14.想影
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左肩から指先までの感覚、運動の機能を全て失った。
拳を受け止めた衝撃で肋骨も数本折れて、しばらくは寝たきり状態だ。
それでも《その程度》で済んだのは多くの人々が朱音の命を救おうと手を尽くしてくれた結果に違いない。
(本当に、恵まれている)
(やりたい放題だったのに、それを許してもらえて、心配してもらえて……、命まで留めてもらえるだなんて、)
「あなた様は、それでよろしいのですわ」
稚拙な想いで引き留めて、幸村に手を握られている内にまた眠ってしまっていたらしい。
それから次に目を覚ました時に傍らにいたのは、武田家に使える女中のひかりだった。
「二番乗り、いただきましたわ」
二本指をぴっ、と伸ばして悪戯っぽく微笑む彼女は何となく以前より逞しい雰囲気を纏っている気がした。
「ひかり…!」
「おかえりなさいませ、朱音様」
再び眠っている間にまた皆が自分の事をかわるがわる見舞いに来てくれていたことを一番に教えてもらった。
それでも中々目は覚めずに夜更けの頃合いになった今、目が覚めても側に誰かがいてくれたのは、きっと幸村の計らいだろう。
「流石にこんな真夜中に皆様を叩き起こすわけにもいきませんし、今夜はこのひかりが、朱音様を独占できますね」
「……でも、ひかりだって、疲れてしまいます」
「朱音様と共に過ごしているのに疲れるだなんて、ご冗談を」
わたくし寂しくて、ずっと会いたかったのですよ、と笑顔と共に素直な気持ちが伝えられた。どこまでもこの女性に愛されていることを実感し、胸の中が温かくなった。
「……こんなに、わたしが嬉しいことばかり、あってもいいのでしょうか、」
「と、申しますと?」
「ひかりが、傍に居てくれること。ここに帰ってこられて、またみんなに、会えること…」
「朱音様だけが望んでいる事ではありませんもの。わたくしもあなた様と一緒にいることを望んでおりますし、皆様もあなた様とお話できる時を心待ちにしておいでですわ」
望むことが次々と叶うかのような現実が信じられなくて、いつか罰が当たってしまいそうな気すらして、おずおずと訊ねる朱音を独りよがりだとひかりが一蹴した。
「あなた様は、それでよろしいのですわ。……もう、大丈夫なのですよ、朱音様」
「……はい、ありがとう、ひかり…」
*
「三番乗り~って、あら、お邪魔しちゃった…?」
それから旅の思い出を暫く話し込み、このままひかりと二人だけの夜が明けるかと思いきや、もう一人来客が現れた。
襖を開け、正面から堂々と入ってきた彼は自分の本職を忘れているのかと思った。
「夜は甲斐甲斐しい女中さんと、忍のお時間でぇ~ございますっと」
形だけは恭しく頭を下げたのは、派手な頭髪に迷彩柄の装束を纏った忍者だった。
「さしけ…」
「今回だけはその呼び方許してあげるよ、おはよ、朱音」
軽い雰囲気で片手をあげると、佐助はひかりの隣に腰を降ろした。その際、やはり二人の時間を邪魔された事を快く思わなかったのか、非常に物言いたげな表情をしたひかりを朱音は見てしまった。しかしそれも束の間。ひかりは瞳を伏して、また柔い表情を浮かべるとスッと立ち上がった。
「ちょうどよかったですわ、佐助様。最近は朝餉の支度も多いですから、今からは貴方が朱音様のお傍にお願いいたします」
「任せて。そろそろ夜明けだし、客人が多いと準備も大変でしょ、後で俺様も手伝いに行こうか?」
「その辺りの判断は、ええ、どうぞお好きに」
「え、コトバに棘が、」
「では朱音様、また後ほど。」
「は、はい…また!」
朱音に向かって緩やかに頭を下げるとひかりは部屋を去った。
彼女が出て行ったことで部屋の中が妙な沈黙に襲われた。微妙そうな表情をした佐助を眺めていると不意に顔を押さえて項垂れた。
「ほんと…女の敵は作るモンじゃないわ~…こえ~…!」
「仲、悪いのですか…?」
「あんたが絡むとね。ほら、俺様基本的にモテモテだから」
「知らなかった、です」
「うっそだぁ、小助のおねーちゃんなんかともオアツイんだぜ?」
「それだけは絶対に違うって、前に小助が大真面目なお顔で言ってましたよ」
「…まじで?」
ひかりと二人でいた時とはまた異なり、全体的に緩い砕けた雰囲気に打って変わった。
はー、と気の抜けた息を吐いた佐助は背筋を丸めて胡坐を掻いくと頬杖をついた。
「なんだ、元気そうじゃないの」
「会えて、嬉しいからですよ」
「あら、素直」
「ひかりに」
「俺様は!?――――まぁでも、もっとふさぎ込んでると思ってたから安心したよ」
左腕、動かなくなったんだろ、と頬杖をついたままもう片方の手で朱音の左腕を指した。
どうせ言い繕ったってこの忍相手に通じるはずはないと十分に承知しているが故に朱音は素直に頷いた。
「もちろん、こわいですよ。でも…それでもいいと言ってくれる人がいるのなら、その人と一緒に、これからを考えていこうと思ったんです」
「ふーん、だぁれの事~それ」
こちらは素直に伝えているというのに、ニヤニヤした笑みで返され、若干苛立ちを覚えた。
「いろいろ、です」
「テキトーに返したでしょ」
「しらないです」
「ごめんて、プンプンしないの。本当変わらないねぇあんた」
骨折もしているため、自力では寝返りもままならず、全力で晒される不機嫌顔を佐助は軽く爪弾いた。言うまでもなく朱音の眉間の皺が一層深まり苦笑した。
「でも、ま、相変わらずで本当に安心」
「……先にお会いしたお二人にも、そう言われました」
「じゃあ、やっぱり大正解だね」
朱音の眉間を押していた佐助の手が今度は頬まで降りてきた。
「前田の風来坊と一緒に、豊臣の大将を止めたんだろ?きっと今回のことで太平の世に大きく近づいたんじゃねぇかな」
「……そうであってほしい、」
「そうに決まってるでしょ。ほんと、無鉄砲でもすげぇよ、―――――誰かを殺めることで明日へ繋がるばかりだったこの戦国乱世で、死人を出すことなく大規模な武力衝突を阻止したんだ。十分すぎる功績だよ、朱音」
やったね給料もあがるよ、とおどけて見せる佐助に、生易しい視線をいつまでも送っているといつかの時のように頬が弱い力で摘まれた。
肋骨を数本骨折し上体もまともに起こせない朱音にやり返すことは不可能であり身体が強張った。
「痛くしねぇっての。……笑ってなよ、あんたは」
「……それ、記憶がなかった頃も言ってましたよね」
「あらそうだったかね、よく覚えているもんだ」
「あなたも、忘れていないでしょう」
どうせ覚えてはいまい。そんな見込みは外れ、見透かされてしまった。そう言いたげに佐助の瞼が揺れ、思わず朱音を凝視していた。
晴れることのない霧の中のような彼の過去の出来事は、やはり彼自身の中で強く根付いているようだ、と朱音も察した。
かつて旅に出る前、月明かりに照れされる中佐助と二人きりで、彼が幼い頃に現在のとよく似た姿をした女性に会ったことがあると告げられた。その女性とあまりにも背格好が似ている為に天女か何者なのか、と突拍子もない質問もされた覚えもある。
「……やはり、似ていますか?」
「………、」
「どうして、その人に会いたいのか、もっと聞いてもいいですか?」
「やだよ。俺様秘密主義者だもん」
「では怪我人の頼みとして。まだ万全ではないので、寝て起きたら忘れているか、も……」
「っていうか、既に寝そうになってるよ」
またこんな変な時間に起きてるからだよ、と佐助の人差し指がの額をつついた。例によって突如眠気襲われだした本人は全力で抗おうとするが、抵抗むなしく瞼が苦しげに下り始めていた。
「あらぁ残念だねぇ~俺様のヒミツ聞けないねぇ~爆睡したらひかりさんのごはんも食べられないねぇ~」
額の人差し指を離さないままへらりと笑んで、例によって茶化そうとする声色が嫌に朱音の心に響いた。
笑みを浮かべながらもそっぽを向いた佐助。表情が見えなくなった。見せたくないのかもしれない。そんな背に届くか届かないか、眠気に抗いながら声が絞り出された。
「 」
「ま、いま、ちょっ、…って寝んなよおいッ!」
佐助が慌てて振り向いた時は既に再び夢の中へ旅立ってしまっていた。閉じた瞳と、浅くも規則性のある落ち着いた寝息。たった今、眠る前の最後の一言…一単語が夢なのか現実なのか分からなくなった。
「待ってよ…せめて、もう一回………ほんと、もう、こら」
思わず掌で自分の顔を覆い、ガックリと肩を落とした。結局は毎回彼女のペースに巻き込まれているのを自覚して余計に落ち込んだ。
そもそも、過去に出会ったと彼女と朱音を同一視したいのかは、未だに佐助自身にもわからない。ただ、容姿、背格好がどこまでも似通い、瓜二つと言っても過言ではない。容姿の似た親族はいなかったか、とも訊ねた事もあったが、実質目の前にいる朱音とほぼ同じ姿であったため、意味がない質問だとはわかっていたのだ。
「その人はね、俺の側にいてくれたんだよ。他人なんて大嫌いだーってムキになってたガキの頃の、俺の側に」
「あの時の俺は、名前も何にもなかったから。だから今、名前も居場所もある自分を見てもらいたいってだけ、」
「でも、見てもらいたくない事もたくさんしてきたしなぁ…ま、いいか」
自分と二人になる前にすでにひかりと長いこと話し込んでいたようであるから、一度眠ってしまえばまた暫く起きないだろう。それ故に聞かれはしまいと、思いの外するすると胸の内を吐き出せた。
この胸に抱える自身でも明確にできない想いは皆との日常ではきっと妨げになる。だからまた押し込めて、忘れたかのように振る舞うようになるだろう。
けれど、そうだとしても、そうしても、目の前の朱音は忘れてはくれまい。きっとずっと覚えていてくれるのだろう。自身にだけ向けられる稚児のような敵対心の陰にそっと忍ばせるように。
『忘れないことが、きっと佐助自身の救いになる』そうどこかで感じ取っているが為に。