4章
雨を切り裂き、黒塗りのセダンは「クラン・ヴェノム」の本拠地――市街地から隔絶された断崖に建つ、城砦のような屋敷へと滑り込んだ。
重厚な鉄門が開き、車がエントランスの庇に滑り込む。ドアが開くと、待機していた手下たちが一斉に頭を下げた。だが、彼らは決して車内の様子を覗こうとはしない。ボスの「排泄」の直後、その空気がどれほど危険で濃密かを知っているからだ。
「……降りろ」
ギルバートの短い命令。 ジュードは一拍置いて、鉛のように重い体を引きずりながら外へ出た。冷たい夜気が、汗ばんだ肌と毒の熱を容赦なく叩く。一瞬、視界がぐにゃりと歪んだが、彼は一歩もよろめくことなく、主人の三歩後ろにピタリとついた。
「おかえりなさいませ、ボス」
整列する部下たちの間を、ギルバートは杖の音を響かせて歩く。ジュードはその背中を見つめながら、内側から細胞を焼き焦がすような疼きを押し殺していた。 屋敷の冷徹な石造りの廊下を進み、二人は最上階にあるギルバートの私室へと向かう。
重い扉が閉まり、背後でカチリと鍵が掛かった。 その音を合図に、ジュードは深々と頭を垂れる。
「……ボス。本日の任務、これにて完了いたしました。私は、執務室で報告書の作成に入ります」
「待て」
ギルバートはコートを脱ぎ捨て、革張りのソファに深く腰を下ろした。彼は手元にあるデキャンタから琥珀色の液体をグラスに注ぎ、一気に煽る。
「顔を見せろ、ジュード」
ジュードは無言で主人の前に進み出た。 部屋の暖色系の照明に照らされ、彼の白い肌に刻まれた「黒い紋様」が、より一層鮮明に浮かび上がる。首筋から始まったそれは、今や喉元を締め上げるように蛇行し、彼の生命を蝕んでいることを如実に示していた。
「……数値が下がったままだな。お前の濾過細胞が、俺の毒を処理しきれていない」
ギルバートの指先が、ジュードのシャツの襟元に触れる。 鮮度計の赤い点滅は、静かな室内で不吉な鼓動のように繰り返されていた。
「……明日になれば、落ち着きます。職務に支障は……」
「支障があるかないかを決めるのは俺だ。お前はただの器(パーツ)だと言ったはずだぞ」
ギルバートは強引にジュードを自分の方へ引き寄せた。ジュードは抵抗せず、その力に身を任せる。主人が自分を検品しようというのなら、それに供するのが道具の務めだ。
「……ボス、お疲れであれば、お休みを……」
「黙れ。ギルと呼べないその口を、今すぐ塞いでやりたいが……」
ギルバートは、ジュードの荒い呼吸をすぐそばで感じながら、その冷え切った唇をなぞった。
「お前が死ねば、代わりのゴミ箱はいくらでもいる。だが、これほど俺の毒に馴染んだ『壊し甲斐のある器』は他にはいない」
ギルバートの手が、ジュードの項に埋め込まれた鮮度計の端を強く圧迫する。 ジュードは苦痛に眉を寄せながらも、その瞳には依然として、主君への絶対的な盲従と、徹底した「道具」としての無機質な光が宿っていた。
「……光栄です、ボス」
窓の外では、まだ雨が降り続いている。 主の狂気を吸い取り、ボロボロになりながらも立ち続ける右腕。 そして、その右腕を「人間」として愛したいと渇望しながらも、結局は「道具」としてしか扱えない孤独な支配者。
ギルバートは、ソファに沈んだジュードの胸元に指を這わせ、心臓の鼓動を確かめるように強く押し当てた。ドクン、ドクンと、毒に毒された血液が不規則に脈打つ音が指先に伝わる。
「……これ以上は、『器』が割れるな」
ギルバートは冷酷に言い放つと、ジュードの体から離れた。代わりに、部屋の隅にある重厚な金庫から、一挺の古いリボルバーと一瓶の「誘発剤」を取り出す。
「ジュード。お前が『完璧な道具』だと言うのなら、その証明をしろ」
ギルバートは誘発剤をグラスに注ぎ、ジュードの前に差し出した。それは、パラサイトの濾過機能を一時的に限界まで強制加速させる劇薬だ。代償として、服用後の数時間は呼吸すらままならない激痛が全身を襲う。
「それを飲み干し、一時間以内に俺の私物のメンテナンスを終えろ。……できないなら、そのリボルバーでお前のこめかみをブチ抜いてやる。俺の横に立つ右腕が、ただの『壊れかけ』では示しがつかんからな」
ジュードは、高熱に焼かれる瞳でグラスを見つめた。 普通の人間なら、あるいは普通のパラサイトなら、死を予感して足が竦む局面。だが、ジュードの唇に浮かんだのは、初めて見る微かな、そして酷く歪んだ笑みだった。
「……承知いたしました、ボス」
ジュードは迷いなくグラスを手に取り、その劇薬を一気に煽った。 直後、彼の白い肌の下を、黒い紋様が生き物のように這い回り、血管が浮き上がる。内臓を沸騰した油で煮られるような苦悶が彼を襲うが、ジュードは膝を折ることさえしなかった。
「っ、……は……っ、あ……」
脂汗を流しながら、ジュードは震える手でギルバートの銃を手に取る。 道具として使い潰される。その明確な意志を主から提示されたことが、彼にとってはどんな愛の言葉よりも甘美な報酬だった。
「ボス……。私は、あなたの毒を飲み干すためだけに、この命を繋いでいます」
ジュードは、激痛に歪む視界のなかで、一発ずつ丁寧に銃弾を装填し始めた。 ギルバートはその姿を、冷徹な支配者の顔で見下ろしている。だが、彼の握るグラスの縁には、力が入りすぎたせいで微かな亀裂が入っていた。
「ギル」と呼べば、この痛みから救ってやる。 その最後の一線を越えさせようとする支配者と、地獄の底まで「右腕(どうぐ)」として付き従うことで、決して対等な愛を許さない従者。
「一時間だ、ジュード。死に場所を自分で汚すなよ」
「…かしこ…まりました」
嵐の夜、密室内でカチリ、カチリと銃の機構音が響く。 それは、二人の歪んだ共依存が、もはや引き返せない破滅へと向かっているカウントダウンだった。
重厚な鉄門が開き、車がエントランスの庇に滑り込む。ドアが開くと、待機していた手下たちが一斉に頭を下げた。だが、彼らは決して車内の様子を覗こうとはしない。ボスの「排泄」の直後、その空気がどれほど危険で濃密かを知っているからだ。
「……降りろ」
ギルバートの短い命令。 ジュードは一拍置いて、鉛のように重い体を引きずりながら外へ出た。冷たい夜気が、汗ばんだ肌と毒の熱を容赦なく叩く。一瞬、視界がぐにゃりと歪んだが、彼は一歩もよろめくことなく、主人の三歩後ろにピタリとついた。
「おかえりなさいませ、ボス」
整列する部下たちの間を、ギルバートは杖の音を響かせて歩く。ジュードはその背中を見つめながら、内側から細胞を焼き焦がすような疼きを押し殺していた。 屋敷の冷徹な石造りの廊下を進み、二人は最上階にあるギルバートの私室へと向かう。
重い扉が閉まり、背後でカチリと鍵が掛かった。 その音を合図に、ジュードは深々と頭を垂れる。
「……ボス。本日の任務、これにて完了いたしました。私は、執務室で報告書の作成に入ります」
「待て」
ギルバートはコートを脱ぎ捨て、革張りのソファに深く腰を下ろした。彼は手元にあるデキャンタから琥珀色の液体をグラスに注ぎ、一気に煽る。
「顔を見せろ、ジュード」
ジュードは無言で主人の前に進み出た。 部屋の暖色系の照明に照らされ、彼の白い肌に刻まれた「黒い紋様」が、より一層鮮明に浮かび上がる。首筋から始まったそれは、今や喉元を締め上げるように蛇行し、彼の生命を蝕んでいることを如実に示していた。
「……数値が下がったままだな。お前の濾過細胞が、俺の毒を処理しきれていない」
ギルバートの指先が、ジュードのシャツの襟元に触れる。 鮮度計の赤い点滅は、静かな室内で不吉な鼓動のように繰り返されていた。
「……明日になれば、落ち着きます。職務に支障は……」
「支障があるかないかを決めるのは俺だ。お前はただの器(パーツ)だと言ったはずだぞ」
ギルバートは強引にジュードを自分の方へ引き寄せた。ジュードは抵抗せず、その力に身を任せる。主人が自分を検品しようというのなら、それに供するのが道具の務めだ。
「……ボス、お疲れであれば、お休みを……」
「黙れ。ギルと呼べないその口を、今すぐ塞いでやりたいが……」
ギルバートは、ジュードの荒い呼吸をすぐそばで感じながら、その冷え切った唇をなぞった。
「お前が死ねば、代わりのゴミ箱はいくらでもいる。だが、これほど俺の毒に馴染んだ『壊し甲斐のある器』は他にはいない」
ギルバートの手が、ジュードの項に埋め込まれた鮮度計の端を強く圧迫する。 ジュードは苦痛に眉を寄せながらも、その瞳には依然として、主君への絶対的な盲従と、徹底した「道具」としての無機質な光が宿っていた。
「……光栄です、ボス」
窓の外では、まだ雨が降り続いている。 主の狂気を吸い取り、ボロボロになりながらも立ち続ける右腕。 そして、その右腕を「人間」として愛したいと渇望しながらも、結局は「道具」としてしか扱えない孤独な支配者。
ギルバートは、ソファに沈んだジュードの胸元に指を這わせ、心臓の鼓動を確かめるように強く押し当てた。ドクン、ドクンと、毒に毒された血液が不規則に脈打つ音が指先に伝わる。
「……これ以上は、『器』が割れるな」
ギルバートは冷酷に言い放つと、ジュードの体から離れた。代わりに、部屋の隅にある重厚な金庫から、一挺の古いリボルバーと一瓶の「誘発剤」を取り出す。
「ジュード。お前が『完璧な道具』だと言うのなら、その証明をしろ」
ギルバートは誘発剤をグラスに注ぎ、ジュードの前に差し出した。それは、パラサイトの濾過機能を一時的に限界まで強制加速させる劇薬だ。代償として、服用後の数時間は呼吸すらままならない激痛が全身を襲う。
「それを飲み干し、一時間以内に俺の私物のメンテナンスを終えろ。……できないなら、そのリボルバーでお前のこめかみをブチ抜いてやる。俺の横に立つ右腕が、ただの『壊れかけ』では示しがつかんからな」
ジュードは、高熱に焼かれる瞳でグラスを見つめた。 普通の人間なら、あるいは普通のパラサイトなら、死を予感して足が竦む局面。だが、ジュードの唇に浮かんだのは、初めて見る微かな、そして酷く歪んだ笑みだった。
「……承知いたしました、ボス」
ジュードは迷いなくグラスを手に取り、その劇薬を一気に煽った。 直後、彼の白い肌の下を、黒い紋様が生き物のように這い回り、血管が浮き上がる。内臓を沸騰した油で煮られるような苦悶が彼を襲うが、ジュードは膝を折ることさえしなかった。
「っ、……は……っ、あ……」
脂汗を流しながら、ジュードは震える手でギルバートの銃を手に取る。 道具として使い潰される。その明確な意志を主から提示されたことが、彼にとってはどんな愛の言葉よりも甘美な報酬だった。
「ボス……。私は、あなたの毒を飲み干すためだけに、この命を繋いでいます」
ジュードは、激痛に歪む視界のなかで、一発ずつ丁寧に銃弾を装填し始めた。 ギルバートはその姿を、冷徹な支配者の顔で見下ろしている。だが、彼の握るグラスの縁には、力が入りすぎたせいで微かな亀裂が入っていた。
「ギル」と呼べば、この痛みから救ってやる。 その最後の一線を越えさせようとする支配者と、地獄の底まで「右腕(どうぐ)」として付き従うことで、決して対等な愛を許さない従者。
「一時間だ、ジュード。死に場所を自分で汚すなよ」
「…かしこ…まりました」
嵐の夜、密室内でカチリ、カチリと銃の機構音が響く。 それは、二人の歪んだ共依存が、もはや引き返せない破滅へと向かっているカウントダウンだった。