最終章
夜が白み始める頃、部屋を支配していた狂乱は、重く湿った沈黙へと変わっていた。
ジュードはソファの傍らの床に崩れたまま、浅い呼吸を繰り返している。劇薬の作用が切れ始めた体は、今度は耐えがたいほどの虚脱感に襲われていた。項から流れた血はすでに乾き始め、肌に黒ずんだ染みを作っている。
「……ボス、……申し訳、ございません……」
混濁した意識のなかで、ジュードが最初に発したのは、謝罪の言葉だった。 一瞬でも主を名前で呼び、あまつさえ「助けてくれ」と縋ったこと。それは彼にとって、死よりも重い失態だ。道具としての純度を汚した恥辱に、彼は身を震わせる。
「何が申し訳ないんだ、ジュード」
ギルバートは、乱れたシャツを整え、サイドテーブルに置かれた冷めたコーヒーを口にした。その表情は、嵐が去った後の海のように凪いでいる。
「……私は、あなたの完璧な右腕であるべきでした。……失態です。どうか、然るべき『処分』を」
ジュードは震える腕で床を押し、無理やり膝を突いて跪こうとした。だが、鮮度計という枷を失った彼の体は、毒の濾過が追いつかず、指先一つ動かすのにも激痛が走る。
ギルバートは、そんなジュードを冷めた目で見下ろし、手元にあったリボルバーを再び拾い上げた。そして、その銃口をジュードの額にそっと添える。
「処分か。お前がそれを望むなら、今すぐ引き金を引いてやってもいい」
銃口の冷たさが、ジュードの火照った肌に心地よく響く。 ジュードは静かに目を閉じた。これでいい。完璧でいられないのなら、壊れて消えるのが、ボスのための最善だと確信しているからだ。
しかし、引き金が引かれる音はしなかった。 代わりに、ギルバートは銃身をジュードの頬に沿わせ、愛おしげに肌をなぞる。
「だが、残念だったな。お前が『人間』としての悲鳴を上げた瞬間、この俺が、お前を道具として廃棄する気を失くしてしまった」
「……ボス?」
「ジュード。お前の鮮度計は壊れた。数値で管理される『器』としての寿命は、今この瞬間、俺がすべて買い取った。……これからは、お前がいつ死ぬか、いつまで俺の毒に耐えるか、すべて俺がこの目で決める」
ギルバートは銃をテーブルに放り投げ、ジュードの項に残る生々しい傷跡を、親指で強く圧迫した。
「右腕としてではなく、俺の毒に狂い続ける一人の男として、死ぬまで俺の傍らで腐り続けろ。……これは命令だ」
ジュードの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 それは、救済への感謝ではなく、一生「完璧な道具」には戻れないという絶望、そして、それでも主人に繋ぎ止められたという歪んだ悦びの混じったものだった。
「……承知致しました」
ジュードは、もう「ギル」とは呼ばない。 だが、その呼び声に含まれる熱は、以前の無機質なそれとは決定的に違っていた。
夜明けの光が、血と毒に汚れた部屋を冷酷に照らし出す。 二人の共生関係は、もはや「組織」や「役割」といった枠組みを逸脱し、ただ互いの存在を蝕み合う、逃げ場のない永久の檻へと変質していた。
ジュードはソファの傍らの床に崩れたまま、浅い呼吸を繰り返している。劇薬の作用が切れ始めた体は、今度は耐えがたいほどの虚脱感に襲われていた。項から流れた血はすでに乾き始め、肌に黒ずんだ染みを作っている。
「……ボス、……申し訳、ございません……」
混濁した意識のなかで、ジュードが最初に発したのは、謝罪の言葉だった。 一瞬でも主を名前で呼び、あまつさえ「助けてくれ」と縋ったこと。それは彼にとって、死よりも重い失態だ。道具としての純度を汚した恥辱に、彼は身を震わせる。
「何が申し訳ないんだ、ジュード」
ギルバートは、乱れたシャツを整え、サイドテーブルに置かれた冷めたコーヒーを口にした。その表情は、嵐が去った後の海のように凪いでいる。
「……私は、あなたの完璧な右腕であるべきでした。……失態です。どうか、然るべき『処分』を」
ジュードは震える腕で床を押し、無理やり膝を突いて跪こうとした。だが、鮮度計という枷を失った彼の体は、毒の濾過が追いつかず、指先一つ動かすのにも激痛が走る。
ギルバートは、そんなジュードを冷めた目で見下ろし、手元にあったリボルバーを再び拾い上げた。そして、その銃口をジュードの額にそっと添える。
「処分か。お前がそれを望むなら、今すぐ引き金を引いてやってもいい」
銃口の冷たさが、ジュードの火照った肌に心地よく響く。 ジュードは静かに目を閉じた。これでいい。完璧でいられないのなら、壊れて消えるのが、ボスのための最善だと確信しているからだ。
しかし、引き金が引かれる音はしなかった。 代わりに、ギルバートは銃身をジュードの頬に沿わせ、愛おしげに肌をなぞる。
「だが、残念だったな。お前が『人間』としての悲鳴を上げた瞬間、この俺が、お前を道具として廃棄する気を失くしてしまった」
「……ボス?」
「ジュード。お前の鮮度計は壊れた。数値で管理される『器』としての寿命は、今この瞬間、俺がすべて買い取った。……これからは、お前がいつ死ぬか、いつまで俺の毒に耐えるか、すべて俺がこの目で決める」
ギルバートは銃をテーブルに放り投げ、ジュードの項に残る生々しい傷跡を、親指で強く圧迫した。
「右腕としてではなく、俺の毒に狂い続ける一人の男として、死ぬまで俺の傍らで腐り続けろ。……これは命令だ」
ジュードの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。 それは、救済への感謝ではなく、一生「完璧な道具」には戻れないという絶望、そして、それでも主人に繋ぎ止められたという歪んだ悦びの混じったものだった。
「……承知致しました」
ジュードは、もう「ギル」とは呼ばない。 だが、その呼び声に含まれる熱は、以前の無機質なそれとは決定的に違っていた。
夜明けの光が、血と毒に汚れた部屋を冷酷に照らし出す。 二人の共生関係は、もはや「組織」や「役割」といった枠組みを逸脱し、ただ互いの存在を蝕み合う、逃げ場のない永久の檻へと変質していた。