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4 懐旧

「凛子……凛子!」

「ママ!」

 住之江幼稚園の門前で再会した母娘は、固く抱き合った。

「大丈夫なの? 怪我は?」

「何ともないよ、何かされる前に助け出されたから」

 凛子はボーンを視線で示した。
 彼は母娘を一瞥し、そのまま背を向けて歩み去ろうとした。

「ボーン・コールドさんね?」

 マリがボーンを呼び止めた。
 彼が葉巻をくわえたまま振り返る。

「娘を助けてくれて、本当にありがとう。私、あなたのお父さんのこと知っていたわ……。どう? 少し寄っていかない? 夕御飯まだでしょう?」

 ボーンはマリの目を見、紛れもなく本気と悟って呆れたようにこぼす。

「あんた、正気かい? 元悪行超人を家に入れるのか?」

 見たところ、男は家にいないようだ。
 ボーンに言わせれば狂気の沙汰である。

「あなたが心底からの悪人とは思えないわ」

 マリは穏やかに微笑んだ。

「それが証拠に、娘を助けてくれたもの。あなたのことは、火事場のクソ力修練の時から気になっていたの。少しお話できないかしら?」

 ボーンは、身じろぎもせず考え込んだ。


 ◇ ◆ ◇

 全く、俺もどうかしてるね。

 ボーンは二階堂家のダイニングキッチンの椅子に座りながら、ぼんやりとひとりごちた。

「動いて疲れたでしょう? 口に合うといいんだけれど……」

 キッチンでは二階堂マリがかいがいしく料理を作っている。
 自分と娘、そしてボーンの分。

「ねえボーン! 写真撮っていい?」

 私服に着替えた凛子がスマホを持って来た。

「友達にボーンが家に来たって自慢するんだ!」

「構わねえが、何の自慢にもならねえぜ?」

 葉巻をくわえ、薄笑いを浮かべたボーン・コールドの写真を、凛子は至近距離で撮影した。
 2ショットも何枚か。

「よっしゃ、恵子とたまきに送ろっと!」

 いそいそと凛子は友人たちに写メを送り始めた。

「お待たせ」

 マリは鶏肉の香草焼きをテーブルに運んで来た。
 一緒に玉葱とキャベツとベーコンのスープとライ麦パン。

「いただきま~す! あ~お腹空いた!」

 凛子が食事にかぶりつく。
 ボーンもフォークを取った。

「……美味い。料理上手だな、あんた」

 香草焼きを一切れ口に運んで、ボーンはマリの料理の腕を誉めた。

「口に合った? 良かったわ」

 マリがにっこりする。
 ボーンは遠い記憶を刺激されて微かな痛みを感じた。
 母親ファティマも、幼いボーンが彼女の料理に舌鼓を打つ様子を、幸福そうに見守っていたものだ。

「改めて訊くがね」

 ボーンはマリに隻眼を据え、静かに問いかける。

「俺のクソ親父、昔、あんたに何かしたんじゃないだろうな?」

「心配? そんなことはまるでなかったわ」

 マリはくすくす笑う。

「あなたはどうなの、ボーンさん。お父さんとはその後会ったりしてるの?」

「二、三度な」

 ボーンが釈放されたと知ったキン骨マンは、息子の住処となった小さな家に時折姿を見せた。
 特に話すこともない。
 一度ボーンが手作りした食事を振る舞ってやったら、涙で顔をグシャグシャにしていたのを思い出す。

「お母さんの方は? どちらにお住まいか知ってるの?」

 ボーンは呆れてマリを見返した。

「あんたなあ、殺し屋になった息子にわざわざ会いに来る母親がいるかよ!? 向こうにだってそれなりの生活ってモンがあるだろう?」

「私だったら、そんな過酷な状況に子供を置いて来たら、いつまでも忘れられないと思うわ。あの試合をもしお母様が見てらしたら、さぞ辛い思いをされたでしょうね」

 マリの言葉に、ボーンは苦笑で応じる。

 それは彼が敢えて封じてきた思いだった。
 自分をあの地獄のような家に置き去りにして、ある日忽然と消えた母親ファティマ。
 彼女とはそれ以来会っていない。
 噂も聞かないところを見ると、よほど遠くに逃げたのだろう。
 恐らくは生粋のカシドゥア人であった彼女は、どこに身を隠したのか。

「こんなことを言うのは、キン骨マンさんに失礼だけど、あなたの顔立ちを見る限り、あなたのお母様はお綺麗な方だったんでしょうね」

 マリは更に言葉を続けた。

「衣装の感じもあなたとキン骨マンさんとは違うし、お母様は種族違いの方だったのかしら?」

「うん。ボーンとキン骨マンって似てないよね。お母さんがどんな人だったのか、興味あるな~」

 凛子がさりげなく促す。

「お袋は美形だったさ」

 不躾な質問に素直に応じてしまう自分にちょっとした違和感を感じつつも、ボーンはつらつら語り出す。

「多分今親父と並べたりしたら、あまりの釣り合いの取れなさに噴き出しちまうぜ。このターバンもお袋由来だな。ま、5歳の時に別れたきりなんで、どういう種族かまでは知らないがね」

 彼女らと自分とを護るさりげない嘘を混ぜ、ボーンはそれだけ告げた。

「お母様を探すつもりはないの?」

 柔らかく、優しい声でマリが問いかける。

「あんたな、俺みたいなのが母親探してどうするってんだ? どう考えても迷惑だろ、向こうにとって! いいか、元殺し屋で終身刑の囚人だぞ!? あんたが俺の母親だったとするなら、会いたいと思うか!?」

 ボーンが呆れた声を出しても、マリはゆるがなかった。

「お母様にも、色々な事情がおありでしょう。でも私が彼女だったら、そういう息子だからこそ気になると思うわ」

「俺はそうは思わねえな。あっちは今頃、俺のところにいた頃とは比べ物にならないくらいいい生活をしてるさ」

 それはボーンの切なる願いでもあった。
 カシドゥア人は基本的に異民族との婚姻を認めないという。
 確かに母親は異民族である父親と婚姻したばかりに悲惨な目に遭った。
 次こそ、同じ種族のまともな男と暮らしてほしいものだ。

「あなたは優しい人ね、ボーンさん」

 マリがくすりと笑った。

「お母様の幸せを、心底願ってるのね」

「仲間二人に良く言われるよ、『お前は女には甘い、男は平気で殺すくせに』ってな!」

 ボーンは腕を広げて見せた。

「でも、お父様も殺さなかったわ。殺しても良かったのに。万太郎君も殺さなかったわね?」

「ありゃ、殺しに失敗しただけだ。殺し屋になった時から、一人でも殺しに失敗したら殺し屋の看板を下ろすって決めてたんでな」

 凛子は怯えた表情を見せたが、マリは平然としていた。

「万太郎君は、まるであなたの痛みを理解していなかったけど、それも致し方ない部分もあるの」

 マリはため息をこぼし、微かに顔を曇らせた。

「万太郎君から見たあなたは、例えるなら、まるで医学知識のない人に難病の説明をするようなもので……気の持ちようで万事解決すると思ってるのよ。年齢的に見ても、彼の生育環境から見ても、仕方ない部分はあるんだけど」

「ハ、あんなニンニク臭い奴に理解されたくもないがね」

 ボーンは笑った。
 自嘲も含まれた笑いだった。

「やり方は間違っていたかも知れないけど、あなたは強い人だわ」

 マリはしみじみ呟く。

「生後すぐから8年間も虐待されて、それでも一人で立っている。大人だし、そのプライドがある。私の知ってる例では、なかなかそうはいかないものなのだけどね」

「おいおい。俺を口説いてんのか?」

 ボーンは肩をすくめた。

「私なんかが口説いたところで無駄でしょう?」

 マリはころころと笑った。

「きっと若くて素敵な恋人がいるんじゃないかしら?」

「あ、フォーク・ザ・ジャイアントの台詞からすると、この人、女癖悪いっぽいよ」

 凛子が口を挟んだ。

「何か分かるなー。顔いいし、口が回るし、垢抜けてるもんねー。万太郎とかと違って、女好きでも許せるタイプってか」

「娘の方は娘の方で挑発してんのかよ! 大した親子だぜあんたら」

 ボーンは母娘を順繰りに見回して首を振る。

「第一、間違っちゃいねえか!? 超人レスリングのファンらしいのは分かるが、だからって元悪行超人まで家に招くかフツー? 俺は女をいたぶらねえ主義だからいいが、女いたぶるのがたまらない快感だって悪行超人だっているんだぜ!? もっと警戒しろよ!」

「女性をいたぶらないっていうのは、お父様に虐待されるお母様を見て、決して自分はああいうことをしないと考えたから?」

 穏やかにマリは問うた。

「だとしたら、あなたは並外れて誇り高いわ。普通、そういう父親を見て育った男の子は父親と同じことをするようになるのだけれど」

 ボーンはフッと笑った。

「それがあんたの修めたっていう学問ってやつかい? 生憎俺はその類いのことを意識しちゃいないんでね……あの野郎なんて関係ねえ。俺には俺のやり方があるのさ」

 マリはうなずいた。

「強い人ね。あなたは」

「比較対象が弱すぎるんだよ。あんた、徹頭徹尾、あの野郎と俺を比べてるだろ」

 ボーンは怒る気にもなれない調子だ。

「ごめんなさい。ついね。でも、あんまり似てないから驚いたわ」

 優しい目で、マリはボーンを見た。

「あなたと万太郎君はあらゆる面で対照的だけど、こういうことでも正反対ね。万太郎君はキンちゃんに中身もそっくりだけど、あなたは父親と似ていない……」

「今度はそっちと比べるのかよ! まあ似てるって言われるよりマシだがね」

 ボーンはすっかり空になった皿にフォークを置く。

「いつか万太郎君とあなたが仲良くなってくれればいいんだけど。キンちゃんと戦ったライバルたちがそうだったみたいに」

「あ、それは無理。俺、あの手のミもフタもねえ奴とはつるめねえから」

 あっさりボーンは却下した。

「ああ~……ちょっと分かる気がするなあ……」

「凛子!」

思わず呟いた娘に、母親の叱咤が飛んだ。
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