2.心
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ああ、生きているのか。
後頭部に残る痛みを感じながら、薄く目を開けた。
隣にお市はいなくて。
慶次が起こしてくれたわけでもなく。
はぐれたまま自分はこのよくわからない薄暗い狭い部屋まで連れて来られたのか。
床は存外冷たくはなく、確認したら畳だった。
身体に縄などの拘束器具はない。草鞋も履いたままだが、手荷物及び武器はなく、小さな格子扉には鍵が掛けられているようだ。
座敷牢。
つまり、逃げられない。
荷物の中には、武田からもらった刀や衣服も含まれている。
なんにせよ、
「戻りたい…」
ゆっくり上体を起こして、そう呟いていた。
それから、気配をとがらせた。
この気配はきっと、あの時の指揮官の青年だ。
「普通、逆じゃないのかい?」
純白、その一言を真っ先に連想させる容姿。
意識を失う直前と全く同じままの姿が、この牢の鍵を開けて入ってきた。
「……こうして捕まっている今の方が冷静でいられるんだね」
「………」
「そう睨まないでくれないか。…確かに、今の方が聞いていた様子に近いね」
あの時も言っていた。『聞いていた』と。
どういうことだ。自分とこの人は初対面のはず。少なくとも朱音にとっては彼に覚えはない。
そんな様子を気にする素振りもなく青年はただ告げる。
「君は使えるかもしれないからね。暫く、ここで人質になってもらうよ」
「『人質』ほどの価値、わたしにはございません」
「それはあくまで自己評価だろう?」
自分の評価は自分以外の人間によって決まるものだよ。と、優雅に笑んで見せる青年。
評価。朱音の価値。
仮に自分が人質になったら。
迷惑をかけてしまうのは、誰に。
それは―――――…
「本当はもっと早くに実行できてたはずなんだよ。君は僕の計画を狂わせた。おかげで各国の勢力に回復の時間を無用に与える羽目になった」
…記憶を失う前の自分の話ではない。
今までの自分の行動は、正直なところ一国の動きを抑制できるほどのものではないと理解できていた。
ほんの一匙の行動。何かを左右するほどではない。それでいて目の前の青年はさも重大なことのように言う。
つまり自分が彼に何らかの影響、阻害をしたというのならきっと何かの計画の初期段階、といったところか。
朱音が介入したことで、彼が内密に進めていた計画全てに遅れを生じさせた、という意味だろう。内密といえば……
「各国に放っていた諜報の為の忍衆…まあ、あの時は偵察程度の段階だったけど……手厚い接待をしてくれたのは、君だろう?」
思い当たることはある。
どちらも同じ場所で、だ。
「二人は捕まったけれど、残りは君と戦うより、戻って報告することを優先した――――――自分たちの任務の失敗と、武田には得体の知れない人間がいる、ということを知らせる為にね」
『どこの者かすらわからぬ』
言葉が理解できていなかった時期にそう言っていたのは、お館様だった。
あの時。ひかりと自分を襲った刺客は、彼の差金であったということだろう。
感情的な衝撃が身体の中を駆け巡る。
ビリビリと震える。彼の目的は、何だ。
「君は嘘がつけない性格だね。…ああ、僕は豊臣軍師、竹中半兵衛。これからよろしくね」
「何が目的ですか」
「目的ね。簡潔に言えばそこらの大名たちと何ら変わらないよ」
つまりは、天下。
「そんな大望を抱くというのなら尚更、わたしに人質になりうる価値はございません」
一人の幸せ。多くの民の幸せ。
天秤にかけるまでもなく、重さは歴然としている。
睨みつけるように竹中に言い放つが、彼に気持ちが揺らぐ気配は微塵もない。むしろ得意げに見下ろす。
「僕だって、いろいろ調べた上でこの選択をしているんだ。武田の守りは優秀だね。ただの小娘一人調べるのに予想以上の手間もかかったし」
「………」
「僕の狙いは、君を餌に武田に降伏させることじゃない。君の言うとおり、第一そんな取引が成り立つはずもない」
少しだけ、言葉を切った。
じっと朱音を見つめた。
その瞳には嘲りが浮かんでいた。
彼は捨てたんだ。
自らの望みの為に。
なのにその捨てるべきものに今更になって寄り添うこの娘は実に愚かだ。
何も残せないだろう。何も得られないだろう。何も守れないだろう。
「真田幸村君」
「………、」
彼女の瞳に明確な動揺が浮かんだ。伏せがちだった顔を上げた。
嫌な予感がして、気が付けば両の拳を握り締めていた。
「君とずいぶんと仲がいいみたいだね。そして彼は兵の素質、実力はあっても武将には向いていない性格をしている」
「彼は情に厚く、切り捨てることのできない人間だ。君を『きっかけに』武田の戦力に―――」
「―――、ふざけるなッ!」
幸村の優しさ、人柄の良さは確かに本来戦人には向いていない。そんな彼が戦場に立てるのは、戦場と日常の区別をしっかりつけたうえで生きているからだろう。そんな教育を受けていないのも相成って、それは決して朱音には為しえないことでもあり、二人の一番の違いともいえる、相容れない点である。
区別のつけられる幸村だからこそ、戦いとまだまだ彼にとっての日常に区分される傾向にある少女は混同できないだろう。
そうなってしまえば、彼は槍を取ることを躊躇う可能性が十分にある。
事実、朱音の知らぬ戦場で、怯え《人間らしさ》を見せた敵に幸村は相対した際、槍を振り下ろすのをためらいたくなる気持ちに襲われることもあった。
彼にもその区別が揺らぐ可能性は大いに存在する。人の上に立つ者としての彼は、まだ優しすぎる。そんな彼を惑わせる存在に朱音はなりたくない。身体に不愉快な熱が籠り、鼓動が激しく脈打つ。
「その憤怒を一方的に僕らのせいにするのは間違いだよ。自分の行いの責くらい、自分で取るものだ。嫌ならここを抜け出そうするなりなんなり足掻いていればいい」
「幸村は、幸村たちは関係ない!わたしの責だというのなら、負うのはわたしだけでいいはずでしょう!」
こんな言葉で言い返したってなんの反撃にもならない。都合の良さにすがる『情』に基づいた言い訳なんか。実際もう朱音と話す気はないのだろう。叫びは無視され竹中は背を向けて歩き出していた。
けれど一瞬だけ立ち止まって、低く呟くように告げた。
「半端な気持ちで誰かに縋るからこうなるんだよ。生温い場所を好んで仮初めの繋がりを求めることの何が楽しいんだい?」
「どうしてもというのなら、君がまた全部を拒絶すればいい。周りへの関心を無くして、独りで生きて、独りで還ればいい」
関わりを断ち切れば、誰にも迷惑は掛からないだろう。
それだけ言われると格子戸の鍵が閉まる音が耳に響いた。
どうしたらいいのかわからない。
今更、彼らを無関係に思えるはずがない。
自分をもう一度この世界を教えてくれたのに。
生きる理由をくれたのに。生きてる証をくれたのに。また会う約束もしたのに。
なのに、なのに、なのに………!
皆を傷つけたくない。苦しめたくないのに。
なのにわたしがその元凶になり下がるだなんて、嫌だ…!
心が死んで囚われたのはずっと幼い頃。
それが再び解放されて、命が確かに再生したというのなら。
それは幼いままで、今まで止まっていた分のものをどうしても強く求めてしまうのだ。
それは誰かを恋しく、大切に思うが故の甘えだった。
.