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「少しの間神室町を離れる。近江連合に顔を出すことになった」
瀬凪が淡々と言い放てば、その話を聞いていた人物がピクリとも動かなくなる。
「なんでや」
硬直したまま眉だけを潜めて怪訝な目で瀬凪に返事をするのは東城会直系真島組組長の真島吾朗だ。
「何でもなにも無い。父親に呼ばれてる」
「いつ行くんや」
「今からだ」
まさか当日に告げられるとは思っていなかった真島は流石に驚いた顔する。
せめて神室町を発つ一週間前に話して欲しかったと心の中で文句を垂れた。
真島が更に瀬凪に問い詰めた結果、何と当日に関西へ向かうと告げられた上に、関西での滞在期間は一年と長めだった。
瀬凪は関西で今活躍している近江連合水口組の組長水口の一人娘。
彼女は近江連合とは全く関係ないというのに瀬凪の父親は何かと招集をかける。
瀬凪とその父親の関係は嘘だらけの家族愛で二人の間に本当の親愛なんてものは無い。父親の方は利益だけしか考えない欲に塗れた人間だ。
瀬凪はよくそんな人間が組長にまでのし上がれたものだと皮肉にも感心してしまう。
それくらい父親のことを嫌っているのに、彼女を関西に呼び寄せる理由といえば単なる嫌がらせでしかない。瀬凪の父親とはそんな男だ。
「理由もなしにいきなり俺がお前を行かすと思っとるんか?」
「……止めても私は行く」
隻眼で睨みを効かせる真島に負けず劣らず彼を睨み返す瀬凪の隻眼の目。
お互い片目という間柄から瀬凪と真島は何かと腐れ縁である。
「阿呆。お前が組に関わっている以上、狙われる可能性があるって分からんのか?」
「あぁそうだな」
「はぁ、あのなぁ……」
瀬凪の冷めた口調に真島は思わずため息をついてしまう。真島がどれだけ瀬凪を心配しているのか、彼女自身は知らないような顔をしていた。
瀬凪を大事に思っているからこそ、真島は彼女を引き止めていた。
なのにそれを分かってくれない、いや分かっているのに分からないふりをする瀬凪と、分かって欲しいのに素直になれずわざと真意を隠す真島。
隻眼である事も、何かと放っておけない性格も、不器用ながらに迷惑をかけまいと自分を偽る事さえも、瀬凪と真島は全てが共通していた。
「もうえぇわ。勝手にせぇ。俺はもう知らん」
「あぁ、知らなくていい」
二人のいる空間にピリピリとした重い空気が立ち込める。素直になれない彼女等は時にこのように喧嘩をする時もある。
殴り合いとまでは行かなくとも、互いにチクチクと言葉の針を突き刺しては傷付くのだ。
素直になりたいと思う気持ちは誰よりもあると言うのに。
トゲのある言葉を掛け合った後に張り詰めた空気の中無言が続き、この場に居合わせた真島組の組員は全員この空間にいるのが苦痛になっていた。
「チッ」
先に痺れを切らしたのは真島の方だった。室内にいる組員達を睨みつけながら目で合図を送る。
すると組員達はすぐに察してぞろぞろと部屋から出ていった。
突然組員達が出ていった事を不思議に思いながら瀬凪も立ち上がって部屋から出ようとした。
真島と二人きりになるくらいならこの部屋から出ていった方がいいと思ったのだろう。
しかし部屋を出ようとした瀬凪の腕を真島はぎゅっと掴んで引き止めた。
「っ、なんだ……」
「なんであいつら追い出したんか分かってへんのか?」
「分からない分かりたくない」
変わらず淡々と返事をする瀬凪に真島の苛立ちはそろそろ限界が近づく。
どうしても分かってもらいたい、けど自分のプライドが邪魔をする。真島の中の葛藤はさらに激しさを増し、感情を掻き乱される事に心底腹が立っていた。
「お前、ほんま何も分かっとらんな」
「そんなのお前だって同じだ。何故私だけに言う?」
理屈っぽく言って見せた瀬凪の瞳は真島には見えなかったが動揺の色が混じっている。
真島をここまで怒らせてしまったことが気まずいのだろう。怒りが頂点に達してしまったらかれはどうなるのか。瀬凪はそれが少し怖かった。
殴られるならまだしも、呆れられ、見放されてしまったらどうしようと瀬凪は急に胸中が不安に包まれる。
「っ、お前はホンマに……嫌なやつやな……」
怒りに任せて殴り掛かるのか、それとも呆れて真島自身がこの部屋から出ていくのか。瀬凪は彼の口から出る言葉はきっと鋭いだろうと覚悟をしていた。
しかし真島の口から出てきた言葉は今にも消え入りそうで、弱々しい。
瀬凪は思わず顔を上げてしまった。動揺を隠しきれない瞳を隠す事も忘れて。
「ま、じま……」
「瀬凪お前……」
互いの視線が一直線に交わる。真島は瀬凪の動揺した目を、瀬凪は真島の悲しそうな目を見つめる。
その瞬間二人は同時に、自分が今までくだらないことで意地を張って、持たなくてもいいプライドを持っていた事をとても情けなく思った。
思ってもいない言葉で相手を傷付けることがどれだけ辛いことかを理解した。
友人、仲間、それ以上の関係を築いてきた二人が今すべき行動はこんなことでは無い。
「なんでやろな。お前のその目ェ見てると、なんでも許してまうわ……」
「……私もお前も、片目だけなのにな」
辺りの空気が急に柔らかく温かい物に変わっていった。瀬凪と真島の視線は一秒も逸れることなく交わったまま、二人の距離も少しずつ縮まっていく。
その距離はお互いの額がピタリとくっつき合うほど近く、距離が縮まれば縮まるほど視線に熱が篭った。
「心配しとるんや。お前をずっと俺の傍に置いておきたいねん」
「同じだ……本当は関西になんか行きたくない。あんたの近くにいたい」
本音をようやく吐き合えた二人は同時に瞳を閉じる。
真島が瀬凪の背中に手を回せば、それに応えるように瀬凪も彼の大きな背中に手を伸ばした。
「でもそんなことを口に出して言えば、私はきっと何も出来ないまま終わると思った。せめてあんたの前では、弱音を吐かないでいたかったんだ」
先程の冷淡な態度も、事前になにも教えてくれなかったことも全てが自分の為だったことに気づいた真島は胸の辺りが苦しくなるのを感じた。
不安定な心で精一杯、一人で全部背負い込もうする瀬凪が愛おしくて堪らなくなる。
「行くのやめたらええやん。俺が直接水口組の頭に言っといたろか?」
瀬凪が神室町にいてもらうために真島は自らが動こうとした。が、それを瀬凪は穏やかに静止する。
「そうしてもらいたいが、どうしても行かなきゃいけない……すまない」
どれだけ真島が心配しても、瀬凪が行きたくないと言っても、仕事上では避けられないことだ。
素直に謝る瀬凪の声は穏やかなはずなのに心做しかトーンが落ちていて寂しさが見える。
いつになくしおらしい瀬凪に真島は思わず彼女の体を強く抱き締めた。
「ほな、はよ帰ってきてや。何かあったらすぐ連絡せぇ。飛んでったる」
「ん。ありがとう……」
真島は暫く瀬凪の体を抱き締め、名残惜しそうに体を離した。視線は未だに交わったままだが、体を離したことによって二人の視線は切なげであった。
「行ってくるよ」
真島の手から離れ、瀬凪は小さなスーツケースを一つ手に持つ。
その時彼女は、早めに真島に言えばよかったと小さな後悔を募らせる。
神室町を発つ寸前で、心が通っていると改めて気付かされるとこんなにも離れるのが辛いものだということに気付き、目の前にある真島の顔から目を背けることができない。
「なんや」
「……なんでもない」
ようやく真島から視線を外せた瀬凪は彼に背を向けた。
「またな……」
どうしても隠しきれない寂しさを無理やり押し殺し、瀬凪は部屋を出た。
真島は彼女が出ていったのをこれ以上引き止めることなく、黙って見送っていた。
これ以上踏み込んだら互いの為にはならない。瀬凪を思ってこそ、真島はこれ以上引き止めなかった。
既に部屋からいなくなってしまった瀬凪の残り香だけが真島の鼻を掠める。
当たり前のように思えた存在が離れた瞬間に、普段から香っていたはずの彼女の匂いが途端に懐かしく思えてしまった。
「もう失いとうない」
瀬凪に聞こえるはずのない真島の一言は、静かな室内に響き渡っては虚しく消えていく。
誰かを好きになるのはきっとこれで最後だ。
それは自分自身だけでなく瀬凪もそうだという事を真島は知っている。
今まで人生で経験してきた大きな決断はいつだって苦渋の決断ばかりだ。
それでも瀬凪と真島はこうして出会っている。自分を偽ってでも正解を選んできた二人が想いを通わせている。
だから、今回くらいは良いことがあったっていいだろうと、不幸な人間達がずっと一緒にいることくらいなら許されてもいいんじゃないかと、真島は心の底から柄にもなく願った。
END
NEXT
「寒い時でも一緒に【真島吾朗】」