10.小柄な剣士は兎を守る
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10-2
「と、言うことなんですよ」
「命知らずだな、お前……」
イゾウさんに言って16番隊の方に混じって雑用をさせてもらうことになり、今は洗濯。大所帯だから洗濯物の量は多く、手伝うと言ったら隊員の方たちも嬉しそうにしてくれた。
無言で洗濯をするのも可笑しいので、せっかくだからと朝の一件をヴァントさんに話せばなぜか化け物を見た、と言う目で見られドン引きされた。なんでもイゾウさんにそれをやるのは勇者だとかなんとか。俺たちがやったら殺されている、と身震いまでされるのだから大げさだ。
「いや、まじでイゾウ隊長は容赦ねえから」
「例えば?」
「二日酔いでも飯は食わされるし鍛錬は厳しくなる」
「自業自得じゃないですか」
いやほんときついんだって!!と叫ばれるが、私は半眼。その話においてはイゾウさんが正しい。ご飯を食べなきゃ鍛錬について行けないだろうし、鍛錬自体が厳しくなるのは欲におぼれて体調不良になったのだから妥当な罰だ。そう言えばヴァントさんは口をとがらせてしまったけれど、イゾウさんは優しい方だと思う。
だってこないだ雑用をさぼったらしい一番隊の隊員がマルコさんに吹っ飛ばされていたのを見た。聞けば手合わせをしていただけらしいのだけれど、船の一部が損傷するぐらい派手にやり、しかもその修理は自分でやれと言うのだから愛の鞭が痛いというかなんというか。
「あーでも、一番厳しいのはハルタ隊長かもな」
「そうなんですか?」
「厳しいってか、難しい?ほら、俺たちはあんまり賢くねえからさ」
顎に手を当てて首をかしげるヴァントさんはハルタさんの話す内容がいつもピンとこないらしい。私もハルタさんとはあまり話せていないからそうなのかと相槌を打つぐらいしかできないが。
「隊によって個性がありそうですね」
「おーそうだぜ。大抵船に乗ったらはじめは一番隊に入れられてな、そっからマルコ隊長が判断して隊の所属が決まるんだ」
1番隊はバランス重視でインテリ系もいれば、戦闘系もいる。2番隊は戦闘系ばかり集めて特攻に優れていて、3番隊は陽動が得意。4番隊は戦うコックの集まりで……なんてヴァントさんがすべて説明してくれたが、まとめると扱う武器と本人と隊長との相性で配属が決められているようだ。一応希望も聞いてもらえるそうだが、ヴァントさんはどこでもいいと言ったらしく武器が銃だから16番隊になったと笑った。
「銃扱える奴はどの隊にもいるけどな、腕はイゾウ隊長が一番だし16番隊でよかったと思ってるぜ」
「そうですか。そう言えばあれ順調ですか?」
「お?ああ、平気だぜ!」
任せておけ!と言ってくれたヴァンとさんと雑談もそこそこに別れ、洗濯ものを抱えて甲板に出る。私は体が小さいからと衣類とかタオルとか小さなものを頼まれて、甲板に貼られているロープに干すように言われた。
今日は天気がいい。上を見上げれば青い空。大きな船だからマストが何本かあるのだけれど、メインマストの上の方に何か揺れているものを見つけて私は目を細めた。
白い……マフラーかな。端の方が膨らんでいて、ぴらぴらと風を受けている。じいっと見ていれば一瞬それが引っ込んで。
「見すぎ」
顔が見えたと思ったら一切の躊躇なく降りてきたのはハルタさんだった。目の前にストンと降りてきたものだから全く動けずにいれば「間抜け面」と鼻をつつかれる。
「さぼれるぐらい暇なわけ?」
「いえ、今から洗濯物を干すところです」
「じゃあさっさと干しなよ」
そういってハルタさんはひょいと身軽に近くの柵に腰かけた。降りてきたのだからどこかに行くと思ったのだけれど、そこから動くつもりはないらしくじいっとこちらを見ている。……大して面白くなんてないと思うのだけれど何だろうか。
気にしても仕方ないか。別に邪魔ではないので気にせず洗濯物を干せば、風が吹いて洗濯物がはためいた。ついでに私の首から下げている部屋の鍵も揺れて、飾りにつけられている鈴がちりんと鳴った。
「ねえ」
呼びかけに振り返れば猫のような目がまっすぐにこっちを見ていた。片膝を立ててそこに肘をついた姿勢で、じいっと。私を呼んだと思うのだけれど、その先に続く言葉がなくて首を傾げればなぜか溜息一つ。
「君、いつまでいるの?」
見ようによっては不機嫌そうに見える表情でそう聞かれ、何と答えるか迷って頬を掻けば「ねえ、いつ?」ともう一度。
「……分かりません」
「でも帰るんでしょ?」
「そうしたいとは思っています」
「じゃあなんで帰らないの?」
なんで。それは。
言葉に詰まればトンとハルタさんが甲板に足を付けた。ハルタさんは小柄だが、私よりは背が高い。にっこりとイゾウさんともエースさんとも違う笑みは誰よりも手本のような笑みで、それでいて誰よりも作り物めいた笑みでなぜか居心地が悪くて、でも不思議なことに逃げようにも目をそらせない。あれだ。なぜか先生に隠し事がばれたみたいな居心地の悪さがじわじわと胸から広がっていく。
「ねえ」と、少しだけかがむようにして耳に寄せられた声。まるでお茶にでも誘う様に明るく、楽し気なのになぜか後ずさりしたくなるほど不気味で。不安が胸を占めてどうすればいいのかと焦ったけれど。
「僕が帰してあげようか」
落とされた言葉に不安と恐怖はすべて散発した。
「できるなら、ぜひ」
私の答えが意外だったのか猫のような目が怪訝そうに揺らいだ。私はまあそうだよなあと苦笑。それがどう見えたのかは知らないがハルタさんは眉を寄せた。
「え、君ってマゾヒストだったりする?」
「いや、あんまり痛いのは好きじゃないですね」
「僕の言ってること分かるよね?僕は君のこと殺してあげようか、って言ったんだよ?」
はい、分かっています。だから、「できるなら」と言いました。
「試してみてもいいですよ。でも、たぶんできないと思います」
「……僕をなめてるってわけじゃなさそうだね」
「はい」
私ができるだけ力を抜いてハルタさんに両手を広げれば彼はぱちぱちと目を瞬かせた。しっかりうなずけば私が真面目に言っていることが分かったのか、ハルタさんは真剣な表情で剣を抜いた。切っ先を向けられただけで体がこわばるが、だからこそ私は確信していて。
バチッ!!
派手な音がして剣がはじかれた。見開かれた目に私はまた苦笑い。
「何、それ……」
「分からないんですけどこうなるんですよね」
「何それ……!」
かしゃんと剣をしまいハルタさんは複雑な顔で私を見た。
その表情を見て確信した。不気味な笑顔。叱られるような居心地の悪さ……すべてきっと演技だ。
「……死ねないの?」
確認するような声に私はうなずく。
「おそらく」
「帰りたいんでしょ?」
「はい」
まっすぐに向けられる目からそらさずにいれば、ぎゅうっと手を握られた。「あいつ……」とつぶやいたかと思うと、舌打ち。それからキッと私をにらみつけた。早い表情変化に目を瞬かせれば、口から飛び出してきたのは怒号の勢いの文句で。
「僕はつまらない子は嫌いなの!イゾウなんかに助けられちゃってさ、いいようにここに置かれようとしてるんだもの!つまらないにもほどがあるよ!君バカでしょ!?本当に馬鹿!帰りたいなら引き留められる前に降りればいいのに!」
ハルタさんには私が船に乗ってからずっとそっけない態度をとられていた。と言ってもほかの人に比べて、だが。マストの上によくいるのは知っていたけれど、話したことはほとんどなくて。でもたまに廊下ですれ違う時は挨拶ぐらいはするし別に嫌われているとかそういう雰囲気ではなかったから特に気にしてはいなかったのだが……やっぱり優しい人だった。
せめてマルコにしておけばよかったのに!!と地団太を踏むハルタさんはなぜマルコさんなのかは分からないが、どうやら本気で私を殺そうと、もとい「帰そうと」してくれていたのだろう。けれどそれができなくて、怒っている。私は思わず口元が緩んだ。ふふっと笑いを溢せば、頬をつねられ引き延ばされて。さっきとは違い呆れているような咎めているような目がこっちをじとっと見る。
「のんきに笑ってる場合じゃないでしょ」
「いやでもどうしようもないですし」
「帰りたいならどうにかして帰りなよ。ここはそんな平和ボケして、いつも阿保面な人間が生きていける場所じゃない」
「阿保面」
剣だこのできた手が私の頬を包み、私とハルタさんの間を風が吹き抜けた。誘われるように顔を船首の方に向ければ大海原と言う言葉がふさわしい青が広がっていて、揺れる海面がキラキラと太陽の光を反射させていて美しかった。この海でこの人たちは戦うのだ。この海の楽しさも怖さも知っているからこそ彼は帰れと言うのだろう。
怖い思いをしないうちに帰してあげるよ、そう彼は言ったのだ。
「つまらない子は嫌いだ」と言う小さな理由をつけて彼は私を殺そうとした。その小さな理由がなければ死ねたかもな、と思ったけど口にはしない。
「君はどうして帰りたいの」
大分落ち着いたのか一度大きく息を吐いたハルタさんははじめのようにまた柵に腰を掛けてそう聞いてきた。
そういえば帰りたいとは言っていたけど、どうして帰りたいのかは言っていなかったなあなんて、残っていた洗濯物を手に取った。少し大きめの白いタオルをはたいてロープにかける。
「両親がいるんです」
ただ一言。帰りたい理由をそっと口にした。とっておきの宝物を見せるように、そうっと落とした言葉を彼は拾えただろうか。
息を飲んだその表情をみて、私は静かに笑った。ほかの人たちには秘密ですよと指をあてればなんで、と聞かれて。
「イゾウさんが俺以外には『私は家族じゃないですよね』と言うなと言われているので」
「……どうして僕には話したの?」
「だって『帰れ』って言ってくれたじゃないですか」
だれも私に帰れとは言わない。別にいればいいじゃないか、と笑ってくれるのは嬉しいことだけどその笑顔を裏切るのは何となく嫌で。
ハルタさんがうなり、理解しがたい言わんばかりにと口を尖らせて柵を蹴った。
「……お人よし」
「私の世界だと私のような人間が沢山いますよ」
「そんなんだとすぐ死ぬよ」
「だといいんですけど」
紛れ込んでしまったのか、大きなシーツが洗濯籠に入っていた。一緒に干してしまえばいいかと広げた瞬間風が吹いて、大きなシーツが帆のように広がったせいで煽られた。前も見えないのにたたらを踏むのは危ないとどうにか踏ん張ろうとした瞬間、シーツが手元から消えた。
「僕は君が望む限り、君を殺すよ」
シーツを奪ったのはハルタさん。
セリフは真逆だけれど、そのセリフは確かに私の気持ちを尊重していて守るような言葉にそっと心が救われた気持ちがした。服装も相まって、まるで騎士のようだな、と思った。
ハルタさんの言葉はまっすぐだ。剣士だからなのか言葉も切れる。要点を切り抜いただけの言葉が言葉足らずかもしれないし、たまに痛いかもしれないが何も偽ることがないそれはそのまま受け取ればいいのだから何も難しいことはないな、と私は思った。
「ありがとうございます」
笑って礼を言えば、ぱちんとハルタさんが留め具を鳴らし、この話は終わりだと言うように、そう言えばと切り出された。
「さっき隊員に頼んでたもの何?」
「なんの話ですか?」
「ほら、16番隊の隊員に言ってたでしょ」
思い当たるのが一つしかないのでとりあえずしらを切ったが、とぼけるなと言う雰囲気にひくっと口がひきつった。
聞かれているのはたぶんヴァントさんとの会話のことだ。あれは船内で話していたはずだったけどいつ聞いたのだろうかと首をかしげたがハルタさんはにっこりと笑うだけで教えてくれなかった。……怖い。
「いや、その。なんでもないですよ?」
「へえ、教えてくれないんだー?イゾウに言ってもいい?」
「なんでイゾウさんが出てくるんですか」
「言ってこよ」
「だめです!」
本当に踵を返そうとするものだからあわてて腕を掴んで止めた。離せばこの人は確実にイゾウさんのもとに行き、告げ口するだろう。なんて言うかは分からないけどたぶん「あの子なんかこそこそしてるよ」ぐらい言われてしまえば私に逃げ場はない。
にこにことかわいらしい笑みがさっきより憎らしく見えるのは仕方ない。たぶんハルタさんになら言っても平気だとは思うのだけど、万が一反対されたらと考えると……。
「うだうだしてないで早く言ってくれる?」
「はい、すみません」
すっぱり切られて私は耳に顔を寄せた。ハルタさんみたいにどこで誰が聞いているかも分からないから。楽し気に少しかがんでくれたハルタさんは私の話にふうん、とうなずいて「いいんじゃない」とあっさり肯定した。
「僕も協力してあげるよ」
「本当ですか!」
「嘘ついてどうすんの」
また鼻をつつかれて「面白そうだしね」と笑うハルタさん。私は詳細を伝えて頭を下げた。
「マルコなんかはめんどくさいもんね」
「めんど……いや、察しがいい方なので難しいって言うか」
「はっきり言えばいいのに。いいよ、任せといて」
にこにこ笑顔は味方であればとても頼もしい。船内からハルタさんを呼ぶ声がして、ハルタさんは私の手の甲を一撫ですると船内に戻った。
上を見上げれば青い空。耳を傾ければ人の声。
「つまんない子、か」
面白い子はどんな子なんだろ。そんなことを思いながら私は残りの洗濯物を干した。
「と、言うことなんですよ」
「命知らずだな、お前……」
イゾウさんに言って16番隊の方に混じって雑用をさせてもらうことになり、今は洗濯。大所帯だから洗濯物の量は多く、手伝うと言ったら隊員の方たちも嬉しそうにしてくれた。
無言で洗濯をするのも可笑しいので、せっかくだからと朝の一件をヴァントさんに話せばなぜか化け物を見た、と言う目で見られドン引きされた。なんでもイゾウさんにそれをやるのは勇者だとかなんとか。俺たちがやったら殺されている、と身震いまでされるのだから大げさだ。
「いや、まじでイゾウ隊長は容赦ねえから」
「例えば?」
「二日酔いでも飯は食わされるし鍛錬は厳しくなる」
「自業自得じゃないですか」
いやほんときついんだって!!と叫ばれるが、私は半眼。その話においてはイゾウさんが正しい。ご飯を食べなきゃ鍛錬について行けないだろうし、鍛錬自体が厳しくなるのは欲におぼれて体調不良になったのだから妥当な罰だ。そう言えばヴァントさんは口をとがらせてしまったけれど、イゾウさんは優しい方だと思う。
だってこないだ雑用をさぼったらしい一番隊の隊員がマルコさんに吹っ飛ばされていたのを見た。聞けば手合わせをしていただけらしいのだけれど、船の一部が損傷するぐらい派手にやり、しかもその修理は自分でやれと言うのだから愛の鞭が痛いというかなんというか。
「あーでも、一番厳しいのはハルタ隊長かもな」
「そうなんですか?」
「厳しいってか、難しい?ほら、俺たちはあんまり賢くねえからさ」
顎に手を当てて首をかしげるヴァントさんはハルタさんの話す内容がいつもピンとこないらしい。私もハルタさんとはあまり話せていないからそうなのかと相槌を打つぐらいしかできないが。
「隊によって個性がありそうですね」
「おーそうだぜ。大抵船に乗ったらはじめは一番隊に入れられてな、そっからマルコ隊長が判断して隊の所属が決まるんだ」
1番隊はバランス重視でインテリ系もいれば、戦闘系もいる。2番隊は戦闘系ばかり集めて特攻に優れていて、3番隊は陽動が得意。4番隊は戦うコックの集まりで……なんてヴァントさんがすべて説明してくれたが、まとめると扱う武器と本人と隊長との相性で配属が決められているようだ。一応希望も聞いてもらえるそうだが、ヴァントさんはどこでもいいと言ったらしく武器が銃だから16番隊になったと笑った。
「銃扱える奴はどの隊にもいるけどな、腕はイゾウ隊長が一番だし16番隊でよかったと思ってるぜ」
「そうですか。そう言えばあれ順調ですか?」
「お?ああ、平気だぜ!」
任せておけ!と言ってくれたヴァンとさんと雑談もそこそこに別れ、洗濯ものを抱えて甲板に出る。私は体が小さいからと衣類とかタオルとか小さなものを頼まれて、甲板に貼られているロープに干すように言われた。
今日は天気がいい。上を見上げれば青い空。大きな船だからマストが何本かあるのだけれど、メインマストの上の方に何か揺れているものを見つけて私は目を細めた。
白い……マフラーかな。端の方が膨らんでいて、ぴらぴらと風を受けている。じいっと見ていれば一瞬それが引っ込んで。
「見すぎ」
顔が見えたと思ったら一切の躊躇なく降りてきたのはハルタさんだった。目の前にストンと降りてきたものだから全く動けずにいれば「間抜け面」と鼻をつつかれる。
「さぼれるぐらい暇なわけ?」
「いえ、今から洗濯物を干すところです」
「じゃあさっさと干しなよ」
そういってハルタさんはひょいと身軽に近くの柵に腰かけた。降りてきたのだからどこかに行くと思ったのだけれど、そこから動くつもりはないらしくじいっとこちらを見ている。……大して面白くなんてないと思うのだけれど何だろうか。
気にしても仕方ないか。別に邪魔ではないので気にせず洗濯物を干せば、風が吹いて洗濯物がはためいた。ついでに私の首から下げている部屋の鍵も揺れて、飾りにつけられている鈴がちりんと鳴った。
「ねえ」
呼びかけに振り返れば猫のような目がまっすぐにこっちを見ていた。片膝を立ててそこに肘をついた姿勢で、じいっと。私を呼んだと思うのだけれど、その先に続く言葉がなくて首を傾げればなぜか溜息一つ。
「君、いつまでいるの?」
見ようによっては不機嫌そうに見える表情でそう聞かれ、何と答えるか迷って頬を掻けば「ねえ、いつ?」ともう一度。
「……分かりません」
「でも帰るんでしょ?」
「そうしたいとは思っています」
「じゃあなんで帰らないの?」
なんで。それは。
言葉に詰まればトンとハルタさんが甲板に足を付けた。ハルタさんは小柄だが、私よりは背が高い。にっこりとイゾウさんともエースさんとも違う笑みは誰よりも手本のような笑みで、それでいて誰よりも作り物めいた笑みでなぜか居心地が悪くて、でも不思議なことに逃げようにも目をそらせない。あれだ。なぜか先生に隠し事がばれたみたいな居心地の悪さがじわじわと胸から広がっていく。
「ねえ」と、少しだけかがむようにして耳に寄せられた声。まるでお茶にでも誘う様に明るく、楽し気なのになぜか後ずさりしたくなるほど不気味で。不安が胸を占めてどうすればいいのかと焦ったけれど。
「僕が帰してあげようか」
落とされた言葉に不安と恐怖はすべて散発した。
「できるなら、ぜひ」
私の答えが意外だったのか猫のような目が怪訝そうに揺らいだ。私はまあそうだよなあと苦笑。それがどう見えたのかは知らないがハルタさんは眉を寄せた。
「え、君ってマゾヒストだったりする?」
「いや、あんまり痛いのは好きじゃないですね」
「僕の言ってること分かるよね?僕は君のこと殺してあげようか、って言ったんだよ?」
はい、分かっています。だから、「できるなら」と言いました。
「試してみてもいいですよ。でも、たぶんできないと思います」
「……僕をなめてるってわけじゃなさそうだね」
「はい」
私ができるだけ力を抜いてハルタさんに両手を広げれば彼はぱちぱちと目を瞬かせた。しっかりうなずけば私が真面目に言っていることが分かったのか、ハルタさんは真剣な表情で剣を抜いた。切っ先を向けられただけで体がこわばるが、だからこそ私は確信していて。
バチッ!!
派手な音がして剣がはじかれた。見開かれた目に私はまた苦笑い。
「何、それ……」
「分からないんですけどこうなるんですよね」
「何それ……!」
かしゃんと剣をしまいハルタさんは複雑な顔で私を見た。
その表情を見て確信した。不気味な笑顔。叱られるような居心地の悪さ……すべてきっと演技だ。
「……死ねないの?」
確認するような声に私はうなずく。
「おそらく」
「帰りたいんでしょ?」
「はい」
まっすぐに向けられる目からそらさずにいれば、ぎゅうっと手を握られた。「あいつ……」とつぶやいたかと思うと、舌打ち。それからキッと私をにらみつけた。早い表情変化に目を瞬かせれば、口から飛び出してきたのは怒号の勢いの文句で。
「僕はつまらない子は嫌いなの!イゾウなんかに助けられちゃってさ、いいようにここに置かれようとしてるんだもの!つまらないにもほどがあるよ!君バカでしょ!?本当に馬鹿!帰りたいなら引き留められる前に降りればいいのに!」
ハルタさんには私が船に乗ってからずっとそっけない態度をとられていた。と言ってもほかの人に比べて、だが。マストの上によくいるのは知っていたけれど、話したことはほとんどなくて。でもたまに廊下ですれ違う時は挨拶ぐらいはするし別に嫌われているとかそういう雰囲気ではなかったから特に気にしてはいなかったのだが……やっぱり優しい人だった。
せめてマルコにしておけばよかったのに!!と地団太を踏むハルタさんはなぜマルコさんなのかは分からないが、どうやら本気で私を殺そうと、もとい「帰そうと」してくれていたのだろう。けれどそれができなくて、怒っている。私は思わず口元が緩んだ。ふふっと笑いを溢せば、頬をつねられ引き延ばされて。さっきとは違い呆れているような咎めているような目がこっちをじとっと見る。
「のんきに笑ってる場合じゃないでしょ」
「いやでもどうしようもないですし」
「帰りたいならどうにかして帰りなよ。ここはそんな平和ボケして、いつも阿保面な人間が生きていける場所じゃない」
「阿保面」
剣だこのできた手が私の頬を包み、私とハルタさんの間を風が吹き抜けた。誘われるように顔を船首の方に向ければ大海原と言う言葉がふさわしい青が広がっていて、揺れる海面がキラキラと太陽の光を反射させていて美しかった。この海でこの人たちは戦うのだ。この海の楽しさも怖さも知っているからこそ彼は帰れと言うのだろう。
怖い思いをしないうちに帰してあげるよ、そう彼は言ったのだ。
「つまらない子は嫌いだ」と言う小さな理由をつけて彼は私を殺そうとした。その小さな理由がなければ死ねたかもな、と思ったけど口にはしない。
「君はどうして帰りたいの」
大分落ち着いたのか一度大きく息を吐いたハルタさんははじめのようにまた柵に腰を掛けてそう聞いてきた。
そういえば帰りたいとは言っていたけど、どうして帰りたいのかは言っていなかったなあなんて、残っていた洗濯物を手に取った。少し大きめの白いタオルをはたいてロープにかける。
「両親がいるんです」
ただ一言。帰りたい理由をそっと口にした。とっておきの宝物を見せるように、そうっと落とした言葉を彼は拾えただろうか。
息を飲んだその表情をみて、私は静かに笑った。ほかの人たちには秘密ですよと指をあてればなんで、と聞かれて。
「イゾウさんが俺以外には『私は家族じゃないですよね』と言うなと言われているので」
「……どうして僕には話したの?」
「だって『帰れ』って言ってくれたじゃないですか」
だれも私に帰れとは言わない。別にいればいいじゃないか、と笑ってくれるのは嬉しいことだけどその笑顔を裏切るのは何となく嫌で。
ハルタさんがうなり、理解しがたい言わんばかりにと口を尖らせて柵を蹴った。
「……お人よし」
「私の世界だと私のような人間が沢山いますよ」
「そんなんだとすぐ死ぬよ」
「だといいんですけど」
紛れ込んでしまったのか、大きなシーツが洗濯籠に入っていた。一緒に干してしまえばいいかと広げた瞬間風が吹いて、大きなシーツが帆のように広がったせいで煽られた。前も見えないのにたたらを踏むのは危ないとどうにか踏ん張ろうとした瞬間、シーツが手元から消えた。
「僕は君が望む限り、君を殺すよ」
シーツを奪ったのはハルタさん。
セリフは真逆だけれど、そのセリフは確かに私の気持ちを尊重していて守るような言葉にそっと心が救われた気持ちがした。服装も相まって、まるで騎士のようだな、と思った。
ハルタさんの言葉はまっすぐだ。剣士だからなのか言葉も切れる。要点を切り抜いただけの言葉が言葉足らずかもしれないし、たまに痛いかもしれないが何も偽ることがないそれはそのまま受け取ればいいのだから何も難しいことはないな、と私は思った。
「ありがとうございます」
笑って礼を言えば、ぱちんとハルタさんが留め具を鳴らし、この話は終わりだと言うように、そう言えばと切り出された。
「さっき隊員に頼んでたもの何?」
「なんの話ですか?」
「ほら、16番隊の隊員に言ってたでしょ」
思い当たるのが一つしかないのでとりあえずしらを切ったが、とぼけるなと言う雰囲気にひくっと口がひきつった。
聞かれているのはたぶんヴァントさんとの会話のことだ。あれは船内で話していたはずだったけどいつ聞いたのだろうかと首をかしげたがハルタさんはにっこりと笑うだけで教えてくれなかった。……怖い。
「いや、その。なんでもないですよ?」
「へえ、教えてくれないんだー?イゾウに言ってもいい?」
「なんでイゾウさんが出てくるんですか」
「言ってこよ」
「だめです!」
本当に踵を返そうとするものだからあわてて腕を掴んで止めた。離せばこの人は確実にイゾウさんのもとに行き、告げ口するだろう。なんて言うかは分からないけどたぶん「あの子なんかこそこそしてるよ」ぐらい言われてしまえば私に逃げ場はない。
にこにことかわいらしい笑みがさっきより憎らしく見えるのは仕方ない。たぶんハルタさんになら言っても平気だとは思うのだけど、万が一反対されたらと考えると……。
「うだうだしてないで早く言ってくれる?」
「はい、すみません」
すっぱり切られて私は耳に顔を寄せた。ハルタさんみたいにどこで誰が聞いているかも分からないから。楽し気に少しかがんでくれたハルタさんは私の話にふうん、とうなずいて「いいんじゃない」とあっさり肯定した。
「僕も協力してあげるよ」
「本当ですか!」
「嘘ついてどうすんの」
また鼻をつつかれて「面白そうだしね」と笑うハルタさん。私は詳細を伝えて頭を下げた。
「マルコなんかはめんどくさいもんね」
「めんど……いや、察しがいい方なので難しいって言うか」
「はっきり言えばいいのに。いいよ、任せといて」
にこにこ笑顔は味方であればとても頼もしい。船内からハルタさんを呼ぶ声がして、ハルタさんは私の手の甲を一撫ですると船内に戻った。
上を見上げれば青い空。耳を傾ければ人の声。
「つまんない子、か」
面白い子はどんな子なんだろ。そんなことを思いながら私は残りの洗濯物を干した。