14.想影
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「市……はやく、朱音のところへ行きたいんだけど……」
「…行けばいいじゃないか」
「だったら、はやく身体を治して」
低い声に、それから呆れた声。低い声は更に不機嫌が上乗せされた。
「僕なりに頑張っているのだけどね。どうぞ放っておいてくれて構わないよ、お市殿」
「あなたの具合はあなたが判断することじゃないわ。この子たちがまだ市もいないと駄目って言うもの」
厳島から薩摩の地までの時と同じように、己を介してこの世に呼び出される根の国の腕達。死を超えた先の世界の住人達の力を借りて、現世の魂を留めるという、最強にして強引な治療活動が現在盛大に行われている。
御者であるお市はじっとりした視線を治療相手に送る。視線の先の銀髪の青年は苦笑を返す他なかった。
「市は朱音との約束を、絶対に守るの」
「今日は饒舌だね。でも少しくらい君が席を外しても支障はないんじゃないのかい」
「その言葉を信用できるほど、市達は親しくないわ、竹中様」
「ごもっともだね」
いつしかの朱音の如く現在腕たちの闇に抱えられているのは竹中半兵衛だ。
場所は同じく甲斐の躑躅ヶ崎館、彼の療養の為に宛がわれた部屋の中で布団に横たえられたまま全身を覆うように腕たちがゆらゆらとひしめいている。
「だったら僕にここまでの手傷を負わせた片倉君を恨んでおくれ。君のせいで朱音君の元へ行けないじゃないかって。奥州の双竜も今はこの甲斐にいるのだろう?」
「元々は竹中様が悪いんでしょ、」
「原因は僕だとしても改めるつもりはないよ」
長曾我部軍の富嶽を改造した毛利の移動要塞・日輪を回収するために大坂から播磨の地へ、部下を従えて向かっていた半兵衛を阻むべく追いかけた竜の右目・片倉小十郎。その両者を留める為に、同じく後を追ったお市と小助。
豊臣の後衛を蹴散らした二人が到着した時には、病状の進行していた半兵衛が圧倒的に不利な状況に追い込まれており、説得を試みる間すらもなかった。それゆえに小助が閃光を放ち、周辺一帯を目眩しをすると、お市が以前前田軍と上杉軍の戦を凍結させた時と同じように、容赦なく根の国の腕たちでその場に居た全ての人間を覆った。
『き、君たち…!なぜ、こんな所へ…!』
『市の正義と朱音の為よ、死なないでね、竹中様』
公然たる正も邪もない、まさに自らの意思で勝負を制した。
状況のわからないまま巻き込まれて一緒に腕に包まれた小十郎の険しい顔が印象的だったと後に小助は語る。
比較的安全に悶着を抑え、手負いの半兵衛をこの甲斐まで強制的に連れ帰り、現在に至るわけだ。
それからの数日はお市と腕達による半兵衛の命を繋ぎ止める処置に近いものが施されているのだが、そうしている合間に同じように甲斐に戻り、死の際を彷徨っていた朱音が目を覚ましたという報せが入った。時間は刻まれる。どちらの命も時間は掛かれど回復へ確実に向かっているはずだ。
「……前にも言ったけれど、回復の早さはあなたの意思が影響するわ」
「そう急かさないでくれたまえよ。僕にだって事情はあるんだ」
「……そうね、急いでほしいけれど、待ってあげるわ」
「おや、どういう風の吹き回しかな」
不機嫌顔でむくれながらも、思いの外寛容な物言いに半兵衛が首を傾げた。
「朱音だって、たくさん時間をかけてきたんだもん」
「そういうことか」
本当、どこまでも愚直に疾走するあの娘の人を惹きつける力は一体何なのだろうか。
いや、考える必要はない。彼女のような人間はどこまでも正直で偽りがない。どんな些事でも一生懸命になって、目的の為に、何かの為に、誰かの為に全力を尽くす愚かにも直向きな姿勢が、単純にして時として羨望の眼差しを生んでしまうのだ。自身もその例外ではないな、と半兵衛は息を吐いた。但し、惹かれた相手は朱音ではなく…、
(確かそろそろ三成くんたちもこちらに来るって言っていたな…)
豊臣軍の東西への侵攻はどちらも中断に終わり、先に放っていた最北端と最南端の軍勢にもその報せは届いた。指揮をする人間が挫かれてしまえばそれ以上の行動は分隊には不可能だった。
だか、秀吉と半兵衛の両名が存命していたことでその後の分隊も独断で行動することはなく、大人しく兵を撤退させることもできた。もしも命を落としていれば、三成のような忠義と依存を強く抱く家臣は仇討ちをせんと暴走しかねない。
(殺し合いの場で相手を殺さずに終わらせた。結果的には、余計な流血と戦乱を避けた事になる、か)
「お市殿、僕秀吉に会いたい」
「さっき会ったばかりでしょう。秀吉様は朱音の様子を見に行くって。……市よりも、先に………!」
うっかり地雷を踏んでしまい、お市の不機嫌が更に上乗せされたが、同時に襖の外の廊下から素っ頓狂な悲鳴が聞こえてきた事で、半兵衛が彼女の鬱憤晴らしの矛先になる事は免れた。
「……お月さま、どうしたの…?」
声で相手を判別できたのか、お市が部屋からひょいと顔を出すと、思った通り視線の先には小助が居た。
「お、お市ちゃん…、こ、これ…って、さ…」
「……あら…」
青ざめた小助が指し示した先を目にしたお市は溜息をついた。
*
「なーんで俺じゃなく真田が一番乗りだったんだよ。フツー俺だろ、直接的に助けたの俺だったじゃねぇかよ」
「いい歳していじけるのはみっとものうございます、政宗様」
「Ah!?誰がいじけてるだァ!?」
諌める言葉に噛みつかんとする勢いで、いじけている事を否定した隻眼の男。
「まぁ以前にこの屋敷にてお命を救われた借りを小田原で返したと思えば、此度は妥当かと」
「どういうfollowの仕方だよ!」
「そろそろお静かになされよ、政宗様。朱音を急かしてはなりませぬ」
「っせーな、わぁってるよ小十郎…ッ」
眠る待ち人の側で佐助以上に大きく胡坐を掻き掌で気だるげに顎を支えた政宗が不満そうに後ろに控える腹心の小十郎を見遣った。
小田原で秀吉と慶次・朱音の立ち会いを見届けた後、自らの婆娑羅の力を使い朱音の命を繋ぎ留め、この甲斐まで抱えて連れてきたのは政宗だった。
想像以上に繊細な力加減を要求された救命行為で疲弊した自らの休養も兼ねてそのまま甲斐に滞在し、朱音が目を覚ますまでも頻繁に足を運んでいた。しかし本来とは異なる婆娑羅の力を行使した疲労が祟り、偶然昼日中に身体を休めていた時にちょうど初めて目を覚ました。そのまま居合わせた幸村と話したという報告を受けたため、おいしいとこ取りをされた気分に陥っていた。
だからこうして、眠っていようが今日もその側で控え、待っているのである。
「俺って一途だよな」
「そのような事は自ら言うのではなく…」
「だあああもう!一々真面目に返すなッ」
「政宗様、しッ」
小十郎は確信犯なのかただの天然なのか。やや噛み付かれる会話が政宗を余計に苛立たせた。大真面目な強面で幼子を嗜めるように人差し指をピンと立てる様子はどうにも本気のようだった。
苦い表情をした政宗から思わずため息が出た。
「そうも無愛想にしておりますと、確かに忠朝に似ておりますな」
「Shut up.誰のせいだよ」
この甲斐にやって来て初めて顔を合わせた本多忠朝―――朱音の実兄は、確かに彼女が言うように目元の造りが少しばかり政宗と似ていた。そして朱音が昏睡状態であるせいだろう、彼は常に思い詰めた表情をしており、眉間に皺が取れる姿は未だ見たことがないのだ。
「今日はまだ姿を見ておりませぬな」
「言われてみりゃあそうだな。あいつもしょっちゅうここに顔出してたのにな」
大胆な寝坊でもしてんだろ、と何の根拠もない推測を立てると、眠る朱音の頬にそっと手を添えた。
「……声くらいは聞きてぇな、朱音」
すると彼女の呼吸の流れが変わった。
深く深く沈んでいたものがゆっくりと引き上げられていく予感がした。
「朱音!」
思わず身を乗り出した政宗とまた暫くぶりに目を覚ました朱音の目が合った。