参話「その絶望、俺らが管理してやるよ」

「さてと、お待たせ、エサ」ニカッと笑い立ち上がった俺の右肩に「ま、仲良くしようぜ!」と強引に腕を回した。

逆側からは白髪の男が「殺しはしないから安心しろ」と、端正な顔に貼り付いたような笑みを向けるが、その瞳は極寒の氷のようだった。

俺は抵抗する間もなく、左右を二人に挟まれた状態で歩かされた。街灯の届かない、迷路のように入り組んだ路地裏。湿ったコンクリートの匂いと、古い紙が焼けたような奇妙な残り香が鼻を突く。

「あ、あの、どこへ……俺、明日も仕事があるんですが、、」

「いいから黙って歩け。美味そうな匂い撒き散らすんじゃねぇよ」 白髪の男が冷たく告げ「まぁ!手当も必要だろ?」と黒髪の男はニヤニヤしながら告げた



たどり着いたのは、時代の波に取り残されたような、古びた平屋の駄菓子屋だった。軒先には「営業中」とも「休業」ともつかない色褪せた暖簾が揺れている。黒髪の男が「ただいまー」と気の抜けた声を出しながら、ガタつく引き戸を開けた。

店内は、埃を被った瓶詰めの商品や、得体の知れない色の粉末菓子が棚を埋め尽くしていた。天井で回る換気扇は、悲鳴のような金属音を立てている。

「奥へ入れ」 店の奥、厚手のカーテンを潜ると、そこは六畳ほどの和室だった。畳は擦り切れ、部屋の中央には使い込まれた黒漆塗りの座卓が置かれている。そして壁一面には、無数の小さな引き出しが並ぶ、異様なほど重厚な薬箪笥が鎮座していた。

「座れよ、エサ」

促されるまま、俺は座卓の前に座らされた。

「あの、傷が……。せめて手当てをさせてくれ」 スーツの右肩は血で汚れ、ズキズキとした痛みが思考を鈍らせる。俺の懇願を聞いた黒髪の男は、

「あー、そうだったな」と適当に返すと、散乱した棚から焼酎の瓶と使い古されたような布切れを引っ張り出してきた。

「おい、ちょっと待っ。それは――」

抗議する間もなく、男は瓶の蓋を開け、傷口に直接焼酎をぶちまけた。

「 ッッッッッッ !!」

焼けるような激痛が突き抜け、視界が真っ白になる。

「我慢しろよ。消毒しねぇと腐るぞ」

そう笑いながら、彼は血が止まりきっていない傷口の上から布を乱暴に巻きつけ、力任せに縛り上げた。激痛に涙が滲み、呼吸が荒くなる。

ようやく痛みが引いた頃、二人は俺の正面にどっかと座り、まるで面白い見せ物を見るかのような目で凝視してきた。

「……で? お前、今までどんな『不幸』を積み上げてきたんだ? 隠さず吐けよ。そのドロドロの経歴が、俺らの仕事の資料になるんだわ」

目の前のこの双子のような男たちは何者なんだ。化け物を一瞬で仕留めた怪物じみた力、そして人の傷を笑いながら扱う冷酷さ。初対面の、しかも自分たちを「捕食」しようとする世界の住人に、自分の惨めな半生を話すなど、サラリーマンとしての、いや一人の人間としての矜持が拒絶していた。

だが、逃げ場はない。白髪の男の底冷えする視線と、黒髪の男の期待に満ちた歪な笑みを前にして、俺は逆らう気力さえ削ぎ落とされていく。沈黙が続けば、またあの焼酎をぶっかけられるか、あるいはもっと酷い目に遭うのは目に見えていた。

俺は諦めたように溜息をつき、震える唇を開いた。

「……わかりました」

俺は絞り出すように語り始めた。田中一。名前の通り、最初から最後まで一人でどん底を歩んできた半生を。親の借金、友人の裏切り、現在進行形の過酷な搾取。

嫌な思い出を語り気まずくなると思っていたが、話し終わると同時に双子は笑い出した。

「ギャハハハ! まじかよ! お前、それ呪われてるだろ!」

「傑作だな、ここまで綺麗にどん底を這いずれるのも才能だな」

普通なら、屈辱に顔を赤くするところだろう。

だが、俺の胸に去来したのは意外な感情だった。会社で浴びせられる「お前のせいだ」「無能」という一方的な暴言とは違う。彼らの笑いには、俺という存在を、その不幸ごと真正面から見据えているという奇妙な実感が伴っていた。

(……ああ。俺、誰かとこんなに喋ったの、いつ以来だ)

嘲笑の形ではあっても、俺の話を一つ残さず聞き、反応を返してくる。そのやり取りそのものが、孤独に慣れきった俺の奥底にある冷え切った塊を、少しずつ解きほぐしていくようだった。この状況は決して「良く」はない。だが、誰にも見向きもされなかった日々よりは、ずっと「生和」を感じられた。

笑い疲れた頃、白髪の男がおもむろに立ち上がり、薬箪笥の引き出しの一つを迷いなく開けた。そこから取り出されたのは、煤けた紐に黒い木の実のような粒が連なった、小さな数珠だった。彼はそれを、無造作に俺へ放り投げた。

「ほら、それ着けとけ」

「え?」

「それは『不幸を溜める数珠』だ」

「……溜める? 厄除けではなく?」

「そうだよ。お前から漏れ出してるその腐った絶望を閉じ込めておく『重石』だ。そうしねぇと、お前の匂いを嗅ぎつけてバケモンがワラワラ寄ってきて、俺らの安眠妨害なんだわ」

「まじ、それねーとお前、一歩外に出るだけで食い殺されるからな! ありがたく思えよ、一」

俺は促されるまま、震える手でその数珠を左手首に嵌めた。その瞬間、全身の毛穴が塞がるような、奇妙な静寂が身体を包み込んだ。

常に肌を撫でていた不吉な風が止み、耳鳴りのように続いていた周囲の悪意が消える。まるで世界から俺という存在の輪郭が切り離されたかのような、異様なほどに平穏な沈黙。

呆然とする俺の前に、二人の男が改めて向き直った。

「あー、忘れてた。ま、これから世話になるんだ、一応名乗っといてやるよ」

黒髪の男が、座卓に肘をついて身を乗り出した。

「俺はクロト。まぁ、お前の命の恩人だな!、よろしくな、一(はじめ)」

続けて、白髪の男が冷たい眼差しのまま、静かに口を開く。

「……俺はシロヤだ。お前が俺らの言うことをちゃんと聞くなら死なねぇように約束してやるよ」

「……シロヤ、と、クロト……」 俺は呟いた。

彼らが何者なのか、何のために俺を助けたのかは分からない。ただ、この静寂の中で、俺の絶望は彼らの手によって無理やり値札を付けられ、管理下に置かれたのだということだけは理解できた。
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