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アセルスとレッド

 レッド、ヒューズ、ゾズマ、ディアディム、アルナイルの五人は、直径1km程の島を、あちこちに寄り道しながら進んで行った。

 妖しく仄光る森のそこここには植物系のモンスターが棲息している場所もあり、レッドたちは持てる業を駆使してそこを突破していった。

 驚いたのは、アルナイルの意外な戦闘能力である。
 資質こそ所持していないが、彼女は空術を使いこなし、並のモンスターでは戦いにならない程の活躍を見せた。

「スゲー、人は見かけに寄らないなあ」

 レッドは、リバースグラビティでトラップバインの群れを葬ったアルナイルを、感嘆の目で眺めた。

「私はこの島の管理人ですので……この程度の心得はあります」

 柔らかく微笑みながら、アルナイルは前に進むようレッドを促した。

「妖魔の場合、女性だからって弱いとは限らない。覚えておくといいよ」

 ゾズマが悪戯っぽく微笑みながら付け足す。

「ん……そりゃ分かってるつもりだけどさ」

 アセルスは、現存する妖魔の中で最も強いという評判を、レッドは聞いたことがあった。
 その剣はあらゆるものを斬り断ち、防げるものはこの世に存在しない。
 もう一人存在する妖魔の君、ヴァジュイールも、戦えばアセルスに勝てないだろうと囁かれているのだ。

 アセルスが実際に力でオルロワージュを圧倒し、滅ぼした。
 故に、妖魔社会でも女性への見方、その立場が変わったのだと、ゾズマは軽く言った。

 一行は、更に進んだ。

 島の所々には、人工や天然の洞窟があり、その中にもレッドたちは探索の足を向けた。
 
 行方不明になった従僕のコカブは、一向にその姿を見せない。
 それにアケルナルも。

「これで洞窟は最後です。後は、島の最深部が残るのみですが」

 洞窟の奥の泉から走り出して来たマフラーザウルスをリバースグラビティで葬り、アルナイルはそう告げた。

「アケルナルはいない可能性が高いか……。だが、何事も確認するまで断言はできん。その島の最深部とやらに案内してくれ」

 ヒューズがアルナイルに促した。

「……分かりました。こちらです」

 アルナイルは先に立って歩き出し、レッドたちは従った。


「ここが、花咲く島の最深部です」

 アルナイルは、花木が切れた合間の波打ち際を指さした。

 螺旋状に捻れた幹が発光する木々の間に、燐光石が露出した浜辺が見えた。
 螺旋状の木々はマングローブのように、浅い水の底から伸びている。
 発光する木々と燐光石、そして降り注ぐ星とオーロラの光に照らされて、水は幻想的な瞬きを返している。

 静かな波の音がし、レッドは周囲を見回した。

「誰も……いないな」

 地上に星空を移したような光景だけで、そこには自分たち以外の人の気配がない。

「不発だったようだな。可能性は高いと踏んだんだが、やっぱりこんなに城に近いところには潜伏できないか。定期的に人が見回るようだしな」

 ヒューズが舌を鳴らす。

「安心するのは早いと思うよ」

 ゾズマがのんびりと口を挟んだ。

「あの波打ち際に沈んでる石。何だろうね?」

 レッドははたと水の中に注目した。
 他の面々も続く。

 波打ち際、発光する木々の間に隠れるように、黒っぽい石でできた細長いものが突きだしている。
 まじまじと見詰めるにつれ、それが人間の腕の形をしていることが分かった。
 何かを食い止めるように広げられた指の形も見分けられる。

「コカブ……!?」

 アルナイルが愕然とし、レッドとヒューズが波打ち際に駆け寄った。

「近寄らない方が……」

 ゾズマが言いかけたその時、突如少し先の湖の水面が盛り上がった。
 膨れ上がった水の塊がそのまま、島の岸辺に押し寄せる。

「危ない!」

 アルナイルが叫ぶと同時に水飛沫を撒き散らして巨大な首が三つ、水面を割って現れた。

 横殴りに振られた真ん中の首にレッドが弾き飛ばされ、後ろの木に激突する。
 ヒューズが咄嗟にカウンターを狙おうとするが、うねくる長い首はそれをかわしてヒューズの首もとにぞろりとした牙を突き立てた。
 そのまま持ち上げ、物凄い勢いで振り回す。
 一瞬後には、首がとれかけたヒューズの死体がどさりと地面に落ちた。

「こやつは……ヒュドラ!」

 アルナイルが驚愕の叫びを上げた。

 その巨大な生き物は、三つの首を持つ恐るべき蛇だった。
 水面から出ている首だけでも6~7mの長さがあり、牙のはみ出た口は並の人間なら一呑みにできそうだ。
 水面下に隠れた胴体は、一見して分かりづらいものの、30mかそこいらの長さはありそうだ。
 三つの首はそれぞれ、赤、青、そして銀の艶のある黒と、三色の鱗に彩られている。

「ディアディム!」

 ゾズマが鋭い叫びを上げたのと、ぱっくりと開かれた青い首が極低温の冷気を吐き出したのは同時だった。

 声もなく、ディアディムが氷の像と化す。
 真っ白に凍りついた彼女は、地面からまといついた氷のお陰で、倒れることもできずに無惨な有り様を晒した。

「リバーススクラッチ!」

 アルナイルの引き起こした重力異常がヒュドラの巨体を一瞬水から引き離し、巨大な手でねじくるように絞り上げながら落下させた。
 巻き起こった大波を縫うようにゾズマが妖魔の剣を降り下ろして突っ込んだ。
 真ん中の黒い首が、凄まじい斬撃にざっくり切り裂かれる。
 赤黒い血が湖を染めた。

 形容しようのない咆哮を上げて、ヒュドラが切り裂かれた真ん中の首をもたげた。
 だくだくと血を流しながらも、開かれた口から黒ずんだ銀色のブレスが吐き出される。
 ゾズマが巻き込まれ、見る間にその体が石になっていった。
 何事か叫ぼうとした表情のまま、石像と化したゾズマが転がった。

 右側の赤い首が大きな口を開き、物凄い焔を吐き出した。悲鳴と共に、アルナイルが燃え上がった。
 まさに木のように燃えた彼女は、消し炭になって倒れる。

 勝利の雄叫びのように吠え声を上げたヒュドラの前に、レッドがよろよろと近付いた。

「まだだ、この化け物野郎……! 俺が残っているぞ!」

 月虹の剣を構え、レッドはヒュドラと対峙した。
 ヒュドラは嘲笑うように三本の首をもたげ、レッドを見下ろした。そのまま雪崩落ちるように牙の雨が降り注いで……

 ガアン! と激しい音がした。

 目の前にある妖美な青緑の輝きを、レッドは信じられない思いで見詰めていた。

 アセルスだ。

 真紅の華麗な剣を振りかざし、ヒュドラの真ん中の首の攻撃を受け止めている。
 一見華奢な腕は、とんでもないヒュドラの力を楽々と受け止めていた。

 レッドの左側を、黒い艶やかな影が通り過ぎ、手にした螺旋状の柄のグレイブがヒュドラの赤い首の半ばまでを切り裂いた。
 白い髪、水を寄せ集めたような鎧……メサルティムだ。

「行け!」

 いつの間にかレッドの右側にいた焔をまとう女が、伸ばした指先から輝く熱線を放出した。
 サラマンダー。
 そう呼ばれる攻撃は、ヒュドラの青い首に雨あられと降り注ぎ、猛烈な熱で焼いた。

 ヒュドラがのけ反り、悲鳴を上げた。

 アセルスが跳躍した。
 真紅の輝線が、上空より降り注ぐ。

 それはうねくり水面に広がるヒュドラの胴の急所を正確に貫いていく。
 一条、二条、三条、四条。

 最後の五条目が、まさにうねる胴の真ん中、心臓を貫いた。

 ヒュドラは衝撃で跳ね上がり、そのまま声もなく絶命した。

 真紅の剣に貫かれたところから、ヒュドラは光の粒と化し、そのまま大気中へと昇華するように消えて行った。


 気が付くと、レッドと彼の周囲を暖かい癒しの雨が濡らしていた。
 レッドの傷が癒え、アルナイルが衣装の残骸をまとったあられもない姿で起き上がる。
 ヒューズが上体を起こして首を振り、凍り付いていたディアディムが解凍された。

「大丈夫かい、烈人君もみんなも?」

 ふわりと軽やかに岸辺に降り立ったアセルスが、一同を気遣った。

「アセルス姉ちゃん……どうして……?」

 レッドは急な展開に目を白黒させた。

「何か胸騒ぎがしてね。メサルティムとメローペを連れて見に来たんだ。どうやら余計なお世話って程じゃなかったようだね」

 アセルスはほっとしたようにレッドを見やった。

「アセルス様、ゾズマ様が……」

 気遣わしげな声で呼び掛けたのは、メサルティムだった。
 その視線の先を見ると、ゾズマが石化したまま雨に濡れていた。

「あらまあ、ファシナトゥールNo.2ともあろう者が、だらしないことね」

 空中に浮かんだメローペが大仰に腰に手を当て、小馬鹿にした。

「ははは。ゾズマ、後から助けに来るのが遅いとか何とか言うんだろうな」

 アセルスが苦笑しつつゾズマに目をやると、ゾズマの石化が見る間に解けた。

「ふう……何だい、アセルス、助けに来たの? 遅いじゃないか。こういう時はもっと早く……」

 その台詞を聞いて、アセルスとメサルティム、メローペが破裂するように笑いだした。
 レッドも思わず苦笑する。

「ん? 何だい、三人とも。ひょっとして僕を挑発してる?」

「いや、心配してたんだ。……アルナイル、酷い目に遭ったね」

 全員の(特に鼻の下の伸びきったヒューズの)視線をさえぎるように、アセルスはアルナイルの前に立ち、その力を彼女に注いだ。
 ボロボロになっていたアルナイルの衣装が再生する。

「ありがとうございます、アセルス様。お越しがなければ、今頃どうなっていたことか……」

 差し伸べられたアセルスの手にすがって立ち上がりながら、アルナイルは仄かに頬を染めた。

「何、こういうこともある。たまたま運が悪かったのさ。……ああ、そうだ、そこに沈んでる人も助けないとね……メサルティム」

 アセルスに呼び掛けられるよりも早く、メサルティムは空中を泳いで水中林の中に入り、尾びれに力を込めて石になった従僕、コカブを波打ち際に引き上げた。

「ふう。この人も災難だな……」

 アセルスが力を注ぐと、コカブは見る間に本来の姿を取り戻した。
 紺色の髪を肩辺りで切り揃えた、小綺麗な若い男。
 這いつくばって礼を取る従僕にいいからと手をふりながら、アセルスはふと、ディアディムに目を留めた。

「ディアディム? どうした? どこか痛むのか?」

 ディアディムは自らの体を抱くようにうつむいた。

「私は……つまらぬ下級妖魔です。こういう時にはいつもそう……何の役にも立たない」

「君一人がそうなったら、そういう具合に落ち込むのもいいだろうけどね。全員、大して役に立たなかった。あまり気にせずとも良いよ」

 ゾズマがいつもの軽い口調で言った。

「いえ、私は傷の一つも付けられず……いつもそうです。ゾズマ様に召し抱えていただき、アセルス様に従騎士の位までいただきながら、それらに何の意味も持たせることができないつまらぬ下級妖魔、それが私なのです」

 挫折も露に、ディアディムは言葉をこぼす。

「そんなことはありませんよ。私だって、下級妖魔出身で、最初は取るに足らぬ強さしかありませんでした。しかし、アセルス様に付き従い戦う内に、先代の妖魔の君に対抗できるまでになったのです。無論、アセルス様のお力添えがあってのことですが……」

 メサルティムがすいと空中を泳いで、ディアディムの傍に近付いた。

 妖魔たちは知っている。
 本来、どれだけ鍛えても格の違いのせいで妖魔の君に有効なダメージなど与えられないメサルティムが、オルロワージュと互角に戦えたのは、アセルスの傍に着くことで、彼女の妖力を注がれる形となったからだと。
 そうすることで、その状態にある限り、格がアセルスと同等になったのと等しい効果が得られたのだ。

「メサルティム様は……私などとは違います……。メサルティム様ではなく私がアセルス様のお供をしていれば、オルロワージュ様にたどり着くことすら出来なかったでしょう……」

 触角も、言葉も塩垂れている。
 アセルスは、ディアディムの前に立ち、すうっと白い頬に繊細な指を滑らせた。

「そういう考えは、私は好きじゃないな、ディアディム。今が弱かったら、これから強くなればいい」

 頬を撫でられて、ディアディムは顔を上げた。
 間近にアセルスの優しい、しかしどこか挑発するような笑みを見て、見る間に頬が紅潮する。

「強くなりに行こう、ディアディム。良いところを知っている」

 誰もが、その言葉の意味を図りかねた。
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