アセルスとレッド
わずかの間待たされ、通されたのは水盤の城の謁見の間だった。
燐光石がふんだんに使われ、星空を思わせる身震いする程美しい装飾が施された、天井の高い、広大な広間。
奥には水時計を思わせる水盤の連なりがあり、その手前に、剣を掲げる二柱の女神像に護られた玉座がある。
紫色に彩られた玉座には華奢な人影が、そしてその周囲を取り囲むように幾つもの人影があった。
「やあ、アセルス。君の幼なじみを連れて来たよ。何でも君に用があるんだってさ」
ゾズマのそんな呼び掛けを聞きながらも、レッドの目は、玉座に座るほっそりした人影に釘付けになっていた。
若い、まだ子供と言っても言い過ぎではないほどの年の頃。
少女であるが、どこか少年の雰囲気も併せ持つ。
だが真っ先に目に入るのは、その背徳的な香りすら感じさせる、危うい美しさだった。
生き物ではなく、ある理想を体現させるための、人形ではないかと思える。
鬢の部分だけ長めにしたショートヘアは、目を奪う妖し火のような青緑。
無垢で、同時にどこか淫靡なニュアンスを感じさせる目が印象的な顔立ちは、幼さを絶妙のスパイスにして、完璧に整っている。
細身の体を包むのは、まるで道化か稚児のビスクドールの衣装を思わせる、深紅と黒の絹の装飾的な装束。
小さな頭に、翼を模した虹色のサークレットを頂き、両の腰にそれぞれデザインの違う長剣を下げている。
剣を振るうより、楽器でも爪弾いていた方が相応しい華奢な手が、雪のように白い。
その若さと中性性が、あたかも愛の禁忌を犯すことを連想させ、見る者を淫らな禁断の夢へと誘うようだ。
当の本人は、あくまで無垢であるにも関わらず。
同時にその美しさには、どこか恐怖があった。
心の底から震えるような、その恐怖は彼女の魅力の背徳性から来ているばかりではない。
彼女から感じるのは、圧倒的な力。
およそどうとでもできそうなその見た目に反して、彼女の全身から放射されるのは、世界を左右させかねない程の力だ。
そのアンバランスさが理性を混乱させ、情け容赦ないまでの魅力をなお一層強調している。
その魅力に金縛りにあったかのように、身動きすらできないレッドの前で、彼女が身じろぎした。
「烈人君? 烈人君なのか!?」
海の涼風のように爽やかな、その声だけは、レッドの記憶と違わなかった。
「アセルス……姉ちゃん……」
ほとんど自分だけにしか聞こえぬ声で、レッドは呟いた。
見る間に、アセルスは玉座から降りた。
玉座のすぐ下に控えていた、美形だが険しい表情の深緑の髪の男の制止も聞かず、彼女は足早にレッドに歩み寄った。
「烈人君! ああ、烈人君! 久しぶりだ! こんなに大人になって!」
アセルスは、剣の君と呼ばれる妖魔の君は、その瞬間、立場などかなぐり捨ててレッドに両の手を伸ばした。
白い大理石のような手が、レッドの頬を挟み込む。
間近で見るその微笑みに昔の面影を感じ取り、はたと我に返った。
「アセルス姉ちゃん……なのか?」
確認せずにはいられない。
「ああ、そうだよ、アセルスだよ、烈人君。君の幼なじみだよ! 色々変わったことはあるけれど、私はアセルスだ、君の知ってる」
くすくすと、アセルスは笑った。
楽しそうに。
「妖魔の……君?」
ようやくレッドは口にした。
「ああ。確かにそんなようなものになってる」
アセルスは再び笑った。
その事実が可笑しくてならない、とでも言うように。
「でも、私はアセルスだよ。緊張なんてしなくていいんだ。……IRPOの隊員なんだって、烈人君?」
「ん……ああ、今日はそのことで……」
「玉座にお戻り下さい、主上」
険しい表情の、アセルスの側近らしい男が、傍に来てアセルスを促した。
言葉遣いこそ丁寧だが、有無を言わせぬ響きがある。
「あなた様は並の妖魔ではない。妖魔の君であらせられるのです。相応の振る舞いがあると、お教え申し上げたはず」
アセルスは肩をすくめた。
「わかったよ、イルドゥン。……烈人君、何があったんだ? IRPOってことは、犯罪絡みだよね?」
渋々といった感じで玉座に戻り、アセルスは軽く脚を組んで身を乗り出した。
「指名手配犯が、このリージョンに逃げ込んだらしいんだ。上級妖魔で、かなりの使い手だ。そもそも、そいつはこのリージョンの出身らしいんだが……」
説明しながら、レッドはさりげなくアセルスの玉座の回りを取り囲む者たちを見回す。
先程アセルスをたしなめたイルドゥンと呼ばれる男の他に、やや淡い優美な緑色の巻き髪を長くした男、玉座をぐるりと取り囲むように陣取っている巨体のグリフォン、水を固めたように艶やかな鎧をまとい、風変わりな槍を持った宙を泳ぐ人魚、衣服の代わりに焔をまとった、玉座の上方に浮かぶ美女。
その他にも控えている騎士らしき妖魔たちや、侍女らしい妖魔たちがいるのだが、アセルスの側近だろうと推察されるのは、その五人だった。
「このリージョン出身の、上級妖魔だって?」
アセルスの秀麗な顔が曇る。
「襲われて、生き残った被害者の証言だ。上級妖魔で、ここの先代の妖魔の君に仕えてたらしい。名前は、アケルナル」
「アケルナル……?」
アセルスは首をかしげた。
記憶にないらしい。
「君に仕えるのを拒んで君に挑もうとしたけれど、君と戦うまでもなく睨み負けして、捨て台詞を吐いて去って行った奴がいただろう?」
ゾズマがアセルスの記憶を刺激した。
レッドはちらっと、何でゾズマはイルドゥンと違って、アセルスに対等な口をきいているのだろうと思った。No.2ともなれば、他と違ったりするのだろうか。
「う~ん、そんな奴、何人もいたからなあ」
アセルスの台詞から察するに、ファシナトゥールの王が交代するにあたっては、それなりの混乱があったらしい。
レッドはアセルスの苦労を思った。
「アケルナルは、黒騎士の中でも、かなり上位にいた者です。主上の敵ではなくとも、他の者たちにとっては厄介でしょう」
イルドゥンがゾズマの説明を補足する。
「そのアケルナルは、何をしたんだ、烈人君?」
アセルスがイルドゥンにうなずいてから、レッドに尋ねた。
「他のリージョンの妖魔を襲ったんだ。自分の力を増大させるために、それなりの力量の妖魔を襲って、力を吸い取ったんだ。血の渇きを満たすためか、人間も襲っていて、襲われた被害者はみんな死んでる」
レッドの声が暗い。
「そんなことが……一体、いつから奴はそんなことを?」
アセルスの表情が険しい。
「指名手配されたのは今年に入ってからだけど、何年も前から、同じようなことを続けていたという疑いがあるんだ。余罪まで含めると、百件近い数になる」
レッドは冷静に、分かっている事実だけを述べた。
「何年も前から……ひょっとして、私に反発してファシナトゥールから去ってすぐに?」
アセルスの脳裏に、暗鬱な想像が沸き上がる。
「多分、そうだろうね。噂は聞いたことがある。君に切り捨てられた元黒騎士が、力を得るために、他の妖魔を襲っているってね。多分、君に復讐でも目論んでいるんじゃないかな?」
ゾズマが涼しい顔で、恐ろしいことを言って来た。
「あわよくば、君を葬って、自分が妖魔の君に……ってところじゃないの? 君がオルロワージュ様を葬ったように自分も、とね。ほら、セアトがそうだっただろ?」
レッドやヒューズには意味不明の単語を交えて、ゾズマはたたみかけた。
「……黒騎士にアケルナル討伐指令を出す」
アセルスは厳しい表情のまま、命令を下した。
圧倒的な威圧感が更に高まり、周囲にいた黒騎士とおぼしい妖魔たちは、自然と姿勢を正した。
「具体的な手段は黒騎士筆頭イルドゥンに任せる。私も出る」
ざわ、とざわめきが沸き上った。
「いえ、主上、お出ましは思い止まり下さい」
しかし、止めたのは、名指しされたイルドゥンだった。
「主上がお出ましになれば、奴は逃げ去るかも知れません。奴が戻って来たのは、おおっぴらに追われる身となったからでしょう。恐らくは、奴としては、灯台もと暗しというつもりなのでしょう。私の知るアケルナルとは、そういう男でした」
ふむ、とアセルスは鼻を鳴らした。
「では、お前はどうすれば良いと思う? イルドゥン」
「黒騎士全軍を動かします。アケルナルは、他の妖魔の力を吸って、黒騎士であった頃よりかなり強くなっていると予想されます。我等と言えど、単独で当たれば危険やも知れません。黒騎士を幾つかの部隊に分けて動かし、奴を潜伏場所から炙り出します。身柄を押さえたところで、一息に討ちます」
イルドゥンは理路整然と作戦を説明した。
「そうか……いいだろう、イルドゥン、お前に任せる」
側近に向けてうなずくと、アセルスは幼なじみに向き直った。
「聞いての通りだよ、レッド君。アケルナルの始末は我々がやる。君たちは安心して戻ってもらって構わないんだ。待ってる人がいるんじゃないのか?」
そう告げるアセルスの表情は、どこか寂しげだった。
「いや、そうはいかないんだよ、妖魔の君様」
レッドの代わりに口を開いたのは、今の今まで黙っていたヒューズだった。
「相手が指名手配犯である以上、IRPOとしては逮捕、場合によっては死亡の確認をしなけりゃならない。我々があなたに会いに来たのは、その辺りの調整のためだ。あなた方の法もあるだろうが、奴は我々の担当する領域で犯罪を犯している。我々の捜査を許可し、出来れば協力してもらいたい」
「あなた方は、アケルナルを逮捕する気なのか?」
アセルスが軽く指を組んだ。
「可能な限りそうするつもりだ。しかし、相手が相手だ。逮捕が不可能な場合、その場で始末することも考えなきゃならん。そこで、我々が目標を発見した時点で、あなた方に助力を頼みたい。それで逮捕できるなら良し、不可能な場合は、奴の抹殺に我々も協力するという形をお願いしたい。奴が死亡した場合、被疑者死亡のまま送検ということになるな」
アセルスは、ふうっと息を吐いた。
「……イルドゥン。奴の逮捕は可能だと思うか?」
視線はレッドとヒューズに据えたまま、アセルスは最も近しいであろう側近に尋ねた。
「恐らく無理でしょう」
イルドゥンの答えは簡潔だった。
「例え身柄を押さえたとしても、人間には上級妖魔を束縛しておく手段がない。妖力を抑える牢獄や拘束具もあると聞いておりますが、通用するのは下級妖魔がせいぜいで、黒騎士になるくらいの上級妖魔には何の意味もないはずです」
「主上のご意志に反する者は、人間の規準で罪を犯したか否かに関わらず、懲罰の対象とすべきです。このファシナトゥールにアケルナルが逃げ込んだ以上、主上の定められた法で裁くべきかと存じますが」
穏やかに、だが断固たる見解を述べたのは、淡い緑の髪の男だった。
「……と、いうことだが……どうする?」
アセルスは、気遣わしげにレッドを見た。
「それならそれで、奴を叩き潰すだけだ。俺たちに活動の許可をくれ、アセルス姉ちゃん。奴のやったことは許せねえ! ここの人だけに任せて俺たちだけ帰れってのか!?」
レッドの目が燃えている。
「分かった、いいだろう。活動を許可しよう。この城を宿舎として使うといい」
アセルスは、あっさり許可を出した。
「黒騎士は、彼らの活動を邪魔しないように。協力要請には応じること。……特にこの小此木烈人君は、この私の個人的な友人だ。私の意志を尊重するように、彼の意志を尊重するよう、全軍に徹底させよ。任せたぞ、イルドゥン」
「御意のままに」
レッドの顔が喜色に輝いた。
「ありがとう、アセルス姉ちゃん!」
「彼らに部屋と活動資金を、イルドゥン。……積もる話もある。烈人君は、部屋に荷物を置いたら、私の部屋に来てくれないか?」
アセルスは微笑んだ。
レッドの知る、優しい笑みだった。
「ああ、勿論だ。話したいことが沢山ある」
「彼らに案内を頼む、イルドゥン。……じゃあ、また後でね、烈人君」
軽く手を振ると、アセルスはすうっと影になって消えた。
驚くレッドの前で、イルドゥンを除く側近たちが、そして黒騎士や従者の面々が同じように消えた。
ただグリフォンだけは、翼をはためかせて吹き抜けの窓から飛び去った。
がらんとした広間に残ったのは、レッドとヒューズ、イルドゥンだけだ。
妖魔がこうした移動手段を使うのは、サイレンスを見て知っていたが、いざアセルスにやられると、彼女が妖魔になったことが思い知らされた。
レッドは軽い衝撃を受けたまま、立ち竦んでいた。
「お前たち、主上のお言葉は聞いただろう。お前たちの使う部屋に案内する。付いてこい」
イルドゥンに促され、レッドはヒューズと共に謁見の間を出た。
燐光石がふんだんに使われ、星空を思わせる身震いする程美しい装飾が施された、天井の高い、広大な広間。
奥には水時計を思わせる水盤の連なりがあり、その手前に、剣を掲げる二柱の女神像に護られた玉座がある。
紫色に彩られた玉座には華奢な人影が、そしてその周囲を取り囲むように幾つもの人影があった。
「やあ、アセルス。君の幼なじみを連れて来たよ。何でも君に用があるんだってさ」
ゾズマのそんな呼び掛けを聞きながらも、レッドの目は、玉座に座るほっそりした人影に釘付けになっていた。
若い、まだ子供と言っても言い過ぎではないほどの年の頃。
少女であるが、どこか少年の雰囲気も併せ持つ。
だが真っ先に目に入るのは、その背徳的な香りすら感じさせる、危うい美しさだった。
生き物ではなく、ある理想を体現させるための、人形ではないかと思える。
鬢の部分だけ長めにしたショートヘアは、目を奪う妖し火のような青緑。
無垢で、同時にどこか淫靡なニュアンスを感じさせる目が印象的な顔立ちは、幼さを絶妙のスパイスにして、完璧に整っている。
細身の体を包むのは、まるで道化か稚児のビスクドールの衣装を思わせる、深紅と黒の絹の装飾的な装束。
小さな頭に、翼を模した虹色のサークレットを頂き、両の腰にそれぞれデザインの違う長剣を下げている。
剣を振るうより、楽器でも爪弾いていた方が相応しい華奢な手が、雪のように白い。
その若さと中性性が、あたかも愛の禁忌を犯すことを連想させ、見る者を淫らな禁断の夢へと誘うようだ。
当の本人は、あくまで無垢であるにも関わらず。
同時にその美しさには、どこか恐怖があった。
心の底から震えるような、その恐怖は彼女の魅力の背徳性から来ているばかりではない。
彼女から感じるのは、圧倒的な力。
およそどうとでもできそうなその見た目に反して、彼女の全身から放射されるのは、世界を左右させかねない程の力だ。
そのアンバランスさが理性を混乱させ、情け容赦ないまでの魅力をなお一層強調している。
その魅力に金縛りにあったかのように、身動きすらできないレッドの前で、彼女が身じろぎした。
「烈人君? 烈人君なのか!?」
海の涼風のように爽やかな、その声だけは、レッドの記憶と違わなかった。
「アセルス……姉ちゃん……」
ほとんど自分だけにしか聞こえぬ声で、レッドは呟いた。
見る間に、アセルスは玉座から降りた。
玉座のすぐ下に控えていた、美形だが険しい表情の深緑の髪の男の制止も聞かず、彼女は足早にレッドに歩み寄った。
「烈人君! ああ、烈人君! 久しぶりだ! こんなに大人になって!」
アセルスは、剣の君と呼ばれる妖魔の君は、その瞬間、立場などかなぐり捨ててレッドに両の手を伸ばした。
白い大理石のような手が、レッドの頬を挟み込む。
間近で見るその微笑みに昔の面影を感じ取り、はたと我に返った。
「アセルス姉ちゃん……なのか?」
確認せずにはいられない。
「ああ、そうだよ、アセルスだよ、烈人君。君の幼なじみだよ! 色々変わったことはあるけれど、私はアセルスだ、君の知ってる」
くすくすと、アセルスは笑った。
楽しそうに。
「妖魔の……君?」
ようやくレッドは口にした。
「ああ。確かにそんなようなものになってる」
アセルスは再び笑った。
その事実が可笑しくてならない、とでも言うように。
「でも、私はアセルスだよ。緊張なんてしなくていいんだ。……IRPOの隊員なんだって、烈人君?」
「ん……ああ、今日はそのことで……」
「玉座にお戻り下さい、主上」
険しい表情の、アセルスの側近らしい男が、傍に来てアセルスを促した。
言葉遣いこそ丁寧だが、有無を言わせぬ響きがある。
「あなた様は並の妖魔ではない。妖魔の君であらせられるのです。相応の振る舞いがあると、お教え申し上げたはず」
アセルスは肩をすくめた。
「わかったよ、イルドゥン。……烈人君、何があったんだ? IRPOってことは、犯罪絡みだよね?」
渋々といった感じで玉座に戻り、アセルスは軽く脚を組んで身を乗り出した。
「指名手配犯が、このリージョンに逃げ込んだらしいんだ。上級妖魔で、かなりの使い手だ。そもそも、そいつはこのリージョンの出身らしいんだが……」
説明しながら、レッドはさりげなくアセルスの玉座の回りを取り囲む者たちを見回す。
先程アセルスをたしなめたイルドゥンと呼ばれる男の他に、やや淡い優美な緑色の巻き髪を長くした男、玉座をぐるりと取り囲むように陣取っている巨体のグリフォン、水を固めたように艶やかな鎧をまとい、風変わりな槍を持った宙を泳ぐ人魚、衣服の代わりに焔をまとった、玉座の上方に浮かぶ美女。
その他にも控えている騎士らしき妖魔たちや、侍女らしい妖魔たちがいるのだが、アセルスの側近だろうと推察されるのは、その五人だった。
「このリージョン出身の、上級妖魔だって?」
アセルスの秀麗な顔が曇る。
「襲われて、生き残った被害者の証言だ。上級妖魔で、ここの先代の妖魔の君に仕えてたらしい。名前は、アケルナル」
「アケルナル……?」
アセルスは首をかしげた。
記憶にないらしい。
「君に仕えるのを拒んで君に挑もうとしたけれど、君と戦うまでもなく睨み負けして、捨て台詞を吐いて去って行った奴がいただろう?」
ゾズマがアセルスの記憶を刺激した。
レッドはちらっと、何でゾズマはイルドゥンと違って、アセルスに対等な口をきいているのだろうと思った。No.2ともなれば、他と違ったりするのだろうか。
「う~ん、そんな奴、何人もいたからなあ」
アセルスの台詞から察するに、ファシナトゥールの王が交代するにあたっては、それなりの混乱があったらしい。
レッドはアセルスの苦労を思った。
「アケルナルは、黒騎士の中でも、かなり上位にいた者です。主上の敵ではなくとも、他の者たちにとっては厄介でしょう」
イルドゥンがゾズマの説明を補足する。
「そのアケルナルは、何をしたんだ、烈人君?」
アセルスがイルドゥンにうなずいてから、レッドに尋ねた。
「他のリージョンの妖魔を襲ったんだ。自分の力を増大させるために、それなりの力量の妖魔を襲って、力を吸い取ったんだ。血の渇きを満たすためか、人間も襲っていて、襲われた被害者はみんな死んでる」
レッドの声が暗い。
「そんなことが……一体、いつから奴はそんなことを?」
アセルスの表情が険しい。
「指名手配されたのは今年に入ってからだけど、何年も前から、同じようなことを続けていたという疑いがあるんだ。余罪まで含めると、百件近い数になる」
レッドは冷静に、分かっている事実だけを述べた。
「何年も前から……ひょっとして、私に反発してファシナトゥールから去ってすぐに?」
アセルスの脳裏に、暗鬱な想像が沸き上がる。
「多分、そうだろうね。噂は聞いたことがある。君に切り捨てられた元黒騎士が、力を得るために、他の妖魔を襲っているってね。多分、君に復讐でも目論んでいるんじゃないかな?」
ゾズマが涼しい顔で、恐ろしいことを言って来た。
「あわよくば、君を葬って、自分が妖魔の君に……ってところじゃないの? 君がオルロワージュ様を葬ったように自分も、とね。ほら、セアトがそうだっただろ?」
レッドやヒューズには意味不明の単語を交えて、ゾズマはたたみかけた。
「……黒騎士にアケルナル討伐指令を出す」
アセルスは厳しい表情のまま、命令を下した。
圧倒的な威圧感が更に高まり、周囲にいた黒騎士とおぼしい妖魔たちは、自然と姿勢を正した。
「具体的な手段は黒騎士筆頭イルドゥンに任せる。私も出る」
ざわ、とざわめきが沸き上った。
「いえ、主上、お出ましは思い止まり下さい」
しかし、止めたのは、名指しされたイルドゥンだった。
「主上がお出ましになれば、奴は逃げ去るかも知れません。奴が戻って来たのは、おおっぴらに追われる身となったからでしょう。恐らくは、奴としては、灯台もと暗しというつもりなのでしょう。私の知るアケルナルとは、そういう男でした」
ふむ、とアセルスは鼻を鳴らした。
「では、お前はどうすれば良いと思う? イルドゥン」
「黒騎士全軍を動かします。アケルナルは、他の妖魔の力を吸って、黒騎士であった頃よりかなり強くなっていると予想されます。我等と言えど、単独で当たれば危険やも知れません。黒騎士を幾つかの部隊に分けて動かし、奴を潜伏場所から炙り出します。身柄を押さえたところで、一息に討ちます」
イルドゥンは理路整然と作戦を説明した。
「そうか……いいだろう、イルドゥン、お前に任せる」
側近に向けてうなずくと、アセルスは幼なじみに向き直った。
「聞いての通りだよ、レッド君。アケルナルの始末は我々がやる。君たちは安心して戻ってもらって構わないんだ。待ってる人がいるんじゃないのか?」
そう告げるアセルスの表情は、どこか寂しげだった。
「いや、そうはいかないんだよ、妖魔の君様」
レッドの代わりに口を開いたのは、今の今まで黙っていたヒューズだった。
「相手が指名手配犯である以上、IRPOとしては逮捕、場合によっては死亡の確認をしなけりゃならない。我々があなたに会いに来たのは、その辺りの調整のためだ。あなた方の法もあるだろうが、奴は我々の担当する領域で犯罪を犯している。我々の捜査を許可し、出来れば協力してもらいたい」
「あなた方は、アケルナルを逮捕する気なのか?」
アセルスが軽く指を組んだ。
「可能な限りそうするつもりだ。しかし、相手が相手だ。逮捕が不可能な場合、その場で始末することも考えなきゃならん。そこで、我々が目標を発見した時点で、あなた方に助力を頼みたい。それで逮捕できるなら良し、不可能な場合は、奴の抹殺に我々も協力するという形をお願いしたい。奴が死亡した場合、被疑者死亡のまま送検ということになるな」
アセルスは、ふうっと息を吐いた。
「……イルドゥン。奴の逮捕は可能だと思うか?」
視線はレッドとヒューズに据えたまま、アセルスは最も近しいであろう側近に尋ねた。
「恐らく無理でしょう」
イルドゥンの答えは簡潔だった。
「例え身柄を押さえたとしても、人間には上級妖魔を束縛しておく手段がない。妖力を抑える牢獄や拘束具もあると聞いておりますが、通用するのは下級妖魔がせいぜいで、黒騎士になるくらいの上級妖魔には何の意味もないはずです」
「主上のご意志に反する者は、人間の規準で罪を犯したか否かに関わらず、懲罰の対象とすべきです。このファシナトゥールにアケルナルが逃げ込んだ以上、主上の定められた法で裁くべきかと存じますが」
穏やかに、だが断固たる見解を述べたのは、淡い緑の髪の男だった。
「……と、いうことだが……どうする?」
アセルスは、気遣わしげにレッドを見た。
「それならそれで、奴を叩き潰すだけだ。俺たちに活動の許可をくれ、アセルス姉ちゃん。奴のやったことは許せねえ! ここの人だけに任せて俺たちだけ帰れってのか!?」
レッドの目が燃えている。
「分かった、いいだろう。活動を許可しよう。この城を宿舎として使うといい」
アセルスは、あっさり許可を出した。
「黒騎士は、彼らの活動を邪魔しないように。協力要請には応じること。……特にこの小此木烈人君は、この私の個人的な友人だ。私の意志を尊重するように、彼の意志を尊重するよう、全軍に徹底させよ。任せたぞ、イルドゥン」
「御意のままに」
レッドの顔が喜色に輝いた。
「ありがとう、アセルス姉ちゃん!」
「彼らに部屋と活動資金を、イルドゥン。……積もる話もある。烈人君は、部屋に荷物を置いたら、私の部屋に来てくれないか?」
アセルスは微笑んだ。
レッドの知る、優しい笑みだった。
「ああ、勿論だ。話したいことが沢山ある」
「彼らに案内を頼む、イルドゥン。……じゃあ、また後でね、烈人君」
軽く手を振ると、アセルスはすうっと影になって消えた。
驚くレッドの前で、イルドゥンを除く側近たちが、そして黒騎士や従者の面々が同じように消えた。
ただグリフォンだけは、翼をはためかせて吹き抜けの窓から飛び去った。
がらんとした広間に残ったのは、レッドとヒューズ、イルドゥンだけだ。
妖魔がこうした移動手段を使うのは、サイレンスを見て知っていたが、いざアセルスにやられると、彼女が妖魔になったことが思い知らされた。
レッドは軽い衝撃を受けたまま、立ち竦んでいた。
「お前たち、主上のお言葉は聞いただろう。お前たちの使う部屋に案内する。付いてこい」
イルドゥンに促され、レッドはヒューズと共に謁見の間を出た。