アセルスとレッド
「へえ、あなたがアセルス様の幼なじみ…アセルス様ってこんなに若くてらっしゃるのね」
水盤の城の中にいた、侍女の一人がレッドを見やって感心した。
水盤の城に勤務する侍女たちは、一様に薄物のハーレムパンツにきらびやかな腰布を巻き付け、ぴったりした刺繍の上着を身に着けていた。
いずれも下級妖魔の女性だが、様々な種族から成り立っているのが分かる。
レッドが話し掛けたのは、恐らくバンシーだ。
この城の他の妖魔たちと同じく、彼女もまたレッドがアセルスの幼なじみと知ると、協力的になってくれた。
「アケルナルについて何か知らないか?噂でも何でもいい」
「……私、先代の妖魔の君の頃からお城に仕えているの。アケルナルという男は知っているわ」
彼女は眉をひそめた。
「上級妖魔であることを鼻にかけて、私たちのような下級妖魔に何かと辛く当たる嫌な奴でね、私も随分酷いことを言われたことがある。だけど、アセルス様がこのファシナトゥールの主になって、上級妖魔が下級妖魔を圧迫することを禁じる法改正をなさってから、自分の拠り所がなくなったんでしょうね。さっさとファシナトゥールを逃げ出したわ。まあ、似たような奴は結構いたけどね」
「今現在、奴の噂を聞かないか? どこにいるとか」
ヒューズが口を挟んだ。
「そうね、私たちの間じゃ噂には登ってないけど……汀の町にはいないかもね。一見妖魔がひしめきあっていて隠れやすそうだけど、黒騎士の目が届くもの。そんなことになったら、誇りが傷付くんじゃないかと思うわ、色々な意味で」
うっすらと嘲りを込めて、その侍女は推測を述べた。
「そうか……ありがとう、参考になったよ」
レッドは礼を言って彼女を解放した。
「うん。彼女の推測は正しいと思うよ。実際、イルドゥンは黒騎士に汀の町での探索を命じるはずだ。もしアケルナルがいたらすぐさま捕まる。だが奴も馬鹿じゃないはずだよ」
ゾズマが自らの推測を述べた。
「奴の狙いがアセルスなら、この城に侵入することも考えられるけどな」
ヒューズが顎をひねった。
「かなりでかい城だし、隠れる場所なら沢山……」
「いえ、恐らくそれはないだろうと思います」
おずおずと口を挟んだのは、ディアディムだった。
「? 何故だ?」
「アケルナルは、恐らく今のような城を見たくないのだと思うのです。例えば、先程のような侍女。私は針の城があった頃を覚えておりますが、侍女は個別の名前を名乗ることさえ許されませんでした。全員が『ミルファーク』という同じ名前を与えられ、同じように髪を結い上げ、まるで個体識別ができませんでしたし、する必要性もなかったのです。しかし、アセルス様は違います。制服をより動きやすいものに改め、それぞれが個別の名前を名乗り、何者か明白にするようになさったのです。今ではご覧になった通り、種族も名前も分かります。以前は考えられなかったことです」
「『これじゃ君たちが誰だか分からない。君の名前、君の姿、君のやり方を教えてくれ』……だっけね。アセルスはそんなことを言って、侍女たちの制度も改革したんだよ」
ゾズマは我がことのように語る。
「もう少し情報を集めるか。侍女じゃあまり表に出そうもないから、黒騎士とか、親衛隊なんかの、外の情報が入りそうな奴に話を聞きたいんだが」
ヒューズが提案した。
「黒騎士や親衛隊が集まる休息所なんてものがあるよ。行ってみる?」
ゾズマが手招きした。レッドはヒューズを伴って、彼の後を追った。
◇ ◆ ◇
「ここが黒騎士と親衛隊のための休息所。割といい感じだろ?」
ゾズマが案内したのは、広い庭を備え付けた、かなりの収用人数を誇る広間だった。
ティーテーブルと椅子が相応の間隔を置いて並べられ、庭との境には上階の水盤から流れ落ちる澄んだ水の幕が垂れている。
侍女たちが給仕に歩き回る床には華麗なモチーフのモザイクが施され、テーブルには十人余りの黒騎士もしくは親衛隊員が寛いでいた。
「やあ、君たち、久しぶりだね」
レッドとヒューズが誰に声をかけようか迷っているうちに、ゾズマはさっさと近くのテーブルにいた、二人の女性妖魔に話し掛けた。
「あら、これはゾズマ様」
「何か色々騒がしいみたいですけど、ゾズマ様も首を突っ込まれるので?」
白い羽根を持ったサイレンと、暗い虹色の蛇体のラミアが、ゾズマを振り向いた。
「プレセペ、ミラ、ちょっと話を聞きたいんだけど」
「ええ、構いませんが……そちらは?」
「見たとこ人間みたいだけど……もしかして、今噂のアセルス様の?」
プレセペと呼ばれた白いサイレンと、ミラと呼ばれた虹色のラミアが、レッドとヒューズに視線を向ける。
「俺は小此木烈人、コードネームはレッド。IRPOの捜査官で、アセルス姉ちゃんの幼なじみだ。こっちは相棒のヒューズ」
「ヒューズだ。聞いてるかも知れないが、元黒騎士のアケルナルという男について、何か知らないか?」
プレセペとミラは、しかしヒューズそっちのけでレッドに視線を注いだ。
「へえ~、あんたがアセルス様の……?何だか冴えないね。まあ、若いしそこそこ血は美味しそうだね……」
椅子に座ると言うより椅子に巻き付いているかのようなミラが、蛇体を伸ばしてレッドを無遠慮に覗き込んだ。
長い舌で舌なめずりする彼女に、レッドは思わず縮こまった。
「脅かしちゃ駄目よ、ミラ。アセルス様のお叱りを受けても知らないわよ?」
きゃらきゃらとレッドを笑いながら、プレセペが忠告する。
「それでどうなんだ?アケルナルのことを知ってるのか?」
無視された形のヒューズは、へこたれず二人に尋ねた。
「う~ん、たまにあたしも城下に行くけど、それらしい噂は聞かないね……」
ミラが長い爪を持つ腕を組んだ。
ぬるりと白い肌に、鏡を連ねたような艶やかな鎧。
「城下ではすぐに黒騎士の方々に見付かると思いますよ。私ども親衛隊にも、アケルナルを見つけ次第押さえるか、手に負えない場合はアセルス様にご報告するかするようにと命令が来ておりますので。恐らく城下ではなく離れたところに隠れているのでは?」
プレセペの黄金に彩られた豪奢で女性的な鎧が光を反射した。
「城下以外と言うと、どこが……」
レッドはファシナトゥールにシップで着陸した時に見た地形を思い出した。
町以外は暗いし、一瞬のことだったので良く覚えてはいない。
「手近なところではまどろみの湖の島かなあ。ああ、まどろみの湖っていうのは、シップの発着所がある湖ね。あの島の植物園と管理者用の小屋は、そこそこの広さがあるし、汀の町へも湖を渡ってすぐだから、潜伏するのには最適かもね。元寵姫の一人が小さな館を賜って住んでるよ」
やや蓮っ葉な口調で、ミラが見解を述べた。
「そうでなかったら、星読みの山脈とかもありそうよ」
後を続けたのはプレセペだった。
「こちらは湖と違って少し遠いけど、地形が入り組んでいて、姿を潜めるには絶好よ。その昔、針の城から追放された黒騎士が、一人で住んでいたという『隠者の館』なんてのがあるしね。何でその黒騎士が追放されたのか、今その騎士がどこに行ったのか、誰にも分からないそうだけどね」
ふーん、とヒューズが腕組みした。
「目ぼしいところはそのくらいか? 手間だが行ってみる価値はありそうだな」
「人間には、どちらも手間でしょうけど、ね」
プレセペが囀ずるような声で笑った。
「湖には魔物も住んでいるから、気を付けた方がいいよ。まあ、ゾズマ様と一緒なら安心できるだろうけど」
ミラがにやりとする。
「ありがとう、二人とも。行ってみるよ」
ゾズマが軽く手を上げた。
ディアディムがさりげなく一礼する。
結局、彼女ら以外のその場にいた黒騎士・親衛隊員たちへの聞き込みも、彼女たちから得た情報の追認に終わり、レッドたちはまず湖から調査することになった。
水盤の城の中にいた、侍女の一人がレッドを見やって感心した。
水盤の城に勤務する侍女たちは、一様に薄物のハーレムパンツにきらびやかな腰布を巻き付け、ぴったりした刺繍の上着を身に着けていた。
いずれも下級妖魔の女性だが、様々な種族から成り立っているのが分かる。
レッドが話し掛けたのは、恐らくバンシーだ。
この城の他の妖魔たちと同じく、彼女もまたレッドがアセルスの幼なじみと知ると、協力的になってくれた。
「アケルナルについて何か知らないか?噂でも何でもいい」
「……私、先代の妖魔の君の頃からお城に仕えているの。アケルナルという男は知っているわ」
彼女は眉をひそめた。
「上級妖魔であることを鼻にかけて、私たちのような下級妖魔に何かと辛く当たる嫌な奴でね、私も随分酷いことを言われたことがある。だけど、アセルス様がこのファシナトゥールの主になって、上級妖魔が下級妖魔を圧迫することを禁じる法改正をなさってから、自分の拠り所がなくなったんでしょうね。さっさとファシナトゥールを逃げ出したわ。まあ、似たような奴は結構いたけどね」
「今現在、奴の噂を聞かないか? どこにいるとか」
ヒューズが口を挟んだ。
「そうね、私たちの間じゃ噂には登ってないけど……汀の町にはいないかもね。一見妖魔がひしめきあっていて隠れやすそうだけど、黒騎士の目が届くもの。そんなことになったら、誇りが傷付くんじゃないかと思うわ、色々な意味で」
うっすらと嘲りを込めて、その侍女は推測を述べた。
「そうか……ありがとう、参考になったよ」
レッドは礼を言って彼女を解放した。
「うん。彼女の推測は正しいと思うよ。実際、イルドゥンは黒騎士に汀の町での探索を命じるはずだ。もしアケルナルがいたらすぐさま捕まる。だが奴も馬鹿じゃないはずだよ」
ゾズマが自らの推測を述べた。
「奴の狙いがアセルスなら、この城に侵入することも考えられるけどな」
ヒューズが顎をひねった。
「かなりでかい城だし、隠れる場所なら沢山……」
「いえ、恐らくそれはないだろうと思います」
おずおずと口を挟んだのは、ディアディムだった。
「? 何故だ?」
「アケルナルは、恐らく今のような城を見たくないのだと思うのです。例えば、先程のような侍女。私は針の城があった頃を覚えておりますが、侍女は個別の名前を名乗ることさえ許されませんでした。全員が『ミルファーク』という同じ名前を与えられ、同じように髪を結い上げ、まるで個体識別ができませんでしたし、する必要性もなかったのです。しかし、アセルス様は違います。制服をより動きやすいものに改め、それぞれが個別の名前を名乗り、何者か明白にするようになさったのです。今ではご覧になった通り、種族も名前も分かります。以前は考えられなかったことです」
「『これじゃ君たちが誰だか分からない。君の名前、君の姿、君のやり方を教えてくれ』……だっけね。アセルスはそんなことを言って、侍女たちの制度も改革したんだよ」
ゾズマは我がことのように語る。
「もう少し情報を集めるか。侍女じゃあまり表に出そうもないから、黒騎士とか、親衛隊なんかの、外の情報が入りそうな奴に話を聞きたいんだが」
ヒューズが提案した。
「黒騎士や親衛隊が集まる休息所なんてものがあるよ。行ってみる?」
ゾズマが手招きした。レッドはヒューズを伴って、彼の後を追った。
◇ ◆ ◇
「ここが黒騎士と親衛隊のための休息所。割といい感じだろ?」
ゾズマが案内したのは、広い庭を備え付けた、かなりの収用人数を誇る広間だった。
ティーテーブルと椅子が相応の間隔を置いて並べられ、庭との境には上階の水盤から流れ落ちる澄んだ水の幕が垂れている。
侍女たちが給仕に歩き回る床には華麗なモチーフのモザイクが施され、テーブルには十人余りの黒騎士もしくは親衛隊員が寛いでいた。
「やあ、君たち、久しぶりだね」
レッドとヒューズが誰に声をかけようか迷っているうちに、ゾズマはさっさと近くのテーブルにいた、二人の女性妖魔に話し掛けた。
「あら、これはゾズマ様」
「何か色々騒がしいみたいですけど、ゾズマ様も首を突っ込まれるので?」
白い羽根を持ったサイレンと、暗い虹色の蛇体のラミアが、ゾズマを振り向いた。
「プレセペ、ミラ、ちょっと話を聞きたいんだけど」
「ええ、構いませんが……そちらは?」
「見たとこ人間みたいだけど……もしかして、今噂のアセルス様の?」
プレセペと呼ばれた白いサイレンと、ミラと呼ばれた虹色のラミアが、レッドとヒューズに視線を向ける。
「俺は小此木烈人、コードネームはレッド。IRPOの捜査官で、アセルス姉ちゃんの幼なじみだ。こっちは相棒のヒューズ」
「ヒューズだ。聞いてるかも知れないが、元黒騎士のアケルナルという男について、何か知らないか?」
プレセペとミラは、しかしヒューズそっちのけでレッドに視線を注いだ。
「へえ~、あんたがアセルス様の……?何だか冴えないね。まあ、若いしそこそこ血は美味しそうだね……」
椅子に座ると言うより椅子に巻き付いているかのようなミラが、蛇体を伸ばしてレッドを無遠慮に覗き込んだ。
長い舌で舌なめずりする彼女に、レッドは思わず縮こまった。
「脅かしちゃ駄目よ、ミラ。アセルス様のお叱りを受けても知らないわよ?」
きゃらきゃらとレッドを笑いながら、プレセペが忠告する。
「それでどうなんだ?アケルナルのことを知ってるのか?」
無視された形のヒューズは、へこたれず二人に尋ねた。
「う~ん、たまにあたしも城下に行くけど、それらしい噂は聞かないね……」
ミラが長い爪を持つ腕を組んだ。
ぬるりと白い肌に、鏡を連ねたような艶やかな鎧。
「城下ではすぐに黒騎士の方々に見付かると思いますよ。私ども親衛隊にも、アケルナルを見つけ次第押さえるか、手に負えない場合はアセルス様にご報告するかするようにと命令が来ておりますので。恐らく城下ではなく離れたところに隠れているのでは?」
プレセペの黄金に彩られた豪奢で女性的な鎧が光を反射した。
「城下以外と言うと、どこが……」
レッドはファシナトゥールにシップで着陸した時に見た地形を思い出した。
町以外は暗いし、一瞬のことだったので良く覚えてはいない。
「手近なところではまどろみの湖の島かなあ。ああ、まどろみの湖っていうのは、シップの発着所がある湖ね。あの島の植物園と管理者用の小屋は、そこそこの広さがあるし、汀の町へも湖を渡ってすぐだから、潜伏するのには最適かもね。元寵姫の一人が小さな館を賜って住んでるよ」
やや蓮っ葉な口調で、ミラが見解を述べた。
「そうでなかったら、星読みの山脈とかもありそうよ」
後を続けたのはプレセペだった。
「こちらは湖と違って少し遠いけど、地形が入り組んでいて、姿を潜めるには絶好よ。その昔、針の城から追放された黒騎士が、一人で住んでいたという『隠者の館』なんてのがあるしね。何でその黒騎士が追放されたのか、今その騎士がどこに行ったのか、誰にも分からないそうだけどね」
ふーん、とヒューズが腕組みした。
「目ぼしいところはそのくらいか? 手間だが行ってみる価値はありそうだな」
「人間には、どちらも手間でしょうけど、ね」
プレセペが囀ずるような声で笑った。
「湖には魔物も住んでいるから、気を付けた方がいいよ。まあ、ゾズマ様と一緒なら安心できるだろうけど」
ミラがにやりとする。
「ありがとう、二人とも。行ってみるよ」
ゾズマが軽く手を上げた。
ディアディムがさりげなく一礼する。
結局、彼女ら以外のその場にいた黒騎士・親衛隊員たちへの聞き込みも、彼女たちから得た情報の追認に終わり、レッドたちはまず湖から調査することになった。