スタァと黒服

 例えようのないもの。子どもを授かったときの期待。産んだときの喜び。再び会いたいひととの思い出。一期一会の遣る瀬なさ、あるいは特別感。月の物の腹痛。それから、わたしと上司。
 いわゆる夜の世界、足を踏み入れたのは他の人に比べたら、結構遅めだと思う。二十代後半、母親になり4年目の頃、離婚してから。
 昼間も、もちろんパートタイムで仕事している。といってもまあ、データ入力みたいな簡単で、必要あるのかなと思うような仕事。
 夜の世界を経験しているからこそ、夜も始めることに反対して踏み入れてほしくなかったというばあばになった母の、「なんの因果かしら」という一言は正直に言うと大して響くことがなかった。むしろ似たような人生でも、わたしは異なる道を歩んでいるという自負になった。だってわたしは今とても幸せだから。夜はわたしの可愛いかわいい双子の面倒を見てもらっているから感謝はしている。本当は今も赦してないし嫌いだけど。ひいおばあちゃん、ひいおじいちゃんになった祖父母の気持ちがわかるようでわからない微妙なものも、例えようのないものだった。顔の綺麗なひととの間だから、玉のように輝かしい顔の愛らしい光る君たち。検査で陽性が出たとき、子どもを授かったと産婦人科医に告げられたとき、不安よりも先にもう幸せで胸がいっぱいで離婚することすら新しい門出だと、期待感でいっぱいになった。わたしは子どものために結婚して、子どものために半年で離婚したのだ。
「なあ、お前、再婚しねえの?」
「する気ないですね」
「妊娠中に浮気されて離婚だったか」
「ええ、そうです」
「その顔でも浮気されるもんなんだな」
「木崎さんも、顔だけは良いですよね」
「は?」
「元旦那も顔が綺麗で、それでうちの子たちも凄く可愛いんですけど…系統違いで木崎さんも顔だけは綺麗だなぁと思いまして」
「失礼な奴だな」
「でも、実際、黒服なんて私たちが稼いだお金で食べてるようなもんでしょう」
「いや、まあ、言われてみればそうか」
「嘘です嘘です。木崎さん達のおかげで楽しくお客様のお相手してますよ〜」
「お前なぁ。で、今日どうする?」
「え、帰りますよ。可愛い双子たちのために!」
「そうか」
「さみしんぼですか? 良いですよ。一発やりますか?」
「あほか。まあ、でも、お願いするわ……」
「次は総帥ですか?」
「お前いつまでアホなこと言ってんだよ」
「はーい。じゃ、戻ります」
「つらくないんか」
「幸せですよ。愛しい双子たちがいて、上司の木崎さんがいて……幸せ」
「次、VIPの奴よろしくな」
「はーい、今日も美味しいお酒飲んでお喋りして稼ぐぞー!!」

 仕事が終わって、明日は休み。大抵、木崎さんが連れてってくれるホテルは中身が綺麗。見た目が綺麗なラブホって大体汚いところが多そう。
「好き」
「お前なあ、素直すぎんか」
「やっぱり再婚するなら、木崎さんが良いです」
「あー、むり。二度と出会いたくねえよ、お前と」
「でも、やりたくなる?」
「お前の価値、それだけじゃねえだろ」
「なんでそんなに優しいん?」
「お前がどいつよりも綺麗やからやろ……」
キスの雨、キスの嵐。どんな人よりも荒々しくて、どんな人よりも抱かれたい、抱いて、わたしだけを見ていて、と思わせるの。
「あ……」
「やっぱしてくれ」
「うん。嬉しい、わたしだけ?」
「お前だけ」
膝が痛くなるのは嫌だから、ベッドの上で腰をくねらせて、色っぽく見えてるかな、そうだといいな、と思いながら口に含む。大きいけど、普通。味はどの人もしょっぱい。苦みは…あったかな?
好き。美味しい。好き。わたしの、口のなかで感じて果てて。
「あ、わりぃ。出た」
「ん、大丈夫」
「口ゆすいでこい」

 鏡を見つめる。映る女のからだを観察する。子ども、わたしの嘘。子ども欲しい。気が狂ったのは、きっと本当のことを知った今。
「健斗さん?」
「お前、子どものこと思い出してもうたんか」
「なんで、わたしに子どもいてないの?」
「離婚したんは、そいつがララの面倒見切れんかっただけやろ」
「皆ひどい。わたし、はらんでたの?」
「産婦人科で何言われた?」
「覚えてへん。ちゃんと、できてるって言われてたと思ってた」
「そうや。その男の顔、ほんまに綺麗やったか?」
「覚えてへん」
「最後、離婚するとき、なんて言われた?」
「死ねよ、って言われた。あと、気をつけてねって」
「ララ、お前、夜の女帝って呼ばれるから、夜の仕事してると思ってんのんか?」
「健斗さん、わたし、もう、死んじゃいたい」
「こっちこい。オレわざわざ服着たんやぞ」
「ありがと。わたし……」

 いつだって、はじまりは痛い。けど、わたしは嬉しいから、がんばれる。
「わたしのお給料、どこから?」
「さあな。オレの給与も、誰がしてんねやろな」
「皆、わたしのことなんやと思ってんの?」
「女か?」
「女も男も」
「お前の育ててるガキ、ちゃんと、うさぎやぞ」
「ノアちゃん、お姉ちゃんになってたの」
「ノア、寝たきりなんか?」
「違う。元気なの。わんちゃんと同じくらい生きちゃってるの」
「お前、12月24日生まれのうさぎ見つけてこうたんやぞ」
「うん」
「お前がオレのこと見つけたんは、オレが特別やからか」
「キスしていい? うん、そう」
「はあ、ええけど」
わたしの気狂い、いつ治るんだろ。舌を絡める口付けは気持ちよくないし、誰とでもそう。わたしが上ならいい。健斗さん、出会いたい。でも、わたしの夢は、皆と出会いたい。
「あ」
「あー、切れた」
「汚い。でも、健斗さん、わたし一目惚れしたよ」
「いつ?」
「わたし、すぐに忘れちゃうから、いつも。毎回、おはようございます、よろしくお願いいたしますって言うとき」
「お前、今日で夜やめやな」
「楽しかった。また、会える?」
健斗さんのからだをぎゅっと抱きしめてみる。抱き枕、欲しくて探してるけど、大きくて大きいのがない。
「一年続くのやっぱし、夜だけかぁ」
「オレのことか」
「今のお昼の仕事楽しくない。だから、これからもしてていい?」
「お前、いつ寝てんねん」
「家帰って、お風呂入ったらすぐ寝てるよ」
「お前な、もしかして!」
「あー、給与でてない」
「は?!」
「健斗さんに会えるから続ける♡」
「あー、健全な会い方しよう」
「やった! じゃあ、寝ていい?」
「寝られんわ……」
「わたしの情緒不安定」
「ララ、そばにいとけ」

 ずっと貴方と出会いたかった。第一印象はいけすかん奴で、でも、目が合うと嬉しくて、貴方との一生を、あのひとときだけで夢見てしまった。
「健斗さん! 見て、今この子笑ったよね?」
「笑ったな」
「健斗さん、大好き」
「お前の欲しかったものはオレの子か?」
そう言って、健斗さんが、わたしと健斗さんの血を引く美しい子どもを抱き上げた。
「わたしが欲しかったものは子どもだよ。あってる」
「じゃあ、オレはお前のことが好きやった」
我が子を見つめる健斗さんの顔が、柔らかくてきらきらしてた。まるで、映画のワンシーンみたい。幸せなひととき。貴方と二人きりでもわたしは幸せって言えてたと思う。
「赤ちゃんって、思ってたより柔らかくて、こわい」
「あー、お前、ガキがガキ育ててるもんかよ」
「健斗さん、ひどい……」
「母親になったら、お前は強くなるんやなくて、弱くなんねんな」
「そうみたい。前よりずっと怖がりになった」
「けど、オレはお前に見初められてよかった」
「わたしは、貴方と出会えてよかった」
2/4ページ
スキ