15.息吹き
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薄暗い視界。朝日がまだ覗かぬせいだ。
ひやりとした空気が容赦なく身体を刺す。思わず身震いをして縮こまった背中に打掛がそっと被せられた。
「せめて上に着ていくようにと前も言ったであろう」
「そうでしたね。なんだかさしけみたいですね」
「そなたがそそっかしい故だ」
打掛と共に冷えた両手で自分の身体を抱きしめるように腕を回すと、後ろから大きな体によって背中ごと包み込まれた。
「部屋に戻るか?」
「いいえ、もう少し朝の景色を見ていたいです」
「俺も動けないではないか」
「放っておいて構いませんよ」
「これ以上身体を冷やされては困る。風邪でも引けば…」
「ほんと、さしけみたいなお小言ですね、幸村」
「そなたのせいだ、朱音」
唇を尖らせ背中から耳打ちするように告げる幸村は保護者さながらの困り顔を浮かべている。
対象的に抱きすくめられている朱音はどこまでも柔く微笑み、浮世離れしたかのような穏やかな気配を纏っている。
やがて白んだ朝日が寄り添う二人を照らし始めた。
「幸村や、皆が一生懸命守ってくれるおかげですね」
「天下に名を響かせたそなたから言われれば本望だ。だが、」
幸村の頭がこつんと朱音の片肩に乗せられた。
短く切られた前髪が、ちくりと朱音の首元を刺し撫でた。
「まこと、まことに手のかかる子だな」
「あら、また言われてしまいましたか。どのあたりがです?」
「そういう察しておらぬ所、だっ」
グイ、と腰元に回していた幸村の腕に力が籠められるのを感じると一気に足が地面と離れた。
短い悲鳴が思わず上がるがお構いなしに幸村が抱き上げたまま、くるくる回り出す。
悲鳴はやがて楽しむ声に変わり、高揚した二人の声が静かな庭に響いた。
「楽しかったです」
「そういう所だぞ、朱音」
身体をおろし二人して玉砂利の上に尻もちをつくと、幸村の人差し指が朱音の額をつついた。先ほどとは異なり今度はお互いが翳りの無い笑顔を浮かべている。
「幸村はほんとうにしっかり者になりましたね」
「そなたと共に過ごしていれば、誰しもそうなろうぞ」
「そんなにでござるか」
「そんなにでござる。目を離した隙に何処に行くかわかったものではないからな。またあのような家出をされては敵わぬ」
全くしょうがない。と溜息をつく幸村は実のところまんざらでもなさそうだ。
見かねて朱音も得意げに胸を張る。
「だって、何処に行っても、必ず迎えに来てくれますもの」
「応、無論だ」
「頼りにしてます」
「まこと奔放だな。どうなっても知らぬぞ」
「構いませんよ。あなたになら、」
「……言ってくれる。くすぐるぞ」
「それはヤです!」
ぬっと手を伸ばした幸村から逃げるように素早く立ち上がろうとした朱音の体勢がよろめいた。躓いた足に引き摺られるように傾いた身体を幸村がこともなげに抱きかかえた。
「く、くすぐりはいやです!」
真っ先に捕縛された事に危機感を覚えた朱音が、声を上げる様子に思わずため息が出た。
「くすぐりは破廉恥です!さしけと同じですよ幸村!」
「……先ほどから、佐助佐助うるさいぞ、朱音」
ちょくちょく会話に挟み込まれる名前に、幸村も流石に不機嫌そうにむくれた。信頼する一番の部下であるものの、二人だけの時にはあまり聞きたくないらしい。本人に知れたら皮肉の一つや二つや十ばかりは間違いなく言われそうだが。
「俺を」
「はい?」
抱きかかえたままズイと顔を近づける幸村に朱音は思わずたじろぐ。腕で拘束されているが故にあまり距離を空ける事は叶わなかったが。
「俺の、名を」
「…幸村」
「いま一度」
「幸村」
「うむ」
「幸村ちゃん」
「ちゃんはいらぬ!」
「だって、子どもみたいですもの。弁丸ちゃん」
「いい加減にせよ、朱音!」
笑いながら指摘され、嫉妬を露わにしていた幸村が赤面した。
反応を示すほど相手にとっては満足感を与える材料にしかならない。そうはわかっているものの抑制は利かず、朱音は幸村の胸に身体を預けると無防備に思うがまま笑っていた。
「な、なんたる生意気…、朱音!」
「そうですか」
「そうだ!俺はそなたが何よりも一番だというのに!」
しまった、言わされた。と弄ぜられた気に陥ったのは叫んだ後だった。
意図していなかったのか見上げてくる朱音も頬を少しばかり赤らめていたがそれ以上に赤く紅く熟れている幸村が半ば自棄になって続ける。
「この上なく鈍すぎるそなたが悪いのだ!そなたが一切、察しない故に……俺は……ッ!」
初で居続けることが出来なくなった経緯を叫び上げる幸村は顔面に留まらず全身がカッと燃えような勢いで火照る。炎さながらの想いは抱えられる朱音にもはっきりと伝わった。
興奮で潤んだ幸村の目元を朱音が右手でそっとなぞった。
「毎日、いつだって、何かある度に真っ先に思い浮かぶのは貴方のお顔です」
右手はそのまま熱い熱い頬に添えられた。
「だからわたしにとっての一番も、あなたです、幸村」
「む…当然だ…!何年共にいると思っておるのだ、」
「プンプンしないでください。えっと、どれくらいになりますかね…」
「もう十年経つ頃合いだ、朱音」
「あら、もうそんなに経ちますか。なるほど、小さかった子も大きくなるわけです…」
「うむ」
「嬉しいですね」
「うむ」
漸く落ち着いた雰囲気に戻ってきた二人へ穏やかに照りつける朝日が周囲と共に温めていく。
「そう、そろそろ起こしに行かないと」
「む…!」
「なんですか」
「最近は俺よりも、あやつにかまけてばかりではないか、」
「…まさか、我が子相手に嫉妬しておいでですか?」
「まだ行かせぬぞ」
「……ご冗談ですよね?では一緒に行きますか、幸村」
「行くが、もう少しだけ……もうしばらくは、このままがいい」
抱きしめる腕の力が強まった。熱烈で情熱的で、優しくて、あたたかい。そんな惜しみない愛情に埋もれる朱音は再び身体を預けるとそっと目を閉じた。
(音色を響かせて 終)