真夏の海と不機嫌なマーメイド
砂の城は、いつの間にかかなり立派なものになっていた。城壁があり、塔があり、その周囲には浅い堀まで掘られている。だが、その出来栄えとは裏腹に、メリッサの気持ちは少しも晴れていなかった。
スイムキャップで海水を運び、砂を固めては形を整える。その作業に没頭していれば余計なことを考えずに済むと思っていたのに、ふと顔を上げるたび、無意識に人混みの向こうを探してしまう。
だからこそ、その姿を見つけた瞬間、すぐに分かった。
白い砂浜の向こうから歩いてくる長身の青年。片手だけでは持ちきれなかったのか、両腕いっぱいに紙袋や飲み物を抱え、器用に人波を避けながらこちらへ向かってくる。
シオンだった。
メリッサは思わず立ち上がりかけて、次の瞬間にはまた座り込んでしまう。
嬉しい。
けれど腹も立つ。
寂しかった。
心配もした。
胸の中で様々な感情が入り混じり、自分でも整理がつかない。
一方のシオンはそんな葛藤など知る由もなく、ようやく目的地に辿り着いた安堵を滲ませながら歩み寄ってきた。
「遅くなってすまぬ。思っていた以上に店が混み合っていてな。しかも、目当ての物が売り切れていて、市場の方まで探しに行っていたのだ」
そう言いながら、抱えていた荷物をパラソルの下へ下ろしていく。
冷えた果物。
焼きたてのパン。
串焼き。
冷たい飲み物。
それから――。
「ほら」
最後に差し出されたのは、鮮やかな黄色のレモンの皮を器にしたシャーベットだった。
この海岸の名物で、メリッサが子どもの頃から大好きだったレモンシャーベット。
シオンは少し照れくさそうに笑う。
「売店では売り切れていてな。市場まで行ったら、ようやく見つかった」
その言葉を聞いた瞬間、メリッサの顔がくしゃりと歪む。涙はもう止まったと思っていた。なのに、堪えていたものが一気に溢れてしまった。
「メリッサ?」
ぽろり、と涙が落ちる。続いてもう一粒。そして次の瞬間には、止まらなくなっていた。
「お、おい……」
シオンが目を見開く。慌てて周囲を見回し、自分が何か致命的な失敗をしたのではないかと本気で考え始める。
「どうした?具合でも悪いのか?」
違う。
首を横に振る。
「どこか痛むのか?」
また違う。
さらに強く首を振る。
「では何故泣いているのだ?」
その問いに答えようとしたが、嗚咽が先に出てしまう。
シオンは完全に狼狽していた。冥王軍との戦いでもここまで慌てたことはないのではないかと思うほどである。
目の前で恋人が泣いているのに、その理由が分からない。どうすればいいのかも分からない。
「メリッサ、頼むから説明してくれ」
普段の落ち着きはどこへ行ったのか、声音には明らかな焦りが混じっていた。
その様子に、メリッサは泣きながら思う。
この人は本当に分かっていないのだ、と。
シオンの優しさが全部伝わってきた。分かったからこそ余計に涙が止まらない。
市場まで行っていたことも。
レモンシャーベットを探していたことも。
一緒に食べようと思っていたことも。
すべてが彼の優しさであり、愛だった。
メリッサは震える手でシオンの手を掴むと、しゃくり上げながらようやく言葉を絞り出した。
「……遅い」
「え?」
「帰ってくるの、遅すぎるよ……」
その一言に、シオンはしばらく呆然と立ち尽くした。そしてようやく、自分が思っていた以上に彼女を待たせてしまったことに気付くのだった。
シオンはメリッサの肩をそっと抱き寄せた。泣きじゃくる恋人を前にすると、どれほど言葉を尽くしても足りない気がする。市場まで足を延ばした理由も、彼女を喜ばせようと思ったからだった。しかし、その結果として一番大切なことを見落としていたのだと、ようやく気付いた。
「一人で待たせてすまなかった」
メリッサはシオンの腰に腕を回して、小さく鼻をすすった。
「シオン様、すぐ戻るって言った」
「うむ、そう言ったな」
「なのに全然帰ってこないんだもん」
「すまぬ」
素直に頭を下げるシオンだったが、それがかえってメリッサの涙腺を刺激したらしい。
「お城……もうできちゃったよ……」
震える声でそう言いながら、完成した砂の城へ視線を向ける。一人で作ったにしては立派な出来栄えだった。城壁も塔もあり、海水を引き込んだ堀まで作られている。
本当なら二人で作りたかった。
途中で崩れて笑ったり、どちらの塔が高いか競ったりしながら。
「すまぬ」
「一緒に遊びたかったのに……」
「すまぬ」
「一人で作るの結構大変だったんだよ……」
「すまぬ」
「……さっきから『すまぬ』ばっかじゃん!」
「む……すまぬ……」
反射的に口をついて出た謝罪に、シオン自身がしまったという顔をする。
メリッサは涙声のまま少し笑った。怒りたいのか、泣きたいのか、自分でも分からなくなっている。けれど、寂しかった気持ちだけは本物だった。
「別に……レモンシャーベットが食べたかっただけじゃないもん」
ぽつりと漏れた言葉に、シオンは黙って耳を傾ける。
「この海、子どもの頃からずっと来てたから……」
メリッサは波打ち際へ目を向けた。太陽の光を受けた海面はきらきらと輝いている。
昔は家族と一緒だった。
砂浜を走り回って、父に泳ぎを教わり、母と一緒にレモンシャーベットを食べた。兄と砂の城を作っては波に壊され、そのたびに笑いながら作り直した。
そんな思い出が、この海岸にはいくつも残っている。
「だからね……今日はシオン様と来られて、すごく嬉しかったの」
声が少し掠れる。
「家族と来てた場所に、今度は大好きな人と来られたから」
シオンは何も言わず、その言葉を静かに受け止める。
「なのに一人になったら、なんか……」
うまく説明できない。
自分でも幼稚だと思う。
けれど、一人で砂を積みながら、ふと気付いてしまったのだ。
この海には思い出がたくさんあるのに、その思い出を作った家族はもういない。
父も母も兄もいない。
家に帰ればいつも一人だ。
だから、今の自分にとってシオンは特別だった。
一緒に海を見て、一緒に遊んで、一緒に笑いたかった。ただそれだけだった。
「……寂しかった」
ようやく本音が零れ落ちる。その一言は、先ほどまでの嫉妬や拗ねた態度よりもずっと重かった。
シオンは胸の奥が締め付けられるのを感じた。自分は彼女を喜ばせようと思って市場まで行った。しかし、彼女が本当に欲しかったのはレモンシャーベットではなかった。
自分と過ごす時間そのものだったのだ。
しばらく沈黙した後、シオンはメリッサの濡れた髪を優しく撫でた。
「そなたに寂しい思いをさせてしまったな」
その声には先ほどまでの軽い調子はなく、静かな悔恨が滲んでいた。
「私は、そなたが喜ぶと思って市場まで行ったのだが……大切なことを間違えたらしい」
メリッサは黙ったままシオンの胸に額を押し付ける。その頭を抱き寄せながら、シオンは完成した砂の城を見た。
自分がいない間に作られた城。
本来なら隣にいるはずだった時間の証がそこにある。
「まだ日は高い」
やがてシオンは穏やかに言った。
「その城の隣に、もう一つ作ってもよいだろうか」
メリッサが顔を上げる。
「……今から?」
「うむ。どうやら私は、そなたとの海水浴を最初からやり直さねばならぬらしい」
その言葉に、メリッサは涙で濡れた顔のまま、ようやく少しだけ笑った。
やっと笑顔を取り戻したメリッサ。その時、シオンの視線がふと足元へ向いた。
「メリッサ」
「ん?」
「それ、先に食べた方がよいのではないか」
指差した先には、先ほど市場から苦労して持ち帰ったレモンシャーベットがあった。
ここは炎天下の砂浜である。当然ながら、感動の仲直りをしている間にも少しずつ溶け始めていた。
「やばっ!」
メリッサが慌てて駆け寄る。
レモンの皮を器にしたシャーベットには、既に透明な雫が浮いていた。
「危ない危ない!」
「市場まで行った苦労が水の泡になるところだったな」
「それは絶対ダメ!」
先ほどまで泣いていたとは思えない勢いで、メリッサはスプーンを手に取った。
その様子にシオンは苦笑する。
泣き顔より、やはりこちらの方が彼女らしい。
メリッサはひと匙すくって口へ運ぶ。
冷たい。そして爽やかだった。
レモン特有の酸味とハチミツの甘みが舌の上に広がり、火照った身体を内側から冷やしていく。
「ん、やっぱおいしい〜」
思わず頬が緩む。
「そんなにか」
「そんなにだよ。これ、子どもの頃から好きだったんだから」
そう言うと、メリッサはスプーンをシオンへ差し出した。
「はい」
「うむ」
シオンも一口食べる。冷たい感触と共に広がる爽やかな酸味に、思わず目を細めた。
「なるほど。これは人気があるのも分かる」
「でしょ?」
「確かに暑い日には良いな」
どうやら市場まで足を延ばした甲斐はあったらしい。メリッサが嬉しそうにしているだけで、苦労した価値がある。
二人は並んで座り、溶ける前にレモンシャーベットを平らげた。
そしてようやく、シオンが買ってきた戦利品を広げる。紙袋の中から現れたのは、香ばしく焼かれたスブラキ、オリーブとフェタチーズを挟んだピタサンド、熟した桃や葡萄、それに冷えたレモネードだった。
「こんなに買ってきたの?」
メリッサが目を丸くする。
「市場へ行ったら、あれも食べさせたい、これも食べさせたいと思ってな」
「それで帰りが遅くなったんだ」
「……うむ」
少しばかり気まずそうな顔をするシオンに、メリッサは思わず笑った。
なるほど。市場であれこれ選んでいるうちに時間が経ってしまったのだろう。
「じゃあ、いただきます」
「いただこう」
二人はパラソルの下で食事を始めた。
潮風が吹き抜ける。
波の音が聞こえる。
さっきまで胸を塞いでいた寂しさは、いつの間にか少しずつ薄れていた。
シオンが買ってきたピタサンドを頬張りながら、メリッサは隣を見上げる。彼もまたサンドイッチを食べていた。
その横顔を眺めていると、先ほどまで一人で砂の城を作っていた時間が、随分遠いことのように思える。
「シオン様」
「ん?」
「今度からは、本当にすぐ戻ってきてね」
シオンは一瞬だけ動きを止め、それから真面目な顔で頷いた。
「ああ。約束しよう」
今度は市場まで行かぬように気を付ける、と続けたものだから、メリッサは吹き出した。
パラソルの下に笑い声が広がる。ようやく二人の海水浴が始まった。
―――了
スイムキャップで海水を運び、砂を固めては形を整える。その作業に没頭していれば余計なことを考えずに済むと思っていたのに、ふと顔を上げるたび、無意識に人混みの向こうを探してしまう。
だからこそ、その姿を見つけた瞬間、すぐに分かった。
白い砂浜の向こうから歩いてくる長身の青年。片手だけでは持ちきれなかったのか、両腕いっぱいに紙袋や飲み物を抱え、器用に人波を避けながらこちらへ向かってくる。
シオンだった。
メリッサは思わず立ち上がりかけて、次の瞬間にはまた座り込んでしまう。
嬉しい。
けれど腹も立つ。
寂しかった。
心配もした。
胸の中で様々な感情が入り混じり、自分でも整理がつかない。
一方のシオンはそんな葛藤など知る由もなく、ようやく目的地に辿り着いた安堵を滲ませながら歩み寄ってきた。
「遅くなってすまぬ。思っていた以上に店が混み合っていてな。しかも、目当ての物が売り切れていて、市場の方まで探しに行っていたのだ」
そう言いながら、抱えていた荷物をパラソルの下へ下ろしていく。
冷えた果物。
焼きたてのパン。
串焼き。
冷たい飲み物。
それから――。
「ほら」
最後に差し出されたのは、鮮やかな黄色のレモンの皮を器にしたシャーベットだった。
この海岸の名物で、メリッサが子どもの頃から大好きだったレモンシャーベット。
シオンは少し照れくさそうに笑う。
「売店では売り切れていてな。市場まで行ったら、ようやく見つかった」
その言葉を聞いた瞬間、メリッサの顔がくしゃりと歪む。涙はもう止まったと思っていた。なのに、堪えていたものが一気に溢れてしまった。
「メリッサ?」
ぽろり、と涙が落ちる。続いてもう一粒。そして次の瞬間には、止まらなくなっていた。
「お、おい……」
シオンが目を見開く。慌てて周囲を見回し、自分が何か致命的な失敗をしたのではないかと本気で考え始める。
「どうした?具合でも悪いのか?」
違う。
首を横に振る。
「どこか痛むのか?」
また違う。
さらに強く首を振る。
「では何故泣いているのだ?」
その問いに答えようとしたが、嗚咽が先に出てしまう。
シオンは完全に狼狽していた。冥王軍との戦いでもここまで慌てたことはないのではないかと思うほどである。
目の前で恋人が泣いているのに、その理由が分からない。どうすればいいのかも分からない。
「メリッサ、頼むから説明してくれ」
普段の落ち着きはどこへ行ったのか、声音には明らかな焦りが混じっていた。
その様子に、メリッサは泣きながら思う。
この人は本当に分かっていないのだ、と。
シオンの優しさが全部伝わってきた。分かったからこそ余計に涙が止まらない。
市場まで行っていたことも。
レモンシャーベットを探していたことも。
一緒に食べようと思っていたことも。
すべてが彼の優しさであり、愛だった。
メリッサは震える手でシオンの手を掴むと、しゃくり上げながらようやく言葉を絞り出した。
「……遅い」
「え?」
「帰ってくるの、遅すぎるよ……」
その一言に、シオンはしばらく呆然と立ち尽くした。そしてようやく、自分が思っていた以上に彼女を待たせてしまったことに気付くのだった。
シオンはメリッサの肩をそっと抱き寄せた。泣きじゃくる恋人を前にすると、どれほど言葉を尽くしても足りない気がする。市場まで足を延ばした理由も、彼女を喜ばせようと思ったからだった。しかし、その結果として一番大切なことを見落としていたのだと、ようやく気付いた。
「一人で待たせてすまなかった」
メリッサはシオンの腰に腕を回して、小さく鼻をすすった。
「シオン様、すぐ戻るって言った」
「うむ、そう言ったな」
「なのに全然帰ってこないんだもん」
「すまぬ」
素直に頭を下げるシオンだったが、それがかえってメリッサの涙腺を刺激したらしい。
「お城……もうできちゃったよ……」
震える声でそう言いながら、完成した砂の城へ視線を向ける。一人で作ったにしては立派な出来栄えだった。城壁も塔もあり、海水を引き込んだ堀まで作られている。
本当なら二人で作りたかった。
途中で崩れて笑ったり、どちらの塔が高いか競ったりしながら。
「すまぬ」
「一緒に遊びたかったのに……」
「すまぬ」
「一人で作るの結構大変だったんだよ……」
「すまぬ」
「……さっきから『すまぬ』ばっかじゃん!」
「む……すまぬ……」
反射的に口をついて出た謝罪に、シオン自身がしまったという顔をする。
メリッサは涙声のまま少し笑った。怒りたいのか、泣きたいのか、自分でも分からなくなっている。けれど、寂しかった気持ちだけは本物だった。
「別に……レモンシャーベットが食べたかっただけじゃないもん」
ぽつりと漏れた言葉に、シオンは黙って耳を傾ける。
「この海、子どもの頃からずっと来てたから……」
メリッサは波打ち際へ目を向けた。太陽の光を受けた海面はきらきらと輝いている。
昔は家族と一緒だった。
砂浜を走り回って、父に泳ぎを教わり、母と一緒にレモンシャーベットを食べた。兄と砂の城を作っては波に壊され、そのたびに笑いながら作り直した。
そんな思い出が、この海岸にはいくつも残っている。
「だからね……今日はシオン様と来られて、すごく嬉しかったの」
声が少し掠れる。
「家族と来てた場所に、今度は大好きな人と来られたから」
シオンは何も言わず、その言葉を静かに受け止める。
「なのに一人になったら、なんか……」
うまく説明できない。
自分でも幼稚だと思う。
けれど、一人で砂を積みながら、ふと気付いてしまったのだ。
この海には思い出がたくさんあるのに、その思い出を作った家族はもういない。
父も母も兄もいない。
家に帰ればいつも一人だ。
だから、今の自分にとってシオンは特別だった。
一緒に海を見て、一緒に遊んで、一緒に笑いたかった。ただそれだけだった。
「……寂しかった」
ようやく本音が零れ落ちる。その一言は、先ほどまでの嫉妬や拗ねた態度よりもずっと重かった。
シオンは胸の奥が締め付けられるのを感じた。自分は彼女を喜ばせようと思って市場まで行った。しかし、彼女が本当に欲しかったのはレモンシャーベットではなかった。
自分と過ごす時間そのものだったのだ。
しばらく沈黙した後、シオンはメリッサの濡れた髪を優しく撫でた。
「そなたに寂しい思いをさせてしまったな」
その声には先ほどまでの軽い調子はなく、静かな悔恨が滲んでいた。
「私は、そなたが喜ぶと思って市場まで行ったのだが……大切なことを間違えたらしい」
メリッサは黙ったままシオンの胸に額を押し付ける。その頭を抱き寄せながら、シオンは完成した砂の城を見た。
自分がいない間に作られた城。
本来なら隣にいるはずだった時間の証がそこにある。
「まだ日は高い」
やがてシオンは穏やかに言った。
「その城の隣に、もう一つ作ってもよいだろうか」
メリッサが顔を上げる。
「……今から?」
「うむ。どうやら私は、そなたとの海水浴を最初からやり直さねばならぬらしい」
その言葉に、メリッサは涙で濡れた顔のまま、ようやく少しだけ笑った。
やっと笑顔を取り戻したメリッサ。その時、シオンの視線がふと足元へ向いた。
「メリッサ」
「ん?」
「それ、先に食べた方がよいのではないか」
指差した先には、先ほど市場から苦労して持ち帰ったレモンシャーベットがあった。
ここは炎天下の砂浜である。当然ながら、感動の仲直りをしている間にも少しずつ溶け始めていた。
「やばっ!」
メリッサが慌てて駆け寄る。
レモンの皮を器にしたシャーベットには、既に透明な雫が浮いていた。
「危ない危ない!」
「市場まで行った苦労が水の泡になるところだったな」
「それは絶対ダメ!」
先ほどまで泣いていたとは思えない勢いで、メリッサはスプーンを手に取った。
その様子にシオンは苦笑する。
泣き顔より、やはりこちらの方が彼女らしい。
メリッサはひと匙すくって口へ運ぶ。
冷たい。そして爽やかだった。
レモン特有の酸味とハチミツの甘みが舌の上に広がり、火照った身体を内側から冷やしていく。
「ん、やっぱおいしい〜」
思わず頬が緩む。
「そんなにか」
「そんなにだよ。これ、子どもの頃から好きだったんだから」
そう言うと、メリッサはスプーンをシオンへ差し出した。
「はい」
「うむ」
シオンも一口食べる。冷たい感触と共に広がる爽やかな酸味に、思わず目を細めた。
「なるほど。これは人気があるのも分かる」
「でしょ?」
「確かに暑い日には良いな」
どうやら市場まで足を延ばした甲斐はあったらしい。メリッサが嬉しそうにしているだけで、苦労した価値がある。
二人は並んで座り、溶ける前にレモンシャーベットを平らげた。
そしてようやく、シオンが買ってきた戦利品を広げる。紙袋の中から現れたのは、香ばしく焼かれたスブラキ、オリーブとフェタチーズを挟んだピタサンド、熟した桃や葡萄、それに冷えたレモネードだった。
「こんなに買ってきたの?」
メリッサが目を丸くする。
「市場へ行ったら、あれも食べさせたい、これも食べさせたいと思ってな」
「それで帰りが遅くなったんだ」
「……うむ」
少しばかり気まずそうな顔をするシオンに、メリッサは思わず笑った。
なるほど。市場であれこれ選んでいるうちに時間が経ってしまったのだろう。
「じゃあ、いただきます」
「いただこう」
二人はパラソルの下で食事を始めた。
潮風が吹き抜ける。
波の音が聞こえる。
さっきまで胸を塞いでいた寂しさは、いつの間にか少しずつ薄れていた。
シオンが買ってきたピタサンドを頬張りながら、メリッサは隣を見上げる。彼もまたサンドイッチを食べていた。
その横顔を眺めていると、先ほどまで一人で砂の城を作っていた時間が、随分遠いことのように思える。
「シオン様」
「ん?」
「今度からは、本当にすぐ戻ってきてね」
シオンは一瞬だけ動きを止め、それから真面目な顔で頷いた。
「ああ。約束しよう」
今度は市場まで行かぬように気を付ける、と続けたものだから、メリッサは吹き出した。
パラソルの下に笑い声が広がる。ようやく二人の海水浴が始まった。
―――了
