アセルスとレッド
レッドとヒューズは、イルドゥンに案内されて水盤の城の上層を目指していた。
城は現代リージョン界に生きる二人が度肝を抜かれる程に巨大で、彼らが歩いている通路だけでも軍隊が行進できそうな広さがあった。
城内はそこここに燐光石を利用した照明が灯され、きらびやかな明るさに満ちていた。
照明と言っても、燐光石で作られた彫像や燐光石の水盤など、凝り倒したものばかりで、レッドなどは一度ならず立ち止まってしげしげ観察したい衝動に駆られる代物だ。
外に面した場所からは、城の中核をなす数多の水盤から流れ落ちる水の帳を目にすることができ、その雄大さと幻想性が同居した眺めが、この城に迷い込んだ二人の人間を圧倒した。
「凄え……夢みたいに綺麗だ……。これがアセルス姉ちゃんの家なんだな……」
レッドは回廊から見えた中庭、親水性のたおやかな植物が植えられた水盤を連ねた小さな滝に見とれながら、思わず呟いた。
「烈人とやら。個人的に呼ぶ分には構わないが、少なくとも他の妖魔たちがいる前で、主上に対してそのような馴れ馴れしい呼び名を使うのはやめろ」
ふと足を止めたイルドゥンが、冷たく命じた。
「何でだよ。別にいいじゃんか、幼なじみなのは確かなんだし」
アセルスを幼なじみとは別人と疑った心は、レッドの中から消えている。
彼女は自分を覚えていた。確かにアセルスだ。
「あの方は、既にお前の知る人間の少女とは別人だ。このファシナトゥールの統治者、剣の君アセルス様であらせられる。たかが人間でしかないお前が馴れ馴れしく接するのは、このファシナトゥールの風紀上良くはない」
淡々と事実を述べる口調で放たれた言葉が、レッドの反抗心をそそった。
「姉ちゃんは……アセルス姉ちゃんは、そんなことを考える人じゃない! 妖魔になったし、見た目も少し変わったけど、姉ちゃんの中身はそんなに変わってねえはずだ。それが証拠に、姉ちゃんは昔と同じように俺を呼んでくれた。あんたが言うようなことを、姉ちゃんは決して望まないはずだぜ?」
レッドは自信を持って言った。
自分に向けられた優しい視線から、アセルスが昔と変わりないと確信したのだ。
「俺はあの方がファシナトゥールで目覚められてから、先代の妖魔の君にあの方の教育を命じられた者だ。あの方のことは大抵把握している」
しかし更に自信たっぷりに、イルドゥンは告げた。
「お前の知るのは、人間だった頃のあの方でしかない。今、あの方がどういう存在かなど、お前はまるで理解していないのだ。妖魔に、まして妖魔の君になることの重みなど、想像もつくまい」
「……ああ、確かに、分からねえことはある」
レッドは認めた。
「だから、姉ちゃんに本当には何があったのか、これから説明してもらいに行くんだ」
妖魔になると、心も変わったりするのだろうか。
妖魔たちが他の種族とは違う、独特の価値基準を持っていることは、知識としては知っている。ただ、それがアセルスにどの程度当てはまるかは――
三人は、何度か空間転移装置を使って、水盤の城上層に至った。
空間転移装置とはいえ、勿論機械的なものではなく、水盤の上に張り出した石の舞台に乗ると、込められた妖力が働き、対応する装置に瞬間転移される仕掛けだ。
似たようなものは、先代の針の城にもあったが、水盤の城のものはより高性能だ。
「ヒューズとやらはこの部屋を使え。烈人とやらはその向かいだ」
イルドゥンが二人を案内したのは、水盤の城上層にある、アセルスの客分と認められた者たちのための客間だった。
「中にある水盤の水は、飲むと生命力や気力、体力を回復する。疲れたら使え。……烈人とやら、荷物を置いたら、アセルス様の私室に案内する。付いてこい」
レッドはヒューズと別れ、イルドゥンに連れられて、更に最上層を目指した。
もう一つ空間転移装置を使って到達したのは、水盤の城最上層、アセルスの私的領域だった。
特に華麗に飾り立てられた廊下を歩きながら、レッドは胸が高鳴るのを感じる。
「ここがアセルス様の私室だ。本来なら、人間ごときが立ち入れる場所ではないが、お前は特別だ」
居丈高なイルドゥンの言葉に、レッドは反発を覚えた。
「いちいち感じ悪いなアンタ。何がアセルス姉ちゃんのことは大抵把握しているだよ。姉ちゃんはそんなこと、決して考える人じゃねえよ。俺にそんなこと言ったって分かったら、アンタ叱り飛ばされるんじゃねえのか?」
イルドゥンはフン、と鼻を鳴らしたが、何も言わなかった。
「主上、幼なじみの方をお連れいたしました」
精緻な細工のドアをノックし、イルドゥンはアセルスの私室へとレッドを導いた。
「烈人君!」
豪奢な家具を備えても、だだっ広さを感じさせる部屋の中程、大理石に似た石の丸いテーブルに座ってお茶を飲んでいたアセルスが、立ち上がってレッドに歩み寄って来た。
「アセルス姉ちゃん!」
レッドがイルドゥンの脇をすり抜けて、アセルスに駆け寄った。
改めて見ると、アセルスの理性を吹き飛ばすような美しさと魅力に、レッドは目眩がする思いを味わう。
「烈人君! ああ、何から説明すればいいんだろう!? 話さなければならないことが沢山ある……」
アセルスは、レッドを両手で抱き締めた。
高雅な薫りがレッドの鼻腔をくすぐった。
しなやかな体の感触がして、レッドはどぎまぎした。
アセルスは、自分が着いていたティーテーブルにレッドを導いた。
見るとそこにはゾズマがちゃっかり収まっている。
その隣に、薄緑色の髪と豪奢なオレンジ色の貴族めいた衣装の男、他には黒い肌の人魚のような女に、焔を衣服代わりにまとった女が同じように紅茶を前に寛いでいた。
大きな水盤に続く広大な庭を望むテーブルの反対側には、あのグリフォンが瑠璃色と黄金で彩られた巨体を横たえていた。
テーブルには彼(?)のための大振りなティーカップらしきものが用意されており、彼は鉤型の嘴から伸びた舌で、満たされたロイヤルミルクティーを舐めていた。
要するに、側近の人たちを集めてるんだな。
レッドはそんな感想を抱きながら、紫色のダマスク織りの布が張られた椅子に腰を下ろした。
城は現代リージョン界に生きる二人が度肝を抜かれる程に巨大で、彼らが歩いている通路だけでも軍隊が行進できそうな広さがあった。
城内はそこここに燐光石を利用した照明が灯され、きらびやかな明るさに満ちていた。
照明と言っても、燐光石で作られた彫像や燐光石の水盤など、凝り倒したものばかりで、レッドなどは一度ならず立ち止まってしげしげ観察したい衝動に駆られる代物だ。
外に面した場所からは、城の中核をなす数多の水盤から流れ落ちる水の帳を目にすることができ、その雄大さと幻想性が同居した眺めが、この城に迷い込んだ二人の人間を圧倒した。
「凄え……夢みたいに綺麗だ……。これがアセルス姉ちゃんの家なんだな……」
レッドは回廊から見えた中庭、親水性のたおやかな植物が植えられた水盤を連ねた小さな滝に見とれながら、思わず呟いた。
「烈人とやら。個人的に呼ぶ分には構わないが、少なくとも他の妖魔たちがいる前で、主上に対してそのような馴れ馴れしい呼び名を使うのはやめろ」
ふと足を止めたイルドゥンが、冷たく命じた。
「何でだよ。別にいいじゃんか、幼なじみなのは確かなんだし」
アセルスを幼なじみとは別人と疑った心は、レッドの中から消えている。
彼女は自分を覚えていた。確かにアセルスだ。
「あの方は、既にお前の知る人間の少女とは別人だ。このファシナトゥールの統治者、剣の君アセルス様であらせられる。たかが人間でしかないお前が馴れ馴れしく接するのは、このファシナトゥールの風紀上良くはない」
淡々と事実を述べる口調で放たれた言葉が、レッドの反抗心をそそった。
「姉ちゃんは……アセルス姉ちゃんは、そんなことを考える人じゃない! 妖魔になったし、見た目も少し変わったけど、姉ちゃんの中身はそんなに変わってねえはずだ。それが証拠に、姉ちゃんは昔と同じように俺を呼んでくれた。あんたが言うようなことを、姉ちゃんは決して望まないはずだぜ?」
レッドは自信を持って言った。
自分に向けられた優しい視線から、アセルスが昔と変わりないと確信したのだ。
「俺はあの方がファシナトゥールで目覚められてから、先代の妖魔の君にあの方の教育を命じられた者だ。あの方のことは大抵把握している」
しかし更に自信たっぷりに、イルドゥンは告げた。
「お前の知るのは、人間だった頃のあの方でしかない。今、あの方がどういう存在かなど、お前はまるで理解していないのだ。妖魔に、まして妖魔の君になることの重みなど、想像もつくまい」
「……ああ、確かに、分からねえことはある」
レッドは認めた。
「だから、姉ちゃんに本当には何があったのか、これから説明してもらいに行くんだ」
妖魔になると、心も変わったりするのだろうか。
妖魔たちが他の種族とは違う、独特の価値基準を持っていることは、知識としては知っている。ただ、それがアセルスにどの程度当てはまるかは――
三人は、何度か空間転移装置を使って、水盤の城上層に至った。
空間転移装置とはいえ、勿論機械的なものではなく、水盤の上に張り出した石の舞台に乗ると、込められた妖力が働き、対応する装置に瞬間転移される仕掛けだ。
似たようなものは、先代の針の城にもあったが、水盤の城のものはより高性能だ。
「ヒューズとやらはこの部屋を使え。烈人とやらはその向かいだ」
イルドゥンが二人を案内したのは、水盤の城上層にある、アセルスの客分と認められた者たちのための客間だった。
「中にある水盤の水は、飲むと生命力や気力、体力を回復する。疲れたら使え。……烈人とやら、荷物を置いたら、アセルス様の私室に案内する。付いてこい」
レッドはヒューズと別れ、イルドゥンに連れられて、更に最上層を目指した。
もう一つ空間転移装置を使って到達したのは、水盤の城最上層、アセルスの私的領域だった。
特に華麗に飾り立てられた廊下を歩きながら、レッドは胸が高鳴るのを感じる。
「ここがアセルス様の私室だ。本来なら、人間ごときが立ち入れる場所ではないが、お前は特別だ」
居丈高なイルドゥンの言葉に、レッドは反発を覚えた。
「いちいち感じ悪いなアンタ。何がアセルス姉ちゃんのことは大抵把握しているだよ。姉ちゃんはそんなこと、決して考える人じゃねえよ。俺にそんなこと言ったって分かったら、アンタ叱り飛ばされるんじゃねえのか?」
イルドゥンはフン、と鼻を鳴らしたが、何も言わなかった。
「主上、幼なじみの方をお連れいたしました」
精緻な細工のドアをノックし、イルドゥンはアセルスの私室へとレッドを導いた。
「烈人君!」
豪奢な家具を備えても、だだっ広さを感じさせる部屋の中程、大理石に似た石の丸いテーブルに座ってお茶を飲んでいたアセルスが、立ち上がってレッドに歩み寄って来た。
「アセルス姉ちゃん!」
レッドがイルドゥンの脇をすり抜けて、アセルスに駆け寄った。
改めて見ると、アセルスの理性を吹き飛ばすような美しさと魅力に、レッドは目眩がする思いを味わう。
「烈人君! ああ、何から説明すればいいんだろう!? 話さなければならないことが沢山ある……」
アセルスは、レッドを両手で抱き締めた。
高雅な薫りがレッドの鼻腔をくすぐった。
しなやかな体の感触がして、レッドはどぎまぎした。
アセルスは、自分が着いていたティーテーブルにレッドを導いた。
見るとそこにはゾズマがちゃっかり収まっている。
その隣に、薄緑色の髪と豪奢なオレンジ色の貴族めいた衣装の男、他には黒い肌の人魚のような女に、焔を衣服代わりにまとった女が同じように紅茶を前に寛いでいた。
大きな水盤に続く広大な庭を望むテーブルの反対側には、あのグリフォンが瑠璃色と黄金で彩られた巨体を横たえていた。
テーブルには彼(?)のための大振りなティーカップらしきものが用意されており、彼は鉤型の嘴から伸びた舌で、満たされたロイヤルミルクティーを舐めていた。
要するに、側近の人たちを集めてるんだな。
レッドはそんな感想を抱きながら、紫色のダマスク織りの布が張られた椅子に腰を下ろした。