Marry me!(前編)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「目、真っ赤じゃの」
「……泣いてません」
「声も掠れておいでですわ」
「ないてません!」
ふぅ、と吐いた二人のため息は自然と揃った。
豊臣軍と小田原での和解以来、基本的に上田に身を寄せていた朱音だったが今は単身で飛び出し、甲斐の躑躅ヶ崎館に訪れていた。
そこで仕える長く親しい女中のひかりに事の経緯を戸惑いがちに説明すると、当人間だけでは解決は難しいと判断され、お館様にも相談するまでに至った。
先日土佐を物見遊山として訪れた際に長曾我部軍に仕える『オヤジ』の娘、ふねに結婚について問われ、上田に戻るや否や、間をおかず求婚された。想定していなかった事態が怒涛の勢いで押し寄せてきたようなものなのだ。
「何をそう悩んでおるのじゃ、朱音」
「……幸村はお武将様です。元より、身寄りのないわたしを後見してくださっているのに、返せないほどの御恩なのに、こんな…、これ以上なこと…!」
「幸村様も奥手ですからね。どうやら常日頃から気持ちの伝え方に問題がありましたわね」
「容易に想像がつくのう。朱音よ、お主は幸村との身分の隔たりを気にしておるのじゃな」
暗く、泣き腫らした瞳を隠すように頷いた。
『あまりにも短慮!お武将様としてそんな判断、信じられません!』
『な、ならば何者であれば納得するのだ!どの国、どの大名の娘御ならば良いと言うのだ!』
『知りません!乱世の趨勢など、わたしが細かに知るはずがないでしょう!』
『待たれよ!何処へ行く!』
『ついて来ないで!幸村の―――――馬鹿もの!』
飛び出す直前まで続いた喧嘩の末にそう言い放った。
初めて幸村に怒りをぶつけてしまった。大人げなく感情的に、それも自分の大嫌いな大声で圧するように。嫌いな事に嫌いな事を重ねた。大好きな人なのに、叩き付けた仕打ちはあんまりであると既に自覚していた。
(……最低、)
「では、その身分を取り払って一度これまでを振り返ってみよ。さすれば、幸村の想いも知れよう」
「……み、身分、をですか。けれど実際そんなことは、」
「意地を張るでない、朱音。そう難しく構えるでない、ただの空想と思えばよい」
そうは言われても、それはきっと触れただけで壊れてしまいそうな何かだ。なんとなくそんな確信をして、一呼吸よりも僅かな間で夢想を諦めた。見守るようにあたたかな視線を送ってくれるお館様とひかりに申し訳なく思うが、どうにもできそうになかった。
「……わか、りません、」
情けないがこれが今の正直な思いだ。
わからない上に、自分の事として想像すらしたことない世界だった。
本当に、今の今まで、一度たりとも考えたことがなかったのだ。
名を知る必要のない誰か達ではなく、特別である唯一の一人と手を取り合い生きていくことなど。
生活に苦しむ事も多くあるが、それをも共に乗り越えていける程の絶対の信頼関係。心を許しあい、協力していく仲。やがて子を育てながら、共に一生懸命に生きていく。そんな相手。
*
「それなら幸村がぴったりじゃねぇか!」
「本当にそうよ。いつかこんな時が来るとは思ってたけど……朱音、どうしてそんなに悲しそうなお顔をするの?」
「そんな顔してますか、」
「だいぶ、だいぶ、暗いわ」
意地なのか何なのかよくわからないものに心を締め付けられていた朱音は、様々な人からの意見を聞いてみよ、とお館様に提案された。
こんな気持ちのまま当然上田には帰れまい。土佐から戻った直後に喧嘩して飛び出して、甲斐まで単身馬で駆けた翌日には次なる加賀へと発った突然にして怒涛の旅路。
戦線を離れていくらかの年月が経っているというのに明らかに自らの体調諸々無視した行動に慶次が心配そうにため息を吐いた。
「ひとまず身体を休めなよ、朱音。もし幸村からの遣いや文が届いてもここに居る事は内緒にするから」
口を開けば恋せよ人類。いつでもそんな調子の慶次が真っ先にそう言ったのだから余程酷い様子なのだろう。力なく頷いた。朱音はそっと手を引いてくれたお市の膝の上で寝息を立て始めた。
お市は静かに眠り出した朱音の頭や身体を撫ぜるが、その眉間によった皺を取り除くことは今はできないようだ。
「不器用な子ね、朱音」
「本当にそうだな。考えた事がなかったっていうのも本当だろうし、……自分を許せないでいるのかも」
「許せない、って?」
「自分の幸せを一番後回しにする子だから。ううん、もしかしたら切り捨てていたってやつかもしれない。いつでも傍に人がいて、会いにいける人も沢山いる。それが朱音にとっては、今でも十分すぎるくらい幸せに思ってる。だからこれ以上はって、」
「……幸せを手にしたら、失っちゃうかもしれない、って、まだ思ってるのかな、」
「それもあるかも。……もう、どうしてそう思い詰めるんだよ。フラれる男の辛さ、絶対わかってないだろ、ろく」
お市の膝で眠る額をむくれ面の慶次が冗談っぽく小突く。それからそっと頬を撫でると再びため息をついた。
「……ゆ、きむら…、」
撫でられた刺激に反応してか、うわごとで呟かれたのはやはり彼の名だった。
慶次とお市は顔を見合わせた。やはり、そうなのだと。本人の自覚しない所で彼と共に居る事を望んでいるのだ、と。
「朱音、真田さんはここにはいないのよ。早く帰ってあげよう?」
「きっと朱音に会いたがってるよ、幸村」
「……、…しも、あい……、ゆきむら…」
「もう、本当にしょうがない」
「本当にね」
束の間だけに零れる素直な言葉。眠る頬に一筋の滴が伝った。
.