明星、君を掬う
📗【
梅の花がこぼれる。
戦の合間、珍しく四人で歩く町並みは、少し早い春の陽気に包まれていた。四人で練り歩く道中、坂本が呑気に通りすがりの町娘に、逐一声を掛けている。
「お姉ちゃーん!お茶しなぁ〜い?」
桂と高杉が冷ややかな視線を送る。銀時はそんな坂本の頭を脇に抱え、きつく締め上げた。
「これから遊郭に行くってーのにっ!何してんだてめーは!」
会合とは名ばかりで、本日の最大の目的は束の間の休息ーー遊郭だ。しかし坂本は道ゆく町娘に、ヘラヘラ笑いながら声を掛け続ける。その節操のなさと言ったら仕方ない。
「ぐ…苦じい…離すぜよ金時…あっ、そこのおねーちゃあーんっ!」
「…ったく!この節操なしがぁっ!」
笑いながら暴れる坂本を引きずり、先を急ぐ。
すると正面から元気に駆けて来た幼子が、銀時の目の前で盛大に転んだ。勢いで海老反りになり、地面に伸びたまま突っ伏した。一瞬の静寂の後、わんわんと大声で泣き出す。
銀時は辰馬の頭をするりと離すと、その幼子に黙って近寄り、ひょいと立ち上がらせた。傷の程度をみる。大したことは無さそうだ。幼子の前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「坊主…男はな、前髪切りすぎた時以外は滅多に泣くもんじゃねーよ?」
「ぅっ…ぅ」
後ろから母親らしき女性が慌てて駆けて来る。幼子の頭に、ふわりと手を置いて立ち上がった。
「……強くなって、母ちゃん守ってやれよ」
その手に安心したのか、幼子は涙を溜めた目でじっとこちらを見つめていた。髪をくしゃりと撫で、駆けつけた母親に引き渡す。会釈しながら去る親子。何も言わぬまま、ヒラヒラ手を振って見送っていると、急に肩に腕を回された。
「ほーにおまんはっ!男前ながや!金時っ!」
「ちょ、べたべた触んな!」
振り払う銀時を厭わず、坂本は首に巻きついてくる。桂に散々貶され、高杉に冷たい視線を浴びせられたまま、噂に聞いていた茶屋へと辿り着いた。
「おおっ!着いたぜよーっ!」
坂本の興奮する姿を尻目に、銀時も内心浮き足立っていた。引手茶屋の中は、なんとも言えぬ甘い、良い香りがする。奥から三味線の手習いの音が聞こえてくだけで四人は顔をあからめた。
主人に出された「
「高杉…てめぇ真似すんなよ」
「そらぁお前の方だろ…」
高杉と好みの遊女が被る。それが銀時にはいつも腑に落ちない。
ようやっと遊女が決まり、浮き足立つ気持ちを誤魔化すように、
そのうち高杉が遊女に連れられて揚屋に消え、気づけば坂本と桂の姿も見えない。落ち着かない様子で首をやたらに回していると、銀時もついに揚屋へと通された。
しかし待てど暮らせど、遊女は一度顔を見せたきり揚屋に訪れない。金のなさそうな者のところに来ない噂は聞いている。銀時は苦虫を潰したような顔で勘定だけ済ますと、後ろ髪を引かれながらも吉原を後にした。
まだ日の高い道端は、
「…こちとら鳴く相手もいねえわ」
ぶつくさ小言を落とし、枯れた土を蹴り上げながら背を丸めて屋敷に戻る。
ちぎれた
両手を擦り合わせながら帰路を急ぐと、遠く見え始めた長屋門に胡座をかき、ぼんやり肘をついている坂本が見えた。
「…なぁんだ。あいつもか」
心なしか、足取りが軽くなる。
少し足を早めれば、その門の入り口に桂の背中も見えた。二人は何か話し合っている。
返事を返す坂本の顔がどことなく上の空だ。遊女に振られたのだろうか。いい気味だ。
銀時に気づかぬ二人はまだ何か話している。微かに最後、坂本が大声で笑った声が届いた。鶯が繰り返し声高らかに囀る声に混ざり、風情を通り越して少々やかましい。
「…ぉおっ?!早かったのう金時〜!」
両手を大振りに広げ、坂本に声を投げられ視線だけ返す。
「こがに早いなんてぇ!若い証拠じゃのうっ!」
坂本がニヤけながら、大声で茶化す。
「…んなわけねーだろ」
あからさまに気を害した声で、上目遣いで坂本を睨む。
「お前と一緒でね。遊女が他の客に付きっきりで、全〜然来なかったのよ」
「ほうかほうかっあ!」
軽快な足取りで屋根を降りてきた坂本は、銀時の後ろをひょこひょことついてくる。そんな坂本にため息を落としながら、銀時はあれやこれやと愚痴をこぼす。
「こちとらぁ戦に出れば、それなりの英雄だってのによーぉ?」
どこか楽しげに相槌を打つ坂本を尻目に、部屋に戻るなり両手を枕に、銀時は不貞腐れてゴロンと寝転がった。
「遊郭では、大負けですわ」
「まー、そらぁ戦場に出て、いつ戻るか分からん若者より、のーお?」
寝転んだ銀時の横に、胡座をかいて銀時を見下ろす坂本声は、明らかにニヤついている。
「毎日通い詰める、脂の乗ったオヤジの方がぁ遊女にとっちゃあ、よーっぽど利益になるぜよ」
自分を棚に上げて坂本は偉そうに能書を垂れる。だが、もっとも過ぎてぐうの音も出ない。
銀時は「ハアっ」と大きな溜息をついて、更にむくれる。坂本はその顔を見て、可愛いとでも言わんばかりに、銀時の癖毛をわしゃわしゃと撫でて笑った。
「まっ、わしゃぁ、おまんを選ぶけどな、金時っ!」
「銀時だよ、『銀』っ」
坂本の手を振り払いながら、銀時は仏頂面を投げた。坂本は構いもせず「良い亭主になりそうじゃ」と茶化す。
「ところで、おまんは…したことあるんか?」
坂本が腕を組みながら、寝転ぶ銀時を覗き込むように見つめた。
「んー?するって、なにを」
「そらぁ『
(…どうきん?どうきんって何だっけ)
「………あるよ?」
「ないんか」
「あれだ、雑巾掛けだろ?」
銀時が適当に返答すると、それをひとしきり馬鹿にされた。
坂本が言ったのは、つまり女と床に入ることだ。辰馬は言葉遣いが時折年寄り臭い。もっと分かりやすく言えと、銀時は腹の中で悪態をついた。
「んだよ!だったらお前はあんのかよ」
「そらぁ、わしは。それなりに有るぜよ」
言いながら坂本が、わざとらしく顎を上げる。
「この容姿と才覚に加え、名家の息子やし、にゃあっ?!」
「………」
自慢げにフンっと鼻息を荒げるその姿は、どう見ても説得力が無い。その様に、銀時は白い目を向けながら、試すように問いを投げた。
「じゃぁ、どーしたら、仲良くなれんだよ」
「そらぁ普通に話を盛り上げればぁ、えいろう?」
期待はしていなかった。しかし予想以下のべたな答えに、銀時は眉をひそめる。
「盛り上げた後の、話だっつーの!」
「俺の股間も盛り上がっとる、とでも言うてな!」
「おいっ!経験あるなら真面目に答えろよ!」
全く実の無い答えに、銀時が呆れ返った。と同時に何か閃いたようにニヤリとする。
「…あ?さてはぁ?お前もなんだかんだ言って、経験ねぇんじゃねぇーのーぉ?」
疑いの眼差しを投げられた坂本が、大袈裟に口を尖らす。銀時の挑発に乗るように、拗ねた口ぶりで坂本が急な提案をし出した。
「そこまで言うなら…手解きしちゃるっ!」
「はっ?手解きぃ?」
言うなり坂本がおもむろに立ち上がり銀時に手を伸ばす。
「いざ口説く時のっ!雰囲気作りの、練習じゃ!」
そう言いながら手枕に寝ている銀時の腕を、無理やり掴み、有無を言わさず引き起こした。呆れ顔でキョトンとしている銀時の隣に、ピッタリと座る。そうかと思えば隙間なくにじり寄ってきた。
「ほれっわしを可愛〜いオナゴじゃー思って、肩に手ぇ回すがよ」
「はぁっ?」
げんなりする銀時の右手を持ち上げて、当前のように催促し、顔を寄せてくる。
「えっ…マジで?…ずいぶん大女だな」
ブツブツ文句を言う銀時に、坂本は耳を貸さない。至近距離で目を合わせて、坂本が強く言い放つ。
「そして、間を空けずに『チュウ』じゃ!」
「えっ?はっ?……いやっ、あのっ」
言われながら銀時が戸惑った。なにが悲しくて、男同士で接吻の練習なんかするのか。その心中を察したかのように、真剣な目でジリと坂本が身を詰める。
「わしに出来んようじゃあ!遊女にも出来んろう、金時くんっ!」
何か違う理論を吹っ掛けられている。そう思ったが、それでも坂本の表情は至って真剣だ。
「ほれ!早う!」
「……っう」
あまりに熱意を込めて見詰めてくる坂本に、挑発した銀時も引くに引けない。根比べのようにジリジリと見つめ合った後、観念した銀時はほんの一瞬だけ、坂本の頬を掠める。それは触れたかどうか、自分でも分からない程度のものだった。
「ど、どど、どうよっ!」
体を離した銀時は、口元を手の甲で拭くようにごしごしと擦った。口付けとは言えぬ代物でドヤ顔をする銀時に、坂本が唖然とした表情で空気だけ漏らす。
そうかと思えば急に射るような目つきで大きく口を開いた。
「失格じゃあ!!目を血走らせてえい段階じゃあなか!」
「ぃ…ぃやいやいやっ…俺…本番では輝くから…そらぁ、もんの凄い破廉恥な接吻を」
「話にならんぜよ!」
目をそらす銀時に対し、坂本は素早く正面にまわり、両の手首をガシと取られる。
「ぇっ…」
声にならない程度の息だけが漏れた。
かと思えば、次の瞬間、坂本は銀時の腕を開き、あっという間に床へ押し倒される。急な展開に銀時は目を見開くことしかできない。掴まれた腕は、簡単には抗えない力が込められていた。
「…おっ、お、おいっ!」
「こう、するがぜよ…!」
床に縫い付けられた銀時の上半身に、坂本の半身が覆い被さって影をなす。坂本は真剣なような、冷たいような、感情のわからない視線を銀時に落とした。
「…わしゃあ、おまんのことを、ずっと」
初めて聞く坂本の低い声のトーンが、銀時の体に緊張感を走らせる。さっきまで耳に届いていた鶯の声がスッと遠のき、自分の鼓動の音だけが、急にやかましく響く。
「ずっと…綺麗じゃあ、思っとった金時…」
「なっ…」
両手首を奪ったまま目を逸らさない坂本が、ゆっくり顔を近づける。
「好きじゃ…」
吐息のような声。まっすぐな瞳。有無を言わせず近づいてくる影。髪が銀時の額に触れそうな距離まで顔を落とすと、坂本は誘うようにゆっくりと唇を開ける。容赦ない急な展開に、銀時は肩をすくめて思わず目を瞑った。
「…しても、えいかえ?」
辰馬の囁きに、肩がびくりと跳ねる。「やめろ」なぜかその一言が出なかった。そのわずかな寸秒が、ひどく長い。
「…とー」
坂本の影が、スッと体から離れていく。
「まっ……こがなぁ、感じっ?ながや!」
銀時の腕から手を離し、また先ほどと同じように真横に胡座をかいた。
「まずは動かにゃ〜何も始まらんっ!」
御託を並べる坂本の横で、銀時は微動だにできなかった。体は離れたはずなのに、胸の中の圧迫感が消えない。
(——なっ、なんだ今の!)
無意識に己の口元を手の甲で隠す。その鼓動は明らかに早かった。そんな銀時を意に介さず、坂本は宙を仰ぎながら、まだ能書きを垂れている。
「綺麗、可愛い、好きやきに!」
金勘定でもするように指を開きながら、カラッとした声で口八丁に語り続ける。
「なんじゃち良いきっ!浴びせちょけっ!のっ!」
「………っ」
「じゃがっ!相手の同意なしに、無理やりはぁ、いかんぜよ?」
(——こ、こいつやっぱ詐欺師だわ!!)
顔半分を腕で覆う銀時は、火が出そうに熱い。口から心音が聞こえそうで、押さえる腕が離せなかった。
なかなか起き上がらない銀時を、辰馬が不思議そうに覗き込む。
「…んんっ?大丈夫かぁ、金時?」
坂本は意図的なのか天然なのか、丸い瞳できょとんとしている。
「わしでぇそがに照れとったらぁ…本番は、目も当てられんぞ?」
再び、じぃっと視線を落とされ、銀時もその視線から逃れられない。見つめ合う銀時と坂本の間に、鶯が下手くそに鳴いた。次の瞬間、パッと坂本の目にひらめきが走る。
「…あっ!もしかしてっ!最後までしたかった、がかっ?!」
にへらと笑った坂本が「わしは良いぜよ〜」とニヤついて唇を蛸のように突き出す。そんな坂本に、銀時がギッと奥歯を噛んだ。間抜け面の坂本の頭を、両手でガシと掴む。
「えっ…金時…男らしいちやっ…」
わざとらしく目を細めて茶化す坂本を睨むと、その額めがけて激しい頭突きを見舞ってやった。
「ぐぁあっ!!アイタタタ…ッ!…何するがかあっ!!」
突然の激痛に、頭を抱え込んで坂本が唸る。さすがに自分の頭も痛む。銀時は身を起こしながら、片手で額を摩った。
「ぃってぇ…何、する…ってぇ…こっちの台詞だわ!この詐欺師がっ!」
「…なっ、なんじゃあ、間に受けたがかぁ?冗談ちやぁ…金時ぃ…」
涙目の坂本は、すまなさそうに頭を傾げた。
「じゃがぁ……ちっくとは、ドキっとしたろう?」
涙を滲ませながら銀時の姿を孕むその瞳は、優しく柔らかい青。その表情になぜか銀時の胸がざわつく。動揺を隠すように乱れた着物の襟を直し、銀時は視線を逸らした。
「い、今のは…ただの吊り橋効果だろぉよ」
「と、いうことはぁ…やっぱり、ドキドキしたんちやね?」
顔をずいと寄せた坂本の指が、畳の上で意図せず銀時に触れた。銀時の鼓動がビクっとひとつ跳ねる。その時、庭から桂の声が聞こえた。
「…なんだ高杉?もう振られたのか」
「…るせえ」
高杉の声は明らかに不貞腐れている。どうやら同じく早々と遊郭から戻った高杉を、桂が冷かしている。
「あっ、高杉!」
銀時はわざとらしく声を上げて、勢いよく立ち上がる。「高杉を茶化してくる」と残し、そそくさとぎこちなく部屋をあとにした。
縁側へ出ると、まだ浅い春の、刺すような冷気が火照った顔を撫でていく。
ドクドクと耳の奥でうるさいほどに鳴り響く心音は、押し倒されたせいか、それとも――。
「……馬鹿にしやがって」
唇を手の甲で手荒に拭いながら、早足に板敷きを踏みしめていく。
ふと庭に目をやれば、傾いた陽のなかに、
鳴くのをやめた春の鶯が、胸の奥で不器用に羽ばたき始めたような、妙な胸騒ぎがいつまでも消えない。
「…あの野郎」
銀時はもう一度きつく唇を噛み締め、冷え切った廊下を逃げるように駆け抜けていった。
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