10.小柄な剣士は兎を守る
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10.小柄な剣士は兎を守る
10-1
人はいずれ死ぬ。まあ、何かこの世界だと死ななさそうな人もいるけど。
『急ぐことはねェだろう』とイゾウさんに言われ親父さんからも船に乗る許可をいただいた私はまだしばらく船に乗せてもらうことにした。いつ帰るかは決めていないが、たぶんそのうち帰れるだろうと思っている。だってこの世界は決して平和ではないのだから。
でも、船に乗ることに決めた以上、今まで以上に働こうと自分で決めて。
「おはよーございまーす」
間延びした挨拶をしながらこの部屋の主であるイゾウさんの布団を容赦なくはぎ取った。が、それを追いかけるように伸ばされた手がしっかりとシーツを掴み引っ張るものだから危うく私ごと彼に覆いかぶさるところだった。慌てて踏ん張って何とか踏みとどまった。と言うか私が引っ張られているのに気づいて力を緩めてくれたらしい。それには感謝だけど、起きてはくれないのか。
「朝ですよ」
「……知ってる。が、いつも起きねェのも、知ってるだろ……」
「そうですね」
でも今日からそうもいかなくて、と言うと開き切っていない目がこちらを向いた。寝起き独特の色気をさらけ出すのはやめて欲しいが突っ込むと話がそれてしまうのでやめておこう。
イゾウさんの朝は遅い。本人も言うように朝ご飯の時間を一時間ほど過ぎてから起きるため、朝食は食べず毎朝お茶を一杯飲んだだけで仕事をしている。午前中から鍛錬していることもあるのに、よくお茶だけで動けるものだ。
イゾウさんはそんなんだから、私は初日から朝は一人で食堂に行けと言われていたのだけれど、昨日サッチさんに何か手伝えることはないかと聞いたらじゃあ、とイゾウさんを起こすという重大任務を任されたのだ。
声はほんの少しかすれてはいるが、口調ははっきりしているからとっくに目は覚めているだろうにイゾウさんは頑なに寝ころんだまま起き上がらない。なんで起きないんですか、と聞けば「頭が働いてねェまま表に出るわけにいかねェだろ」と。つまり、口調ははっきりしてるが体はまだ寝ているということか。
「頭が働いてないとどうなるんですか?」
「壁にぶつかる」
本気か冗談か。いずれにせよベタな寝ぼけた行動を上げられ一瞬固まった。それから可笑しくて声を立てて笑えばするりときれいな、だけど男性らしい筋の通った手が私のそれを取った。
「おめえさんが手を引いて連れてってくれるって言うならいいぜ?」
「言いましたね」
本人は戯れ事だったのだろうが、イゾウさんの揶揄うような言葉選びはもう慣れた。
私は取られた手を笑顔で握り返すと力一杯引っ張った。
「すげー……イゾウがいるわ」
「黙れサッチ」
「ああ、機嫌が悪いのは変わんねェのな?」
言われた通り手をつないで食堂に入れば、4番隊のコックの方たちが信じられないものを見た、と言わんばかりに動きを止めたり、皿や調理器具を落としたりする音がしたが大丈夫だろうか。
食堂まで連れてきたら本人もあきらめたのか、逆に私を引っ張るようにカウンターに座らせ、自身もおとなしくその横に座る。非常に不機嫌そうではあるが朝食は食べてくれるらしい。だが、サッチさんが出してくれた朝食にいただきます、と手を付ければ横からかしゃんと音がして見ればフォークを取り落としたイゾウさんが動きを止めていて。
「……大丈夫です?」
「眠いって言っただろう」
「そこまでとは思いませんでした」
苦虫をかみつぶしたような顔に少しだけ同情。なるほど、普段余裕ある行動をする人だから余計にこういううっかりなところは珍しいし、それを家族に見られるのは嫌だったのか。
ちらりとサッチさんを見れば、ぱちぱちと瞬きしている。それに気づいているのかいないのか、フォークを落としてもう食べる気を失ったと言わんばかりのイゾウさんは溜息をついて頬杖をつき、瞼が落ち始めた。いや、待って。ここまで来て寝るんじゃない。
溜息をついてイゾウさんのコーヒーカップを引き寄せた。砂糖を二杯とミルクを少し入れてぐるぐるかき混ぜ差しだせば、条件反射のように受け取って口にする。
「……うまい」
「甘すぎないですか」
「あー……平気だ」
ちょうどいい、と頭をぽすぽす撫でてきた彼は少し目が覚めたのか乱雑に頭をかくとさっき落としたフォークを拾った。起こしてそのまま引っ張ってきたからまだ結われていない黒髪がかがんだときにカーテンのように揺れる。食べるのに邪魔だろうと腕につけていた予備のヘアゴムを差しだせば、すすっと寄せられる顔に思わず半眼。結んでくれ、とな?なぜ……。自分でやってくださいよ、ともう一度差しだすも動く気が全く見えないものだから私が折れた。
「もう目は覚めたでしょう?」
「片手が塞がってる」
「サッチさん、新しいフォークもらえます?」
「お、おう……」
なぜかたじろいだサッチさんに首を傾げれば「そんなイゾウ見たことねえぞ」と気持ち悪いものを見たという顔。そんなってどんなだ。
フォークを受け取ってもイゾウさんは食べ始めず、私が髪を結い終わって一緒に食べ始めるから、律儀な人だなあと思っていれば、ひょいとトマトに似た野菜が皿に転がってきた。
「……好き嫌いとか子供ですか」
「それだけだ」
「コーヒーじゃなくてココアにしてもらったらどうです?」
「おめえさんが淹れてくれるならな」
「私がキッチンに入るわけにはいかないですよ」
「いや、ユリトちゃんなら気にしねェけどよ?イゾウ甘いの好きなわけ?」
「ものによる」
しゃくしゃくと野菜を咀嚼しながらものによるって言うか、普通に甘いもの好きですよね、と心の中で突っ込む。コーヒーが飲めないわけではないらしいが好んでは飲んでいないようだし、紅茶には砂糖を入れているのをよく見る。書類仕事をしてる時には飴か金平糖を転がしていて、こっちにもあるのか、と思ったのは一度や二度ではない。
「好きなもの隠してるんですか?」
「別に隠しちゃいねえさ。言う機会もなければ気づくやつもいねェだけだ」
「言わなきゃわかんないですよ」
「おめえさんは気づいたろ」
黒い目玉で横目に見られ、私は肩を竦めた。それはたぶん私が日本人だからだ。おもてなしの精神、いや、気づかいの鬼。空気を読む、察する能力を無駄に必要とする土地で育てば、普通に気づくレベルでイゾウさんはたいして分かりにくくもない。本人が言うように隠してないのだから。
「俺っちイゾウが甘いもん好きってのは初耳だわ」
「こいつが嫌いって言うのは知ってて出してたのか」
私の皿に移した赤い野菜を指させば、にいっとしてやったりと笑うサッチさん。
「海で好き嫌いは許しませーん!!」
「死ね」
「いぞーさん」
今にも掴みかからんという勢いの彼を呼べば、こっちを向くきれいな顔。けだるげな空気が大分抜けているから目が覚めてよかったなあ、と思いながら「なんだ」と言おうとしたのだろう口にずぼっと。
「私も好き嫌いはよくないと思います」
よっぽど嫌いなのか身悶えるイゾウさんと、大笑いするサッチさんの声が食堂に響いた。
10-1
人はいずれ死ぬ。まあ、何かこの世界だと死ななさそうな人もいるけど。
『急ぐことはねェだろう』とイゾウさんに言われ親父さんからも船に乗る許可をいただいた私はまだしばらく船に乗せてもらうことにした。いつ帰るかは決めていないが、たぶんそのうち帰れるだろうと思っている。だってこの世界は決して平和ではないのだから。
でも、船に乗ることに決めた以上、今まで以上に働こうと自分で決めて。
「おはよーございまーす」
間延びした挨拶をしながらこの部屋の主であるイゾウさんの布団を容赦なくはぎ取った。が、それを追いかけるように伸ばされた手がしっかりとシーツを掴み引っ張るものだから危うく私ごと彼に覆いかぶさるところだった。慌てて踏ん張って何とか踏みとどまった。と言うか私が引っ張られているのに気づいて力を緩めてくれたらしい。それには感謝だけど、起きてはくれないのか。
「朝ですよ」
「……知ってる。が、いつも起きねェのも、知ってるだろ……」
「そうですね」
でも今日からそうもいかなくて、と言うと開き切っていない目がこちらを向いた。寝起き独特の色気をさらけ出すのはやめて欲しいが突っ込むと話がそれてしまうのでやめておこう。
イゾウさんの朝は遅い。本人も言うように朝ご飯の時間を一時間ほど過ぎてから起きるため、朝食は食べず毎朝お茶を一杯飲んだだけで仕事をしている。午前中から鍛錬していることもあるのに、よくお茶だけで動けるものだ。
イゾウさんはそんなんだから、私は初日から朝は一人で食堂に行けと言われていたのだけれど、昨日サッチさんに何か手伝えることはないかと聞いたらじゃあ、とイゾウさんを起こすという重大任務を任されたのだ。
声はほんの少しかすれてはいるが、口調ははっきりしているからとっくに目は覚めているだろうにイゾウさんは頑なに寝ころんだまま起き上がらない。なんで起きないんですか、と聞けば「頭が働いてねェまま表に出るわけにいかねェだろ」と。つまり、口調ははっきりしてるが体はまだ寝ているということか。
「頭が働いてないとどうなるんですか?」
「壁にぶつかる」
本気か冗談か。いずれにせよベタな寝ぼけた行動を上げられ一瞬固まった。それから可笑しくて声を立てて笑えばするりときれいな、だけど男性らしい筋の通った手が私のそれを取った。
「おめえさんが手を引いて連れてってくれるって言うならいいぜ?」
「言いましたね」
本人は戯れ事だったのだろうが、イゾウさんの揶揄うような言葉選びはもう慣れた。
私は取られた手を笑顔で握り返すと力一杯引っ張った。
「すげー……イゾウがいるわ」
「黙れサッチ」
「ああ、機嫌が悪いのは変わんねェのな?」
言われた通り手をつないで食堂に入れば、4番隊のコックの方たちが信じられないものを見た、と言わんばかりに動きを止めたり、皿や調理器具を落としたりする音がしたが大丈夫だろうか。
食堂まで連れてきたら本人もあきらめたのか、逆に私を引っ張るようにカウンターに座らせ、自身もおとなしくその横に座る。非常に不機嫌そうではあるが朝食は食べてくれるらしい。だが、サッチさんが出してくれた朝食にいただきます、と手を付ければ横からかしゃんと音がして見ればフォークを取り落としたイゾウさんが動きを止めていて。
「……大丈夫です?」
「眠いって言っただろう」
「そこまでとは思いませんでした」
苦虫をかみつぶしたような顔に少しだけ同情。なるほど、普段余裕ある行動をする人だから余計にこういううっかりなところは珍しいし、それを家族に見られるのは嫌だったのか。
ちらりとサッチさんを見れば、ぱちぱちと瞬きしている。それに気づいているのかいないのか、フォークを落としてもう食べる気を失ったと言わんばかりのイゾウさんは溜息をついて頬杖をつき、瞼が落ち始めた。いや、待って。ここまで来て寝るんじゃない。
溜息をついてイゾウさんのコーヒーカップを引き寄せた。砂糖を二杯とミルクを少し入れてぐるぐるかき混ぜ差しだせば、条件反射のように受け取って口にする。
「……うまい」
「甘すぎないですか」
「あー……平気だ」
ちょうどいい、と頭をぽすぽす撫でてきた彼は少し目が覚めたのか乱雑に頭をかくとさっき落としたフォークを拾った。起こしてそのまま引っ張ってきたからまだ結われていない黒髪がかがんだときにカーテンのように揺れる。食べるのに邪魔だろうと腕につけていた予備のヘアゴムを差しだせば、すすっと寄せられる顔に思わず半眼。結んでくれ、とな?なぜ……。自分でやってくださいよ、ともう一度差しだすも動く気が全く見えないものだから私が折れた。
「もう目は覚めたでしょう?」
「片手が塞がってる」
「サッチさん、新しいフォークもらえます?」
「お、おう……」
なぜかたじろいだサッチさんに首を傾げれば「そんなイゾウ見たことねえぞ」と気持ち悪いものを見たという顔。そんなってどんなだ。
フォークを受け取ってもイゾウさんは食べ始めず、私が髪を結い終わって一緒に食べ始めるから、律儀な人だなあと思っていれば、ひょいとトマトに似た野菜が皿に転がってきた。
「……好き嫌いとか子供ですか」
「それだけだ」
「コーヒーじゃなくてココアにしてもらったらどうです?」
「おめえさんが淹れてくれるならな」
「私がキッチンに入るわけにはいかないですよ」
「いや、ユリトちゃんなら気にしねェけどよ?イゾウ甘いの好きなわけ?」
「ものによる」
しゃくしゃくと野菜を咀嚼しながらものによるって言うか、普通に甘いもの好きですよね、と心の中で突っ込む。コーヒーが飲めないわけではないらしいが好んでは飲んでいないようだし、紅茶には砂糖を入れているのをよく見る。書類仕事をしてる時には飴か金平糖を転がしていて、こっちにもあるのか、と思ったのは一度や二度ではない。
「好きなもの隠してるんですか?」
「別に隠しちゃいねえさ。言う機会もなければ気づくやつもいねェだけだ」
「言わなきゃわかんないですよ」
「おめえさんは気づいたろ」
黒い目玉で横目に見られ、私は肩を竦めた。それはたぶん私が日本人だからだ。おもてなしの精神、いや、気づかいの鬼。空気を読む、察する能力を無駄に必要とする土地で育てば、普通に気づくレベルでイゾウさんはたいして分かりにくくもない。本人が言うように隠してないのだから。
「俺っちイゾウが甘いもん好きってのは初耳だわ」
「こいつが嫌いって言うのは知ってて出してたのか」
私の皿に移した赤い野菜を指させば、にいっとしてやったりと笑うサッチさん。
「海で好き嫌いは許しませーん!!」
「死ね」
「いぞーさん」
今にも掴みかからんという勢いの彼を呼べば、こっちを向くきれいな顔。けだるげな空気が大分抜けているから目が覚めてよかったなあ、と思いながら「なんだ」と言おうとしたのだろう口にずぼっと。
「私も好き嫌いはよくないと思います」
よっぽど嫌いなのか身悶えるイゾウさんと、大笑いするサッチさんの声が食堂に響いた。