夢を追う
「ごめん、じゃあ」
「かつての自分」にそう声をかけ、立ち上がる。
縫い目ばかりで色も違う、パッチワークのようなその肌に、随分と慣れてしまった。
自分だった身体から離れ、その場を後にする。
これで完全に、彼とはお別れだ。
空は曇天。雨が降りそうな程に黒く染まった雲が、空を覆い隠している。
夕刻ということもあり、烏が騒がしく声を上げており、雑踏はとてもうるさい。
もちろん、あの身体に思い入れはある。たくさん。
でも、生きていくにはかなり不便だった。仕事は全然見つからないし、歩いているだけでも通行人は不審な目を向けてくる。
あいつが精一杯生きた身体なのに、周りはそう簡単に受け入れてはくれない。
まるで醜い怪物を見るかのように、冷たい視線が降り注ぐ。
世の中はそんなに甘くない。俺は知っている。
「男にガチ告白されたの、初めてだったな…」
誰に聞かれることも無いその呟きは、騒がしい烏の鳴き声に掻き消される。
初対面で、あの状況で、急に好きだと言われて、素直にその好意を受け取れるほど、俺の肝は座ってない。
だから戸惑ったし、だから殺せなかった。楽な方へ逃げた。
俺はクズだ。見放された、死に損ないの人間。
薬に溺れて多額の借金を背負い、自分の周りも不幸にして、死んだ方が世界中が幸せになる気すらしていた。
生きてて何になる。
死ぬ勇気がないから生きているだけ。
死ぬよりも辛い地獄で、恥を捨てて稼いで、臓器まで売って、あるもの全部返済に回して。
それでも、何一つ変わらない地獄(日常)が続く。
車のクラクションが響く。
家に帰る途中だろうか、子供が歩道に尻もちを付いているのが目に入る。
その車は、窓を開けて怒号を撒き散らし、そのまま走り去っていく。
「……きみ、大丈夫?」
「……は、はい」
「危ないから、車には気を付けて帰るんだよ?」
「うん、お兄さんありがとう」
その子は服の汚れををパンパンと落とし、次はよく左右を確認し、こちらに笑顔を向けて駆け出していく。
「……普通に話してくれたなぁ」
空には僅かながら隙間が生まれ、そこから眩しい夕日が顔を覗かせる。
もう時期沈むその光は、一層赤みを帯びて輝く。
〈憂仁に、生きてほしい〉
その言葉が、いつまでも心に残っている。
動機は不純だ。借金を肩代わりするために売ったそれ。
まさか、救われた人がいたなんて、そんなこと考える余地も無くて。
俺が危ないと知って、それを無我夢中で止めようとしてくれた。
そして君は言った。
生きる意味をくれた、と。
「俺もだよ。俺も生きる意味、亜門に貰ったよ」
普通に過ごして、普通に笑って、普通に泣いて。
ドン底で苦しんで、もがいて、足掻いて。
それを認めてくれたのは、君が初めてだった。
初めてだったんだ。
最初は謝ってばかりだった。
殺してごめん、迷惑かけてごめん、ドジでごめん。
その度に、謝らなくていいんだと、君は必ずそう声をかけてくれた。
抱きしめたら抱き返してくれて、やっと、やっと感謝を伝えられた。
助けてくれてありがとう。教えてくれてありがとう。好きになってくれて、ありがとう。
欲張るのなら、最期に「愛してる、相棒」と、伝えたかったかも。
情けなく、泣いて頷くことしか出来なかったけど。
新しい身体で、どう生きていこう。何をしよう。
先のことを考える日がくるなんて、思ってもみなかった。
すっかり辺りは茜色に照らされ、景色を鮮やかに染めあげていた。
いつかの赤とは違い、それはそれは美しく、綺麗だと思えるほどに。
僅かな間だったが、一緒の身体にいたせいで、不思議と寂しさなんて無かった。
きっと今も俺の横で、あの時のように、整った顔で笑っているのだろう。
ただ、ただ今は、それが見えないだけだ。
スーツを着た男性がどうぞ、と言って、部屋の中へ招き入れる。
手元には、試験の結果についてまとめらた書類と、履歴書。
再び、男性が口を開く。
「では、お名前をお願いします」
彼はそれに応じる。
「はい、廿楽 憂仁です」
「かつての自分」にそう声をかけ、立ち上がる。
縫い目ばかりで色も違う、パッチワークのようなその肌に、随分と慣れてしまった。
自分だった身体から離れ、その場を後にする。
これで完全に、彼とはお別れだ。
空は曇天。雨が降りそうな程に黒く染まった雲が、空を覆い隠している。
夕刻ということもあり、烏が騒がしく声を上げており、雑踏はとてもうるさい。
もちろん、あの身体に思い入れはある。たくさん。
でも、生きていくにはかなり不便だった。仕事は全然見つからないし、歩いているだけでも通行人は不審な目を向けてくる。
あいつが精一杯生きた身体なのに、周りはそう簡単に受け入れてはくれない。
まるで醜い怪物を見るかのように、冷たい視線が降り注ぐ。
世の中はそんなに甘くない。俺は知っている。
「男にガチ告白されたの、初めてだったな…」
誰に聞かれることも無いその呟きは、騒がしい烏の鳴き声に掻き消される。
初対面で、あの状況で、急に好きだと言われて、素直にその好意を受け取れるほど、俺の肝は座ってない。
だから戸惑ったし、だから殺せなかった。楽な方へ逃げた。
俺はクズだ。見放された、死に損ないの人間。
薬に溺れて多額の借金を背負い、自分の周りも不幸にして、死んだ方が世界中が幸せになる気すらしていた。
生きてて何になる。
死ぬ勇気がないから生きているだけ。
死ぬよりも辛い地獄で、恥を捨てて稼いで、臓器まで売って、あるもの全部返済に回して。
それでも、何一つ変わらない地獄(日常)が続く。
車のクラクションが響く。
家に帰る途中だろうか、子供が歩道に尻もちを付いているのが目に入る。
その車は、窓を開けて怒号を撒き散らし、そのまま走り去っていく。
「……きみ、大丈夫?」
「……は、はい」
「危ないから、車には気を付けて帰るんだよ?」
「うん、お兄さんありがとう」
その子は服の汚れををパンパンと落とし、次はよく左右を確認し、こちらに笑顔を向けて駆け出していく。
「……普通に話してくれたなぁ」
空には僅かながら隙間が生まれ、そこから眩しい夕日が顔を覗かせる。
もう時期沈むその光は、一層赤みを帯びて輝く。
〈憂仁に、生きてほしい〉
その言葉が、いつまでも心に残っている。
動機は不純だ。借金を肩代わりするために売ったそれ。
まさか、救われた人がいたなんて、そんなこと考える余地も無くて。
俺が危ないと知って、それを無我夢中で止めようとしてくれた。
そして君は言った。
生きる意味をくれた、と。
「俺もだよ。俺も生きる意味、亜門に貰ったよ」
普通に過ごして、普通に笑って、普通に泣いて。
ドン底で苦しんで、もがいて、足掻いて。
それを認めてくれたのは、君が初めてだった。
初めてだったんだ。
最初は謝ってばかりだった。
殺してごめん、迷惑かけてごめん、ドジでごめん。
その度に、謝らなくていいんだと、君は必ずそう声をかけてくれた。
抱きしめたら抱き返してくれて、やっと、やっと感謝を伝えられた。
助けてくれてありがとう。教えてくれてありがとう。好きになってくれて、ありがとう。
欲張るのなら、最期に「愛してる、相棒」と、伝えたかったかも。
情けなく、泣いて頷くことしか出来なかったけど。
新しい身体で、どう生きていこう。何をしよう。
先のことを考える日がくるなんて、思ってもみなかった。
すっかり辺りは茜色に照らされ、景色を鮮やかに染めあげていた。
いつかの赤とは違い、それはそれは美しく、綺麗だと思えるほどに。
僅かな間だったが、一緒の身体にいたせいで、不思議と寂しさなんて無かった。
きっと今も俺の横で、あの時のように、整った顔で笑っているのだろう。
ただ、ただ今は、それが見えないだけだ。
スーツを着た男性がどうぞ、と言って、部屋の中へ招き入れる。
手元には、試験の結果についてまとめらた書類と、履歴書。
再び、男性が口を開く。
「では、お名前をお願いします」
彼はそれに応じる。
「はい、廿楽 憂仁です」