1.うたかた
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「だから言ったのに!」
空は橙色になった。引き返し始め、まだ半刻も経ってない。
しかし、一行が道を見失なったという事実には変わりない。
…そう、迷子になっちゃいました。てへ。
辺りは樹に幾重にも覆われ、地には雑草が生い茂り、どう考えても人工的に整備された道ではなくなっている。心なしか標高も高くなってる気がする。どこかの山に誤って登ってしまったのだろうか。本当、今どこにいて、何がどうなっているのだ。
「…返す言葉も、ありません…」
「ごめんなさい…」
大柄な体格の前に縮こまれば余計に自分が小さく感じられる。
二人は素直に慶次に頭を下げて、しょぼんと項垂れた。
お市はともかく……そんなでたらめな勘に任せて今まで単身で日ノ本を練り歩いていた朱音はよく無事いられたものだ。本願寺での一件が起きるまでは本当に運が良かったのだろう。
「参ったなぁ…宿屋見つかるかな」
「ごめんなさい、前田さん」
「いや、もう済んじまったこと言ってもしょうがないよ。これからを考えよう、お市さん」
「そう、ね……」
何故、彼女が無事でいられたのか。それは運以外にも理由はあった。
たとえば方向音痴その他諸々をカバーできる位に、気配や危険の感知に優れている、とか。
「…どうしたの?」
本願寺、あれはたくさんの人が焼かれて犠牲になっていたためだ。助けなきゃ、と思ったから危険を承知で自ら足を踏み入れたのだ。
「朱音?」
「二手に分かれて、先にここがどこなのか確かめましょう。完全に日が暮れる前に」
朱音は一行が二手に別れて行動することを提案した。慶次もお市も反対したが、この方が効率がいいとこの時ばかりは饒舌に巧みに語って説き伏せた。
「それでなんで朱音が一人で行動する方なんだい?」
「市…朱音も一緒に…」
「わたしはこのあたりの景色を覚えましたから、多少なら離れても大丈夫です。一通り散策したら、ここに戻ってきましょう。慶次、お市様をよろしくお願いいたします」
「朱音…本当に大丈夫なのかい?」
「ええ。お市様もいるのに軽率な行動をしてしまって反省してます。安全が第一です、わかってますよ、慶次」
それじゃあ、後で。
笑顔で言えたはずだ。
*
独特の気配がある。
それは戦場に立つ人間に共通して存在するものだ。稀に例外もいるのだが。
何年もその気配とともに生きてきた。けれど感化はされない。だからこそ、誰よりも敏くいられる。
(結構多い…)
二人と別れてすぐに駆け出した。
長年連れ添うように在った気配を辿るために駆ける。
杞憂で終わればいい。
気のせいで済んでくれればいい。
迷いなく足を進める。気配を消して自然に隠れながら。
…終わるはずがなかった。済むはずがなかった。
思い違うほど、軟な経験は積んでいなかった。
(どこかの国の、お武将様達だ…!)
朱音が目にしたのは十数人の武士達。鎧こそ纏ってはいないもののその気配は不本意ながらもこの身に酷く慣れ親しんでいて。
恐らく密会。人目を凌ぐ必要のある話をしているのだろう。
樹木の影からそっと彼らの様子を伺う。どうやら場を纏める指揮官が一人、あとはその人物に付き従っているようだ。
その指揮官と思わしき人物はまだ歳若い風貌だ。それでいてあれだけの人を束ね、従わせる力を持っているとは…
(何より、あの人の気配は侮れない…それにどこか…)
お市、慶次と別行動を取ってよかった。
この人たちは本物だ。油断はできない。早くこの場から離れるように、伝えに戻らなくては……!
危険になんて晒せない。
もう、失うものか。
すばやく、立ち去ろうと細心の注意を払って足を踏み出した矢先だった。
「 捕えよ 」
(――――――ッ!!)
さっきの指揮官の声だ。間違うはずがない。
一瞬のうちに考えられたのはそこまで。朱音の眼前へ、存在に気づけなかった忍達が一斉に降ってきた。
引き返す足を別の方向に切り替えると、朱音は一気に走りだした。
誰かを大切に想う。それは誰にでもできることだ。けれど、大切に想って、守り続けるのはこの上なく、難しいことなのだ。
わかっていても。自分が傷つけば大切に想う人も傷つくことを。
でも、できるはずがない。大切だから、一番に考える。例え自分が危機に足を踏み入れたその瞬間でさえ―――…!
山道の斜面が容易く足を滑らせる。慣れない場所では思うようには振るえないか。
まだ武器を取り出さず、走り続ける。せめて足場を気にしなくていい場所で応戦するべきだ。そこへ辿りつくまで駆け続ける。
背後で空を斬る音が連続した。
反射的に樹の間を縫いながら疾走を続ける。ドス、ドスリという貫く音が通り過ぎたばかりの木々から絶え間なく聞こえてくる。
(―――…あった!)
ゆるやかな斜面へ出られた。ここならば約束の場所からも離れているから、二人に危険は行かないはずだ。
――――迎え打つのなら、今しかない!
腰に括ってあった魂を殺した刀を引き抜いた。
人を殺さないために、刃先を潰した刀。骸刀。
『お前の戦い方は、対多数を意識したものだろう』
いつしか言われた言葉を思い出した。
追ってきている忍は15人程か。周りの樹を盾にすれば彼女にとっては十分太刀打ちできる数である。無駄のない動作で構えを取った。忍達も朱音から一定の距離を空け、地面や木の上にとそれぞれに佇んでいる。
――――――勝って、逃げ切って、戻る…!
「負けない…!!」
感情のままに零した言葉が、皮切りになった。
銀色の数多の閃が自分に向かってくる。
距離を取りつつ、ある程度を払い落し、迂回するように敵に回り込んだ。
相手の右腕が動く前に自分の右腕を。
標的の左脚が動く前に自分の肘を。
凶器よりも速く、鋭く。
急所を外した急所を落とせ!!
次々と倒れ伏していく音が重々しい。鳩尾を引っ掻くように響く。
けれど今は気を取られている場合ではない。
もう半数は動けなくした。あと少しだ、と意気込む。
わたしは、戻らなくていけない。二人の所まで。
敵の存在を黙っていたことで怒られるかもしれないけど、それでも…!
戻りたい。戻ってみせる。
突然、握っていた刀に自我が宿った。持ち手の意向に反する方向へ力が働き、その勢いに身体が引っ張られ、引きずられるように転んだ。
「な、に…!?」
もちろん魂を殺した刃に命が宿ったはずはなく、
「……拍子抜けだよ。聞いていたより、全然弱いじゃないか」
朱音の刀に、別の刀が、巻き付いていた。
三節根のように、けれど三節根など比にならない、数倍に分裂した刃。
――――――関節剣
「まあ、その刀モドキを手放さなかったのは、及第点かな」
「――――――!」
目の前に姿を現したのは、さっきの指揮官。
白い髪に白い服、額には紫の仮面。
朱音の刀に巻き付いたそれは彼の手元の柄につながっていた。
「さて、一緒に来てもらうよ」
「誰が…!」
わたしは、戻らなくてはいけないのだから。
お市様、慶次…!
力を入れても関節剣はほどけないのを理解し、手放した。
それがいけなかった。
主人の手を離れた刀は敵の所有物となり白い彼は関節剣を鞭のように振り下ろした。
直前まで握っていた刀が己を貫こうと飛んできた。
間一髪で避け、朱音の刀は地面に刺さり関節剣とともに彼も動きを止めた。
その隙を逃がさず、朱音は彼を目掛けて走りだした。
五体はどこも損傷していない。まだ戦える。
「どこまで愚かなんだい?」
首筋に重い重い衝撃が振り下ろされた。
指揮官に自分の手は届いていない。彼の手も、武器も朱音に届いてはいなかった。
この場にいるのは自分と彼だけじゃない。
さっきまで、戦っていたくせに、
なんで、なんで、こんな散漫な、こんなことで
こんなの、今まで、一度だって――――――………
「意識があるうちから、意識がここにないみたいだったね。それほど気にかかるものでもあったのかな」
倒れ伏した少女の表情は歯を喰いしばったままで苦痛そうに歪んでいる。
この者で間違いはないのか、と指揮官と思しき青年は確認を取るために持ち上げた顔を見て、一人の忍が頷いた。
「この子が≪その者≫だというのなら……使えるかもしれないね」
「僕らの計画を妨害してくれた以上の分を、返してもらおうか」
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