アセルスとレッド
空と同様、地上にも光が満ちている。
ファシナトゥールの中で一番大きな街、かつては「根っこの街」と呼ばれていた城下町は、中心となる城が針の城から水盤の城に変わるに伴い、その姿と呼び名を大きく変えていた。
今や「汀(みぎわ)の街」と呼ばれるようになったその街は、白い石畳が敷かれた広い道が縦横に走り、貝殻を思わせる外観の家々が建ち並ぶ。
そこここに優美この上ない、ファシナトゥール名産の光る石――燐光石を使った街灯が灯り、場所によっては巨大な水晶のような、燐光石の原石の露頭もある。
目立つのは、巨木の根を思わせる、うねる形の燐光石が、地面を這っているものだ。
「あの大きな木の根みたいなものは、実際に少し前まで本物の根だったんだ」
四人乗りの馬車の座席で、ゾズマが窓の外を見ながら言った。
「あれは針の城の根さ。針の城ってやつは、それ自体巨大な薔薇でね、リージョンの大地そのものに深く根を下ろしていたんだ」
「針の城は、先代の王が消滅した時に、一緒に枯れちまったんじゃないのか? 多少のタイムラグはあったそうだが」
ヒューズが正に窓の外を流れて行く針の城の根を見やった。
何で石になっているんだろう、とレッドはぼんやり考える。
化石みたいなものなのだろうか?
時間的に早すぎる気もするが。
「針の城の地上部分は朽ちて灰になっても良かった。中にいる連中が避難すればいいだけだからね。だが、リージョンの大地に深く食い込んだ根は、そういう訳にはいかなかったのさ。そんなことになれば、大地が崩落する恐れがあったから。そこでアセルスは自分の妖力を使って、根の部分だけ燐光石に変えたっていう訳」
ゾズマの説明を聞き、レッドもヒューズも舌を巻いた。
そんな大規模な術を使えるアセルスの妖力はどれ程のものなのだろう。
「彼女は最初、自分の力がどれ程のものか自覚していなかった」
ゾズマは、二人の思考を読んだかのように、そう言葉を継いだ。
「オルロワージュ様の力を受け継ぐということ。その力を超えるということ。そのことによって負わされるもの。彼女は、結局引き受ける決意を固めた。そして、今のファシナトゥールがあるという訳さ」
その裏にどれ程の葛藤があったか、人間の範囲を出たことのない二人のIRPO隊員には知る術がない。
馬車は、燐光石を掲げた水妖の噴水が設置された広場を通り過ぎた。
下級や中級とおぼしい妖魔たちが噴水周辺や石のベンチで寛いでいるのが一瞬目に入る。
「この広場ってやつも、アセルスの発案。彼女の故郷のシュライクには、こんなのが結構あったらしいね。それ以上に多かったのは、昔の人間の墓だ、なんて言ってたけど」
「ああ、思い出すなあ。アセルス姉ちゃんと一緒に古墳に行って遊んだっけ……」
レッドがしみじみと呟く。
「前の王の墓、なんてのはないのか?」
ふと思い付いたように、ヒューズが問い掛けた。
「ない。人間とは違って、妖魔は死体が残らないからね。それを収める墓も必要ないのさ」
妖魔は消え去るだけ、思い出が残るかどうかは、残された者たち次第。
ゾズマはそんな風に表現した。
「もうそろそろだよ」
その言葉に、レッドとヒューズが窓の外を仰ぎ見ると、煌めく城が間近に迫っていた。
水盤から流れ落ちる水の音が、馬車の車輪の軋みを縫って聞こえて来る。
巨大な、だが曲線的で優美な城門が、視界に入った。
城門の手前で、ゾズマとレッドたちは馬車から降りた。
ゾズマが馭者に支払った金は、まるで宝石でできたメダルのような、変わった形のファシナトゥールの通貨だった。
他のリージョンで通用しているクレジットのように、額に応じて幾つかの種類があり、いずれにも妖魔の好みそうな美麗な浮き彫りが施されている。
ゾズマの話によると、これもアセルスの統治が始まってから、彼女の発案で制定・作成されたものだと言う。
汀の町の町中には、通常のクレジットとの両替をする店もあるらしい。
この正式な通貨が制定されるまで、ファシナトゥールでは物の売り買いの基準はかなりあやふやだったのだが、外部との交易の都合上、同時にファシナトゥールの独自性を出すため、独自の貨幣が制定された。単位は「リシェ」だ。
「城で客人と認められれば、活動資金としてそれなりの額のリシェが支給されるさ」
持ち合わせのないことを心配するレッドたちに、ゾズマはけろりとしてそう告げた。
ゾズマを先頭に、三人は城門に近付いた。
「これはゾズマ様。お久しぶりでございます」
「後ろの方々は? どうやら人間とお見受けしますが」
城門の前で門番を務めていた、二頭のスフィンクスがそう詰問した。
まるで伝説にある、太古の神殿みたいだな、とレッドは思った。
「この二人は、IRPOの捜査官さ。ファシナトゥールに逃げ込んだ犯罪者を追って来たんだ。ちなみにこっちの若い方、小此木烈人君は、アセルスの幼なじみなんだとさ。僕の客人として、アセルスに目通り願いたい。多分、嫌とは言わないはずだ。いいよね?」
ゾズマの言葉に、二頭のスフィンクスは目を丸くした。
「アセルス様の幼なじみでいらっしゃる……それはそれは」
「ゾズマ様のお客人なら、断る理由もありません。どうぞお通り下さい」
二頭のスフィンクスが身を引くと、城門がひとりでに開いた。
ゾズマに促されるまま、レッドとヒューズは、水盤の城に足を踏み入れた。
ファシナトゥールの中で一番大きな街、かつては「根っこの街」と呼ばれていた城下町は、中心となる城が針の城から水盤の城に変わるに伴い、その姿と呼び名を大きく変えていた。
今や「汀(みぎわ)の街」と呼ばれるようになったその街は、白い石畳が敷かれた広い道が縦横に走り、貝殻を思わせる外観の家々が建ち並ぶ。
そこここに優美この上ない、ファシナトゥール名産の光る石――燐光石を使った街灯が灯り、場所によっては巨大な水晶のような、燐光石の原石の露頭もある。
目立つのは、巨木の根を思わせる、うねる形の燐光石が、地面を這っているものだ。
「あの大きな木の根みたいなものは、実際に少し前まで本物の根だったんだ」
四人乗りの馬車の座席で、ゾズマが窓の外を見ながら言った。
「あれは針の城の根さ。針の城ってやつは、それ自体巨大な薔薇でね、リージョンの大地そのものに深く根を下ろしていたんだ」
「針の城は、先代の王が消滅した時に、一緒に枯れちまったんじゃないのか? 多少のタイムラグはあったそうだが」
ヒューズが正に窓の外を流れて行く針の城の根を見やった。
何で石になっているんだろう、とレッドはぼんやり考える。
化石みたいなものなのだろうか?
時間的に早すぎる気もするが。
「針の城の地上部分は朽ちて灰になっても良かった。中にいる連中が避難すればいいだけだからね。だが、リージョンの大地に深く食い込んだ根は、そういう訳にはいかなかったのさ。そんなことになれば、大地が崩落する恐れがあったから。そこでアセルスは自分の妖力を使って、根の部分だけ燐光石に変えたっていう訳」
ゾズマの説明を聞き、レッドもヒューズも舌を巻いた。
そんな大規模な術を使えるアセルスの妖力はどれ程のものなのだろう。
「彼女は最初、自分の力がどれ程のものか自覚していなかった」
ゾズマは、二人の思考を読んだかのように、そう言葉を継いだ。
「オルロワージュ様の力を受け継ぐということ。その力を超えるということ。そのことによって負わされるもの。彼女は、結局引き受ける決意を固めた。そして、今のファシナトゥールがあるという訳さ」
その裏にどれ程の葛藤があったか、人間の範囲を出たことのない二人のIRPO隊員には知る術がない。
馬車は、燐光石を掲げた水妖の噴水が設置された広場を通り過ぎた。
下級や中級とおぼしい妖魔たちが噴水周辺や石のベンチで寛いでいるのが一瞬目に入る。
「この広場ってやつも、アセルスの発案。彼女の故郷のシュライクには、こんなのが結構あったらしいね。それ以上に多かったのは、昔の人間の墓だ、なんて言ってたけど」
「ああ、思い出すなあ。アセルス姉ちゃんと一緒に古墳に行って遊んだっけ……」
レッドがしみじみと呟く。
「前の王の墓、なんてのはないのか?」
ふと思い付いたように、ヒューズが問い掛けた。
「ない。人間とは違って、妖魔は死体が残らないからね。それを収める墓も必要ないのさ」
妖魔は消え去るだけ、思い出が残るかどうかは、残された者たち次第。
ゾズマはそんな風に表現した。
「もうそろそろだよ」
その言葉に、レッドとヒューズが窓の外を仰ぎ見ると、煌めく城が間近に迫っていた。
水盤から流れ落ちる水の音が、馬車の車輪の軋みを縫って聞こえて来る。
巨大な、だが曲線的で優美な城門が、視界に入った。
城門の手前で、ゾズマとレッドたちは馬車から降りた。
ゾズマが馭者に支払った金は、まるで宝石でできたメダルのような、変わった形のファシナトゥールの通貨だった。
他のリージョンで通用しているクレジットのように、額に応じて幾つかの種類があり、いずれにも妖魔の好みそうな美麗な浮き彫りが施されている。
ゾズマの話によると、これもアセルスの統治が始まってから、彼女の発案で制定・作成されたものだと言う。
汀の町の町中には、通常のクレジットとの両替をする店もあるらしい。
この正式な通貨が制定されるまで、ファシナトゥールでは物の売り買いの基準はかなりあやふやだったのだが、外部との交易の都合上、同時にファシナトゥールの独自性を出すため、独自の貨幣が制定された。単位は「リシェ」だ。
「城で客人と認められれば、活動資金としてそれなりの額のリシェが支給されるさ」
持ち合わせのないことを心配するレッドたちに、ゾズマはけろりとしてそう告げた。
ゾズマを先頭に、三人は城門に近付いた。
「これはゾズマ様。お久しぶりでございます」
「後ろの方々は? どうやら人間とお見受けしますが」
城門の前で門番を務めていた、二頭のスフィンクスがそう詰問した。
まるで伝説にある、太古の神殿みたいだな、とレッドは思った。
「この二人は、IRPOの捜査官さ。ファシナトゥールに逃げ込んだ犯罪者を追って来たんだ。ちなみにこっちの若い方、小此木烈人君は、アセルスの幼なじみなんだとさ。僕の客人として、アセルスに目通り願いたい。多分、嫌とは言わないはずだ。いいよね?」
ゾズマの言葉に、二頭のスフィンクスは目を丸くした。
「アセルス様の幼なじみでいらっしゃる……それはそれは」
「ゾズマ様のお客人なら、断る理由もありません。どうぞお通り下さい」
二頭のスフィンクスが身を引くと、城門がひとりでに開いた。
ゾズマに促されるまま、レッドとヒューズは、水盤の城に足を踏み入れた。