アセルスとレッド
「呉葉(くれは)姫?」
汀の町に隣接するまどろみの湖の、中程にある大きな島――花咲く島へと向かう舟の中で、レッドはゾズマの言葉を繰り返した。
「そう、呉葉姫。オルロワージュ様の98番目の寵姫だった人だ。本人は、本名であるアルナイルという名で呼ばれたがっているし、実際にそっちで呼ぶ奴の方が多いけどね。花咲く島の主は彼女だから、向こうに着いたら君たちも態度に気を付けるんだね」
花咲く島は、島全体が一個の植物園であり、水盤の城に各種植物を供給する役割を持つ。
一般の住人も植物を手に入れられない訳ではないが、水盤の城への供給、そして何より、花咲く島を花咲く島として存在し続けさせることが第一の目的だ。
ゾズマはそうレッドたちに教えた。
「アルナイル様は、元々樹霊だったのさ。君たち人間が、ドリアードとか、木霊とか呼んでる存在。たから、植物園の管理人にうってつけだった訳だ」
「へえ……あんまり、戦い向きではなさそうだな。もしアケルナルがその人の植物園に潜伏してたりしたら危険だよな。早いとこ行って確かめないと」
レッドはぐんぐん大きくなる島影を眺めた。
波打ち際には燐光石の露頭があり、島中を覆うファシナトゥール特有の植物群は、花や実、場合によっては葉や幹が淡い光を放ち、島を幻想的な光の園として浮かび上がらせていた。
彼らを運ぶ舟は、まどろみの湖湖岸の漁師から借り受けたものだが、船尾に据えられた宝玉に触れるとひとりでに進むという便利なものだった。
今はディアディムが操っているが、舟は彼女の意思に応えて、かなりの速度で島へと近付いていく。
ややあって、二人の妖魔と二人の人間を乗せた舟は、島の船着き場に接岸した。
途中、ガンフィッシュに襲われるというハプニングもあったが、最高位の妖魔であるゾズマがいる以上何ということもなく、彼らは湖を横断した。
「アルナイル様の館はこっちさ」
ゾズマに案内されるまでもなく、その白と銀色の館は木々の間から貝殻のように波打った屋根を覗かせていた。
周囲でぼうっと光る植物群に囲まれて、それは人間たちの伝説の中にある、妖精の館のようだった。
その主人は樹霊というから、あながち間違った感想でもない。
館の前に辿り着くと、ゾズマが正面玄関扉のノッカーを叩いた。
わずかな間があって、メイドらしい下級妖魔の女性が姿を現し、ゾズマの姿を見るや礼を取った。
「アルナイル様はいる? 少しばかり厄介な事情があって、話を聞きたいんだけど」
ゾズマがそう告げると、メイドは四人を館の中に案内した。
広い客間に通されると、間もなく、均整の取れた優雅な背格好の、甘美な美貌を持つ上級妖魔の女性が空間を転移して現れた。
髪が若草色で、先端部がある種の木の芽のように濃い赤に染まっているのが特徴だ。
胸の下までを覆う髪には、白く丸い実の付いた蔓草がハート型の葉を見せて絡み付いている。
「ようこそ皆さん、花咲く島へ。私がこの島の管理をアセルス様より任されております、アルナイルと申します。ゾズマ、久しぶりですね」
木霊を思わせる静かだが豊かな声で、その女性は言った。
「久しぶり、アルナイル様。少し面白いことがあって、耳に入れないとと思ってね」
ゾズマは意味ありげに微笑んだ。
「何があったのです?」
メイドが引いた椅子に、アルナイルは座った。
「アケルナル……覚えてるかな、黒騎士の」
「ええ。しかし彼はアセルス様にお仕えすることを拒んで、ファシナトゥールを去ったではありませんか。彼が何か?」
アルナイルは微かに不安を見せた。
「どうやら、あいつ、ファシナトゥールに舞い戻って来たらしい。ついでに他のリージョンで大分妖魔や人間の血を吸いまくったらしくてね、こちらのリージョンパトロールの方々が追って来られたという訳さ」
軽い口調で言うゾズマの顔を見ながら、アルナイルの表情は見る間に曇って行った。
「そんなことが……それであなたが人間の方々と共にいらした訳が分かりました」
「ちなみに」
ゾズマはにやりと笑い、
「こっちの若い方、小此木烈人君は、アセルスの幼なじみなんだってさ」
アルナイルは緑に輝く目を見開いた。
「まあ! それは本当なのですか!?」
「本当だ。アセルス姉ちゃんには、子供の頃良く遊んでもらった」
何だかこそばゆい気分でレッドは言った。
ついでに、アケルナルのことよりこっちの事実の方に驚いているな、という感想を抱く。
「実は、アケルナルがこちらの島に潜んでいるのではないかという疑いがありましてね……いや、あなたを疑っている訳じゃない。この島は相当の広さがある上、植物に覆われ見通しが利かない。逃亡者が隠れる場所もありそうだ。心当たりはありませんか?」
ヒューズがアルナイルに切り出した。
彼女の表情が微妙に変わる。
「そう言えば……思い当たる節があるのです」
「どんな!?」
レッドは勢い込んで尋ねた。
「植物園の奥に、見回りに行った従僕が、昨日から帰って来ないのです。探しに行こうとした矢先だったのですが……」
レッドとヒューズは顔を見合わせた。
「その人の捜索も兼ねて、俺たちが行きます。その人の名前は?」
「コカブといいます。下級妖魔出身ですが忠実な男で、役目を勝手に放棄して逃げ出すなど考えられないのですが」
アルナイルはレッドの言葉に不安げな答えを返した。
「もし、あなた方が懸念されていることが現実にあるなら……この島には、天然の洞窟が幾つかあるのです。アケルナルはそこに逃げ込んだかも知れません」
「洞窟か……あり得るな」
ヒューズが顎をひねった。
「ありがとう、アルナイル様。僕たちで何とかしてみるよ」
ゾズマが立ち上がった。
「待って下さい、私も参ります」
しかし、アルナイルはそう申し出た。
「島の案内も必要でしょう。それに、もし本当にアケルナルが潜伏していれば、戦いになるでしょう。私は少々、戦い向きの術を心得ておりますので」
一見たおやかに見えるアルナイルの目は、しかし強かった。
「そうだね。戦力は多い方がいい。連れて行こう、いいよね?」
ゾズマに同意を求められて、レッドは僅かに迷ってからうなずいた。
「分かった。あんたに期待するよ、アルナイルさん」
「ありがとうございます。参りましょう」
アルナイルはにっこりし、立ち上がった。
汀の町に隣接するまどろみの湖の、中程にある大きな島――花咲く島へと向かう舟の中で、レッドはゾズマの言葉を繰り返した。
「そう、呉葉姫。オルロワージュ様の98番目の寵姫だった人だ。本人は、本名であるアルナイルという名で呼ばれたがっているし、実際にそっちで呼ぶ奴の方が多いけどね。花咲く島の主は彼女だから、向こうに着いたら君たちも態度に気を付けるんだね」
花咲く島は、島全体が一個の植物園であり、水盤の城に各種植物を供給する役割を持つ。
一般の住人も植物を手に入れられない訳ではないが、水盤の城への供給、そして何より、花咲く島を花咲く島として存在し続けさせることが第一の目的だ。
ゾズマはそうレッドたちに教えた。
「アルナイル様は、元々樹霊だったのさ。君たち人間が、ドリアードとか、木霊とか呼んでる存在。たから、植物園の管理人にうってつけだった訳だ」
「へえ……あんまり、戦い向きではなさそうだな。もしアケルナルがその人の植物園に潜伏してたりしたら危険だよな。早いとこ行って確かめないと」
レッドはぐんぐん大きくなる島影を眺めた。
波打ち際には燐光石の露頭があり、島中を覆うファシナトゥール特有の植物群は、花や実、場合によっては葉や幹が淡い光を放ち、島を幻想的な光の園として浮かび上がらせていた。
彼らを運ぶ舟は、まどろみの湖湖岸の漁師から借り受けたものだが、船尾に据えられた宝玉に触れるとひとりでに進むという便利なものだった。
今はディアディムが操っているが、舟は彼女の意思に応えて、かなりの速度で島へと近付いていく。
ややあって、二人の妖魔と二人の人間を乗せた舟は、島の船着き場に接岸した。
途中、ガンフィッシュに襲われるというハプニングもあったが、最高位の妖魔であるゾズマがいる以上何ということもなく、彼らは湖を横断した。
「アルナイル様の館はこっちさ」
ゾズマに案内されるまでもなく、その白と銀色の館は木々の間から貝殻のように波打った屋根を覗かせていた。
周囲でぼうっと光る植物群に囲まれて、それは人間たちの伝説の中にある、妖精の館のようだった。
その主人は樹霊というから、あながち間違った感想でもない。
館の前に辿り着くと、ゾズマが正面玄関扉のノッカーを叩いた。
わずかな間があって、メイドらしい下級妖魔の女性が姿を現し、ゾズマの姿を見るや礼を取った。
「アルナイル様はいる? 少しばかり厄介な事情があって、話を聞きたいんだけど」
ゾズマがそう告げると、メイドは四人を館の中に案内した。
広い客間に通されると、間もなく、均整の取れた優雅な背格好の、甘美な美貌を持つ上級妖魔の女性が空間を転移して現れた。
髪が若草色で、先端部がある種の木の芽のように濃い赤に染まっているのが特徴だ。
胸の下までを覆う髪には、白く丸い実の付いた蔓草がハート型の葉を見せて絡み付いている。
「ようこそ皆さん、花咲く島へ。私がこの島の管理をアセルス様より任されております、アルナイルと申します。ゾズマ、久しぶりですね」
木霊を思わせる静かだが豊かな声で、その女性は言った。
「久しぶり、アルナイル様。少し面白いことがあって、耳に入れないとと思ってね」
ゾズマは意味ありげに微笑んだ。
「何があったのです?」
メイドが引いた椅子に、アルナイルは座った。
「アケルナル……覚えてるかな、黒騎士の」
「ええ。しかし彼はアセルス様にお仕えすることを拒んで、ファシナトゥールを去ったではありませんか。彼が何か?」
アルナイルは微かに不安を見せた。
「どうやら、あいつ、ファシナトゥールに舞い戻って来たらしい。ついでに他のリージョンで大分妖魔や人間の血を吸いまくったらしくてね、こちらのリージョンパトロールの方々が追って来られたという訳さ」
軽い口調で言うゾズマの顔を見ながら、アルナイルの表情は見る間に曇って行った。
「そんなことが……それであなたが人間の方々と共にいらした訳が分かりました」
「ちなみに」
ゾズマはにやりと笑い、
「こっちの若い方、小此木烈人君は、アセルスの幼なじみなんだってさ」
アルナイルは緑に輝く目を見開いた。
「まあ! それは本当なのですか!?」
「本当だ。アセルス姉ちゃんには、子供の頃良く遊んでもらった」
何だかこそばゆい気分でレッドは言った。
ついでに、アケルナルのことよりこっちの事実の方に驚いているな、という感想を抱く。
「実は、アケルナルがこちらの島に潜んでいるのではないかという疑いがありましてね……いや、あなたを疑っている訳じゃない。この島は相当の広さがある上、植物に覆われ見通しが利かない。逃亡者が隠れる場所もありそうだ。心当たりはありませんか?」
ヒューズがアルナイルに切り出した。
彼女の表情が微妙に変わる。
「そう言えば……思い当たる節があるのです」
「どんな!?」
レッドは勢い込んで尋ねた。
「植物園の奥に、見回りに行った従僕が、昨日から帰って来ないのです。探しに行こうとした矢先だったのですが……」
レッドとヒューズは顔を見合わせた。
「その人の捜索も兼ねて、俺たちが行きます。その人の名前は?」
「コカブといいます。下級妖魔出身ですが忠実な男で、役目を勝手に放棄して逃げ出すなど考えられないのですが」
アルナイルはレッドの言葉に不安げな答えを返した。
「もし、あなた方が懸念されていることが現実にあるなら……この島には、天然の洞窟が幾つかあるのです。アケルナルはそこに逃げ込んだかも知れません」
「洞窟か……あり得るな」
ヒューズが顎をひねった。
「ありがとう、アルナイル様。僕たちで何とかしてみるよ」
ゾズマが立ち上がった。
「待って下さい、私も参ります」
しかし、アルナイルはそう申し出た。
「島の案内も必要でしょう。それに、もし本当にアケルナルが潜伏していれば、戦いになるでしょう。私は少々、戦い向きの術を心得ておりますので」
一見たおやかに見えるアルナイルの目は、しかし強かった。
「そうだね。戦力は多い方がいい。連れて行こう、いいよね?」
ゾズマに同意を求められて、レッドは僅かに迷ってからうなずいた。
「分かった。あんたに期待するよ、アルナイルさん」
「ありがとうございます。参りましょう」
アルナイルはにっこりし、立ち上がった。