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アセルスとレッド

「そう言えば……あの人はいないのか?」

 レッドはふとした違和感を感じて、アセルスに問うた。

「ほら、キグナスで戦った時に姉ちゃんと一緒だった……髪に白い薔薇咲かせた人」

 と、アセルスがうつむき、周囲の空気が一変した。
 レッドは急な変化に戸惑い、アセルスの顔を覗き込んだ。

「……アセルス姉ちゃん?」

「彼女は……白薔薇はこの城にいる」

 掠れた声で、アセルスが呟いた。

「でも彼女は、私のことも外界の出来事も何も分からない。眠ってるんだ。深い深い眠り……どのくらい続くのかも分からない眠り」

 妖美な色合いの紫色の目は暗く、意識が自らの内側に向いていることを表していた。

「……病気……なのか?」

 言ってからレッドは馬鹿なことを言ったと後悔した。
 妖魔は人間のような病気にかからない。
 老いもないため、何らかの原因で他者に滅ぼされるまで、その人生は続くのだ。
 白薔薇姫と名乗っていた彼女がいつ果てるとも知れぬ眠りに就いたのには、それなりの訳があるだろう。

「妖魔は、妖力を吸いとられたり、生命そのもが損なわれるようなことがあると、深い眠りに入る」

 説明し始めたのは、イルドゥンだった。

「今現在、白薔薇姫様はそういう状態だ。こうした眠りに就くと、並の人間の一生分程の時間は眠ったまま過ごさねばならん。従ってお前が白薔薇姫様に会うことは二度とないのだ……」

 レッドは目を見開いた。

「そうなのか!? 何でそんなことに!?」

「私のせいだよ、烈人君」

 アセルスが沈んだ表情のまま口を開いた。

「手を下したのはオルロワージュだけど、原因は私にある……私が逃げ回ってばかりいたから……私がもっと早く決断を下し、オルロワージュと対決していれば、白薔薇はあんな目には遭わなかった」

 アメジストよりも紫色の瞳の輝きが鈍い。
 レッドは何か慰めの言葉をかけようとして、しかし瞳の暗さに何も言えずにいた

「やれやれ、君は色々変わったこともあるけど、そういうウジウジしたところは変わらないね。終わってしまったことをあれこれ悩んでも仕方ないだろう?」

 ゾズマが情け容赦なく責め立てた。

「まあ、ゾズマ。そんな言い方ないじゃないの!」

 真っ先に抗議の声を上げたのは、言われた当人ではなくメローペだった。

「誰にだって悔やまずにはいられないことの一つや二つあるわ。それを手前勝手な基準で無責任な立場からあれこれ言うなんて、卑怯だわ!」

 体にまといつく焔が、ぼぼっと音を立てた。

「なら、仮にゾズマ様がアセルス様のお立場ならどうされました? 後になってから、自分ならもっと上手くやったとでも、臆面もなくおっしゃるおつもりですか?」

 続いて抗議したメサルティムの目と声が強い。

「はは、こりゃ手厳しいね。二人と全くアセルスのことになると容赦ないんだから」

 ゾズマが苦笑する。

「笑っていらっしゃらずにお答え下さい、ゾズマ様。もしあなた様がアセルス様のお立場だったら、どのようになさったのです!?」

 メサルティムが更に追及する。
 険しい目に圧されるように、ゾズマが両手を上げて降参のポーズをとった。

「分かったよ。僕の負けだ。僕だったら、アセルスみたいにあの方に挑もうとすることすら考えられなかった」

 おちゃらけた、人を食った口調だったが、一応非を認めたことでメサルティムは満足したのだろう。
 静かになった。

「ありがとう、メサルティム、メローペ」

 アセルスが静かに微笑んだ。
 その瞳はまだ悲しそうだったが、表情は穏やかで慈愛に満ちている。

「姉ちゃん……大丈夫か?」

 深い哀しみを示すアセルスに、レッドは同情を掻き立てられた。
 白薔薇という人が余程好きだったんだろう、と内心呟く。
 大好きな友達を自分のせいで酷い目に遭わせた。
 罪悪感と後悔が消えないのも無理はない。

「レッド君もありがとう。私は平気。強くなろうと決めたんだ、彼女の……白薔薇のために」

 アセルスはふと遠くを見る目をした。
 レッド以外には、隣室の白薔薇姫のところへ心を飛ばしているのだと見当がつく。

「白薔薇が目覚めた時に、彼女が以前みたいに私のために悲しまないように。彼女が私を支えてくれたように、今度は私が彼女を支えられるように。彼女が私にとっての帰る場所だったように、私が今度は彼女の帰る場所になれるように。そうすると決めた。彼女がいなかったら、私は妖魔の君なんてやってないよ」

 まるで目の前に白薔薇姫がいて、彼女に話し掛けでもするように、アセルスは熱っぽく言葉を継いだ。

「全く、君の動機は実も蓋もないね。ファシナトゥールの全部、白薔薇姫に捧げる気かい?」

 ゾズマがからかう。しかしアセルスは大真面目に答えた。

「そうとも言える、ゾズマ。うん、そう、私は私の変えたファシナトゥールを、白薔薇に、彼女に喜んでほしいんだ。私が美しいと思うものを、彼女も美しいと思ってくれる? オルロワージュが統治していた頃より、ここは暮らしやすい? 何より彼女に相応しい? そんなことを考えて、私は妖魔の君として政務にあたっている」

 アセルスの笑みが深くなる。目にはまだ痛みがあるが、それに倍する至福も感じられた。

「白薔薇姫様は確実に喜ばれると思います、主上」

 ラスタバンが熱っぽい口調で訴えた。目に満足の光がある。

「ファシナトゥールが以前より良くなっているのは明白です。以前にはなかった活気というものがございます。外見的な面から申し上げても、前よりはるかに美しい。様々な光に満ち、地上の星空か、宝石箱のようだ……私の申し上げることが本当か否かは、この部屋の庭から確かめることができます。アセルス様におかれましては、今の統治をお続け下さいますよう」

「結局、君が一番得したよね、ラスタバン。君の望んだ通りにアセルスは妖魔の君になって、君が望んだ以上にファシナトゥールを変えたんだから」

 ゾズマが皮肉な笑みを浮かべて手をひらひらさせた。

「それは、お前にも言えることだろう、ゾズマ? お前がアセルス様に期待をかけなかったとは、最早言わせないぞ。城の制度の改革で、一番喜んだのはお前ではないか。率いている下級妖魔たちにも、面目が立ったという訳だ」

 ラスタバンは挑発的な笑みと共に言葉を投げつけた。

「やめろ二人とも。畏れ多くも主上の御前、主上の私室でそのような愚にもつかぬ言い合いなど」

 イルドゥンが強い声で二人を諫める。

 全くだ、姉ちゃん女王様だろ、甘いよな、とレッドは思ったが黙っていた。

「でも、イルドゥンがこの部屋でそんな話し方をするのって、何だか可笑しいわね」

 メローペが、焔を燃え立たせてころころと笑った。

「いつもは『アセルス! お前という奴は!』って感じのくせにね」

「お客様の前で取り繕っているってとこだね」

 ゾズマが残った紅茶を啜る。

「何だ? この人も姉ちゃんにタメ口かよ?」

 自分は宰相だと、このイルドゥンは言った。
 主君に対等な口をきく宰相など、かなり型破りではなかろうか?

「ゾズマ、余計なことはいい! メローペ様も、あまりそういうことを客人の前でおっしゃらないでいただきたい」

 イルドゥンが苦言を呈すると、テーブルを囲む者たちから笑いが湧いた。

「イルドゥンはねえ、白薔薇と一緒にファシナトゥールに連れて来られた私の教育係だったんだ」

 まだくすくす笑いながら、アセルスはレッドに説明した。

「白薔薇が立ち居振舞いの先生で、イルドゥンが戦いの先生。訓練は厳しかったなあ。何度半殺しの目に遇わされたことか」

 懐かしげに言うアセルスに、実際どんな待遇があったのか、レッドには想像する以外にない。

「イルドゥンに弱くて話にならんとか何とか、馬鹿にされるのが癪でねえ。白薔薇と一緒に針の城にあった、モンスターが放されている場所に入り浸って、何度も実戦の経験を積んだよ。私は技を閃いて、白薔薇は術で攻撃して。怖くなかったと言ったら嘘になるけど、戦っている間は自分の運命を忘れていられて、気は楽だった。自分に剣の才能、戦いへの志向があるのを、初めて自覚したよ。何より白薔薇と命を預け合えるのが嬉しかった。私たちは……運命共同体だった」

 アセルスの人形師の理想を体現したような美しい顔に、幸福そうな笑みが浮かんだ。

 ここに至って、レッドは気付いた。
 どうも、アセルスの白薔薇姫に対する感情表現は変だ。
 親友なのかと思っていたが、それ以上のもの――宿命的な、愛情の絆さえ感じられる。

「白薔薇は特別だ、誰より特別なんだ、私にとってね」

 レッドの考えを知ってか知らずか、アセルスは熱に浮かされたように続ける。

「陳腐な言い方をしてしまえば、運命の相手なんだ。彼女なしじゃ駄目なんだ、彼女なしじゃ」

 アセルスはテーブルの上で繊細な指を組んだ。目の前のレッドに話し掛けているように見せながら、視線は遠くを、別なものを見ている。

「あの……姉ちゃん、それって……」

 レッドはようやく気付いた。

「その白薔薇姫さんて人にそ……恋愛感情があるって……こと?」

 ひきつり気味の顔で問われて、アセルスは艶然と微笑んだ。

「驚いた? でもこれが私。少し前まで、私も認められなかったけれど、白薔薇が好きなのは仕方ない」

 あっさり言われて、レッドは唖然とした。

「姉ちゃんてそういう人だったのか!? 嘘だろ? 姉ちゃん、シュライクに住んでた頃に好きな男いたじゃ……」

「ああ……そんなこともあったような気がするなあ。もう何百年も前のことのようだよ」

 アセルスはくっくっと笑った。

「もう顔も名前も思い出せない。それに、白薔薇への思いの確かさに比べれば、その類いの話なんて煙のように儚いんだ。……そう、例えるなら、宝石と草を燃やした煙を比べるようなものでね」

 レッドはぽかんとした。
 これは本物だと思う。
 アセルスが妖魔になっていたのにも驚いたが、同性を好むようになっていたのにも同じくらい驚いた。

「君、随分びっくりしてるようたけど、妖魔と人間とでは性別のあり方が根本的にと言っていいくらいに違うんだ。君が思っている程、アセルスの白薔薇姫に対する感情は妙じゃないのさ」

 ゾズマがレッドの間抜け面を面白そうに眺めながら言った。

「妖魔は人間とは違って、異性を求めて子孫を遺す必要がない。従って、性別というものに根本的な意味はないのだ。見た目の男らしさ女らしさはあるが、それは外見に限定されたことで、お前たち人間のような実用的な意味はない」

 イルドゥンの説明に、レッドは講習で聞いた妖魔という種族の成り立ちを思い出した。
 体の中に赤ではなく青い血が流れる妖魔という種族は、まだ未解明な部分もあるが、精神が具現化した存在だと言われている。
 激しい憎悪や深刻な葛藤がある者程、美しい外見を有するとされていたはずだ。

 彼らは闇の中から忽然と現れる。
 父も母もなく、その本質は孤独だ。
 例外として、何らかの方法で妖魔が人間を妖魔化した場合は、元の妖魔は妖魔化した人間に対して擬似的な「親」、あるいは「主」として振る舞う。

「惹かれる者同士が惹かれ合う。ましてアセルス様は妖魔の君、それもかつて存在せず、これから先もアセルス様以外に存在しないであろう特別な妖魔の君よ。惹かれるなという方が無理だわ。性別なんて、些細な問題でしかないの」

 メローペがまるで我が事のようにアセルスを自慢した。

「烈人さんとやら。あなたも、アセルス様の魅力はもはやよくご存知でしょう? 妖魔の君には他の妖魔を惹き付ける魅力が備わっているのです。アセルス様の場合は、特に女性に対する魅力がね。人間で男性のあなたですら食い入るようにアセルス様を見詰め続けずにはいられない。ましてや妖魔の女性たちには、致命的なのですよ」

 ウルスラに言われて初めて、レッドは自分がアセルスを魅入られたように見詰め続けていることに気付いた。
 確かに並外れた魅力だ。
 無垢にして妖美。
 精緻な人形のような見た目の、世界を破壊できる者。

「まあその……俺があれこれ言える立場じゃないけどさ。姉ちゃんがそれで幸せだったら、俺はそれで……」

「私は充分幸せだよ、烈人君。ただ気になるのは、私は白薔薇を、私が幸せだと思っているのと同じくらいに幸せにしてあげられるかということ」

 アセルスは、優しい目で笑った。

「君は? 烈人君。君は今、幸せ?」

 レッドはふと、顔を上げた。
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