アセルスとレッド
「あ……そうだ、烈人君にみんなを紹介しなきゃ。……イルドゥンも、ここに来て座れよ」
アセルスが、自分の左隣の席を指して促した。
「いえ、私は……」
「そんなところに突っ立 ってられたら目障りだってさ。ねえアセルス?」
ゾズマが紅茶を啜りながら囃し、イルドゥンはため息をついて座った。
「烈人君、彼がイルドゥン。私の妖魔としての先生なんだ。戦い方始め、妖魔のこと色々教わってね。今も実を言えば教わり続けている」
アセルスはイルドゥンと呼ばれたその上級妖魔の男をそんな風に紹介した。
「さっき、ここに来る途中で聞いた。何か自慢たらしく言ってたぜ、アセルス姉ちゃんはもう妖魔の君なんだから、馴れ馴れしくするなとか何とか」
レッドは早速さっきの不愉快な態度を言い付けてやった。
イルドゥンがじろりと睨むのに気付かないふりをする。
「ああ……ごめんね、烈人君。上級妖魔ってやつは、そういう風に考えがちなんだ。妖魔には格っていう区分があってね、それによる上下関係には根強いものがある。格が低い程、人間に近いってことらしい。私はそういう区分はあんまりピンと来ないんで、気にしてないんだけど、元から妖魔だった人はそう簡単にはいかないみたいなんだ」
アセルスが苦笑しつつ解説する。
「アセルスは、妖魔の格の上下に囚われず人材を登用することで、ファシナトゥールを繁栄させているんだ。そのことは、イルドゥンも認めざるを得ないんで、表立って反対はしないんだよね」
ゾズマがからかう口調で言った。
イルドゥンは今度は彼を睨んだが、本人に気にした様子はない。
「烈人君、君たちを水盤の城まで連れて来た、彼がゾズマ。格で言うなら私のすぐ下、No.2ってことになる。下級妖魔を差別しないのはいいんだけど、何せいい加減な奴でねー。この城にもいたりいなかったりさ」
アセルスが諦めの感じられる口調でそう紹介した。
紹介された当人はニヤニヤしているだけだ。
「No.2ってことは、姉ちゃんの臣下なんじゃねえか?こんなタメ口のでかい態度でいいのかよ?」
動きやすい、だが審美的な出で立ちの侍女が運んで来てくれた紅茶を口にしながら、レッドは疑問を呈した。
「構わないさ。ゾズマには大分借りがある。それに、ゾズマにヘイコラされても気持ち悪いしね」
アセルスは軽く笑った。
「失礼だな君は。何ならヘイコラしてあげようか?」
ゾズマが眉を吊り上げると、アセルスは本格的に笑った。
ゾズマの隣の、薄緑色の髪の男の笑みが深くなる。
アセルスの右側に並んで座っていた、人魚姿と焔をまとった女妖魔が顔を見合わせてくすくす笑う。
「こっちの巻き髪がラスタバン。先代の時代から、王の側近だった人で、最初に私に期待をかけてくれた人だ。私が妖魔の君になったのも、ラスタバンが背中を押してくれた部分が大きいな」
優美な妖魔は、にこやかにレッドに一礼した。
「私は最初にお会いした時から、アセルス様が妖魔の君になられると確信しておりました。幼なじみだとおっしゃるあなたから見れば驚かれるかも知れませんが、これは宿命だったのですよ」
レッドはちょっとした感慨を抱いて、ラスタバンを見た。
古い時代を舞台にした小説では、雌伏する未来の帝王に、その器を見出だして仕える宰相が必ず登場するが、必ずしも作り話ではないのだと分かる。
「人魚の彼女はメサルティム。人魚っていうのは、あくまで人間から見た呼び名で、正確には水妖っていうんだ。彼女は強いよ。彼女がいなければ私はオルロワージュを倒せなかっただろう。今は、私の親衛隊の隊長をやってもらっている」
アセルスに紹介された水妖、メサルティムが軽く頭を下げた。
冷たく凍てついた、自分に向けられた表情に、レッドは違和感を覚えた。
自分は何か悪いことをしただろうか?
「彼女は、少しばかり人間が苦手なんだ」
レッドの表情を読んだのか、アセルスが補足説明した。
「烈人君が何かした訳じゃない。あまり気にしないでくれ。メサルティムも、烈人君は悪い人じゃないから、少し寛容に扱ってやってほしいんだ」
「……仰せのままに、アセルス様」
メサルティムがわずかにはりつめた空気を解き、レッドは内心ほっとした。
「ところで、親衛隊って? 黒騎士とかいうのとは別なのか?」
「黒騎士っていうのは、この水盤の城で軍務全般を担当していて、イルドゥンが筆頭騎士。親衛隊は、それとは別に私直属の身辺警護として存在する組織なんだ。女性妖魔だけで構成されていてね、このメサルティムが親衛隊長。女性の妖魔と戦ったことある? 強いだろ?」
アセルスがにこにこしながら説明した。
「親衛隊の存在もそうだけど、黒騎士自体も先代の時からは変わったんだ」
ゾズマが意味ありげに微笑んだ。
「前はオルロワージュ様と同じ吸血妖魔、それも上級妖魔でなきゃ入ることもできなかったけど、今は種族違いや下級妖魔でも、相応の実力さえあれば黒騎士になれる。アセルスが行った改革だよ。それに反発して離れた黒騎士も多いけどね。君たちが追ってるアケルナルもそのクチなんだよ」
「ゾズマは元々下級妖魔に顔が広くてね。ゾズマの推薦で入った下級妖魔出身の黒騎士も多いんだ。下級妖魔は上級妖魔に比べればハンデはあるけど、装備品の性能で補うことが可能だ。その装備品を作っているのも下級妖魔出身の宮廷職人なんだけどね」
アセルスは例えば、とメサルティムを示した。
彼女が身に着けている流れる水を固めたような鎧もそうした特別な装備の一つで、上級妖魔に等しい耐性と攻撃能力を与えるという。
「この鎧を作り出したのは宮廷職人長のゴサルスですが、上級妖魔と対等に戦える力を付与して下さったのは、もったいなくもアセルス様です」
メサルティムが初めてレッドに対して口を開いた。
「この鎧始め装備品の数々は、黒騎士、もしくは親衛隊に相応しい実力の持ち主と認められた下級妖魔に与えられます。そうすることで我々下級妖魔でも、上級妖魔の方々と同等に戦えるのです」
「へえ。アセルス姉ちゃんは、やっぱり普通の妖魔と違うんだな」
レッドは密かに胸を撫で下ろした。妖魔と言うからには、やはり妖魔の伝統的な価値観に染まってしまったのかもと思っていたが、アセルスの価値観はレッドが知るものとそれほど違いはないようだ。
「アセルス様は他の誰とも違います」
メサルティムが不意に熱に浮かされたように断言した。
「アセルス様こそ、この世に二人といない唯一無二の方。人間とは違いますが、だからと言って、他の妖魔とも――歴史上存在した妖魔の君たちとも違うのです」
レッドはメサルティムのアセルスに対する熱狂ぶりに、いささか驚いた。
ここまでの熱狂は、人間で言うなら神への信仰に比肩するだろうが、受ける感じは明らかに違う。
理性を捨ててはいない、捨てない上で心酔している。
人間の概念にはない感情なのかも知れない。
「本当よ。アセルス様は、確かに違う。前の妖魔の君に似ている部分はあるけど、正反対と言える部分の方が多いわ」
メサルティムの後を受けて言ったのは、焔をまとった女性妖魔だった。
美しい。
メサルティムも美しいが、彼女は男の心を掻き乱し、狂おしく燃え立たせる色香があった。
「彼女はメローペ。汀の町の焼却炉の焔を預かってもらっている。親衛隊の副隊長でもあるんだ」
アセルスは焔の女をそう紹介した。
「少し前までは紅と呼ばれていたわ」
メローペは、どこか嘲笑うような調子で付け足した。
それが自嘲だとは、レッドは知らない。
「でも、今はそう呼ばれたくはなくなったの。私はメローペ、炎妖のメローペよ」
「……? 王様が変わったからって、名前まで変えたのか? 変わった人だな……?」
まるで事情を知らないレッドがそんな言葉を口にする。
「……私、前の妖魔の君オルロワージュの寵姫だったの」
アセルスたちがどう説明しようかと迷った一瞬に、メローペはあっさり種明かしした。
「チョウキ? 何だそれ?」
レッドの語彙範囲にはまるでない言葉だ。
「人間の言葉で言うなら、側室とか、愛人とかいう意味。前の妖魔の君には、そういう存在が私を含めて99人いたわ」
ぐぼっ、とレッドがむせる。
「き、99人!? 凄えな……!」
妖魔のそうした繋がりを知らないレッドは、どれだけ精力絶倫な奴だったのかと目を剥いた。
「いや、レッド君、愛人とは言っても、人間同士の関係とは違うんだよ。オルロワージュの寵姫というのは、彼に魅了され、血を吸われてしまった女性たちのことだ。そうなると、人間の場合は妖魔化するし、人間でも妖魔でも、虜化妖力によって完全に精神を支配されてしまうんだ」
アセルスがレッドの驚愕ぶりに苦笑しながら言った。
「フカヨウリョク?」
またしても、レッドには訳の分からない言葉だ。
「吸血妖魔に血を吸われるとね、血を吸った妖魔に精神を支配され、意のままに操られてしまうんだ。オルロワージュの虜化妖力が一番強大で、下手をすると心を失ってしまうくらいだったんだよ」
「私は心を失っていたわ」
メローペが止める間もなく打ち明けた。
「……アセルス様が、オルロワージュを倒して下さるまでは。あの人が消滅してようやく、私は自由を手に入れたの」
「メローペがこんな生き生きした人だとは、僕も知らなかったよ」
ゾズマが昔を思い出す口調で呟いた。
「紅と名乗っていた頃の彼女は、表情も感情の起伏もなかったからね。ただ焼却炉の焔の中にうずくまっている人だった」
「あら、焼却炉の焔の中にうずくまっているのも面白いのよ」
メローペが軽く笑い声を立てると、体を取り巻く焔がパッと燃え上がった。
レッドは、椅子が燃えないか心配になる。
「失敗作やゴミを焼き捨てに来る連中から、色々な噂話が聞けるの。もっとも、昔の私は、面白いという感情すら持つことができなかったけれど」
くすくすと、昔の自分を嘲笑う表情。
「今でもメローペの情報収集能力には世話になっているよ。彼女はあらゆる焔の中に潜むことができるからね、思いがけない話を聞くこともある」
アセルス程の立場になれば、そうしょっちゅう城下をうろつく訳にもいかないだろう、とレッドは思った。
メローペのもたらす城下の噂話は、統治者として貴重なだけではなく、格好の気晴らしにもなっているのかも知れない。
しかし、その中にも、アケルナルの噂話はなかったのだろうか。
逃げ込んで日が浅いから、まだ噂になっていないのか、それとも余程巧みに隠れているのか。
「一旦はアセルス様の元を離れたけど、結局また戻ってきてしまった上級妖魔の話はよく聞くの」
レッドの考えを読んだように、メローペは言葉を紡いだ。
「最近でもいると聞いているわ。アケルナルだかどうかは定かじゃないけど。何かやらかしたというのなら、もっと噂になっているはずだから、今のところ大人しくはしているのかも知れないわ。汀の町以外に潜伏しているなら、その限りじゃないけどね」
リズミカルに言葉を紡ぐメローペの焔は、彼女の興奮を伝えるように金色に燃え盛っている。
まさに焔のように、常に変化しゆらめく彼女が心を失っていた状態というのはいかなるものだったのだろう、とレッドは考えた。
それは恐らく残酷な、残酷な有り様だったのだろう。
「奴がもしアセルス様に取って代わろうとしているのなら、より力を付けるために何か画策しているのかも知れませんな。他の妖魔の力を奪うだけではなく、妖魔武具の強化とか、同志を募るとか」
不意にそんなことを口にしたのは、翼ある巨体を長々と横たえたグリフォンだった。
口調からするに、やたらと知的だ。
おとぎ話に出てくる、人間に知恵を授ける魔物のように。
「ああ、レッド君、彼がウルスラ。私に協力して共にオルロワージュを倒してくれた一人だよ」
アセルスがそう紹介すると、ウルスラなるグリフォンは器用にウインクした。
「以後よろしく、烈人さん」
「別名、赤カブともいうけどね」
ゾズマがからかうと、みるみるウルスラの機嫌が悪くなった。
「カブって言わないで下さい。嫌な過去なんですから」
「カブ? 何で鳥がカブなんだ?」
レッドは何の気なしに問いかけた。
「ウルスラは、先代のオルロワージュに、本来の姿と力を奪われてマンドレイクの姿に変えられていたんだ」
アセルスは、穏やかな視線をウルスラに投げ掛けた。
「マンドレイクって、赤カブみたいだろ? だからみんなに赤カブって呼ばれていた。戦いの中で、本来の姿と力を取り戻して、こういう見た目に戻れたんだけど」
レッドはまじまじとウルスラを見た。
下半身の竜の尻尾は瑠璃色に黄金の縁の付いた鱗に覆われ、上半身の鷲の体は黄金の羽毛で彩られている。
レッドもヒーローとして旅した過程で、グリフォンには二度程遭遇したことがあったが、それらより遥かに大型で、華麗な色彩をウルスラは持っている。
背中に並の体格の人間を2~3人乗せられそうだ。
前足の爪がまた凄い。
剣のような、というのがあながち例えだけではなさそうだ。
「妖魔の君ってのは、気に入らなけりゃモンスターでも罰したりするのか?」
不思議な話に思える。
妖魔、特に上級妖魔は自分たちの好きなことにのみ入れあげ、他種族はおろか下級妖魔にさえ関心を抱かないと、レッドはリージョンパトロールになるにあたっての講習で聞いた。
ウルスラの何が特別だったのだろう。
「私、その昔にとある寵姫の脱走を助けましてね」
大きな金色の目をくるりと動かして、ウルスラは打ち明けた。
「結局、その脱走は失敗して、その寵姫は連れ戻されてしまったんですが……オルロワージュ様の怒りが向いたのは、彼女ではなく、彼女を背中に乗せてファシナトゥールを飛び出した、この私でして。お前のような不届き者は、醜い姿となって己が罪を悔いよとの仰せで。アセルス様に助け出されるまで、そんな姿のまま奴さんの作り出した異空間に一人取り残されていたという訳です」
自分のちょっとした失敗を、ユーモアを交えて話すように、ウルスラは軽い調子でそんな風に話した。
「このウルスラは、元々、針の城で寵姫たちの慰めと護衛を兼ねて飼われていたペットだったんだよ」
ゾズマが付け足した。
「零姫様と呼ばれる方が、オルロワージュ様から逃げ出すことに成功してね。その後に、やはりオルロワージュ様からの解放を夢見ていた寵姫の一人が、ウルスラに頼ったんだ。追っ手の黒騎士を倒したりして最初こそ順調だったんだけど、やはりあの方には……」
「苦労したんだな」
レッドの言い草に、ウルスラは翼を震わせて笑った。
アセルスが、自分の左隣の席を指して促した。
「いえ、私は……」
「そんなところに突っ立 ってられたら目障りだってさ。ねえアセルス?」
ゾズマが紅茶を啜りながら囃し、イルドゥンはため息をついて座った。
「烈人君、彼がイルドゥン。私の妖魔としての先生なんだ。戦い方始め、妖魔のこと色々教わってね。今も実を言えば教わり続けている」
アセルスはイルドゥンと呼ばれたその上級妖魔の男をそんな風に紹介した。
「さっき、ここに来る途中で聞いた。何か自慢たらしく言ってたぜ、アセルス姉ちゃんはもう妖魔の君なんだから、馴れ馴れしくするなとか何とか」
レッドは早速さっきの不愉快な態度を言い付けてやった。
イルドゥンがじろりと睨むのに気付かないふりをする。
「ああ……ごめんね、烈人君。上級妖魔ってやつは、そういう風に考えがちなんだ。妖魔には格っていう区分があってね、それによる上下関係には根強いものがある。格が低い程、人間に近いってことらしい。私はそういう区分はあんまりピンと来ないんで、気にしてないんだけど、元から妖魔だった人はそう簡単にはいかないみたいなんだ」
アセルスが苦笑しつつ解説する。
「アセルスは、妖魔の格の上下に囚われず人材を登用することで、ファシナトゥールを繁栄させているんだ。そのことは、イルドゥンも認めざるを得ないんで、表立って反対はしないんだよね」
ゾズマがからかう口調で言った。
イルドゥンは今度は彼を睨んだが、本人に気にした様子はない。
「烈人君、君たちを水盤の城まで連れて来た、彼がゾズマ。格で言うなら私のすぐ下、No.2ってことになる。下級妖魔を差別しないのはいいんだけど、何せいい加減な奴でねー。この城にもいたりいなかったりさ」
アセルスが諦めの感じられる口調でそう紹介した。
紹介された当人はニヤニヤしているだけだ。
「No.2ってことは、姉ちゃんの臣下なんじゃねえか?こんなタメ口のでかい態度でいいのかよ?」
動きやすい、だが審美的な出で立ちの侍女が運んで来てくれた紅茶を口にしながら、レッドは疑問を呈した。
「構わないさ。ゾズマには大分借りがある。それに、ゾズマにヘイコラされても気持ち悪いしね」
アセルスは軽く笑った。
「失礼だな君は。何ならヘイコラしてあげようか?」
ゾズマが眉を吊り上げると、アセルスは本格的に笑った。
ゾズマの隣の、薄緑色の髪の男の笑みが深くなる。
アセルスの右側に並んで座っていた、人魚姿と焔をまとった女妖魔が顔を見合わせてくすくす笑う。
「こっちの巻き髪がラスタバン。先代の時代から、王の側近だった人で、最初に私に期待をかけてくれた人だ。私が妖魔の君になったのも、ラスタバンが背中を押してくれた部分が大きいな」
優美な妖魔は、にこやかにレッドに一礼した。
「私は最初にお会いした時から、アセルス様が妖魔の君になられると確信しておりました。幼なじみだとおっしゃるあなたから見れば驚かれるかも知れませんが、これは宿命だったのですよ」
レッドはちょっとした感慨を抱いて、ラスタバンを見た。
古い時代を舞台にした小説では、雌伏する未来の帝王に、その器を見出だして仕える宰相が必ず登場するが、必ずしも作り話ではないのだと分かる。
「人魚の彼女はメサルティム。人魚っていうのは、あくまで人間から見た呼び名で、正確には水妖っていうんだ。彼女は強いよ。彼女がいなければ私はオルロワージュを倒せなかっただろう。今は、私の親衛隊の隊長をやってもらっている」
アセルスに紹介された水妖、メサルティムが軽く頭を下げた。
冷たく凍てついた、自分に向けられた表情に、レッドは違和感を覚えた。
自分は何か悪いことをしただろうか?
「彼女は、少しばかり人間が苦手なんだ」
レッドの表情を読んだのか、アセルスが補足説明した。
「烈人君が何かした訳じゃない。あまり気にしないでくれ。メサルティムも、烈人君は悪い人じゃないから、少し寛容に扱ってやってほしいんだ」
「……仰せのままに、アセルス様」
メサルティムがわずかにはりつめた空気を解き、レッドは内心ほっとした。
「ところで、親衛隊って? 黒騎士とかいうのとは別なのか?」
「黒騎士っていうのは、この水盤の城で軍務全般を担当していて、イルドゥンが筆頭騎士。親衛隊は、それとは別に私直属の身辺警護として存在する組織なんだ。女性妖魔だけで構成されていてね、このメサルティムが親衛隊長。女性の妖魔と戦ったことある? 強いだろ?」
アセルスがにこにこしながら説明した。
「親衛隊の存在もそうだけど、黒騎士自体も先代の時からは変わったんだ」
ゾズマが意味ありげに微笑んだ。
「前はオルロワージュ様と同じ吸血妖魔、それも上級妖魔でなきゃ入ることもできなかったけど、今は種族違いや下級妖魔でも、相応の実力さえあれば黒騎士になれる。アセルスが行った改革だよ。それに反発して離れた黒騎士も多いけどね。君たちが追ってるアケルナルもそのクチなんだよ」
「ゾズマは元々下級妖魔に顔が広くてね。ゾズマの推薦で入った下級妖魔出身の黒騎士も多いんだ。下級妖魔は上級妖魔に比べればハンデはあるけど、装備品の性能で補うことが可能だ。その装備品を作っているのも下級妖魔出身の宮廷職人なんだけどね」
アセルスは例えば、とメサルティムを示した。
彼女が身に着けている流れる水を固めたような鎧もそうした特別な装備の一つで、上級妖魔に等しい耐性と攻撃能力を与えるという。
「この鎧を作り出したのは宮廷職人長のゴサルスですが、上級妖魔と対等に戦える力を付与して下さったのは、もったいなくもアセルス様です」
メサルティムが初めてレッドに対して口を開いた。
「この鎧始め装備品の数々は、黒騎士、もしくは親衛隊に相応しい実力の持ち主と認められた下級妖魔に与えられます。そうすることで我々下級妖魔でも、上級妖魔の方々と同等に戦えるのです」
「へえ。アセルス姉ちゃんは、やっぱり普通の妖魔と違うんだな」
レッドは密かに胸を撫で下ろした。妖魔と言うからには、やはり妖魔の伝統的な価値観に染まってしまったのかもと思っていたが、アセルスの価値観はレッドが知るものとそれほど違いはないようだ。
「アセルス様は他の誰とも違います」
メサルティムが不意に熱に浮かされたように断言した。
「アセルス様こそ、この世に二人といない唯一無二の方。人間とは違いますが、だからと言って、他の妖魔とも――歴史上存在した妖魔の君たちとも違うのです」
レッドはメサルティムのアセルスに対する熱狂ぶりに、いささか驚いた。
ここまでの熱狂は、人間で言うなら神への信仰に比肩するだろうが、受ける感じは明らかに違う。
理性を捨ててはいない、捨てない上で心酔している。
人間の概念にはない感情なのかも知れない。
「本当よ。アセルス様は、確かに違う。前の妖魔の君に似ている部分はあるけど、正反対と言える部分の方が多いわ」
メサルティムの後を受けて言ったのは、焔をまとった女性妖魔だった。
美しい。
メサルティムも美しいが、彼女は男の心を掻き乱し、狂おしく燃え立たせる色香があった。
「彼女はメローペ。汀の町の焼却炉の焔を預かってもらっている。親衛隊の副隊長でもあるんだ」
アセルスは焔の女をそう紹介した。
「少し前までは紅と呼ばれていたわ」
メローペは、どこか嘲笑うような調子で付け足した。
それが自嘲だとは、レッドは知らない。
「でも、今はそう呼ばれたくはなくなったの。私はメローペ、炎妖のメローペよ」
「……? 王様が変わったからって、名前まで変えたのか? 変わった人だな……?」
まるで事情を知らないレッドがそんな言葉を口にする。
「……私、前の妖魔の君オルロワージュの寵姫だったの」
アセルスたちがどう説明しようかと迷った一瞬に、メローペはあっさり種明かしした。
「チョウキ? 何だそれ?」
レッドの語彙範囲にはまるでない言葉だ。
「人間の言葉で言うなら、側室とか、愛人とかいう意味。前の妖魔の君には、そういう存在が私を含めて99人いたわ」
ぐぼっ、とレッドがむせる。
「き、99人!? 凄えな……!」
妖魔のそうした繋がりを知らないレッドは、どれだけ精力絶倫な奴だったのかと目を剥いた。
「いや、レッド君、愛人とは言っても、人間同士の関係とは違うんだよ。オルロワージュの寵姫というのは、彼に魅了され、血を吸われてしまった女性たちのことだ。そうなると、人間の場合は妖魔化するし、人間でも妖魔でも、虜化妖力によって完全に精神を支配されてしまうんだ」
アセルスがレッドの驚愕ぶりに苦笑しながら言った。
「フカヨウリョク?」
またしても、レッドには訳の分からない言葉だ。
「吸血妖魔に血を吸われるとね、血を吸った妖魔に精神を支配され、意のままに操られてしまうんだ。オルロワージュの虜化妖力が一番強大で、下手をすると心を失ってしまうくらいだったんだよ」
「私は心を失っていたわ」
メローペが止める間もなく打ち明けた。
「……アセルス様が、オルロワージュを倒して下さるまでは。あの人が消滅してようやく、私は自由を手に入れたの」
「メローペがこんな生き生きした人だとは、僕も知らなかったよ」
ゾズマが昔を思い出す口調で呟いた。
「紅と名乗っていた頃の彼女は、表情も感情の起伏もなかったからね。ただ焼却炉の焔の中にうずくまっている人だった」
「あら、焼却炉の焔の中にうずくまっているのも面白いのよ」
メローペが軽く笑い声を立てると、体を取り巻く焔がパッと燃え上がった。
レッドは、椅子が燃えないか心配になる。
「失敗作やゴミを焼き捨てに来る連中から、色々な噂話が聞けるの。もっとも、昔の私は、面白いという感情すら持つことができなかったけれど」
くすくすと、昔の自分を嘲笑う表情。
「今でもメローペの情報収集能力には世話になっているよ。彼女はあらゆる焔の中に潜むことができるからね、思いがけない話を聞くこともある」
アセルス程の立場になれば、そうしょっちゅう城下をうろつく訳にもいかないだろう、とレッドは思った。
メローペのもたらす城下の噂話は、統治者として貴重なだけではなく、格好の気晴らしにもなっているのかも知れない。
しかし、その中にも、アケルナルの噂話はなかったのだろうか。
逃げ込んで日が浅いから、まだ噂になっていないのか、それとも余程巧みに隠れているのか。
「一旦はアセルス様の元を離れたけど、結局また戻ってきてしまった上級妖魔の話はよく聞くの」
レッドの考えを読んだように、メローペは言葉を紡いだ。
「最近でもいると聞いているわ。アケルナルだかどうかは定かじゃないけど。何かやらかしたというのなら、もっと噂になっているはずだから、今のところ大人しくはしているのかも知れないわ。汀の町以外に潜伏しているなら、その限りじゃないけどね」
リズミカルに言葉を紡ぐメローペの焔は、彼女の興奮を伝えるように金色に燃え盛っている。
まさに焔のように、常に変化しゆらめく彼女が心を失っていた状態というのはいかなるものだったのだろう、とレッドは考えた。
それは恐らく残酷な、残酷な有り様だったのだろう。
「奴がもしアセルス様に取って代わろうとしているのなら、より力を付けるために何か画策しているのかも知れませんな。他の妖魔の力を奪うだけではなく、妖魔武具の強化とか、同志を募るとか」
不意にそんなことを口にしたのは、翼ある巨体を長々と横たえたグリフォンだった。
口調からするに、やたらと知的だ。
おとぎ話に出てくる、人間に知恵を授ける魔物のように。
「ああ、レッド君、彼がウルスラ。私に協力して共にオルロワージュを倒してくれた一人だよ」
アセルスがそう紹介すると、ウルスラなるグリフォンは器用にウインクした。
「以後よろしく、烈人さん」
「別名、赤カブともいうけどね」
ゾズマがからかうと、みるみるウルスラの機嫌が悪くなった。
「カブって言わないで下さい。嫌な過去なんですから」
「カブ? 何で鳥がカブなんだ?」
レッドは何の気なしに問いかけた。
「ウルスラは、先代のオルロワージュに、本来の姿と力を奪われてマンドレイクの姿に変えられていたんだ」
アセルスは、穏やかな視線をウルスラに投げ掛けた。
「マンドレイクって、赤カブみたいだろ? だからみんなに赤カブって呼ばれていた。戦いの中で、本来の姿と力を取り戻して、こういう見た目に戻れたんだけど」
レッドはまじまじとウルスラを見た。
下半身の竜の尻尾は瑠璃色に黄金の縁の付いた鱗に覆われ、上半身の鷲の体は黄金の羽毛で彩られている。
レッドもヒーローとして旅した過程で、グリフォンには二度程遭遇したことがあったが、それらより遥かに大型で、華麗な色彩をウルスラは持っている。
背中に並の体格の人間を2~3人乗せられそうだ。
前足の爪がまた凄い。
剣のような、というのがあながち例えだけではなさそうだ。
「妖魔の君ってのは、気に入らなけりゃモンスターでも罰したりするのか?」
不思議な話に思える。
妖魔、特に上級妖魔は自分たちの好きなことにのみ入れあげ、他種族はおろか下級妖魔にさえ関心を抱かないと、レッドはリージョンパトロールになるにあたっての講習で聞いた。
ウルスラの何が特別だったのだろう。
「私、その昔にとある寵姫の脱走を助けましてね」
大きな金色の目をくるりと動かして、ウルスラは打ち明けた。
「結局、その脱走は失敗して、その寵姫は連れ戻されてしまったんですが……オルロワージュ様の怒りが向いたのは、彼女ではなく、彼女を背中に乗せてファシナトゥールを飛び出した、この私でして。お前のような不届き者は、醜い姿となって己が罪を悔いよとの仰せで。アセルス様に助け出されるまで、そんな姿のまま奴さんの作り出した異空間に一人取り残されていたという訳です」
自分のちょっとした失敗を、ユーモアを交えて話すように、ウルスラは軽い調子でそんな風に話した。
「このウルスラは、元々、針の城で寵姫たちの慰めと護衛を兼ねて飼われていたペットだったんだよ」
ゾズマが付け足した。
「零姫様と呼ばれる方が、オルロワージュ様から逃げ出すことに成功してね。その後に、やはりオルロワージュ様からの解放を夢見ていた寵姫の一人が、ウルスラに頼ったんだ。追っ手の黒騎士を倒したりして最初こそ順調だったんだけど、やはりあの方には……」
「苦労したんだな」
レッドの言い草に、ウルスラは翼を震わせて笑った。