その他(イーガ以外のキャラ)
「ある晴れた朝月夜のことでした。
雪原の馬宿と呼ばれる宿泊所で生まれた私は、その日も日課の雪踏みをしていました。
きっとご存知かと思いますが、ここヘブラは一年を通して極寒です。確か暦の上では春だったと記憶していますが、まだ一日の間でほとんど雪の止むことがなく、放っておけばすぐさま街道を見失うほどに積もってしまいます。
預かった馬たちの世話はもちろんのこと、日に数回は街道沿いに積もった雪を除けたり踏みしめたりして、旅人が訪れやすいように道を整えてやることが、雪原の馬宿では日課になっていました。
普段は、決して遠くまで雪踏みしません。マモノもいるので、馬宿の見える場所までで良いと幼い頃から両親に言い聞かせられていました。
しかしこの日、暫く灰色の鬱屈とした天気が続いていたのに、急に抜けるような青空が広がったものですから、少し足を延ばしてみようと思い立ったのです。久しぶりに見る太陽の光が積もった雪の粒に反射してとても綺麗で、気付けばかなり遠い場所にまで辿り着いていました。
誘われたのだと思っています。そうとしか思えません。ずっと淡雪を踏み固める音を楽しんでいたのに、ふと顔を上げたくなったのも、今となっては何か不思議な縁に誘われたからなのだと思っています。
野生動物の足跡すらついていない一面の雪景色。いつもはびゅうびゅうと風の流れる音が耳を過ぎていくのに、このときは不思議なくらいなんの音もありませんでした。自分の身動きの音すら細かい雪の合間に吸い込まれていくような、厳かささえ感じるほど澄み切った静寂が広がっているだけでした。
そんな白色の中に、ひとつの青い羽根が横たわっているのが唐突に目に入ったのです。
それは、当時の私が目にしたことがないくらい大きく立派な羽根で、すっと真っすぐに伸びた羽先が凛とした雪の景色を彩っていました。まるで誰かがわざわざ飾っているみたいに。でも周りには誰もいない。鳥もいない。居たとしても、こんなに大きく青い羽根を持った鳥を、私は見たことが無い。リトという種族に、当時まだ詳しくなかったんです。
なにか不思議な、人ならざる者のいたずらかと本気で思いました。だから最初、雪の下には隠された祭壇があって、拾いにいった人間に災いが降りかかるのでは、とも考えて少し怖かった。でも結局は、興味が勝ちました。
新しい足跡を雪に残しながら羽に近づくと、それはやっぱり大きくて青かった。でも不思議なことに、見つけたときの青と近くに寄ったときの青と、少し様相が変わったんです。最初はまるで、雪の色をギュッと固めたような淡くくすんだ青だと思ったのに、すぐそばまでやって来ると、太陽が沈みかけているときの東の空みたいな濃く澄んだ青色になっていました。
雪の上に乗った青い羽根を拾って、昇り始めたばかりの日に透かしました。見る度に色を変えるその青は、どうやら光の角度によるものらしくて、雪を固めたようにもなれば、太陽の沈んだ空のようにもなれば、それだけでなく青の上澄みには、夏に覗かせる針葉樹のような緑と、朝焼けの太陽のような赤も感じられました。
きっと今までの私が見たことのない景色の色が、青い羽根の中には封じ込められている。雪に閉ざされた馬宿で育った私にとって、見る度に表情を変える青は、未知でいっぱいのこの世界に触れる最初になりました。
こうして私は、その美しい羽根に一瞬で心を奪われたのです。
羽の正体自体は、馬宿に戻ってからすぐに判明しました。作業中の両親に『あぁ、それはきっとリトの落とし物だね』と言われたので。
その当時、私はまだリトという種族のことを知らなくて・・・・・・。雪に閉ざされた馬宿では、訪れた旅人から話を聞くくらいしか知識を得る機会がなく、極まれに訪れるリトを遠目で見るくらいしかしてこなかったものですから。それに、リトはその・・・・・・結構警戒心が強いでしょう?あまり村から降りない、というイメージがあります。今は特に厄災の復活も噂されてますし、仕方ありませんよね。貴方がここにいるのが不思議なくらいで。
ごめんなさい、話が逸れました。それからの私は、青い羽根が宝物になって、毎日毎日眺めながらリト族の空想に耽りました。
父から、ハイリア人と同じく二本の脚で立ち、大きな翼をもって空を自由に飛び回る種族で、空の支配者とも称されているとは聞いたのですが、近くでまじまじと見たことがあるわけではないので、詳しくは想像するしかありません。
美しい青い羽をもつ鳥人。当時はリト族のことばかり考えていて暇さえあれば羽根を眺めていたので、『そんなに大切なら』と笑って母が頭飾りに仕立ててくれるほど、私は夢中になっていました。
リト族が馬宿を訪ねてきたのは、それから数か月後のことです。
[[rb:厩 > うまや]]で世話をしている朝の時間に母から『リト族のお客さんが来たよ』と呼ばれて一目散に顔を出すと、そこにいたのは茶色い羽根の人でした。
急に息せき切って現れた私に驚いたようでしたが、今までの事情を話すと納得したらしく、そればかりか不躾な私の質問に気前よく答えてくれました。
この羽は本当にリト族のものか。この辺りを飛ぶことはあるのか。青い羽根のリト族はいるのか。この羽に心当たりはあるか。なんて質問を矢継ぎ早にして、随分彼を困らせたと思います。
『そうさなぁ。青い羽根といったらリーバルかな。ここらを飛んだかどうかは分からんが、この羽根は彼の物に見えるよ』
リーバル。初めてその名を口にして、青い羽根の色とこれほど馴染む言葉があるのかと思いました。
リトの旅人は『あんまり漏らすと、あいつに怒られるからさ』と申し訳なさそうにして、暫く休んでから帰っていきました。
リト族は、数か月に一度くらいの頻度で馬宿を訪れます。大半は身体を鍛えているリトの村の戦士たちで、マモノ退治や狩りで近くまで訪れた際に、興味本位で足を延ばして馬宿に寄っていっているようでした。
彼らに今までの経緯を説明して青い羽根を見せると、誰も彼もが『それはリーバルのものだろう』と答えたので、大きく青い羽根の持ち主は、リーバルというリト族の青年だと確信を持ちました。
リトの人が訪れる度に青い羽根の話をしていたので、彼らの間で私が「青い羽根をもつ馬宿の娘」として、ある種の信頼を得られたみたいです。初めて訪れるリトの戦士に『あ、君だろう。リーバルの羽根を持ってる娘というのは』と笑われることが増え、まるで知り合いのように、まだ見ぬリーバルの話をしてくれるようになりました。
弓矢の扱いがピカイチで、おそらく私と同年代。卓越した飛行技術は同じリトでも舌を巻くほど高く、振る舞いは優雅だけど、他を寄せ付けない孤高の雰囲気があるのだと。
彼らから語られるリーバルは、まるでどこかの王子様みたいに私の心を惹きつけて仕方なく、私は更なる空想を続けました。そうしていつの間にか『彼にいつか会いたい』という夢を抱くようになったのです。
しかし、私にリトの村へ行くような機会はなく、それは結局、無理だと分かっているからこそ抱ける夢でした。
私は馬宿の娘として、ここで両親を支えなければいけませんし、マモノにいつ襲われるかも知れない道中を考えると、とても村へ行く覚悟は持てません。
だからせめて、リト族が馬宿にやってくる度、伝言を頼むことにしました。
今度弓矢の大会に出るらしいと聞けば『応援しています、と伝えてもらっても良いですか?』と伝言を頼みましたし、優勝したらしいと聞けば『おめでとうございます、とお伝えください』と勝手なお願いをしました。彼からは一度も返事が返ってきたことはなかったけれど、私はリト村の戦士に会う度、リーバルへの言葉を託し続けました。
全ては、まだ見ぬ王子のような青きリト族に、想いを伝えたかったから。いつか私が覚悟を持つまで、もしくは彼が気まぐれを起こして馬宿に来てくれる日を願って、迷惑だと言われるまでは続けようと思って」
・・・・・・だから、貴方にも伝言を頼みたいのですが。と締めくくると、頬杖をつきながら話を聞いていたそのリトからは、ふうんと退屈そうな返事が返ってきた。
日課の雪踏みに勤しんでいる折、何してるの、と声を掛けてきたのが目の前の彼だ。リトは大体空からひゅーと降りてきて、ばさばさ大きな翼を羽ばたかせながら近場に着陸するのが典型だけど、まさか鉤爪の跡を残しながら歩いてやってくるリトがいるだなんて誰が思っただろう。
それだけでも面食らってしまうのに、彼は頭からすっぽりとフードを被り、分厚いマントを身体に巻き付けているので何事かと思った。布の隙間からは鮮やかな黄色い嘴と、白い指先?羽先?だけが覗いている。声の感じから若い男性だとは分かったけれど、リトの意匠が凝らされた背中の大弓がなければ、確実に悪漢を疑った。
しかし、彼が持っているものほど大きな弓を、私は今までに見たことがない。彼の身長ほどあるそれは木でできているんだろうけど、すごく重そうだし、重厚な雰囲気があった。若いだろう彼と、なんとなく不釣り合いに感じる。総じて彼は、怪しさ満点極まれりであった。
どう見たって警戒すべきだ。けど、彼から開口一番で「君か。リーバルについて尋ねてるって馬宿の娘は」と言われたので、問答無用で信用するしかなくなった。
だってその話を知っているのは、リトの村人だけだ。きっと若い彼は、噂になってる頭のおかしな女を見に行こう、と思いたったのだろう。フードの奥からどこか品定めするような目つきを感じるのだから、そうに違いない。
馬宿の仕事をしている中で、旅人から「暇だから何か話をしてよ」と頼まれることは少なくない。大概私は青い羽根の話をするのだけれど、最初から最後までじっくり何も言わずに聞いてくれたのは、とはいえ目の前のリトが初めてだった。
最初に感じた怪しさについては謝りたいと思う。彼は頭のおかしな話を、退屈そうではあるけれどフルコースで聞いてくれたのだ。少し好感度を上げるべきだろう。
「今の話を聞いて、少し気になるところがある。聞いても良いかい?」
だから、人間が爪の間に入った汚れをマジマジと見つめるみたいに、羽先をしげしげ眺めながらそんなことを言われても、私は馬宿のスタッフなりに「はい、どうぞ」と笑顔を浮かべたままでいられた。
「君はリーバルとやらに随分固執してるようだけど、もしかしてだよ。彼の物かも分からない青い羽根を拾ったってだけで、そこまで入れ込んでるわけ?」
大振りな仕草で羽先を広げたフードのリトは、心底呆れたような声だった。ほんと、まるで私の気持ちが信じられない、とでも言いたげなほど、呆れたような声だった。
まあ、心当たりはある。こんな話を聞いたらそんな感想を抱くのは当然で、今までだって同じ質問をされた経験があるからだ。特に両親は、私が青い羽根の話よりもリーバルの話を食卓に出すようになってから「本当にリーバルさんって人の羽根かどうかも分からないのに」と思い込みの激しい娘に呆れてみせた。
それでも初対面のリトにこうまで明け透けに指摘されたら、両親から呆れられるよりも数倍は恥ずかしい。遠慮がちに「そうですね」と肩を竦めれば、瞬間的に返ってきたのは「ははは!」という大笑い。
本当に初対面ですか? と思わず問いたくなるほど清々しい声だった。
「こりゃ傑作だ!たった一枚の羽根でそこまで思い込めるとは!少し君は自分を客観視した方が良いんじゃないか?怖くすらあるよ!」
「私も、長年想い過ぎたなとは思ってます。しかも一方的に」
「君をそうまでさせる羽根・・・・・・それだろ?頭の羽飾り。それに囚われすぎてやしないか?世の中にはもっと見るべきものがあるって、知った方が良いと思うぜ」
「そう、ですね。確かに」
どれほど大切に扱おうと、何年も経てばどんなものだって古くなる。私にとっては未だ当時の煌めきが見える青い羽根も、私の瞳を通さなければきっと、古ぼけた羽飾りにしか見えないに違いない。最近は日に透かしても色は変わらないし、もはや青とは言えないほど黒ずんでいる。凛とした朝の雪に似合う真っすぐ伸びた羽先も、随分バラけて寝ぐせのような跡がついたままだ。
「でも」と頭飾りをそっと外して、手の平に乗せる。その瞬間、いつもあの日に戻れる。初めてこの羽根を見つけた、朝月夜の青い空と白い雪の日に。
「でも?」と、組んだ足先に肘をつきながら、こちらをしかと覗き込むリトに促される。指先でボワボワになった羽先を撫でながら、私は宝物と出会ったあの日の風が頬を過ぎていくのを感じていた。
「この世の見る目が変わったきっかけだから・・・・・・世界が広がったんです、羽のおかげで」
「へえ、世界が?大袈裟だね、随分」
「足跡一つついてない一面の雪景色に、これがふわっと乗っているのを見たとき、ドキドキしたんです。まるで花が咲いてるみたいでした。誰かが、誰かのために供えた花みたいにも見えた。私はこの世界がそんなにきれいだって、知らなくて」
「ほお?」
「降ったばかりの雪に負けない程柔らかくて、太陽の光でキラキラ輝く雪面より、目を奪われました。見る度違う青になるこの羽が美しくて、どきどきして、びっくりして。まるで」
「・・・・・・まるで?」
「・・・・・・恋したんです、この羽に」
だから、持ち主に一度会ってみたい。
初対面の人に言う言葉ではない。今まで、大切に胸の中に収めていた言葉だった。でも、呆れながらも話を全部聞いてくれた人だから言ってしまった。
フードの奥に潜む彼の目はあまり見えないけれど、びっくりしたようで嘴を微かに開けているのが少しおかしかった。面食らったという言葉が良く似合って、フードとマントで素性も分からないリトの若者が初めて見せた、若者らしい反応のようにも思えた。
「・・・・・・なんて言えば良いか、言葉が出ないね」
今度ははっきりと困った声になったので、私はすみませんと苦い笑みを浮かべた。
よっこらせと立ち上がった彼は、そろそろ村に戻るのだという。
私も彼から話を聞きたかったのだけれど、どうやらそれは許してくれないみたいだ。馬宿にやって来る旅人は自分がどれほど凄い冒険をしているか、ハイラルという国の雄大さを語りたがる人も多いのに、彼は人の話を聞くだけで良いみたい。
少し変わっていると思う。いや、そもそも彼は、リトの村で噂になっている様子のおかしな女を物珍しさで見に来ただけだろうから、これでミッションコンプリートなんだろう。
「もし高所をお探しでしたら、この先に行くとククジャ谷にあたりますよ。皆さんそこから風に乗るみたいです」
リト族が馬宿に来ると、大概がククジャ谷はどの方角にあるかを聞かれる。その場で飛べば良いのに、と当初こそ思っていたけれど、なんでもリト族は、垂直に飛び上がるのは不得手なのだそうだ。リトの村も平野に広がっているわけではなく、天に向かって縦に伸びる岩場へ足場を組んでおり、みんなそこから風に乗るのだと聞いた。
リトの村を見たことのあるお父さんが言うには、それぞれの家が籠のような見た目をしていて可愛らしいのだとか。この話を思い出す度に、壁が無いのでハイリア人にとっては風が強くて寒すぎるんだと語った、父の苦い顔まで蘇るから笑ってしまう。
歩くのではなく、あくまで飛んで帰ることが選択肢の第一位に来るのだから、人にはあり得なくて羨ましい。ククジャ谷へ行くには街道ではなく平野を突っ切ることになるけど、リトの村で戦士をやっている人であればおそらく何の苦でもないだろう。
と、ここまで配慮して声を掛けたわけだけど、フードのリトから返ってきたのは「ああ、谷ね」と、まるで興味なさそうな淡泊声だった。
「僕には必要ないよ。ここから飛んで帰るから」
「・・・・・・ここから、ですか?」
「ああ。僕に崖は必要ない。僕は真っすぐ上に飛び立てるんだ」
「上に? 今までのリトの方は、上には無理だと仰ってました」
「なんせ僕だからね」
よほど飛行に自信があるんだろうか。ここへ歩いてやってきた人とは思えない言い方だけど、今までのリトとは反応が全く違うので肩を竦めた。
「君に会えて良かったよ。ずっと会いたいと考えていたからさ」
急転直下、直球ストレートな口説き文句をぶつけられて言葉を失う。
まさか”そういう類”の人だった?フードも被っているし、自分の話もしないし、気持ちを開け広げにするのを避けているのかと思ってた。
パチクリまばたきして彼を見返しても、照れや恥があるようには見えない。大真面目なのだ、彼は。
とはいえ、こう見えて私は馬宿唯一のうら若き乙女。寒さを凌ぐために濃度の高いお酒を飲んで、酔っぱらったおじ様達から口説かれた経験だって少なくない。
ヒュ~と口笛でも拭きたい気持ちを内側に押し込めて、「そうなんですか、ありがとうございます」なんて、無理やりへらっと口端を持ち上げて笑ってみせた。
「なんだか照れますね、そんなにリトの村で知られてるなんて」
「リトを伝書鳩に使うなんて図太い娘だなと思ってたんだ。話を聞いて余計に思ったけど」
「それは・・・・・・確かに。伝書鳩だなんて、そのつもりは無かったんですが」
「みんな面白がってるんだ。良かったじゃないか、図太い娘であることが功を奏してさ」
「あ、じゃあ図太いついでに良いですか?言伝を頼みたくて」
「いいだろう。なんなりと言いなよ。僕ができることならね」
「リーバルさんに伝えてください。貴方にいつか会いたいと思ってますと」
「ああ、言ってなかったっけ?」
「はい?」
「僕がリーバルだ」
フードの奥に光る目が私の目を捉えている。何を言われたか意味が理解できなくて、「ん?」と聞き返せば、彼は見せつけるような優雅さでフードの端に手を掛け、ゆったりとその姿を日の元へと晒していく。
影が退くにつれ、漸く分かった彼の羽の色。もう西に傾いた日の光を受けるそれは、角度によって随分印象を変えながら私の目に飛び込んできた。
雪の色をギュッと固めたような淡くくすんだ青。太陽が沈みかけているときの東の空みたいな濃く澄んだ青。上澄みには、夏に覗かせる針葉樹のような緑。そうして微かに朝焼けの太陽のような赤。
青い、羽の人だ。私は何も言えず、口と目を見開いたまま、彼の美しい青い羽並みに視界を奪われた。呼吸がままならない。白い息を吐かなくなった私が息を止めたことを、彼はきっと不思議に思ったに違いない。そんなどうでも良いことが頭をよぎるけど、そんな独白の間にも、私の目の前には青い羽。広い世界を知ったきっかけの色が、瞬くように次々と色を変えていく。
切れ長の瞳を細めて、目の前の青い人──リーバルは、やれやれと大げさに首を振って見せた。
「まさか最後まで気付かないとはね。馬宿の娘なら、もう少し観察眼ってものを持った方が良いんじゃないか?」
「あ、え、・・・・・・リーバル、さん!?」
「あんまり度々言伝を寄越すからわざわざ来てやったんだ。感謝してくれても良いんだぜ」
「最初から言ってくれれば・・・・・・なんでフードとマントなんか・・・・・・」
「おいおい君も言ってただろ。リトは警戒心が強いって」
まさかこの場で会えるとは一切思っていなかった人が、今目の前にいる。
リーバル。リーバルがいる。そう思ったら、今まで彼に感じていた得も言えない不気味さは、布巾で拭きとられたみたいに綺麗さっぱり無くなった。その代わり、ずっと空想上のリーバルに重ねてきた「王子様感」を当てはめる。少し大げさで、少し意地悪な物言いは気になるけれど、大方予想通りかもしれない。人って、目の前の人物にラベルがつけられた途端に、ガラリと印象が変わってしまうのだから不思議だ。
彼に会ったら言おうと思っていた話があった、気がする。でもいざとなったら言葉なんて出てこなくて、「あ」とか「え」とか、頭の中がまとまらないまま、なんの意味も持たない発語を繰り返すだけになった。
彼は呆れたみたいに嘴の端を曲げて笑って、「そうだ」とマントをはためかせながら片翼を広げる。
「その頭飾りに相当の思い入れがあるみたいだから、これは余計かもしれないけど。あげるよ」
羽先がその青い片翼を滑ったかと思ったら、続け様に差し出されたのは酷く見覚えのある青い羽根。
まるで一輪の花でも渡すみたいに恭しく差し出されて、これを受け取ったら何かが始まってしまう予感がした。大きくて、艶やかな羽先の中に収まる一枚の青い羽根は、あの日に見た時と同じく、私の心臓を昂らせる。
恐る恐る指を伸ばして摘まむと、リーバルの青い片翼が離れていく。そのまま後ろ向きに数歩歩いて開けた場所に立ったリーバルは、またゆったりと優雅な振る舞いで、片手を上げた。
「気が向いたらまた来るよ。もしくは君が来てくれても良いけど」
じゃあね、という言葉が言い終わらないうちに、一陣の風音が耳を覆う。突風に近く、巻き上がる雪に思わず腕で顔を隠せば、羽が空気をばさっと叩く音と更なる風圧。あっ、と思った瞬間に目の前にいたはずのリーバルは居なくなっていて、太陽の方を向けば、陰となったリトが逆光の中にいた。
行ってしまった。風に巻きあげられた雪が、はらはらと蒼空を背景にして降ってくる。日の光を反射して、キラキラ瞬く風花は綺麗だった。徐々に高度をあげ、あっという間に点となった青いリトが、ククジャ谷を越えてヘブラの山々に向かっていく。
青みがかった白色に染まる峰を越えた先に、彼の故郷があるのだろうか。話だけを聞いてずっとずっと空想していた、縦に長いリトの村が、あの峰の向こうに。
そわっ、と心が浮つく。今まさに話をしていた王子様が住む場所へ、いつか行きたい。それだけで胸がいっぱいになって、寒くて冷え切っていたはずの頬が温かくなって、ぴょんぴょんその場でジャンプしないと耐えられなくなってしまった。行きたい。いつか行きたい。私にも羽があれば、ククジャ谷から風に乗って今すぐにでも行ったのに。
いつか。と考えてハッとなり、手に収まった青い羽根と、かつて青かった羽根を見る。いつの間にか黒ずんでいた頭飾りが、まるっきり元通りになったようだ。あの日見た通りの美しさがあった。そして私は、これに恋をしたと、さっき言った。
いや違う。この衝動をもって確信する。私は恋をした。青い羽根にではない。きっと、この持ち主に。
刹那、走り出したい衝動に従って、私は馬宿に駆けていった。
「お父さん、お母さん、私!」
戸口から、馬宿の掃除をしていた両親に息を切りながら声を掛ける。
その途端、手に掴む二枚の羽が同じくらい鮮やかに青く煌めいて、知らない世界の一端に触れられたような気がした。
雪原の馬宿と呼ばれる宿泊所で生まれた私は、その日も日課の雪踏みをしていました。
きっとご存知かと思いますが、ここヘブラは一年を通して極寒です。確か暦の上では春だったと記憶していますが、まだ一日の間でほとんど雪の止むことがなく、放っておけばすぐさま街道を見失うほどに積もってしまいます。
預かった馬たちの世話はもちろんのこと、日に数回は街道沿いに積もった雪を除けたり踏みしめたりして、旅人が訪れやすいように道を整えてやることが、雪原の馬宿では日課になっていました。
普段は、決して遠くまで雪踏みしません。マモノもいるので、馬宿の見える場所までで良いと幼い頃から両親に言い聞かせられていました。
しかしこの日、暫く灰色の鬱屈とした天気が続いていたのに、急に抜けるような青空が広がったものですから、少し足を延ばしてみようと思い立ったのです。久しぶりに見る太陽の光が積もった雪の粒に反射してとても綺麗で、気付けばかなり遠い場所にまで辿り着いていました。
誘われたのだと思っています。そうとしか思えません。ずっと淡雪を踏み固める音を楽しんでいたのに、ふと顔を上げたくなったのも、今となっては何か不思議な縁に誘われたからなのだと思っています。
野生動物の足跡すらついていない一面の雪景色。いつもはびゅうびゅうと風の流れる音が耳を過ぎていくのに、このときは不思議なくらいなんの音もありませんでした。自分の身動きの音すら細かい雪の合間に吸い込まれていくような、厳かささえ感じるほど澄み切った静寂が広がっているだけでした。
そんな白色の中に、ひとつの青い羽根が横たわっているのが唐突に目に入ったのです。
それは、当時の私が目にしたことがないくらい大きく立派な羽根で、すっと真っすぐに伸びた羽先が凛とした雪の景色を彩っていました。まるで誰かがわざわざ飾っているみたいに。でも周りには誰もいない。鳥もいない。居たとしても、こんなに大きく青い羽根を持った鳥を、私は見たことが無い。リトという種族に、当時まだ詳しくなかったんです。
なにか不思議な、人ならざる者のいたずらかと本気で思いました。だから最初、雪の下には隠された祭壇があって、拾いにいった人間に災いが降りかかるのでは、とも考えて少し怖かった。でも結局は、興味が勝ちました。
新しい足跡を雪に残しながら羽に近づくと、それはやっぱり大きくて青かった。でも不思議なことに、見つけたときの青と近くに寄ったときの青と、少し様相が変わったんです。最初はまるで、雪の色をギュッと固めたような淡くくすんだ青だと思ったのに、すぐそばまでやって来ると、太陽が沈みかけているときの東の空みたいな濃く澄んだ青色になっていました。
雪の上に乗った青い羽根を拾って、昇り始めたばかりの日に透かしました。見る度に色を変えるその青は、どうやら光の角度によるものらしくて、雪を固めたようにもなれば、太陽の沈んだ空のようにもなれば、それだけでなく青の上澄みには、夏に覗かせる針葉樹のような緑と、朝焼けの太陽のような赤も感じられました。
きっと今までの私が見たことのない景色の色が、青い羽根の中には封じ込められている。雪に閉ざされた馬宿で育った私にとって、見る度に表情を変える青は、未知でいっぱいのこの世界に触れる最初になりました。
こうして私は、その美しい羽根に一瞬で心を奪われたのです。
羽の正体自体は、馬宿に戻ってからすぐに判明しました。作業中の両親に『あぁ、それはきっとリトの落とし物だね』と言われたので。
その当時、私はまだリトという種族のことを知らなくて・・・・・・。雪に閉ざされた馬宿では、訪れた旅人から話を聞くくらいしか知識を得る機会がなく、極まれに訪れるリトを遠目で見るくらいしかしてこなかったものですから。それに、リトはその・・・・・・結構警戒心が強いでしょう?あまり村から降りない、というイメージがあります。今は特に厄災の復活も噂されてますし、仕方ありませんよね。貴方がここにいるのが不思議なくらいで。
ごめんなさい、話が逸れました。それからの私は、青い羽根が宝物になって、毎日毎日眺めながらリト族の空想に耽りました。
父から、ハイリア人と同じく二本の脚で立ち、大きな翼をもって空を自由に飛び回る種族で、空の支配者とも称されているとは聞いたのですが、近くでまじまじと見たことがあるわけではないので、詳しくは想像するしかありません。
美しい青い羽をもつ鳥人。当時はリト族のことばかり考えていて暇さえあれば羽根を眺めていたので、『そんなに大切なら』と笑って母が頭飾りに仕立ててくれるほど、私は夢中になっていました。
リト族が馬宿を訪ねてきたのは、それから数か月後のことです。
[[rb:厩 > うまや]]で世話をしている朝の時間に母から『リト族のお客さんが来たよ』と呼ばれて一目散に顔を出すと、そこにいたのは茶色い羽根の人でした。
急に息せき切って現れた私に驚いたようでしたが、今までの事情を話すと納得したらしく、そればかりか不躾な私の質問に気前よく答えてくれました。
この羽は本当にリト族のものか。この辺りを飛ぶことはあるのか。青い羽根のリト族はいるのか。この羽に心当たりはあるか。なんて質問を矢継ぎ早にして、随分彼を困らせたと思います。
『そうさなぁ。青い羽根といったらリーバルかな。ここらを飛んだかどうかは分からんが、この羽根は彼の物に見えるよ』
リーバル。初めてその名を口にして、青い羽根の色とこれほど馴染む言葉があるのかと思いました。
リトの旅人は『あんまり漏らすと、あいつに怒られるからさ』と申し訳なさそうにして、暫く休んでから帰っていきました。
リト族は、数か月に一度くらいの頻度で馬宿を訪れます。大半は身体を鍛えているリトの村の戦士たちで、マモノ退治や狩りで近くまで訪れた際に、興味本位で足を延ばして馬宿に寄っていっているようでした。
彼らに今までの経緯を説明して青い羽根を見せると、誰も彼もが『それはリーバルのものだろう』と答えたので、大きく青い羽根の持ち主は、リーバルというリト族の青年だと確信を持ちました。
リトの人が訪れる度に青い羽根の話をしていたので、彼らの間で私が「青い羽根をもつ馬宿の娘」として、ある種の信頼を得られたみたいです。初めて訪れるリトの戦士に『あ、君だろう。リーバルの羽根を持ってる娘というのは』と笑われることが増え、まるで知り合いのように、まだ見ぬリーバルの話をしてくれるようになりました。
弓矢の扱いがピカイチで、おそらく私と同年代。卓越した飛行技術は同じリトでも舌を巻くほど高く、振る舞いは優雅だけど、他を寄せ付けない孤高の雰囲気があるのだと。
彼らから語られるリーバルは、まるでどこかの王子様みたいに私の心を惹きつけて仕方なく、私は更なる空想を続けました。そうしていつの間にか『彼にいつか会いたい』という夢を抱くようになったのです。
しかし、私にリトの村へ行くような機会はなく、それは結局、無理だと分かっているからこそ抱ける夢でした。
私は馬宿の娘として、ここで両親を支えなければいけませんし、マモノにいつ襲われるかも知れない道中を考えると、とても村へ行く覚悟は持てません。
だからせめて、リト族が馬宿にやってくる度、伝言を頼むことにしました。
今度弓矢の大会に出るらしいと聞けば『応援しています、と伝えてもらっても良いですか?』と伝言を頼みましたし、優勝したらしいと聞けば『おめでとうございます、とお伝えください』と勝手なお願いをしました。彼からは一度も返事が返ってきたことはなかったけれど、私はリト村の戦士に会う度、リーバルへの言葉を託し続けました。
全ては、まだ見ぬ王子のような青きリト族に、想いを伝えたかったから。いつか私が覚悟を持つまで、もしくは彼が気まぐれを起こして馬宿に来てくれる日を願って、迷惑だと言われるまでは続けようと思って」
・・・・・・だから、貴方にも伝言を頼みたいのですが。と締めくくると、頬杖をつきながら話を聞いていたそのリトからは、ふうんと退屈そうな返事が返ってきた。
日課の雪踏みに勤しんでいる折、何してるの、と声を掛けてきたのが目の前の彼だ。リトは大体空からひゅーと降りてきて、ばさばさ大きな翼を羽ばたかせながら近場に着陸するのが典型だけど、まさか鉤爪の跡を残しながら歩いてやってくるリトがいるだなんて誰が思っただろう。
それだけでも面食らってしまうのに、彼は頭からすっぽりとフードを被り、分厚いマントを身体に巻き付けているので何事かと思った。布の隙間からは鮮やかな黄色い嘴と、白い指先?羽先?だけが覗いている。声の感じから若い男性だとは分かったけれど、リトの意匠が凝らされた背中の大弓がなければ、確実に悪漢を疑った。
しかし、彼が持っているものほど大きな弓を、私は今までに見たことがない。彼の身長ほどあるそれは木でできているんだろうけど、すごく重そうだし、重厚な雰囲気があった。若いだろう彼と、なんとなく不釣り合いに感じる。総じて彼は、怪しさ満点極まれりであった。
どう見たって警戒すべきだ。けど、彼から開口一番で「君か。リーバルについて尋ねてるって馬宿の娘は」と言われたので、問答無用で信用するしかなくなった。
だってその話を知っているのは、リトの村人だけだ。きっと若い彼は、噂になってる頭のおかしな女を見に行こう、と思いたったのだろう。フードの奥からどこか品定めするような目つきを感じるのだから、そうに違いない。
馬宿の仕事をしている中で、旅人から「暇だから何か話をしてよ」と頼まれることは少なくない。大概私は青い羽根の話をするのだけれど、最初から最後までじっくり何も言わずに聞いてくれたのは、とはいえ目の前のリトが初めてだった。
最初に感じた怪しさについては謝りたいと思う。彼は頭のおかしな話を、退屈そうではあるけれどフルコースで聞いてくれたのだ。少し好感度を上げるべきだろう。
「今の話を聞いて、少し気になるところがある。聞いても良いかい?」
だから、人間が爪の間に入った汚れをマジマジと見つめるみたいに、羽先をしげしげ眺めながらそんなことを言われても、私は馬宿のスタッフなりに「はい、どうぞ」と笑顔を浮かべたままでいられた。
「君はリーバルとやらに随分固執してるようだけど、もしかしてだよ。彼の物かも分からない青い羽根を拾ったってだけで、そこまで入れ込んでるわけ?」
大振りな仕草で羽先を広げたフードのリトは、心底呆れたような声だった。ほんと、まるで私の気持ちが信じられない、とでも言いたげなほど、呆れたような声だった。
まあ、心当たりはある。こんな話を聞いたらそんな感想を抱くのは当然で、今までだって同じ質問をされた経験があるからだ。特に両親は、私が青い羽根の話よりもリーバルの話を食卓に出すようになってから「本当にリーバルさんって人の羽根かどうかも分からないのに」と思い込みの激しい娘に呆れてみせた。
それでも初対面のリトにこうまで明け透けに指摘されたら、両親から呆れられるよりも数倍は恥ずかしい。遠慮がちに「そうですね」と肩を竦めれば、瞬間的に返ってきたのは「ははは!」という大笑い。
本当に初対面ですか? と思わず問いたくなるほど清々しい声だった。
「こりゃ傑作だ!たった一枚の羽根でそこまで思い込めるとは!少し君は自分を客観視した方が良いんじゃないか?怖くすらあるよ!」
「私も、長年想い過ぎたなとは思ってます。しかも一方的に」
「君をそうまでさせる羽根・・・・・・それだろ?頭の羽飾り。それに囚われすぎてやしないか?世の中にはもっと見るべきものがあるって、知った方が良いと思うぜ」
「そう、ですね。確かに」
どれほど大切に扱おうと、何年も経てばどんなものだって古くなる。私にとっては未だ当時の煌めきが見える青い羽根も、私の瞳を通さなければきっと、古ぼけた羽飾りにしか見えないに違いない。最近は日に透かしても色は変わらないし、もはや青とは言えないほど黒ずんでいる。凛とした朝の雪に似合う真っすぐ伸びた羽先も、随分バラけて寝ぐせのような跡がついたままだ。
「でも」と頭飾りをそっと外して、手の平に乗せる。その瞬間、いつもあの日に戻れる。初めてこの羽根を見つけた、朝月夜の青い空と白い雪の日に。
「でも?」と、組んだ足先に肘をつきながら、こちらをしかと覗き込むリトに促される。指先でボワボワになった羽先を撫でながら、私は宝物と出会ったあの日の風が頬を過ぎていくのを感じていた。
「この世の見る目が変わったきっかけだから・・・・・・世界が広がったんです、羽のおかげで」
「へえ、世界が?大袈裟だね、随分」
「足跡一つついてない一面の雪景色に、これがふわっと乗っているのを見たとき、ドキドキしたんです。まるで花が咲いてるみたいでした。誰かが、誰かのために供えた花みたいにも見えた。私はこの世界がそんなにきれいだって、知らなくて」
「ほお?」
「降ったばかりの雪に負けない程柔らかくて、太陽の光でキラキラ輝く雪面より、目を奪われました。見る度違う青になるこの羽が美しくて、どきどきして、びっくりして。まるで」
「・・・・・・まるで?」
「・・・・・・恋したんです、この羽に」
だから、持ち主に一度会ってみたい。
初対面の人に言う言葉ではない。今まで、大切に胸の中に収めていた言葉だった。でも、呆れながらも話を全部聞いてくれた人だから言ってしまった。
フードの奥に潜む彼の目はあまり見えないけれど、びっくりしたようで嘴を微かに開けているのが少しおかしかった。面食らったという言葉が良く似合って、フードとマントで素性も分からないリトの若者が初めて見せた、若者らしい反応のようにも思えた。
「・・・・・・なんて言えば良いか、言葉が出ないね」
今度ははっきりと困った声になったので、私はすみませんと苦い笑みを浮かべた。
よっこらせと立ち上がった彼は、そろそろ村に戻るのだという。
私も彼から話を聞きたかったのだけれど、どうやらそれは許してくれないみたいだ。馬宿にやって来る旅人は自分がどれほど凄い冒険をしているか、ハイラルという国の雄大さを語りたがる人も多いのに、彼は人の話を聞くだけで良いみたい。
少し変わっていると思う。いや、そもそも彼は、リトの村で噂になっている様子のおかしな女を物珍しさで見に来ただけだろうから、これでミッションコンプリートなんだろう。
「もし高所をお探しでしたら、この先に行くとククジャ谷にあたりますよ。皆さんそこから風に乗るみたいです」
リト族が馬宿に来ると、大概がククジャ谷はどの方角にあるかを聞かれる。その場で飛べば良いのに、と当初こそ思っていたけれど、なんでもリト族は、垂直に飛び上がるのは不得手なのだそうだ。リトの村も平野に広がっているわけではなく、天に向かって縦に伸びる岩場へ足場を組んでおり、みんなそこから風に乗るのだと聞いた。
リトの村を見たことのあるお父さんが言うには、それぞれの家が籠のような見た目をしていて可愛らしいのだとか。この話を思い出す度に、壁が無いのでハイリア人にとっては風が強くて寒すぎるんだと語った、父の苦い顔まで蘇るから笑ってしまう。
歩くのではなく、あくまで飛んで帰ることが選択肢の第一位に来るのだから、人にはあり得なくて羨ましい。ククジャ谷へ行くには街道ではなく平野を突っ切ることになるけど、リトの村で戦士をやっている人であればおそらく何の苦でもないだろう。
と、ここまで配慮して声を掛けたわけだけど、フードのリトから返ってきたのは「ああ、谷ね」と、まるで興味なさそうな淡泊声だった。
「僕には必要ないよ。ここから飛んで帰るから」
「・・・・・・ここから、ですか?」
「ああ。僕に崖は必要ない。僕は真っすぐ上に飛び立てるんだ」
「上に? 今までのリトの方は、上には無理だと仰ってました」
「なんせ僕だからね」
よほど飛行に自信があるんだろうか。ここへ歩いてやってきた人とは思えない言い方だけど、今までのリトとは反応が全く違うので肩を竦めた。
「君に会えて良かったよ。ずっと会いたいと考えていたからさ」
急転直下、直球ストレートな口説き文句をぶつけられて言葉を失う。
まさか”そういう類”の人だった?フードも被っているし、自分の話もしないし、気持ちを開け広げにするのを避けているのかと思ってた。
パチクリまばたきして彼を見返しても、照れや恥があるようには見えない。大真面目なのだ、彼は。
とはいえ、こう見えて私は馬宿唯一のうら若き乙女。寒さを凌ぐために濃度の高いお酒を飲んで、酔っぱらったおじ様達から口説かれた経験だって少なくない。
ヒュ~と口笛でも拭きたい気持ちを内側に押し込めて、「そうなんですか、ありがとうございます」なんて、無理やりへらっと口端を持ち上げて笑ってみせた。
「なんだか照れますね、そんなにリトの村で知られてるなんて」
「リトを伝書鳩に使うなんて図太い娘だなと思ってたんだ。話を聞いて余計に思ったけど」
「それは・・・・・・確かに。伝書鳩だなんて、そのつもりは無かったんですが」
「みんな面白がってるんだ。良かったじゃないか、図太い娘であることが功を奏してさ」
「あ、じゃあ図太いついでに良いですか?言伝を頼みたくて」
「いいだろう。なんなりと言いなよ。僕ができることならね」
「リーバルさんに伝えてください。貴方にいつか会いたいと思ってますと」
「ああ、言ってなかったっけ?」
「はい?」
「僕がリーバルだ」
フードの奥に光る目が私の目を捉えている。何を言われたか意味が理解できなくて、「ん?」と聞き返せば、彼は見せつけるような優雅さでフードの端に手を掛け、ゆったりとその姿を日の元へと晒していく。
影が退くにつれ、漸く分かった彼の羽の色。もう西に傾いた日の光を受けるそれは、角度によって随分印象を変えながら私の目に飛び込んできた。
雪の色をギュッと固めたような淡くくすんだ青。太陽が沈みかけているときの東の空みたいな濃く澄んだ青。上澄みには、夏に覗かせる針葉樹のような緑。そうして微かに朝焼けの太陽のような赤。
青い、羽の人だ。私は何も言えず、口と目を見開いたまま、彼の美しい青い羽並みに視界を奪われた。呼吸がままならない。白い息を吐かなくなった私が息を止めたことを、彼はきっと不思議に思ったに違いない。そんなどうでも良いことが頭をよぎるけど、そんな独白の間にも、私の目の前には青い羽。広い世界を知ったきっかけの色が、瞬くように次々と色を変えていく。
切れ長の瞳を細めて、目の前の青い人──リーバルは、やれやれと大げさに首を振って見せた。
「まさか最後まで気付かないとはね。馬宿の娘なら、もう少し観察眼ってものを持った方が良いんじゃないか?」
「あ、え、・・・・・・リーバル、さん!?」
「あんまり度々言伝を寄越すからわざわざ来てやったんだ。感謝してくれても良いんだぜ」
「最初から言ってくれれば・・・・・・なんでフードとマントなんか・・・・・・」
「おいおい君も言ってただろ。リトは警戒心が強いって」
まさかこの場で会えるとは一切思っていなかった人が、今目の前にいる。
リーバル。リーバルがいる。そう思ったら、今まで彼に感じていた得も言えない不気味さは、布巾で拭きとられたみたいに綺麗さっぱり無くなった。その代わり、ずっと空想上のリーバルに重ねてきた「王子様感」を当てはめる。少し大げさで、少し意地悪な物言いは気になるけれど、大方予想通りかもしれない。人って、目の前の人物にラベルがつけられた途端に、ガラリと印象が変わってしまうのだから不思議だ。
彼に会ったら言おうと思っていた話があった、気がする。でもいざとなったら言葉なんて出てこなくて、「あ」とか「え」とか、頭の中がまとまらないまま、なんの意味も持たない発語を繰り返すだけになった。
彼は呆れたみたいに嘴の端を曲げて笑って、「そうだ」とマントをはためかせながら片翼を広げる。
「その頭飾りに相当の思い入れがあるみたいだから、これは余計かもしれないけど。あげるよ」
羽先がその青い片翼を滑ったかと思ったら、続け様に差し出されたのは酷く見覚えのある青い羽根。
まるで一輪の花でも渡すみたいに恭しく差し出されて、これを受け取ったら何かが始まってしまう予感がした。大きくて、艶やかな羽先の中に収まる一枚の青い羽根は、あの日に見た時と同じく、私の心臓を昂らせる。
恐る恐る指を伸ばして摘まむと、リーバルの青い片翼が離れていく。そのまま後ろ向きに数歩歩いて開けた場所に立ったリーバルは、またゆったりと優雅な振る舞いで、片手を上げた。
「気が向いたらまた来るよ。もしくは君が来てくれても良いけど」
じゃあね、という言葉が言い終わらないうちに、一陣の風音が耳を覆う。突風に近く、巻き上がる雪に思わず腕で顔を隠せば、羽が空気をばさっと叩く音と更なる風圧。あっ、と思った瞬間に目の前にいたはずのリーバルは居なくなっていて、太陽の方を向けば、陰となったリトが逆光の中にいた。
行ってしまった。風に巻きあげられた雪が、はらはらと蒼空を背景にして降ってくる。日の光を反射して、キラキラ瞬く風花は綺麗だった。徐々に高度をあげ、あっという間に点となった青いリトが、ククジャ谷を越えてヘブラの山々に向かっていく。
青みがかった白色に染まる峰を越えた先に、彼の故郷があるのだろうか。話だけを聞いてずっとずっと空想していた、縦に長いリトの村が、あの峰の向こうに。
そわっ、と心が浮つく。今まさに話をしていた王子様が住む場所へ、いつか行きたい。それだけで胸がいっぱいになって、寒くて冷え切っていたはずの頬が温かくなって、ぴょんぴょんその場でジャンプしないと耐えられなくなってしまった。行きたい。いつか行きたい。私にも羽があれば、ククジャ谷から風に乗って今すぐにでも行ったのに。
いつか。と考えてハッとなり、手に収まった青い羽根と、かつて青かった羽根を見る。いつの間にか黒ずんでいた頭飾りが、まるっきり元通りになったようだ。あの日見た通りの美しさがあった。そして私は、これに恋をしたと、さっき言った。
いや違う。この衝動をもって確信する。私は恋をした。青い羽根にではない。きっと、この持ち主に。
刹那、走り出したい衝動に従って、私は馬宿に駆けていった。
「お父さん、お母さん、私!」
戸口から、馬宿の掃除をしていた両親に息を切りながら声を掛ける。
その途端、手に掴む二枚の羽が同じくらい鮮やかに青く煌めいて、知らない世界の一端に触れられたような気がした。
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