明星、君を掬う


📗【初天神の約束】



「寒いのぉ」
「いや言ってないで早く閉めて」

縁側からのろのろ入ってくる辰馬を銀時が急かす。大寒を過ぎたばかりで寒さが身に滲みる夜が続いていた。
銀時は部屋に入るなり、ごろんと寝転がり、股の間に両手を挟んでうずくまる。見張りを交代したばかりで指先の感覚が無い。

「はぁ…つきたての餅とか食いたいわぁ」
「ほうじゃの〜」

戦乱に重ね季節のせいもあって、食料もままならぬ日々が続いていた。
もちろん正月を祝う食事など出来るわけもない。皆、寒さと空腹を持て余す毎日だ。

「茶でも淹れるかぁ金時?」
「いやぁ…また厠行くのも嫌だし…もう寝るわぁ」

連日の臨戦体制と冷えで疲れ切っていた。
とにかく今は布団が恋しい。なんでもいいから包まれたい。
そう言いながら溜息をついた銀時の横で、辰馬は籠手をてきぱきと取る。

「ほうか。ほいじゃ布団敷くぜよ。どいたどいた」

畳の真ん中で猫の様に丸まったままの銀時を、足で軽く払いながら辰馬が甲冑を脱ぐ。
寒い寒いと言いながら着物を脱いで行く辰馬の身体の輪郭が、行灯で影を成した。

——出会ってから数ヶ月で、辰馬もだいぶ痩せたな…

顕になった辰馬の背中の線を目でなぞりながら、その様子をぼうっと見つめる。
視線に気づいた辰馬が半裸のまま振り返えると、呆れた顔で銀時に夜着を投げた。

「ほれ、いやらしい目で見とらんで、はよ着替え」
「…そんなんじゃねぇし」

心配してるんだこっちは。
ブツブツ言う銀時を尻目に、着替え終わった辰馬が二人分の布団を手際よく敷く。
ぴったりと横付けされた布団に、二つ分の枕を放り投げた。

「いつも思うんだけど…なんでこんな近いの」
「寒いからじゃ」

——なるほど。

迷いの無い即答の辰馬に、声には出さなかったが、納得するしか無かった。
辰馬が来るまでは高杉や桂と、同室で寝ることがしばしばあった。
しかしこうも近過ぎると居心地が悪く、真冬でもこんなに近くに布団を引くことは無い。

「なんなら布団、一つでもいいぜよ」
「え」
「冗談ちや」

——こいつっ…

時々辰馬はこんなふうに銀時をからかった。
不貞腐れて無言のまま着替える銀時に、もう行灯の火を落とすぞと辰馬が促す。 

「あいよ」

夜着に羽織を着て枕を直し、銀時は布団の中に埋もれた。
新月のこの夜は、行灯を消すと視界を失ったかの様に暗い。
火の消えた部屋の中は、鼻先を刺すような底冷えに、吐き出す息さえも白く凍てつく。
やはり寒さで寝られない。気を紛らわせる為に、銀時は辰馬のほうに寝返りを打って話しかけた。

「なぁ辰馬ぁ…」
「おん?」
「向こうの正月ってどんなだった?」

辰馬が来てから、初めて共に越す正月だった。
辰馬は「そうじゃのぉ」と前置き、比べものにならないくらい豪華だと言い切った。
鼻を鳴らし、「だよな」と銀時は短く同意して、過去を振り返った。
銀時ですら、それなりに正月らしい年を過ごした事がある。
ひもじい今と比較すると侘しさに見舞われ、小さくため息をついた。

「除夜の鐘をついて、屋台やらたくさん出てのぅ…」

それはそれは華やかだったと、何か思い出すように明るく続ける。
羨むように再び深く溜息をついた銀時を見かねて、辰馬が身を起こした。

「陰気じゃの〜金時!眠れないがか?」
「…こちとら頭空っぽの誰かと違ってねぇ」

しょうがないのう!と、小言というよりは辰馬らしい大きな声でぼやき、部屋の隅に這っていく。
行灯に火を入れると、辰馬が小棚の引き出しから木彫りの扇子を持って布団の上まで戻った。
銀時に向かってピンと背筋を伸ばし正座すると、その扇子を握って真っ直に立てた。

「今日は初天神やき、特別じゃぞ」
「?」

どうやら眠れない銀時に『落とし噺(ばなし)』を聞かせてくれると言う。

「待って、落とし噺ってそもそもなに」
「ま、簡単に言うたらぁ…オチのある、一人芝居かの」
「ふぅん。如何程ですかねぇ」

また辰馬の変な一芸が始まる。
どうせ眠れないなら付き合ってやろう、そんな軽い心持ちで布団から目元だけ出した。
行灯に浮かぶ辰馬を布団から見つめる。
辰馬が袖を短く持って、首を縮ませ、少し口を尖らせた。
その仕草だけでもう、すでに少し面白い。銀時は茶々を入れず黙って耳を傾ける。
その「初天神」とやらの、あらすじはこうだ。
正月に初詣に行こうとせがまれた父親が、何も買わないことを条件に息子を連れて行く。
だが結局駄々をこねられ色々買っているうちに、息子よりも父親の方が団子やら凧揚げに夢中になってしまう。
遂には「父ちゃんなんか連れてくるんじゃ無かった」と言われる、なんとも情けない親の笑い話だった。
だが腑に落ちないのは、やたら物をねだって我儘を言う息子の名前だ。

「金坊が…」
「え、待て辰馬」
「おん?」
「お前…その名前わざとじゃね?」
「いやまっこと『金坊』っちゅう駄々っ子な餓鬼が登場しての?」
「いやいや絶対嘘だろ」

——てかなんでいつも金時なんだよ

そうは思ったが、そんな事はすぐにどうでもよくなった。
父と子を瑞々しく演じ分ける辰馬の表情に、すっかり魅入る。
特に子の演技、団子や凧をねだって駄々をこねる辰馬は、憎らしいほど愛らしかった。

「…初天神というお噺でございました」

膝の前にぴたっと両手の指先を揃え、芸妓のように姿勢良く深々と頭を下げる。
辰馬の演技にすっかり囚われ、気付けば四半時ほどであっただろうか。
銀時はいつの間にか寒さも忘れ、そんな辰馬に魅了されていた。

(こいつ…こんな才能があったんだな。)

感心している銀時に、今度こそ寝るぞと行灯の元へ辰馬が行こうとする。

「いや、せっかく温まってきたからつけといてくんない」

声をかけた銀時に向かって辰馬が盛大に口をへの字にする。
先ほどまで見ていた子供を演じる表情にそっくりで、銀時は思わず吹き出した。

「お前が金坊みてぇだな」

茶化す銀時にますます不貞腐れた顔で辰馬が口を尖らせた。

「おまんは布団の中におったからあったかいじゃろうてっ」

わしゃ寒いぞ!と言い終わるか否か、四つ這いで犬のように辰馬が突進してくる。
有無を言わせず布団を持ち上げられ、その隙間から銀時の布団に無理やり体を捩じ込んだ。

「えっ、え。おい!」

一瞬にして銀時の胸元に頭を埋めた辰馬に動揺する。
ぎゅうと抱きしめられ、暴れる癖毛が銀時の首元でこそばゆい。
押し戻しては笑いながら、出ていけだの離さないだの布団の中で押し問答を繰り返す。
一悶着のなか、辰馬は冷たくなった両手を銀時の胸に押しあてると急に静かになった。
そうかと思うと、辰馬は上目遣いで銀時を真っ直ぐ見上げる。
大きな瞳をジッと絡め、どこか艶っぽい声で囁く。

「ご褒美を、くれても…えい思うんちやね?」

急な甘い声。辰馬の瞳は、妙な色気があった。
気のせいかほのかに良い香りまでする気がする。
これにはさすがの銀時も、グッと押し黙ってしまった。
その一言は先程聞かせてくれた初天神の中の子供の台詞なのだ。
しかし布団の中から媚びた視線で見上げる辰馬が言うのは、全く意味合いが違う。

「…ご、ご、ご褒美、って、お、おま、」

しばらく目があったまま顔を逸らすことも出来ない銀時に、辰馬が堪らずブッと吹き出す。

「アハハハハ無理!無理やったわ!真に受けなさんなやぁ金時ぃ!!」
「…んのやろぉおおおおおおお!!」

くの字に折れて笑う辰馬を銀時が蹴り飛ばす。
イテテ堪忍と笑い転がり布団からごろりとはみ出す辰馬の体は、確かに冷え切っていた。

「少し……だけだぞ」

ほれ、と渋々銀時が掛け布団を片手で押し上げた。
待ってましたとばかりにニヤニヤして銀時の布団に辰馬が潜り込む。
向かい合って手を縮こませ、お互いに肩が出ないよう絶妙な間合いで1つの布団を掛けた。

「はぁ〜…。あったかいのぅ…」

顔の距離がこぶしふたつ分程しか無く、えらく近い。
えへへ、と笑う辰馬がいつになく憎たらしい。

「この人誑しが…」
「…おんっ?」

わざとらしくニヤついて見返す辰馬が、不本意にも愛らしかった。
こいつは人への漬け込み方が本当に巧い、と銀時は内心降参する。
辰馬だったらどんな土地に居ても幸せに暮らせるだろうと、銀時は常々思っていた。
初天神に出てきたような、ごく普通の家族、否それ以上の、何不自由ない生活が出来ただろう。
自分がどんなに望んでも得られないものが、もうすでに手中にあった筈なのに、と。

「…なんで…戦場になんか来たんだよ、辰馬」

なんの不自由もなかったろ?と辰馬の目を見据えながら続けた。
こんな寒い思いも、飢えに苦しむことも無い。
戦争を生きるしか余地の無かった自分とは真逆の生い立ちに産まれた辰馬。
それを捨ててまで遠い戦場に繰り出してきた辰馬を、銀時は理解できなかった。

「…おんっ?」

突然の問いに辰馬はまぁるく目を開き、口を尖らせる。
色気のあった先程とは打って変わり、その顔は急に幼い。
そして少しばかり考え込むとパッと青年の顔に戻り、迷いなく言葉を紡いだ。

「もちろん幸せじゃった。…幸せじゃった、からかの」

静かな夜に、溶けるような暖かい声。

「皆がぁ…当たり前に笑って暮らせる国を作りたくて…わしはここに来たんじゃ」

その辰馬の言葉は偽善では無い、心からの願いに聞こえた。
だが、今を生き抜く為に戦ってきた銀時には、辰馬の言う未来が上手く描けない。
塾に来る前は常に飢えて正月など知らなかったし、花火の音を聞けば襲撃かと体が強張る。
食べたい時に食べ、家族が居て、笑って…辰馬の言うそんな日が来ればどんなにいいだろう。

「…じゃあ、さ。…そんな日が、来たらさ」

辰馬へ真っ直ぐ視線を投げる。

「団子…買ってくれよな。とびっきり甘いやつ」

脚をコツコツと辰馬にぶつけた。至近距離の辰馬がふわりと笑う。

「おん。父ちゃんが金坊に、祭りでこうたるぜよ」
「お前は父ちゃんっていうより、どっちかってぇと母ちゃんだな」

ほうか?と小さく笑う辰馬に、母親の様な、兄弟の様な温かみを感じた。
辰馬の様な家族が居たら、さぞ毎日騒がしく、どんなに楽しい日々だろうか。

「ま、俺にはどっちも居ねぇから…分わんねぇけどな」

顔が少し熱い。銀時は少し肩をすくめ、視線を逸らす。
何も言わぬ辰馬の視線を感じながらうつらうつらし始めた時、顔の前にそっと手を出された。
握っていた小指を、目の前で柔らかく広げる。

「銀時……祭り、約束じゃ」
「ぉぅ……団子……約束…な…」

重ねた辰馬の小指は、温かかった。
その夜、部屋の隅の行灯の火は気付かぬうちに消えた。

*

いつの間に眠ってしまったのだろう。
銀時が目覚めるとすっかり陽は昇り辰馬はもう居なかった。
真横に丁寧に布団が畳まれている。

大きなあくびをしながら廊下に出ると腕を組んで歩いてきた桂と鉢合わせた。
なんだか朝から機嫌が悪そうだ。

「ようヅ…」
「銀時、一言だけ言っておこう」

こちらも見ず、挨拶も無しに訝しげな顔で足をとめた桂が言い放つ。

「お前らに口出ししようとは思わぬ。だが、夜の静寂を乱すほど睦まじいのも考えものだぞ」
「…?」

一瞥してそれだけ言うと、桂は有無も言わせずその場を去った。

「…は?…夜の静寂を乱す?」

桂の態度に自問自答しながら、空腹で勝手場に向かった。
昨晩辰馬と蹴り合ったのが、そんなに屋敷に響いたか、首を傾けながら縁側を歩く。
勝手場に着くと、米を炊く蒸気で満たされた光の中、辰馬の背中があった。
大きな鍋に味噌汁を用意している。銀時の気配に気づき、辰馬が振り返ってにこりと笑った。
銀時が心の中で「やっぱり母ちゃんぽい」と呟く。

「早いのう金時」
「え、本当?」

うーん、と伸びをしながら辰馬に近づく。

「ヅラが不機嫌だったからさぁ?寝坊でもしたかと思ったわ」

伸び切った癖毛を掻き、先ほどの桂の態度ついて心当たりがないか辰馬に問う。
さえ箸を持ったまま宙を仰ぐ辰馬が、ああ〜と間延びした声を漏らした。

「見張り明けにの。ヅラが起こしに来たんじゃが…珍しく驚いた様な、妙な声を出しちょったなぁ」
「え、なんで?」

味見でもしようかと真横に近付いた銀時を見下ろし、辰馬が意味ありげにニイッっとに笑った。

「そらぁ、わしらが…抱き合うて眠っちょったから、じゃなかか?」
「…………抱き」

時が止まった。
コトコトと鍋の蓋が笑う。銀時の耳がみるみる熱くなってゆく。

「ちがっ」
「ちがっ?」

首を傾げる辰馬を突き飛ばす勢いで台所を飛び出した。一目散に廊下を駆け抜ける。

「違うぞヅラぁああああああああああああああ」

必死の叫びは、冬の澄んだ朝の空気に虚しく吸い込まれていく。廊下を駆ける握られた拳の中に、まだ昨夜の小指の温かさが、こびりついて離れない。

――あいつ、絶対わざとやってやがる

恥ずかしさと、腹立たしさ。緩む口元。それを覆い隠すようにゴシゴシと袖口で乱暴に拭い、銀時はただ晴れ渡った空の下を走り続けた。
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