ちゅ、と水音が聞こえて口付けだと分かったとき、ぶるっと全身が震えて、足に力が入らなくなった。

「る、じゅ様」

「其方と抵抗したい。せめて……せめて、最初だけでも」

 いつの間にか、見下ろされてる。だめだろうか、と呟く彼女の瞳は、影の中でも、相変わらずに空だった。
 手を伸ばしたのは花の方じゃない。声も出せず、一度頷く。花がしたのはそれだけだ。
 ふっと太陽が細められた。それから私の元に、焦がれた空が、落ちてきた。

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