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アセルスとレッド

「面白いもの、見に行かない?」

 唐突に部屋に現れたゾズマに言われ、レッドは無礼を責める言葉も忘れてぽかんとした。

「……なん、だよ……面白いものって?」

「ここで面白いと言えば、アセルスに決まってるだろ? イルドゥンもだけどさ。只今絶賛説教タイム中。なかなか見られないよ、来いよ」

「……」

 レッドは良く分からないまま、ゾズマに連れられ部屋を出た。
 転移装置を使い、城の上層階へ出る。

 華麗な廊下をしばらく歩み、アセルスの私室の前に来ると、ゾズマがにやりと笑って、静かにという仕草をした。
 そのまま、部屋のドアノブに手を掛ける。

「……大体、お前という奴は、自分の立場を分かっているのか!? もうただの半妖の小娘ではない、妖魔の君なのだぞ!? それがそうホイホイと城下を歩き回るどころか、他のリージョンになぞ……!」

「それじゃイルドゥンは、ゾズマたちがどうなっても良かったって言うのか!? 私は嫌だ!」

 頭ごなしにアセルスを怒鳴り散らしているのがイルドゥンだと理解するのに、レッドはしばらく時間が必要だった。

 ほんの少し前まで忠臣の鑑のようであったイルドゥンは、今や明らかにアセルスの上に立つ……もっと言えば指導的立場にある者としてアセルスに接していた。
 居丈高で一方的で、レッドは何となく「鬼教官」という言葉が頭に浮かんだ。

 ゾズマに促され、レッドは彼と共に部屋の奥と手前を仕切るビロードのカーテンの陰に身を隠した。
 二人の言い争いはまだ続いている。

「とにかく、以後アケルナルの捜索は我らに任せて、お前は城にいろ。あのレッドとかいう若造も、ゾズマに任せておけ。どうしても必要な時だけ、お前を呼び出す」

「何言ってるんだ? 教えてくれたことと違うじゃないか! 妖魔の君は邪妖狩りが義務なんだろ? ただ城でぼーっとしているんじゃ、狩りとは言えないじゃないか。それに、例え私がどんな立場であろうと、烈人君を放ってはおけないよ!」

 角度のせいで良く見えないが、多分目を吊り上げてイルドゥンに対抗しているアセルスの顔が目に浮かび、レッドはかつて、納得行かないことがあると頑として引かなかった彼女の面影を思い出した。

「それに、やることは他にも出来たんだ」

 イルドゥンがまたぞろ怒鳴り出す前に、アセルスは言葉を放った。

「ディアディムを鍛えてあげないと。時術を修得させたんだ、相応しいモンスターを妖魔武具に憑依させてあげなきゃ片手落ちだ。星読みの山脈に行くよ。烈人君たちも、そこに行くみたいだし」

 今度はイルドゥンが目を吊り上げる気配がした。

「これだけ言っても分からないのか!? そのようなことは、ゾズマに任せておけば良いだろうが! そもそも、あれのパートナーだろう!」

「だけど、私が強くしてあげると決めたんだ。多分、ゾズマじゃ分からないんだ、あいつ、弱かったことなんかないだろう? 無力感、情けない気持ち。私は彼女を放っておけない、誰のパートナーかなんて関係ない」

 アセルスはきっぱりと言った。

「寝言は寝てから言え、下級妖魔を鍛えてやる妖魔の君なんぞ……」

「前例がないことはしちゃいけないのか? まるで私が人間だった頃いたリージョンの政治家みたいだな。あれだけ人間を馬鹿にするくせに、イルドゥンは人間の年寄りみたいだ」

「何だと!」

 思いがけない形の反撃に、イルドゥンが色をなしたのが分かった。

「前例がないなら、自分が前例になればいい。私は他の妖魔の君がどうしてたかなんてどうでもいいんだ。実際、私はそうやって統治してるじゃないか。統治の方法は良くて、他の妖魔の接し方は駄目だって、どういうことだ? そういうの、人間風に言うなら二重規範て言うんだよ!」

 イルドゥンが天を仰いだのが分かった。

「……いいか、アセルス、お前はまだ幼いのだ」

 噛んで含めるような調子を込めて、イルドゥンが説得にかかった。

「まだ妖魔のことが、本当に分かってはいないのだ。ラスタバン辺りなら、それがあなたの強みです、とでも言うかも知れんが、俺に言わせると危なっかしい。生まれの特異性と強さだけで押しきれる物事だけではないのだぞ?」

「じゃあ、イルドゥンの理想って何だ? 私がどうなったらイルドゥンは納得行くんだ? ……あの人みたいになることか? もし私がそうなったとしたら、イルドゥンは文句言うんじゃないのか? イルドゥン、あの人がいた時は、今の三倍くらい不機嫌そうだったもんな」

 挑みかかるような調子に、イルドゥンは言葉を失った。
 カーテンの陰で終始聞いていたゾズマがレッドを振り返ってにやりとする。
 面白いだろ? と言うように。

「とにかく、私はやり始めたことは最後までやる。これはあの旅で学んだことだ。……私はとにかく、逃げ出す以外のことを考えられなかった。何かを決めるなんて怖くて出来なかった。だから……白薔薇をあんな目に合わせてしまった。もっと早く、私があの人と決着を着けることを決断していれば、白薔薇はあんなことには……」

「白薔薇姫様と、今の状況は関係なかろう!」

 イルドゥンがぴしりと決め付けた。

「そうでもないさ。もし白薔薇が起きていたら、私が自分の決めたことを放り出すことを悲しむと思う。白薔薇は、私が自分の意志で自分の道を歩むのを望んでくれていた」

 白薔薇姫のことを思い出すだけで、アセルスには力が湧いてくるようだなと、レッドは感じた。
 声からブレが消え、力強くなった。

「……烈人君たちと相談しなきゃ。明日は星読みの山脈だ。私と烈人君と、メサルティムとメローペと、ゾズマとディアディムも。ウルスラも連れて行った方が良いかな? ……あ、烈人君と組んでる人も」

「待てアセルス!」

 イルドゥンが鋭く制止する。

 そろそろ潮時だとでも言うように、ゾズマが動いた。
 今までこそこそしていたのが嘘のように、大胆にカーテンを撥ね飛ばし、向かい合って角突き合わせるアセルスとイルドゥンの前に進み出た。
 釣られるようにレッドも二人の前に歩み出る。
 何ともいたたまれない決まりの悪さが襲うが、流石にこれでは自分自身にも言い訳しようがない。

「烈人君……ゾズマ!? いつからそこに!?」

 アセルスが目を丸くした。

「ゾズマ! 貴様、何のつもりだ!?」

 イルドゥンは直接的に怒りをぶつけてきた。

「まあまあ二人とも。その辺にしなよ。恥ずかしいだろ? アセルスの幼馴染みの前でそんなこと」

 ゾズマは悪びれる様子もなく、そんな風に言った。

「ゾズマ! 貴様という奴は、わざわざその人間を連れてきて、我々を晒し者にしたのか!」

 ちらりとレッドを見やったイルドゥンは、即座にゾズマの意図を見抜いたらしい。
 眉間の皺が深くなり、ただでさえ鋭い眼光が突き刺すようになる。

「うん。主に君をね、イルドゥン。君、彼を客だと思って気取ってるんだもんな。本当はアセルスに対してどういう立場だか教えたんだ。分かったろ、レッド?」

 不意に話を振られて、レッドは思わずアセルスを見た。
 怒っている風ではなく、どちらかと言うときょとんとしている彼女の顔が目に入る。

「ご、ごめん、アセルス姉ちゃん、つい、その……」

 言い訳も思い付かない。
 誘ったのはゾズマだが、好奇心に負けてここにいるのは、紛れもなくレッドの意志だ。

「気にしなくていいよ。どうせ、ゾズマに強引に誘われたんだろ? まあ、見ても大したことない話。イルドゥンっていつも先生面するんだ。まあ、先生なんだけど」

 アセルスが軽く両手を広げた。

「アセルスに先生風吹かせるのが、君の生き甲斐だもんな、イルドゥン?」

 ゾズマのにやにや笑いが深くなる。

「誰が好きで教師ぶっているものか! こいつがあまりに頼りないからだ!」

 イルドゥンがいきり立つ。
 最早レッドの前で、アセルスの忠臣ぶることすら放棄したらしい。

「教師なら、質問されたら答えなきゃ。イルドゥン、君、自分の観点を押し付けるだけで、アセルスが投げ掛けた疑問にまるで答えてないよね?」

 おちゃらけた調子の鋭い指摘に、イルドゥンは不機嫌な沈黙をもって答えた。

「ほら、困ったら黙るのも悪い癖。それじゃアセルスじゃなくたって納得しないだろ?」

 ゾズマの立てる笑い声に、イルドゥンは更なる沈黙を返した。
 眉間の皺がきりきりと深くなる。
 レッドはまずいのではないかと思い始めた。

「……ゾズマもあんまり意地悪言うなよ。烈人君、明日、星読みの山脈に行くんだろ? 私たちも付いていっていい? ディアディムを鍛えたいし、もしアケルナルがいたら……」

 アセルスが巧みに二人の男性妖魔の間に割って入り、話題を強引に変えた。

「ああ、俺たちはありがたいけど……姉ちゃん、大丈夫なのか? 何て言うか、女王様だったら、そう簡単に城から出ちゃいけないとか、ないのか?」

 一応イルドゥンに気を遣って、レッドは問いかけた。

「邪妖狩りともなれば、話は別さ。むしろ奴を……アケルナルを追い詰めなければならない。まあ、そういう掟があろうとなかろうと、私は烈人君に協力するつもりだけどね。……ほら、あのハイジャック事件の時みたいに」

 アセルスは艶然と微笑んだ。

 何だかやっぱり、姉ちゃんは変わったんだなと、レッドは実感する。
 あの事件の時は、アセルスは張りつめていて、とてもこんな余裕など無かった。
 傍目から見ても何かに悩んでいるのが感じられた。
 今は違う。
 他人を気遣う心の余裕が感じられる。
 こういったことには疎いレッドにも、アセルスが何かを受け入れて成長したのだと分かる。

「私が留守の間、城のことはイルドゥンとラスタバンに任せる。……それで問題ないだろう?」

 アセルスは振り向き、にっこり笑った。

「それは……妖魔の君としての命令か?」

 既に諦めた口調で、イルドゥンは目の間を揉んだ。

「ああ。……その方がいいだろう? イルドゥンは」

 アセルスが悪戯っぽく腰に手を当て、首を傾げる。

「……お前と共に抜け出した者たちの他に、ウルスラも連れていけ。あれとメサルティムがいれば、守りも完璧になるだろう」

 イルドゥンのこぼした言葉に、アセルスは満足げに笑った。
 レッドを振り返り、ウインクする。
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