10.清流
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思い返す必要はない。ここはあまりにも見慣れた。
実際に訪れたのはただの一度だというのに、そこから幾度も夢の舞台に選ばれる。それだけ記憶に深く刻まれた場所であり、数日前にもここに来た覚えがある。
ここは喪失を確認した場所、敗北を己に知らしめた原の最後の場所。
ほら、今回もまた雨が降り出した。これから何日間もずっと振り続けたあの豪雨が、また。
一番最近に見たのは、幼い自分と向き合った夢。
突然、幼い自分目掛けて鎧を纏った武者が襲いかかってきた。自分を守る事を戸惑いを覚えたが、気づけば他者の時同じように身を挺して庇っていた。
だが、それからいつものように反撃の為に振り翳した刃はいつもより鋭かった。襲いかかった者を軽々と裂き、殺してしまったのだ。
庇われた…守られた幼い自分は、そんな人殺しを指さして泣き叫んだ。他でもない、自分自身を糾弾した。自分に責められ、怯えられた。
―――――目覚めは最悪だった。
そして、今。戦を備えたこの瞬間にまたここへ来たその意味は。きっとこれは続編だ。己に泣き叫ばれた夢の続き。
目の前に現れたのは現在の自分だった。いや、少し違う。彼女は胴着を纏っている。そう、いつ何があっても対処できるようにと無知に還った中で備えていた装いだ。
今日の相手は記憶喪失の頃の自分のようだ。
「そなたは、誰でござるか?」
「朱音です」
「朱音は、それがしでござる!」
「わたしとあなたは同じですから」
「――――――ちがう!」
無邪気と見せかけて相手の本質を見抜こうとする目。この場合、無邪気に返っても抜け落ちなかった習性とでも言うべきかもしれないが、我ながら実にあざとく生意気だと思った。
険しい表情で言い返す少し前の自分。対して現在の自分は極端に淡々としている感覚がした。
一緒にするな、と怒鳴った自分は拳を握りしめて睨みながらも、一歩後ずさった。
「それがしは、人を傷つけるは、いやでござる!それがしは傷つけるはしない!そなたは、誰だ!」
思い出した。記憶がない中、身体に染みついた戦の経験で…感覚だけで甲斐の屋敷へ侵入した2人の忍を返り討ちにした事があった。
あの時自分自身を恐れた。別人に身体や心をも乗っ取られてしまったのではないかと。怖くて、泣き乱れて、………彼らの助けを受けた事で何とか落ち着けたのだが。
今、目の前にいるのは、きっとその時の自分だ。
「ごめんなさい、」
せっかくだから嫌味の一つでも言ってやろうかという意識とは正反対の言葉をこぼしていた。
どうして、と思う間にも口が懇願するような語調で勝手に紡いでいく。
「こうしないと、助けられない、わたしは、誰も」
脚が勝手に進んだ。歩を刻むのは理解を求めるが故だろうか。すると胴着姿の自分は顔を引き攣らせて更に一歩下がった。
「なれど!それでは、終わりませぬ……!同じでござる!」
「わかってます、そんなの。……そんなの…」
「傷つけるで失ったのに、」
「それでも」
「かえって、こなかったのに、」
「それでも、同じ手段を使わないと、誰も助けられない、」
「おかしいでござる!」
怖気付くも抵抗の言葉を並べる彼女。しかし気づけば、その両の手にはそれぞれ木刀が収まっていた。誰よりも自分自身が驚いたらしい。慌てて手放していた。そうしてから、その木刀は誰からの贈り物であったか思い出したようだ。拾おうとしたもののすぐに現在の己の方へ向き直った。今はまず目の前にいる相手―――自分自身との問答に集中するべきと考えたようだ。
「許さない、と」
「あたりまえでござる…!そなたを許せば…いくさは、終わりませぬ!」
怒りを露わにする彼女の手に再び木刀が握られていた。先ほど以上に驚いていたが、今度は投げ捨てずに胸に抱えこんだ。
「そう思ったからこそ!それがしは、きおくを捨てたのだ!」
泣き叫びながら突き付けた、追いつめられていた末の逃避願望。自ら死を選べなかった心の片隅でずっと抱いていた願い。
ついに、現在の自分の身体も動かなくなった。
「ぜんぶ、無くせば……ことなる生き方が、できると思ったでござる!なのに、なのに……!」
「でも、理解していたはず。失う前からそうだったはずでしょう。元より喜んで殺める人なんて、きっといない。この情勢が人を狂わせて、その身を適応させて……そして、それを変えるために戦っているって」
「――――ここで、ち、ち、うえ、の最後の姿を、見たくせにッ!なおも、同じことをするのか…ッ!」
「………ッ、」
「それでも、変わらぬと申すでざるか!同じやり方で、また、今から……ひでよし、さん、を……あにうえを…ッ!!」
他でもない、自分自身なのだから。全てお見通しなのは必然だ。なのに心が一層波立つのは何故だろうか。
負けたくない。自分自身に屈していては、他人に向き合うことなど出来るはずがない。それを彼に諭した手前であるのに、こんなことで――――――。
自分と向き合って矛盾する気持ちが、過去の自分の姿として目の前にいる。幼い頃から憑りついたように存在していた、人の生き死にに対する価値観。戦うことが乱世を終わらせる唯一の手段といって過言ではない時勢に自らも力を持つことを望んだ。反面で望む毎に自身を忌み嫌った。お家を無くしたその瞬間から、どちらの思いもどんどん大きくなっていった。
そして遂に衝突する2つの意志。幸村に限らず、現在の自分にもまた選択が求められているのだろう。
「そなたは嘘つきだ!……失って、なんのために、ここから、逃げ出して、生きたのでござるか…!」
「嘘つきでも、これがわたしの選んだやり方。嘘でも、矛盾してても、この場所から始まって、見て、聞いて、知って、忘れて、それで決めてきた事だから……!」
嫌な汗が浮かぶ。自分ですら解せない感情。いや、理解はしていてもそのままに行動できなかった。少しばかり悟い幼子であったが為に戦に連れて行くようにせがんだ。しかしそれは決して許されず、待つように言った大きな背は帰らぬ人になった。
果てなき絶望に浸ったのち、自分と同じ目に遭う人々を減らすために……護るために、結局自身から奪ったものと同じ、武の力を持った。そして記憶喪失になって顧みた時、その力は途方もない脅威だった。……それだけは忘れてはならない。
失って抱いた、今にまで一貫させる想いを。最後の最後まで貫き通す。それがせめてもの、自分を納得させうる最後の基盤。その為の手段を非難されようとも、一番最初の感情は違えたりはしない。
「想いは全て今日までに繋がっている。そして、この胸に受け止める」
筒抜けの思考は告げずとも過去を映し出す彼女にも伝わる。
どれだけ嫌がろうと、所詮は同一人物。理解できてしてまうのだ。けれどそれだけは認めたくないのか言葉は返せないながらも、涙を流しながら首を横に振っている。きっとそれで正しい。今の自分を全て肯定することは喪失した瞬間の、あのすべてが終わり、始まった時の決意を諦めることになるのだから。
「わたしは全ての事を覚えているから。二度と忘れたりしない。ちゃんと、向き合うって決めました。どうか、前に進ませて、」
ちゃんと言い切った。目を逸らしたりもしなかった。すると胴着姿の自身の首元に包帯が浮かびあがった。政宗を奇襲から護った際に生じた、今も残る裂傷痕だ。
抱えていたはずの木刀はいつの間にか消えていて、彼女の手がそっと包帯に触れる。つられるように、自分も同じく、未だ痕消えぬ首元へ手を添えた。
「許せないでござるが………、後悔はしておりませぬ、」
涙を浮かべたまま、今度こそ無邪気に笑ってみせた。
「たくさんの人と、会えたでござるゆえ、」
そうか。そうだった。一度記憶を捨てても、今なお自分が生きる目標を持てている理由。
色んな理屈を並べようが、一番に揺るがないものがあった。
今、自分の周りはたくさんの人が囲んでくれている。その人たちと一緒に生きていられることが、何より幸せだと感じているからだ。それが過去から変わった、今の自分だ。
『――――――朱音』
そう名付けられて、そう生きる。
受け入れてくれる、向き合ってくれる。これほどに嬉しいことは、きっと他にない。
「呼んでいるでござるな」
どこからか聞こえてくる、耳に馴染んだ声。その途端にいつよりも表情を緩ませて、さながら稚児のように胴着姿の自分は辺りをきょろきょろし出した。いや、もしかしたら冷静に見つめているはずの自分自身も今が一番……。
「お寝坊はさしけに笑われます。そろそろ起きた方がいいのでは?」
「そなたの喋り方はひかりと少し似てるでござるな……それに、違うでござる」
ぴたり、と声の主を探すのを止めると胴着姿の自分はこちらを見つめてきた。いつの間にかまた現れていた木刀と戯れるようにくるくると回し、悪戯を仕掛けた時のような笑顔を浮かべながらその姿が雨に包まれる戦場と共に消えていく。
「呼ばれているのは、そなただ」
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